Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

この先に何が

2015年02月05日 | Weblog

               

我々が日常使っている生活の手段や生きている環境といった物質面を考えれば、
この僅か100年位の間にとてつもなく進化したように思うのだけれど、こと物の考
え方や精神を考えると殆ど何も進歩していないのではないか、と思えてしまう。む
しろ物質面で貧しかった時代のほうが、人の心は豊かだったかもしれない。


宗教や思想の違い、人種の違い、国家体制の違いから、憎み、怨み、妬み、ある
いは誤解などから人間は相変わらず戦争し、殺し合いを続けている。


二千数百年前の古代中国、春秋戦国時代でも一国の支配者となれば、その富と
権力を自分の子に遺そうとし、相続をめぐって兄弟同士で殺し合いが行われてき
た。また夫々の取り巻きの家臣たちも自らの名誉、穎脱を目指して死闘を繰り広
げる。人間は己が最も優れていると認めさせるためにあらゆる手を使って相手を
蹴落とし、安心のためには相手を殺すまで戦わねば気が済まない動物らしい。


人間は一旦握った権力と地位は何が何でも手放したくなくなるとみえ、政治家や資
産家がそれにしがみつこうとする様は、持たざる我々には見苦しく悍ましいものに
映る。けれども若しかしたらそれは誰にでもある願望、潜在意識なののかもしれ
ず、だからこそ大金持ちは云うに及ばず、小金持ちまで自分の財産は少しでも増
やそうとする。経済格差が広がり続ける所以なのかもしれない。


経済の仕組みも政治の仕組みも、庶民の自由がなかった100年、200年前のそ
れと比べれば大きく進化したのかもしれない。けれども、それを行う肝心の人間の
精神まで進歩したわけではないから、今すぐ世界が根本的に変わるようなことはな
い。残念ながら戦争の無い世界とか恒久平和と云う理想は、そう簡単には実現し
ない。けれども理想は理想として高く掲げておく方が良いのだ。日本国憲法9条が
これまで果たしてきた役割は、とてつもなく大きいのである。


                                              

それにしても近頃の日本の急速な右傾化は、一体どうしたことだろうか。安倍晋三
という右翼の人間が首相になってしまったことがそもそも問題なのだが、彼を支持
している自公国会議員が多数をしめているということであり、かつてはジャーナリ
ズム精神が健全だったはずのマス・メディアまでが挙って政権批判をしなくなってし
まった。危険な足音が近付いてくるような気がする。


有権者のたった1/4の支持しか得られていない政党が、拙速に閣議決定だけで
あらゆる国の方針・政策を決めてしまう暴挙に、我々は危機感すら感じないのだろ
うか。


周りを見回すと政治には殆ど無関心で、専ら収入のこと明日の生活のことにしか
興味はないようで、自分の生活さえ安定していれば他はどうでもよい。面倒なこと
は考えたくないのか、新聞やTVでニュースは観ても唯ボーっと受け身になってい
るだけで、自分で考えて批判するとか、何か変だと疑ってみることもしない。我々
はやっぱり無知で無能なのだ。


気が付いたら、我々の自由ががんじがらめに拘束されていて、権力者の思うが儘
に働かされ、税金を絞られ、戦争に駆り出され、老後はボロキレのように死んでゆ
く・・・そんな世の中にだけはして欲しくないものである。


                                              

日本に限らず今の世界は、経済も政治も社会の仕組みも悉く行き詰まりつつある
ように見える。この先私たちは、秩序を失った混沌の世界に突入していくのではな
いか、という漠然とした怖れがEdにはある。


老い先短い年寄が今更何を・・・と笑われそうだけれど、近頃の世の中の動きを観
ていると、子や孫たちが悲惨なめに遭わないで欲しいと、願わずにはいられなくな
るのである。


                      


老々互助かい・・・?

2015年02月05日 | Weblog

            

こんなことは、100万遍繰り返しても何の役にも立たないのだけれど、電車の優先
席に座るバカものどものマナーの悪さには呆れ果てて文句をいう気力も失せる。


                                                 

今朝は武蔵野線は普通席に座れなかったので、空いていた優先席に座っていた。
途中駅で足の不自由な女性が杖をついて乗り込んでこられた。左側にはEdと同
年代と思しきジー様、右側には50前後のサラリーマン風の男がスマホに夢中
になっていた。対面の席は年配の女性と肥った中年男、若いサラリーマン風の二
人がスマホ中だった。

優先席も満席だったので、女性は仕方ないと思ったらしく、空いている方の手で握
り棒に掴まった。Edが直ぐ立って席を空けたので女性は礼を言って座った。
やがて電車が東川口に着いてその女性が降りたので席が一つ空いた。


隣にEdよりはかなり若いけれど、やや年配の女性が立っていたから、Edはそのま
ま立っていた。するとその人が笑いながらEdに「どうぞ」という。間もなく乗り換えな
ので坐らなくても良かったのだけれど、どう見ても高齢ジジイのEdが遠慮するの変
だから「スミマセン」と云って座らせてもらった。


若い奴らが知らん顔して優先席で踏ん反りかえっている中、年配者同士が助け合
っているみたいで何だか可笑しくなった。


オマケがある。東浦和でEdの隣の席が空いた。周囲には年配のひとがいるのに
若いバカ娘がサッと座ってしまい、すぐ眠ったふりをしてしまった。あ~~あっ、世
も末だわい・・・

                     


I am not ABE !

2015年02月03日 | Weblog

以下に日刊ゲンダイWEB版2月2日付記事を転写掲載します。

  

安倍首相は「有志国連合」の有力メンバーになりたかった

 イスラム国の人質事件では、ほとんどの大メディアが安倍政権批判を控えてい
る。そこにあるのは、「人質が殺されそうなときに足を引っ張るな」という情緒論だ
が、そんな中、敢然と、しかも痛烈な言葉で安倍首相を批判したのが、元経産官僚
の古賀茂明氏(59)だ。

「フランス人は『Je suis Charlie(私はシャルリー)』というプラカードを持って行進
したけど、日本人は今、『I am not Abe』というカードを掲げる必要があると思う」

 テレビ朝日系の「報道ステーション」での発言に官邸は激怒、ネトウヨたちは大騒
ぎとなった。一方、「よくぞ言った」という支援の輪も広がりつつある。古賀氏が改め
て“過激発言”の真意を語った。

――あの発言が出た直後から、大変な反響だったと聞きましたよ。官邸の秘書官
筋からテレビ朝日の上層部に抗議の電話が入り、大騒ぎになったとか。古賀さん自
身には何かありましたか?

局に対してはいろいろな声があったようですが、僕には直接ありません。でも、誰か
が声を上げて、「これはおかしい」と言わなければ、太平洋戦争と同じ状況になって
しまう。だから、注目度が高い番組に出た際、考え抜いて発言したわけで、反論は
予想通りですし、むしろ反響の大きさに驚いているくらいです。

――戦前と同じ状況というのは、ついに日本も米国と一緒に泥沼のテロとの戦いに
引きずり込まれてしまった。キッカケは安倍首相の軽率としか思えない中東歴訪
と、イスラム国と戦う国への2億ドル支援表明です。多くの日本人が不安を抱えて
いるのに、声に出せない。そんな状況ということですか?

 今度の人質事件では、いろいろな報道がされていました。でも、必ず最後の方は
「テロは許しがたい行為だ」「いまは一致団結して、安倍さんの戦いを支持すべき
だ」というところに帰結してしまうんですね。そうなると、あらゆる議論が封じ込まれ
てしまう。今は戦前のように治安維持法もないし、特高警察もいませんが、安倍政
権のテロとの戦いに異論を挟むのは非国民だ、みたいな雰囲気が醸成されつつあ
る。テロリストを擁護する気は毛頭ありませんが、日本が米国と一緒になって世界
中で戦争に参加する国だというイメージをつくっていいのか。多くの人が違うと思っ
ているのに、誰も声を出せない。それってやっぱり、おかしいでしょう。

――順番に伺います。古賀さんは安倍総理が中東歴訪以前に後藤さんが人質に
なっていることを知っていたという前提で話された。「臆測でものを言うな」という批
判もありました。一部報道では当初10億円、その後20億円の身代金要求があり、
奥さんは外務省に相談していたと報じられたからですか?

 政府はずっと前から知っていたことを認めましたよね。でも、それは官僚だった私
から見れば当たり前のことでした。こうした情報に接した官僚が上に上げないという
ことはあり得ません。あとで情報を上げなかったことが分かったら、大変な失態にな
るからです。大臣秘書官、次官、官房長にはすぐ上げる。同時に官邸の外務省出
身の秘書官にも連絡がいくはずです。その秘書官が安倍首相に伝えないということ
もあり得ない。伝えなければ、大きなリスクを背負うし、伝えて損をすることはない
からです。

――だとすると、この時点で官邸・外務省は身代金を払わない方針を決めたのか、
「放っとけ」とばかりに無視したのか。右往左往しているうちに時間が過ぎてしまっ
たのか。

 
10、20億円程度であれば、官房機密費で払えます。まして、1月には安倍首相
の中東歴訪が控えている。身代金を払って解決させる選択肢もあったはずです

が、官邸にそういう提案をして却下されたのか、それさえできない雰囲気だったの
か。いずれにしても、人命よりも優先させたい事情があったとみるべきです。

――それは何ですか?

 
安倍首相は対イスラム国の有志国連合の有力なメンバーになりたかったのだと
思います。世界の列強と肩を並べて、認められたい。それが安倍首相の願望であ
るのは間違いないと思います。そんなときにイスラム国に身代金を払ったことがバ
レたら、米英に顔向けできなくなる。そんなリスクは背負いたくない。後藤さんの命
よりそちらを優先したのです。


世界の大舞台で“二枚舌外交”を繰り広げる安倍首相

――なるほど。そうなると、安倍首相がエジプトでイスラム国に宣戦布告するような
言い方で、2億ドルの支援表明をしたのも分かりますね。

 有志国連合として認めてもらうために空爆や武器供与をしたいけど、現行の憲法
ではできない。できるのは人道支援くらいです。そこで、イスラム国を名指しして、そ
こと戦うためのお金であると聞こえる言い方をした。他にもテロ組織はたくさんある
のに、イスラム国にだけ言及したのは不自然ですし、本来、人道支援というのは武
力紛争にはかかわらず、どちらにも加担せずに、政治的意図を排除して、人道主
義の立場から行うもので、日本はいつもそれを強調していた。ところが、あの演説
は人道支援というトーンを弱めて、軍事的政治的意図を込めた支援であるような言
い方をした。この発言を米英は歓迎したようですが、身代金を取れずに焦れていた
イスラム国にしてみれば、これで交渉の余地なしとなった。「宣戦布告された」とな
ったのだと思います。

――安倍首相は動画が公開された後、盛んに人道支援だと強調していますけど?

 最初は人道支援ではなくイスラム国と戦うための支援であるかのように装い、こ
れは失敗したと思ったら、急に人道支援を強調する。二枚舌外交です。五輪プレゼ
ンテーションの汚染水発言もそうでしたが、世界の大舞台で大嘘をつく。それが安
倍政権の特徴です。

――「人命第一」と繰り返していますが、これも怪しいもんですね。

 25日、NHKの日曜討論で安倍首相は「この(テロ殺害事件)ように海外で邦人が
危害に遭った時、自衛隊が救出できるための法整備をしっかりする」と言いました。
これは驚くべき発言で、イスラム国が聞いたらどう思うのか。人命第一と言いなが
ら、その交渉の最中に「いまは戦争できないけど、法律を改正したら、おまえたちを
叩くために自衛隊を出すぞ」と言ったわけです。普通の感覚であれば出てこない発
言で、安倍首相は中東で米国と人質奪還の共同作戦をやりたいのでしょう。人命の
かかった危機を「政治利用」しようとするとんでもない発言です

――でも、そうなると、日本人は対テロ戦争に引きずり込まれる。世界中でテロの標
的になってしまう。

 中東での日本のイメージとは「戦争をしない国」です。ポジティブな平和ブランドが
あるんです。安倍さんはそれをぶっ壊そうとしている。少なくとも政治的にも軍事的
にも、米国の正義=日本の正義というイメージで走ろうとしている。安倍さん自身の
願望でしょう。でも、日本は米国とイコールではありませんよ。日本は世界に敵が少
ないんです。一方、米国はシンパもいるが敵も多い。おそらく、米国ほど敵が多い
国はないと思いますよ。途上国では中国よりも嫌われている。イスラム国がやって
いることはめちゃくちゃですが、その根底には米国がイラクやアフガニスタンで無実
の女性や子供、民間人を大量に殺戮した過去がある。その報復は国際法上は許さ
れないが、メンタリティーとしては理解できる。だから、イスラム国は急拡大したので
しょう。そんな中、米国の正義=日本の正義で、米国の敵=日本の敵というイメー
ジがつくられつつある。イスラム国のPR戦略の巧みさもありますが、安倍さん自身
がそういう認識の政治家であるというのも真実だと思います。


――ちょっと待ってください。多くの日本人は米国の敵=日本の敵なんて思っちゃ
いませんよ。中東で戦争しようとも思っていない。

 だからこそ、「I am not Abe」というプラカードを掲げる必要があるのです。私たち
は安倍さんとは違う、安倍さんは変なメッセージを送ったが、彼は日本国憲法を踏
みにじるおかしな人だ、普通の日本人じゃない。我々は違うということを、世界に訴
える必要がある。安倍さんのもとに結束しろという意見があるが、それは危険です。
「I am not Abe」ということで、日本人の命を守るには、安倍さんの考え方を否定
すべきだということを言いたかったのです。憲法の前文を見てください。日本はあら
ゆる国と仲良くし、それを通じて、世界平和に道を開くことを基本理念にしている。
日本を攻撃しない人々を敵にするのは、憲法上、許されないのです。この理念は後
藤さんの考えと共通しています。「I am Kenji」ですね。そうしたことを訴えるべき
で、さもないと、世界中で日本人はテロの標的になってしまいます。

      **************

            

▽こが・しげあき 1955年、長崎県生まれ。東大法卒。通産省へ。行政改革など
にかかわり、改革派官僚として名を馳せる。2011年に退職、評論活動へ。「日本
中枢の崩壊」(講談社)が38万部のベストセラー。近著は「国家の暴走 安倍政権
の世論操作術」(角川oneテーマ21)。


危険な国

2015年02月02日 | Weblog

                   

安倍内閣は、「テロには決して屈しない」、とか「このような残虐な行為は断じて許さ
ない」とか、聞こえのよい言葉ばかりくり返しているけれど、何故こういう事態になっ
てしまったのか、という点に関しては一言も言及していない。


聞こえのよい言葉は、理性が働いている普通の人間にはそれなりに有効かも知れ
ないが、彼等過激派グループにとっては何の意味も持たない。彼等の発したメッセ
ージでは、安倍(内閣)が彼等の敵対する欧米の仲間であることを明言した以上、
日本人はすでに敵であり、何時何処にいようと見付け次第殺す、と強烈な脅しをか
けてきている。これは単なる脅しだけでは済まないだろう。彼等には命を張って何で
もする狂信的な仲間が各国に散らばっており、日本も完全に彼等の標的にされて
しまったのだ。


「屈しない」とか「許さない」とか云うのは易しいけれど、無差別テロを一体どうやっ
て防ぐことが出来るというのだろうか。政治家は無責任に威勢のいいことを言って
相手を刺激するだけ刺激しておいて、イザとなって殺されるのは何の罪もない一般
人なのである。


                                                 

本来、政治家の使命はこのような事態を招かないように最善の努力をすべきなの
に、そういう発想が根本的に欠如していて、起きた問題に対してだけあたふたと騒ぐ
だけである。今回も何一つ有効な手立ては無く、情報収集とヨルダンの動向に気を
揉むだけで手も足も出せず、ずみすみす二人の日本人を犠牲にしてしまった。


彼等の送りつけて来たメッセージで見逃せない点が一つある。彼等の目に映ってい
る日本は、米国追随国家であり、すべて米国の言いなりになっている国なのである。
その観方は日本の政治をみている限り極めて正しいと云わざるを得ない。つまり外
の世界から眺めて、日本独自の平和国家の方針、外交はなく、米国にすり寄って軍
備を増強し、戦争を仕掛ける国になろうとしている、と見ているのである。


積極的平和主義などと、ワケの分らないスローガンを掲げて、やることと云ったら福
祉予算を削って防衛費を突出させ、軍需産業を盛り立てて経済再生を図ろうという
のだから、誰の目にも「危険な国家になろうとしている」としか映らないであろう。


テロに万全の備えを・・・などと云う前に、外の世界から見ても、日本が米国とは一
線を画す世界に冠たる平和国家であることが、誰の目にも分るようにすることこそ
大事なのではないだろうか。


                   


活字

2015年01月30日 | Weblog

             

大学時代の恩師に度々言われていたのは、「社会人になっても本を読むことだけ
は忘れないように。新聞でも雑誌でもよい、とにかく活字から遠ざからないよう心が
けて下さい」ということだった。先生は我々が勉強どころか、段々本も読まなくなるこ
とをお見通しだったわけである。(苦笑)


確かに社会に出て会社の中堅となり仕事が多忙になるに従って、改めて本を読む
機会が無くなってしまった。Edの場合はそれでも30才以降は通勤時間が長かった
し、出張が多かったので雑誌とか文庫本の小説くらいは読んでいたのだけれど、読
書量としては微々たるものだった。


定年ちかくになってJinさんと呑む機会が増え、ある時彼の読書量が半端でないこ
とを知って大変驚かされ、且つ刺激された。その時になって恩師の忠告を思い出
し、これまでの自分の怠慢が恥ずかしくなった。だからEdが本をを手放さなくなった
のは、精々50代末ころからで、しかも殆ど小説ばかりだから、辛うじて恩師の教え
に従っているに過ぎない。^^!


以前は文庫本くらいは買って読んでいたけれど、最近は他人から頂いたり図書館
で借りてくる。我が町の図書館は遠い上に蔵書が貧弱で利用する気にならない。そ
の代り、有難いことに隣町の図書館が直ぐ近くにあって、こちらは蔵書も充実して
いて専らこちらを利用させてもらっている。


最近は目が悪くなって、照明が暗いと酷く読み辛くなってしまった。おまけに老眼も
進んできたから小さい活字は疲れる。主に通勤時が読書時間なので、特に帰りの
電車では節電で照明を落としてあるから座席の場所にも左右され、なかなか捗ら
ない。


                                               

今、司馬遷の「史記」を借りて読み始めた。借りられる期間は2週間で、読み切れな
い場合は一旦図書館に返してから再度借りる形になる。上中下三冊の単行本だか
ら全部読むには相当時間がかかりそうである。しかし買えば6000円位する。やは
り借りて読むに限る。^^!


実は先日、BS日テレの「久米書店」に出演された大変な読書家(これまでに1万冊
以上本を読まれた)ライフネットのCEO・出口治明さんが、一番好きな本を3冊だけ
挙げるとしたら・・・という設問の中で紹介した一冊が司馬遷の「史記の列伝」であっ
た。司馬遷も「史記」もあまりにも有名だからEdでも名前くらいは記憶にあったけれ
ど、まさかそれを通しで読む等とは自分でも思ってもみなかった。


1週間で上・春秋戦国編の1/5くらいしか読めなかったが、確かに引き込まれる。
原文では何のことやらさっぱりわからないのだけれど、部分的には原文のままでも
何となく解る(推察できる)ところもあって、日本人に生まれて良かったと嬉しくなる。
翻訳と解説を読むと「なるほど」と教えられることばかりである。自分が知っている
漢字、本来の意味を理解している漢字が極めて少ないことが良く分る。^^!


さて、三冊とも読了するのはいったい何日になることだろうか・・・

                   


神仏

2015年01月27日 | Weblog

                 

世界の多くの国では、人間にとって宗教が生きてゆくための拠りどころになってい
るのかもしれないが、今の日本ではある特定の「神」(偶像も含めて)を狂信的に信
じて生きるひとは、極めて少ないのではないだろうか。


一般的には葬儀のときだけシキタリに従って仏教徒の真似事をしているだけで、普
段はお寺や仏様のことを思い出すことすらない。ま、宗教が儀式を重んじるのは何
処も同じだろうが、日本では仏教の他、いわゆる姿形のない(あるいは多種多様
な・・八百万の)「神様」も信じられてきた。だから歴史のある神社では格式高い伝
統儀式が何百年も続けられている。


とは云っても、我々一般人はそれを外から眺めて唯感心しているだけのことで、
「神様」を心底信じて敬っている訳でもない。ゆるく「なるほど、何となく厳かな気分
になる・・・」といった程度に神様の存在を感じることはあっても、彼の国の人々のよ
うに熱狂的にはならない。


                                                  

イスラム教の過激派と云われる人たちが欧米先進国を相手に過激な暴力、テロ攻
撃を頻繁に行うようになったのは、2001年米国および有志連合によるタリバン攻
撃に始まるアフガニスタン戦争と、それに続くウサマ・ビンラディンによる米国同時
テロ事件以降のことで、2003年の米国と有志連合によるイラクの武装解除を掲げ
て開始した攻撃(戦争)によって更にエスカレートしてしまった。


過激派と云われるグループのテロ攻撃があまりにも過激で、自爆テロでは民間人
を無差別に一度で何十人も殺傷したり、あるいは無関係な人たちを銃撃戦に巻き
込んだりしたから、本来は決して暴力的ではないイスラム教とその信者たちにとっ
て迷惑この上ないであろう。


しかし過激派がこのように激しい攻撃を仕掛けるようになった背景には、米国を中
心とする欧米系先進各国に対する彼等のいわれのない反感と怒りがあることは確
かである。だからと云ってテロ行為が許されるものではないのだけれど、強大な米
国を中心とする欧米先進国によって世界が支配されているという彼等の思いと、閉
塞感が行き場の無いはけ口として暴力に向かっているのだろうと思われる。


これはつまり宗教上の違いによる争いではなく、端的に言ってしまえば富める欧米
先進社会と貧しい低開発国社会との争いなのである。そうであるとすれば、先進国
側が力で封じ込めようとしたって、そう簡単にテロが収まるとは考えられない。たと
え「イスラム国」というグループを武力で抑え込めたとしても、それは表面上のこと
であって地下活動とテロがますます盛んになるだけのような気がする。


                                                  

二人の日本人が「イスラム国」に拘束されたのは去年8月と10月だったという。そ
の情報は外務省は承知していたし、二人目の後藤さんの場合はネット上で動画が
公開されるづっと以前に、家族宛てに2億円の身代金を要求するメールが送り付け
られてきていて、当然政府はそのことを承知していた筈なのに、2億ドル支払わね
ば二人を殺すと脅迫されるまで、事前に何等救出の手立てを講じた様子はない。


実際に脅されて、初めて慌てふためいている風であり、外国で危機に瀕している日
本人を最初から救う気があったのかどうか疑わしい。第一、二人が拘束されている
のに、エジプトを訪問してイスラム国などのテロ対策に2億ドルの資金援助するなど
と得意げに発表した安倍首相は、事態がどう進展するのか予想すらできず、「イス
ラム国」に宣戦布告してしまった責任は重大である。


日本の国民向けには政府は”あらゆる手を尽くして・・・”などと最善の努力をしてい
るかの如く言い訳しているけれど、中東政策は石油確保のための資源外交が第一
であってみれば、如何に各国と良好な関係を築くかは、もっぱら経済第一でしかな
かったに違いなく、こんな複雑な問題に対しては多分全くの無力なのだ。


せめて残された一人の命だけは何としてでも救いたいけれども、今となってはヨル
ダンの対応如何にかかっており、残念ながら日本がやれることなど何もないのであ
る。


            


2015年01月26日 | Weblog

                  

今年6月に4回目の車検を控えて、カミサンが車を買い替えた方がいいのではない
か・・・と唐突に言い出した。


此れまでは新車で買ったら大体10年以上乗って、そろそろヘタッてきたかな?と思
うころ買い替えるパターンだったから、以前乗っていたマーク2などは13年半で29
万キロも走った。タクシー並みである。年間平均2万キロオーバーだから平均的な
人の2倍くらいらしい。距離を稼いでいるのは専らカミサンで、今乗っているマークX
も7年足らずで既に14万キロ弱、下取り価格はもうゼロかもしれない。^^!


カミサンが言うには、車の買い替えはこれで最期になるので、年齢を考えるとあと
数年先では、折角買い替えてもいくらも乗れない。それではバカらしいので、どうせ
何れ買い替えるならば「今かな・・・」ということらしい。確かに言えてる。


Edは、もう軽か5ナンバーでいいのでは・・・と思うのだけれど、カミサンは軽だけは
絶対乗らないと言い張る。万一の時惨めに潰されて死ぬのはヤだというのである。
それに2台も3台も持っている家なら兎も角、一台だけなのにわざわざ小さい車で
我慢するのは嫌だという。ま、もう老い先短いのだから最後の車選びくらいはカミサ
ンに任せるとするか・・・^^!


                                             

取り敢えず専門家の話を聞いてみよう、ということで昨日ディーラーを訪ねてみた。
カミサンは次もマークXにしたいらしいのだが、担当のセールスマン氏はエコカー減
税対象のSAIを薦める。この3月末でエコカー減税特例措置の期限が切れるので、
買うなら早めに決めたほうがいいらしい。


肝心のカミサンはSAIのデザインが気に食わないらしく、セールスマン氏に薦めら
れるまま実車のシートに腰かけてみたり外回りを観ていたが、納得した様子ではな
かった。^^!


もう一つの選択肢としては、もう一度今の車で車検を取って暫く乗り続け、次の新し
いマークXが出てきたら買い替えを考えてはどうか、というもの。但し、それが何時
になるか、またどんなデザインになるのかというのは彼等にも分らない、という。
多分内々では知っているのだろうが、正式発表前に迂闊なことは言えないのだと思
った。(笑)


Edは5ナンバーのアリオンA18やハイブリッドのアクアに注目しているのだけれど、
カミサンはマークXに固執している。さてどうなるのか・・・^^!


                 


同窓会?

2015年01月22日 | Weblog

                 

随分むかしのことである、物流拠点の倉庫が神奈川の川崎から埼玉の若葉へ引っ
越したのは。若葉から現在の川越に移ってきてから、既にかれこれ15年になるか
ら、もう20年以上も前だったろう。


41の時に最後の転職をしたのだけれど、どうせ外資だし従業員30人くらいの小さ
な会社だったから、まぁ5、6年会社が存続してくれれば御の字だ、と当時は暢気に
考えていた。それと云うのも、前の会社をリストラされて求職中に、他人(知人)の
紹介でタイミングよく”拾ってもらった”ようなわけだから、あまり先のことまで期待は
していなかったのである。


しかし、わからないものである。前の会社は同じ外資とはいえ、米国の本社は世界
で1、2を争う大企業だったから、もうそこで一生働くつもりだった。それが5年足らず
で突然のリストラである。彼等は”これ以上続けていても業績が伸びない”、と判断
すれば即断で事業を縮小してしまう。自分の思惑は完全に外れてしまい、余儀なく
転職させられる破目になった。


ところが、あまり期待せずに入った小さな会社で、営業技術という仕事が性に合っ
たのか、2、3年経って実際に製品が売れ出すと面白くなってきて、以後すっかり仕
事にのめり込んだ。思い起こせば、定年までの20年足らずの間は、余計なことは
一切考えもせず、ひたすら自分の仕事に熱中していたように思う。会社があと何年
続くか・・・などという余計なことは、正直考えるヒマさえ無かった。


気が付けば定年が翌年に迫ってきていた。ありゃりゃ・・・と少し慌てたけれど、案ず
るより産むが易し、でそのまま65まで嘱託で働かせてもらったのだった。それから
先は個人契約を結んで、今日までづっと物流倉庫で品質管理の手伝いをさせても
らっている。


                                               

入社当時、川崎の倉庫で現場の作業(出荷検査)をしていた若い人が二人いた。T
君とY君である。T君はやがて実家の事業を手伝うために辞め、その後任にF君が
入った。仕事量が増え、倉庫が手狭になったので、会社は広い倉庫に移ることに決
め、数年後若葉に引っ越した。Y君、F君二人とも住いが横浜近辺だったから、倉庫
の移転に伴って会社を辞めた。以来彼等とは今日まで一度も逢っていない。


先日、ひょんなことから、同じ会社のOGであるHさんがフェース・ブックでF君と知り
合い、会社の同窓会をやろうということになった。2月の予定でお誘いを頂いたのだ
けれど、あまり懐かしいという気も起きないし、さてどうしたものか・・・


彼等とは年代も違うし、同窓とは言えそれほど親しかったわけでもないし、長く一緒
に働いた訳でもない。それより何より、もう彼等と面識がある人間は皆辞めてしまっ
たか、鬼籍に入ってしまったのだから、時代は大きく変わった。今更そんな大昔のこ
とを話しても仕方ないしなぁ・・・やっぱり止めておこう。

                   


火災保険

2015年01月19日 | Weblog

              

家を買った際、購入者共同で火災保険の長期契約を結んでいたから、この間お
よそ四半世紀は火災保険で頭を悩ます必要がなかった。途中から地震保険を付
帯してもらったから、この分だけ毎年2.5万円ほど支払って済んでいたのだけれ
ど、いよいよ今年その火災保険が満期になり、新たな契約を結ばないとならなく
なった。


建物は年月を経て傷んでくるし、建てた当初の耐震基準は満たしていても、その
後の基準は引き上げられているから、果たして我が家が大地震に耐えられるも
のかどうかは正直分らない。しかしこの場所が我々の生きる拠点であり、長い年
月をかけて家財を整えてきたわけだから、万一燃えたり損壊してしまったら、それ
こそその瞬間から困ってしまう。


そう思うとやはり保険の大切さを改めて考えてしまう。これまでの保険会社から
は、これまでの契約終了の通知とともに、引き続き契約を希望するか否かの問
い合わせが来た。新たな契約となると、対象物件は老朽化するから補償金額も
下がるだろうし、反対に掛け金は上がるかも知れない。一応こちらの希望と見積
もりだけはお願いしてみようと考えている。


去年、このことが気になって全労済の火災・自然災害保険を検討してみた。こち
らは地震保険だけの付帯ではなくて、”自然災害”という名目で地震と風水害も
幅広く含まれているらしいので、一考する余地がある。つい先日までは未だ大分
先のことだと考えていたけれど、実際はもうあと3ヶ月しか残っていなかった。少
し急がないとならない・・・


                                               

借家住まいの頃は、何とかして自分の家を持ちたいという願望が強かったのだ
けれど、イザ持ってみると、維持していくには結構あれやこれや手がかかるもの
である。おまけに最近は、一緒に住む家族は夫婦二人だけということになって、
持ち家も最後は重荷になりかねない。高齢化社会では今後空家が増え続けて、
各自治体とも対策に頭を悩ませる事態になってきたらしい。


夫婦二人健在なうちはまだしも、独りきりになってしまうと折角大枚はたいて買っ
た郊外の一軒家は唯寂しいだけで、また市内のアパートにでも引っ越したくな
る。若い人が減って、田舎の一軒家では売るに売れない”お荷物”になってしま
った。


庶民の財産なんて所詮は家一軒くらいのもの、汗水たらして折角手に入れたっ
て時代の流れで二束三文である。儚いものだ。「持家なぞ買わない」といって一
生借家で通している友人もいる。今になってみると正解だったかも。^^!

ヤレ、ヤレ・・・

                 


ポチ

2015年01月16日 | Weblog

                 

安倍内閣が、およそ会長として相応しくない籾井勝人をNHKの経営委員会の頭
に据えて以来、我々国民の受信料で賄われている国の公平であるべき放送機関
が、時の政府に”私物化”されてしまった。こんな出鱈目な人事はゆるされない筈
なのに、安倍政権は自民党の数にものを云わせて、こういう形で国民への”暴力”
を振るっている。


尤もNHKに限らず、日本の殆どのマス・メディアは本来あるべきジャーナリズムの
使命を忘れて専ら権力側に味方した内容の記事や放送しか流さないから、御用メ
ディアそのものと言わざるを得ない。時の政権や権力者というものは、国民から常
に監視され批判される立場にあり、新聞、雑誌、TVはジャーナリストとして国民の
側に立たなければならないのに、今や権力側にすっかり飼いならされたポチでし
かない。


こうなっては、日本の新聞、雑誌、TVには、もうその存在意義はなく、国民にとっ
て寧ろ有害でしかない。お笑い番組や芸能・歌番組にさえ政府、政治批判が許さ
れないようでは、いよいよ日本もお終いか・・・と思う。


                                               

サザンの桑田佳祐が暮のNHK紅白で中継ながら出たらしい。Edは観ていなかっ
たのだけれど、カミサンのいうには戦争反対の意味を込めた歌を披露していた、と
大いに感心していた。世界の中では有名歌手が詩で反戦を訴えることはいくらで
もある。だがしかし、それはとても勇気の要ることであり、場合によっては命の危険
さえある。ジョン・レノンはベトナム戦争に反対して反戦運動していたため、時の米
国政府から嫌われていたから、恐らくCIAに暗殺されたのだ。


ところが日本の御用メディアは、あろうことか揃って桑田佳祐の批判に走った。そ
の理由は、貰った紫綬勲章をステージで疎かに扱った、という凡そ下らないもの
だった。ジャーナリズムの本文を忘れた御用メディアには何も期待はしていない
けれど、その存在は我々国民にとっては有害でしかない、とつくづく思った。


残念だったのは、桑田佳祐と所属事務所がその件で”謝罪”などしてしまい、それ
をNHKが朝のニュースで大袈裟に報じていたことである。権威の象徴みたいな
「勲章」という唯のメダルを尻のポケット入れたからといって騒ぎ立てる御用メディ
アのほうがよっぽど変しい。反省すべきは狂っている「ポチ」の方だ!


バカバカしくも残念な出来事だった・・・ああ