昨日、自宅のPCを開いたら、勤め先の会社の元先輩だったKKさんの名前で
メールが入っていた。
しかし読んでみたら彼の娘さんからで、何とKKさんご本人の訃報だった!
2月にJinさんが亡くなったとき、KKさんにも連絡しようと思い何度かご自宅へ
電話を入れたのだが、テープが廻るだけで結局連絡できなかった。
それもその筈、そのとき既に彼は脳梗塞で入院していたのだった。
知らなかったけれど、彼の奥さんも一昨年他界していたと娘さんからのメール
に書かれていた。
KKさんは良きにつけ悪しきにつけユニークな人で、時として常識はずれなこと
を言ったりやったりするから顰蹙(ひんしゅく)を買うこともあったが、どこか憎め
ない人だった。
Edが入社したのは、まだ会社設立後間もないころで、売れていたのは2スピード
のアクスル・ヘッドと呼ばれる差動ギア装置だけで、トランスミッションは売り込み
を開始したばかりで、実績は殆どゼロだった。トランスミッションが販売の中心と
なっている現在とは隔世の感がある。
KKさんはアル中に近い大の酒好きだったから、仕事が5時半で終わるや否や机
の引き出しに隠しておいたウィスキーの瓶を持ち出して飲み始める^^!
Edも嫌いじゃないほうだから、「いいのかなあ・・・」と思いつつ参加してたのだけ
れど、あるとき副社長のアメリカ人TDさんが嫌がって、「終業後と云えども会社内
で酒盛りしちゃいかん!」と苦言を呈したため、以後止めて外で飲むようになった。
彼はとにかく安い場所が好きで、酒屋の立ち飲み、駅ホームの立ち飲み、ガード下
の赤提灯くらいしか行かないけれど、毎日だったから結構な飲み代になった。
彼は古いタイプの”営業マン”だったから、顧客(メーカー)の担当者と飲んで注文を
とるのが上手かった(好きでもあった^^)。
更に、本当はワランティー・クレーム処理で儲けてはならないのだけれど、転んでも
只では起きないとばかり、何でも会社の利益に繋げてしまう貪欲なところもあった。
かなりいい加減なことをする営業責任者ではあったけれど、その後会社の業績は右
肩上がりを続け、現在の基盤を築いた人であることも事実である。
胃の薬をのみながら酒を呑み続け、呑めば楽しい人だった。
ご冥福をお祈りします。