Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

セレモニー

2009年09月01日 | Weblog


                
北海道ツーリングから帰って3日目、若い頃お世話になった義兄が亡くなった。享年79歳だった。

肺がんで1年半ほど病院の入退院を繰り返していたが、つい先日までは元気で、見たところ「本当に病気かしらん・・・」と思わせるほど。
この5月には我が家に泊りがけで遊びにきて、近くの姉夫婦と一緒に楽しく呑んで一晩過ごしたばかりだった。
亡くなる2日前に具合が悪くなって入院したが、医者の見立てからは、まさかそんなに急に逝ってしまうほど差し迫った状態とは思ってもいなかった義姉は、相当大きなショックをうけたらしい。
癌は身体のあちこちに転移し、急速に進行してしまったようである。

葬式の朝、納棺のまえに清めが行われた。毛布に包まれた遺体に親族で清めの水をかけたあと、男女二人の清め師(?)が手際よく遺体を洗っていく。先ず足と頭、そして全身を2回毛布の下で石鹸をつけ、まるでお風呂に入ったときのように丁寧に洗う。顔はひげもあたる。
終わるとつぎはタオルで全身を拭き清め、顔には死化粧を施し、最後に黄泉の国へ旅立ちのため死装束をつける。
昔の旅装束そのままに、手甲、脚絆、草鞋、5文銭をいれた肩掛けの袋、なども持たせて納棺する。
これまで私が見てきた親兄弟の葬儀の時より、随分手の込んだセレモニーだ。ヒットした映画の影響だろうか・・・

この手の込んだ納棺のセレモ二ーのわりには、お経をあげる坊さんも説教も重々しさに欠け、アリガタミに欠ける。それにいつものことながら、焼香は一度に3人も並べて流れ作業みたいにしてしまうから、何だか皆急かされて焼香している風でぎこちない。
結局は、葬儀屋が如何にもったいをつけて遺族に金をかけさせ、儲けようとしているか、という商業主義に毒されているからだろう。

死は特別なことではない。誰でもいずれその時を迎える。私のときは親しい友人と身近な親族だけでひっそりと送って欲しいものだ。