まちみちふうけい

四角い枠に切り取られた風景は一瞬のもの、そんな一瞬を追い求めてこれからも相棒と走り続ける・・・

No.102 瀬戸内の旅(8)・向島、岩子島

2015-04-19 19:10:12 | 瀬戸内
おはようございます。久しぶりにしまなみの旅、前回の続きを行ってみようと思います。



わずか3分の、結果的には今日はこれが唯一のフェリーで向島に到着。海の向こうの尾道の風景は何度も見慣れたものだが、これもこの旅では最後に見る尾道の風景になる予定、また来る時までの見納めに目に焼きつけておこう。



フェリー乗場から狭い道を走って国道317号線に出る。普通に人々の暮らしがあり、普通に車が通っている町中に入ると、ここが海の上にある島とは思えない感じ。さあ、ここからいよいよしまなみ海道、今治に向けての旅が始まります。
国道317号線は途中で左に分かれて行くが、そのまま県道377号線を真っ直ぐ進んで行く。この辺りはまだ町の中、道は海から少し離れた場所を走っている、その道の両側には白線に沿ってブルーのラインが引かれている。これは言わばしまなみ海道の目印みたいなもの、これをたどって行けば今治までたどり着けるというわけである。コース選びは走っている者の勝手だが、所々に起点終点への距離が表示されているのはありがたい。

町中を抜けて田園風景の中を走っていたかと思うと、急に目の前に海が現れて道はカーブして海を沿って行くことになる。その先には赤い橋が架かっていて、対岸にある島へと続いている。では、その対岸の島、岩子島へと渡ってみることにする。





橋の手前で県道から左へ分かれる道へと入ると急な坂道とカーブで橋の袂へとたどり着く。橋を渡って岩子島に入る、ここでの目的地はドラマ『海の上の診療所』でロケ地になった神社、海に沿う道を走って行くことにする。この辺りは島の中心地とは逆方向になるので人の姿はほとんど見ない、たまに地元の車がすれ違うくらい。
道は少しばかりのアップダウンを過ぎてやがてその神社に到着、早速相棒を下りて境内に入って行く。灯篭の並ぶ参道の先の鳥居がある場所はもう砂浜で波が打ち寄せてくる所、海の向こうに見えるのは方向的には三原の風景か。人ひとりいない砂浜、森の中には静かにたたずむように建つ社務所、ドラマではこの社務所全壊してしまうんだったか?





さて、神社を後にして今走って来た道を戻って再び向島へと入る。途中で小さな集落のある所を通るが、ほとんどが海とその向こうに瀬戸の島々を眺めながらの走行、少し退屈さを感じる区間でもある。さっき岩子島からは見えた因島大橋がこの道からはなかなか見えてこない、やっと見えてきたとしても橋はまだまだ先にあって、その入口は一度橋の下をくぐって行かなければならない。






右手側に砂浜が広がる道を左に因島大橋自転車道入口が分かれている。道は緩やかな上り坂・・・そ言えばここは昨日走ってましたな、このブログに書いたのがもうだいぶ前だったので忘れていた。で火野正平が土下座した場所、これも前に書いてましたね、そこを通り過ぎて瀬戸の海の上を渡る。ガラス張りの柵のせいで眺めが遮られるのは仕方ない、橋も終わりに差し掛かる所でポケットから50円硬貨を取り出し、走りながら料金箱に素早く投げ入れる。さて、次回は因島を走って行く話をお送りしていくこととして、今回はここまでとしておきます。      まちみち

No.101 東京

2015-04-18 10:21:14 | ふうけい
おはようございます。

最近は足が遠のいてますが、以前は何度か関東地方を走りに行ったことがありました。場所はと言えば群馬、川越、東京、房総半島、鎌倉など・・・。以前にも書きましたが、寝台急行『銀河』がなくなったこと、まあそれ以前にお金がないということもありますが、それによって現地で取れる時間が少なくなったのが一番の問題と言ったところ。予定はたててみるもののなかなか実行に至れない現状、行ってみたいのは山々なのですが。
今回は東京を走った時の写真を基に、旅の思い出話をお送りしてみようと思います。いつ行ったか、どこを走ったか、もうほとんど記憶に残ってないのですが、写真を見たらある程度は思い出してくるものです。その時の記憶を紐解きながら進めていきます。







見ての通り、ミーハーな風景です、田舎者なので。それまでも鐡時代に何度も来たことはあったのですが、自転車で回ったのはこの時が初めて、1日かけていろいろな所を回りました。で行った所がNHKにフジテレビ、レインボーブリッジと言えば『踊る大捜査線』、荒川沿いと言えば『3年ℬ組金八先生』、やっぱり見ての通りのミーハーです。






1枚目、北区にある和菓子の『平塚亭』、浅見光彦シリーズでよく出てくるお団子屋さんですが、食に興味はないので写真に収めただけです。浅草は東京の旅の定番、この時は朝早い時間だったので仲見世通りも空き空きでした。





日本橋は日本の道の起点になる所、やはり行かないわけにはいかないでしょう。しかし現在の日本橋は永谷園のふりかけのおまけでみた絵の日本橋とは全然違ったもの、上を通っている高速のせいもあって、どこかの道の途中に架かっているただの橋にしか見えません。この橋の真ん中に道路元標が埋められているのですが、なぜこんな所に埋めたんだ?撮影したくても行かれへんやないかい!






この日本橋を北へ向く道が中山道、西へ伸びる道が東海道、共に京の都を目指す道はこの先はるか500キロ程向こうの草津宿で出会うことになる。1枚目は中山道の本郷追分、角にある『高崎屋』が目印です。2枚目3枚目は東海道、銀座の風景、たくさんの車が行き交いたくさんの人で溢れる通りも旧街道だったことを思えば、また違った風景に見えてきます。
自分はこの銀座の歩行者天国をパンクした相棒を引きずって歩いたという苦い思い出があります。その時はちょうどお台場から東京駅へ向かう途中、勝鬨橋を渡った所でタイヤが逝ってしまった。直してもらえる自転車屋さんを探したが結局見つからず、そのまま奈良まで帰りました。まあ旅にはトラブルは付き物、これもまた記憶に残る思い出と言ったところです。






写真は品川宿、東海道も都心を少し離れるだけで旧街道の雰囲気を残す町並の通りとなる。この宿場町の終わりにあるのが鈴ヶ森刑場跡、八百屋お七もここで処刑されたとか。西の六条河原、東の鈴ヶ森と言ったところでしょうか、何か出てきたりして~。今回はここまでとしておきます。     まちみち

No.100 中津川宿

2015-04-17 10:02:59 | 旅行記
おはようございます。中山道木曽路を走った時の記録、うつろな記憶を紐解きながらお送りしていく第2弾です。



恵那から中山道をたどりながら走って中津川市内へと入る。背に夕日を受けて走っているので、正面の山はもう薄暗くカメラでの撮影は難しくなってきた。今夜の宿泊先のビジネスホテルへと国道19号線行けばいいのだが、その前に少しだけ宿場町を予習しておこうと思い分岐点を旧中山道の方へと入って行く。しかしもうすっかり暗くなった街道筋は何が何だか分からない状態、明日の電車の時間までに少し早目にホテルを出てここを走ることにしようか、と言うことでホテルへ向かうことにする。ここまで結構下って来ているだけに、暗い中での知らない町の坂道を行くのはちょっと辛い気がする。






翌朝、早い時間にホテルを出て昨日走った旧街道の分岐点へと向かう。中山道はここから市街地へ向けての下り坂、昨日は暗くて分からなかったが途中には道標や一里塚跡など結構見所があった。しかし電車の時間が迫っているのでゆっくりしているわけにはいかない。とりあえず予習しておいた旧中山道のルートをたどって中津川の中心地へと差し掛かって行く。






新町通という通りに入ってくる、この辺りが宿場町の中心になる所だろうか、沿道は旧街道の雰囲気を残す町並が軒を連ねている。地図で確認すると駅は近そうだ、ここまで飛ばして来たこともあってか時間に少し余裕ができていた、旧街道の古い町並をゆっくり進んで行くことにしよう。しかしそうなるとさっき街道筋見物もほどほどにして走ってきたことが悔やまれる、今度来ることがあったらその時は恵那付近も含めてもっとじっくりと走ってみたいと思う、さあ、それはいつのことになるのか・・・




JR中津川駅で相棒をたたんでここからは輪行、中央本線の普通電車に乗車して南木曽へと向かう。朝早い時間で山へ向かう電車だが車内は満員に近い状態だった。中央本線と言うと以前、まだ夜行急行『ちくま』が走っていた頃に京都から相棒を持ち込んで乗ったことがあった。指定席が取れなくて仕方なく残っていたグリーン車席を取ったのだが、車内は立ち客が出るほどの超満員状態、しかもそのほとんどがどこかの大学の山登りのサークルの学生らしく、大きい荷物を通路にまで置いてそこらへんに座り込んでいた。自分(一人称)は仕方なく相棒をデッキに置いて座席にたどり着くが、そのグループが車内を歩き回るわ騒ぎまくるわであまりにもでうるさくて結局一睡もできなかった。それ以前、鉄チャン時代にも1度乗ったことがあるがその時も満員、どうしてもこの区間は混んでいるとイメージしかない。





JR南木曽駅で下車して相棒を立ち上げる。さあ、いよいよ妻籠へと向けての走りとなるわけだが、その前にこの駅周辺は三留野宿に近い所ということなので、少しだけ宿場町を巡ってみることにする。旧中山道の通りに出るとそこは山間部に位置する静かで地味な感じの三留野宿、むやみに観光に走ってない素朴な古い町並が軒を連ねる通り、宿場町とは本来がこうあるべきなのであろう。昔、京を目指す旅人はここから様々な思いでこの先へと続く峠の道へと臨んでいたのだろう、今は自分(一人称)がその旅人、さあ相棒、行くとしましょうか。今回はここまでとしておきます。     まちみち


No.99 箱根の旅(9)・箱根湯本

2015-04-16 07:12:40 | 箱根
おはようございます。箱根の旅もいよいよ終盤です、早速行ってみましょう。



宮ノ下界隈を過ぎて国道1号線を下って行く。午後に差し掛かって小田原方面は渋滞が始まっていて狭い道には車がズラリと並んでいる、ここはゆっくりと走るしかない。カーブが連続する下りを慎重に慎重を重ねて進んで、やがて大平台の町並へとたどり着く。



大平台は温泉施設が多い所だが普通の生活感を漂わせている民家や店も多く見かける。急カーブの途中に建つ茶色のログハウス風の大平台駅、無人の改札を抜けると階段の下にコの字型のホーム、終着駅みたいな形だが電車はここに並んで停車し、それぞれ今来た方向へと走り去っていく。




駅前を過ぎるとこれまた箱根駅伝ではお馴染みのヘアピンカーブに差し掛かる。左車線は車も膨らんで曲がってくるので、ここも慎重にゆっくり通り過ぎる。左手側に箱根の外輪山を見ながら、更に急になった坂道を下りて行く、横を行く車も渋滞でゆっくりでしか進めない、気の毒なことだ。



カーブが右へ左へ連続する山の中の下り坂、やがて左手側には早川の流れの音が聞こえてくる。少し休憩、出山の鉄橋が見える場所に相棒を停める。深い山の中、鉄橋は両側を森に挟まれた自分(一人称)の目線より高い位置にかかっている。あっ、電車の音が聞こえてきた、そばにいる鉄チャンらしき人がカメラを構えている、自分(一人称)は観光客としての記念の1枚として電車を撮影する。




次にたどり着いたのは塔ノ沢温泉郷、ここも温泉施設が多い所、風情ありそうな建物が両側に道を圧迫するかのように軒を連ねる通り。狭い道は両車線とも車の列で満足に先に進むこともできないほど、歩いている人もいるので注意して行かなければならない。石橋の千歳橋を渡り少し行くと函嶺洞門、名所と言うよりは箱根駅伝でふざけた人達をよく見かける所と言うイメージがある。更に進んで二つ目の石橋の旭橋を渡ると、いよいよ箱根湯本の賑やかそうな町並へと入って行く。








当たり前のことだが、ここはもう人も車もバスもいっぱい、それでもあえて狭い通りには入らず国道をそのまま、相棒を押し歩きで進むことにする。ここではむしろこの雑然とした雰囲気を楽しむのが自分(一人称)的箱根の旅のあり方なのです。箱根湯本駅前の国道は歩道に土産物屋や蒲鉾店が立ち並ぶ通りで人人人の波、とりあえずこの通りの裏側にまわり、早川が見える少し人通りが落ち着いた場所に相棒を停めて、ここは徒歩で付近を散策することにする。




さっきの商店街へと戻り、蒲鉾屋をまわってみる。特に土産としてではなく、帰りの電車の中で食べられるくらいのものをいくつか買って行くことにしよう・・・と思ったが、蒲鉾屋さんはまだこの先にあるんだった、ここは見て回るだけに留める。相棒の元に戻って湯本周辺を早川沿いに一回りしてみることにする。付近は宿泊施設が多い所だが、どこも値段が高そうで自分(一人称)にはまあ縁のない所、それでも死ぬまでに1度は泊まってみたいと思っている、今はその布石と言ったところでしょう。






さあ、箱根湯本にお別れを告げる時間がやってきた、これは同時に箱根に別れを告げると言うこと、旅の終わりにはいつも感じる、この場所を去り難いという感傷的な気分に覆われてくる。三枚橋から臨む箱根湯本駅、東京へ向かう特急列車が発車していく。自分(一人称)もここからは家路に向かうことを考えながらの走りとなる。箱根の旅はここで終わりだが、このお話はもう少し先まで、せやなあ、新幹線に乗るとこまでかな?ということで続けていきますので、もうしばらくの間お付き合いのほどお願いします。今回はここまでです。     まちみち

No.98 河内長野(後編)

2015-04-15 09:41:32 | 旅行記
おはようございます。前回の続きです。




国道371号線を渡ってのすぐの細い急坂、通称『別久坂(べっくさか)』、別名『びっくり坂』とも言われているとか。この坂を上りきると街道の雰囲気を漂わせる道となり、途中には石の道標も立っている。ここを走って再び国道371号線に合流した所が三日市宿、高野街道は国道の東側を渡った所を通っているが、ここはそのまま国道を進んで南海三日市町駅へと至る。


(別久坂)


ここも仕事でよく来ていた所、2年前とはちっとも変っていない。駅前から高野街道を河内長野の中心へ戻る方向へと進んで行く。通りは緩やかにカーブして旧街道の雰囲気を残す町並が続く道となる、町の外れと言うこともあってか、むやみに観光に走ってないささやかな佇まいを漂わせている。






高野街道の町並は途中で終わるが、ここから北へ伸びる道は南海高野線の踏切を渡って所々古い町並を過ぎて町の中心地へ。線路の向こう側の長野公園は桜の名所だが今回はもうほとんど散った後だった。やがてさっき通った長野神社前を通り過ぎて南海河内長野駅前へとたどり着く。


今回の走りでここへ来た時にぜひ行っておきたい所があったのでそちらへと足を向けることに、そこは駅前の踏切を越えて下り坂を少し行った先にある小さなパン屋さん。さっき確認に行ったのはこの店が営業しているかどうか、良かった~まだやっていてくれた。
『サンライトリングブレス』、南海線のすぐそばの坂道の途中にある小さなパン屋さん。ここは以前よく買いに来ていた所で、三日市町から電車で戻ってきて河内長野駅に到着する前に、この店のパンの残り具合を窓越しによく確認していたものだった。仕事を辞めてからも2度長野には来たことがあったがその時は町を素通りだったので、今回はここを目的としての走りでもあった。坂道の途中に相棒を停めて懐かしい感じのする段差のある売り場へと立つ。



(『サンライトリングブレス』赤いひさしと段差が特徴のパン屋さん)

時間は昼過ぎで長野高校の学生さんの帰りの時間とかち合ってしまっていたが、まだメニューは豊富に残っていた。ああ、懐かしい品揃えだ、店員さんに唐揚げパンとあれとこれと・・・と前によく食べていたパンを4品を選んで取り上げてもらう。その中のひとつ、小倉ホイップ、「ちょっと待ってくださいね、ホイップ入れてきますから」、これも前から変わってない。そして精算、占めて450円、当時から金欠気味の自分(一人称)にとってはありがたい値段も以前から変わっていない。もう何もかも懐かしい気持ちいっぱいで店を後にして、どこか場所を見つけて早速これまた懐かしい味を祭確認することにしよう。大きさもほどほどなので4品くらいなら一気に食べあげることができる。



(南海河内長野駅前にて)


(西高野街道)

(西高野街道と中高野街道の分岐点)

駅前の商店街の入口に高野街道の表示があって、この付近が西と東の高野街道が合流する所であることを示している。アーケードを抜けての上り坂が堺へと向かう西高野街道、ここはまた別の機会に紹介することとして、今回はこの道から大阪狭山、北野田、藤井寺を経由して行きしなに通った近鉄国分駅前へ、奈良まではそのまま自転車で帰ることにする。前後編に渡ってお送りしました河内長野編、ここらで終わりとしておきましょう。     まちみち