Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

眼科医

2014年09月11日 | Weblog

                 

昨日(9月10日)は仕事を休んで目の検査に行ってきた。前回、ドクターから3
ヶ月に一度は診せに来て下さいと云われていたので、丁度免許の書き換えも
控えていたし、急遽休んで出かけた。


医院名の前に”シロアム会”という一語が付いているのは、キリスト教関係かド
クターがキリスト教信徒なのだろうか。詳しいことは知らないけれど、入口や待
合室の壁にはそれらしい詩や警句、教えのようなものが額に入れられてあちこ
ち掲げてある。


前回(6月)の時は、”人生の秋に”と題する詩で「最高のわざ」について書いた。
今回は入口に飾ってあった”あしあと”について触れてみたい。^^!


『あしあと』

ある夜私は夢をみた
わたしは主とともに渚を歩いていた
暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映しだされた
どの光景にも砂の上にふたりの足あとが残されていた
一つはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。

これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき
わたしは砂の上のあしあとに目を留めた
そこには一つのあしあとしかなかった
わたしの人生でいちばんつらく悲しい時だった

このことがいつもわたしの心を乱していたので
わたしはその悩みについて主にお尋ねした
「主よ、わたしがあなたに従うと決心したとき
あなたはすべての道において、わたしとともに歩み
わたしと語り合って下さると約束されました
それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時
一つのあしあとしかなかったのです
いちばんあなたを必要としたときに
あなたがなぜ、わたしを捨てられたのか
わたしにはわかりません」

主はささやかれた
「わたしの大切な子よ、
わたしはあなたを愛している
あなたを決して捨てたりはしない
ましてや、くるしみや試みの時に
あしあとがひとつだったとき
わたしはあなたを背負って歩いていた」

                                           

このストーリーを読んで、敬虔な信者の方ならきっと胸にグッと迫るところなの
だろうが、
私は不謹慎にも笑がこぼれてしまった。信者の方には申し訳ないが、
何だか話の結末が、私には落語の”落ち”に思えてしまったのである。


どうも下衆で教養がなく神の存在を信じない私のような人間には、素晴らしい
金言も猫に小判、豚に真珠なのだった。(ゴメンナサイ・・・^^!)


                   



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