Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

神仏

2015年01月27日 | Weblog

                 

世界の多くの国では、人間にとって宗教が生きてゆくための拠りどころになってい
るのかもしれないが、今の日本ではある特定の「神」(偶像も含めて)を狂信的に信
じて生きるひとは、極めて少ないのではないだろうか。


一般的には葬儀のときだけシキタリに従って仏教徒の真似事をしているだけで、普
段はお寺や仏様のことを思い出すことすらない。ま、宗教が儀式を重んじるのは何
処も同じだろうが、日本では仏教の他、いわゆる姿形のない(あるいは多種多様
な・・八百万の)「神様」も信じられてきた。だから歴史のある神社では格式高い伝
統儀式が何百年も続けられている。


とは云っても、我々一般人はそれを外から眺めて唯感心しているだけのことで、
「神様」を心底信じて敬っている訳でもない。ゆるく「なるほど、何となく厳かな気分
になる・・・」といった程度に神様の存在を感じることはあっても、彼の国の人々のよ
うに熱狂的にはならない。


                                                  

イスラム教の過激派と云われる人たちが欧米先進国を相手に過激な暴力、テロ攻
撃を頻繁に行うようになったのは、2001年米国および有志連合によるタリバン攻
撃に始まるアフガニスタン戦争と、それに続くウサマ・ビンラディンによる米国同時
テロ事件以降のことで、2003年の米国と有志連合によるイラクの武装解除を掲げ
て開始した攻撃(戦争)によって更にエスカレートしてしまった。


過激派と云われるグループのテロ攻撃があまりにも過激で、自爆テロでは民間人
を無差別に一度で何十人も殺傷したり、あるいは無関係な人たちを銃撃戦に巻き
込んだりしたから、本来は決して暴力的ではないイスラム教とその信者たちにとっ
て迷惑この上ないであろう。


しかし過激派がこのように激しい攻撃を仕掛けるようになった背景には、米国を中
心とする欧米系先進各国に対する彼等のいわれのない反感と怒りがあることは確
かである。だからと云ってテロ行為が許されるものではないのだけれど、強大な米
国を中心とする欧米先進国によって世界が支配されているという彼等の思いと、閉
塞感が行き場の無いはけ口として暴力に向かっているのだろうと思われる。


これはつまり宗教上の違いによる争いではなく、端的に言ってしまえば富める欧米
先進社会と貧しい低開発国社会との争いなのである。そうであるとすれば、先進国
側が力で封じ込めようとしたって、そう簡単にテロが収まるとは考えられない。たと
え「イスラム国」というグループを武力で抑え込めたとしても、それは表面上のこと
であって地下活動とテロがますます盛んになるだけのような気がする。


                                                  

二人の日本人が「イスラム国」に拘束されたのは去年8月と10月だったという。そ
の情報は外務省は承知していたし、二人目の後藤さんの場合はネット上で動画が
公開されるづっと以前に、家族宛てに2億円の身代金を要求するメールが送り付け
られてきていて、当然政府はそのことを承知していた筈なのに、2億ドル支払わね
ば二人を殺すと脅迫されるまで、事前に何等救出の手立てを講じた様子はない。


実際に脅されて、初めて慌てふためいている風であり、外国で危機に瀕している日
本人を最初から救う気があったのかどうか疑わしい。第一、二人が拘束されている
のに、エジプトを訪問してイスラム国などのテロ対策に2億ドルの資金援助するなど
と得意げに発表した安倍首相は、事態がどう進展するのか予想すらできず、「イス
ラム国」に宣戦布告してしまった責任は重大である。


日本の国民向けには政府は”あらゆる手を尽くして・・・”などと最善の努力をしてい
るかの如く言い訳しているけれど、中東政策は石油確保のための資源外交が第一
であってみれば、如何に各国と良好な関係を築くかは、もっぱら経済第一でしかな
かったに違いなく、こんな複雑な問題に対しては多分全くの無力なのだ。


せめて残された一人の命だけは何としてでも救いたいけれども、今となってはヨル
ダンの対応如何にかかっており、残念ながら日本がやれることなど何もないのであ
る。


            



最新の画像もっと見る

コメントを投稿