おはようございます。
先日、携帯でYAHOOのニュースを見ていると「南京終町何て読む?」という記事が出ていた、南京終町とはまた何てローカルな地名、しかもめっさ地元、ここでも何度かお伝えしたことがあるビッグエクストラ大安寺店も所在地は南京終町です。しかし何だこの記事は?と思って読んでみると、この前の日曜日にJR万葉まほろば線の京終駅駅舎がリニューアルして、そのイベントにこの人↓↓↓
が来ていたとのこと、うちから一番近い所にある中学校出身ということらしい、奈良県出身は知っていましたがまさかこんな近くの人だとは全然知りませんでした。その記事の中で南京終町が正しく読んでもらえないと言う話が出ていた、「京終」と言うのは文字通り京(みやこ)の終わりの地、ここで言うみやこは平城京だがその形は東側に出っ張っている所があり・・・外京と言われている・・・その一番南を通る五条大路が通っていた道にあった町が京終と言われている。加藤氏は「nankinowarimachi」と言われたことがあった、と話していたが日本の歴史の一端に関わったことがある町なのに、中国の地名を被せられるのはそれはちょっと失礼な話だな。そう言えば枚方市が「枚方」を何と読むかを全国でアンケートをとったニュースがあったが、こちらは60パーセント以上の人が正しく読めたとのこと、こちらはひらパー兄さんの力が偉大だったと言うことか。今年は難読地名が流行るんでしょうかねえ、ちなみに阪急電車の駅にもある「柴島」、関西の人なら知っていると思いますが、さて、何と読むでしょう?では本文、まいりましょう~↓↓↓
1月2日早朝、まだ薄暗いうちに家を出たのですが空を見上げると写真1枚目にあるような光景が見られました、後で調べてみると元日の夜からですが月に金星が接近する天体ショーが繰り広げられと言うことです。さて、ほとんど目的もなしに家を出てとりあえず平城宮跡へ、若草山の稜線が赤くなりやっとお日様が顔を出そうとしているところ、そして朱雀門に近鉄電車もここではお約束です。今日は箱根駅伝往路、自分(一人称)の走りも駅伝に合わせてテンションを上げて行きたいところ、とりあえず大津を目指して走って行くことにしよう。と言うことでみやと通りから歌姫峠を過ぎて京都府へと入りました、木津の中心地から少し離れた所で国道163号線を越えてJR学研都市線西木津駅、ちょうど電車が来たところですがステンレスの車体に朝日が反射して眩しい。さて、ここからは木津川沿いにある自転車道へと入って行くことにしよう、ただ風がきついので寒いやろうなあ~。
まあ案の定でした、自転車道はずっと田園風景の中を走るので吹きっ晒しで風が冷たい、それでも新年のこんな早い時間から走っている人は多い。そろそろ午前8時、箱根駅伝が始まる時間、ラジオをONにしてNHKにダイヤルを合わせる、この日の放送では後程中村勘九郎と満島真之介がゲストに来ると言っている、まあ大河『いだてん』の番宣だろうが、昨年の和田正人が好評だっただけに今年もゲスト解説を迎えての放送となったのだろう。しかし駅伝の方はスタート直後に大東文化の選手が転倒、いつもは静かに淡々と進んで行く1区がいきなり波乱の始まりとなってしまった、自分(一人称)の走りの方は転倒のないように気をつけて進んで行くことにしなければ。写真下4枚にあるのは近鉄宮津駅を通り過ぎる電車、木津から山城大橋までの区間で電車を見ることができるのは木津川台駅付近と宮津駅付近の2ヶ所、どちらも自転車道とは離れているので電車の姿は小さくしか見えない。
玉水橋を過ぎると山城大橋までは約3キロ、ここまで薄い雲に覆われていた空だったがやっと太陽の光が差し込んできた、太陽はまだ空の低い位置にあって木津川に光がはね返って眩しいが、寒気の中に差し込んでくる暖かみはやはりありがたい。しかしここから先も上の写真にあるように田園風景の中の一本道、風は相変わらず冷たく吹き込んで来て行く手を阻んでくる、箱根駅伝1区は熱気あふれる走りが繰り広げられているが、こちらは寒さに耐えてこの区間を過ぎて行かなければならない。さて、走りの方は箱根駅伝をお付き合いにしてこの先、山城大橋から国道24号線へと出て、宇治市の中心部を経て京都市へと入って行きます。次回はちょっと飛んでしまいますが逢坂越えから大津市に入る模様についてお送りしていこうと思います。あ、ラジオでは中村勘九郎がやって来た、『いだてん』なあ~、正直言ってあんまり・・・、まあその辺りもまた次の機会としておくとして、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。 まちみち
先日、携帯でYAHOOのニュースを見ていると「南京終町何て読む?」という記事が出ていた、南京終町とはまた何てローカルな地名、しかもめっさ地元、ここでも何度かお伝えしたことがあるビッグエクストラ大安寺店も所在地は南京終町です。しかし何だこの記事は?と思って読んでみると、この前の日曜日にJR万葉まほろば線の京終駅駅舎がリニューアルして、そのイベントにこの人↓↓↓
が来ていたとのこと、うちから一番近い所にある中学校出身ということらしい、奈良県出身は知っていましたがまさかこんな近くの人だとは全然知りませんでした。その記事の中で南京終町が正しく読んでもらえないと言う話が出ていた、「京終」と言うのは文字通り京(みやこ)の終わりの地、ここで言うみやこは平城京だがその形は東側に出っ張っている所があり・・・外京と言われている・・・その一番南を通る五条大路が通っていた道にあった町が京終と言われている。加藤氏は「nankinowarimachi」と言われたことがあった、と話していたが日本の歴史の一端に関わったことがある町なのに、中国の地名を被せられるのはそれはちょっと失礼な話だな。そう言えば枚方市が「枚方」を何と読むかを全国でアンケートをとったニュースがあったが、こちらは60パーセント以上の人が正しく読めたとのこと、こちらはひらパー兄さんの力が偉大だったと言うことか。今年は難読地名が流行るんでしょうかねえ、ちなみに阪急電車の駅にもある「柴島」、関西の人なら知っていると思いますが、さて、何と読むでしょう?では本文、まいりましょう~↓↓↓
1月2日早朝、まだ薄暗いうちに家を出たのですが空を見上げると写真1枚目にあるような光景が見られました、後で調べてみると元日の夜からですが月に金星が接近する天体ショーが繰り広げられと言うことです。さて、ほとんど目的もなしに家を出てとりあえず平城宮跡へ、若草山の稜線が赤くなりやっとお日様が顔を出そうとしているところ、そして朱雀門に近鉄電車もここではお約束です。今日は箱根駅伝往路、自分(一人称)の走りも駅伝に合わせてテンションを上げて行きたいところ、とりあえず大津を目指して走って行くことにしよう。と言うことでみやと通りから歌姫峠を過ぎて京都府へと入りました、木津の中心地から少し離れた所で国道163号線を越えてJR学研都市線西木津駅、ちょうど電車が来たところですがステンレスの車体に朝日が反射して眩しい。さて、ここからは木津川沿いにある自転車道へと入って行くことにしよう、ただ風がきついので寒いやろうなあ~。
まあ案の定でした、自転車道はずっと田園風景の中を走るので吹きっ晒しで風が冷たい、それでも新年のこんな早い時間から走っている人は多い。そろそろ午前8時、箱根駅伝が始まる時間、ラジオをONにしてNHKにダイヤルを合わせる、この日の放送では後程中村勘九郎と満島真之介がゲストに来ると言っている、まあ大河『いだてん』の番宣だろうが、昨年の和田正人が好評だっただけに今年もゲスト解説を迎えての放送となったのだろう。しかし駅伝の方はスタート直後に大東文化の選手が転倒、いつもは静かに淡々と進んで行く1区がいきなり波乱の始まりとなってしまった、自分(一人称)の走りの方は転倒のないように気をつけて進んで行くことにしなければ。写真下4枚にあるのは近鉄宮津駅を通り過ぎる電車、木津から山城大橋までの区間で電車を見ることができるのは木津川台駅付近と宮津駅付近の2ヶ所、どちらも自転車道とは離れているので電車の姿は小さくしか見えない。
玉水橋を過ぎると山城大橋までは約3キロ、ここまで薄い雲に覆われていた空だったがやっと太陽の光が差し込んできた、太陽はまだ空の低い位置にあって木津川に光がはね返って眩しいが、寒気の中に差し込んでくる暖かみはやはりありがたい。しかしここから先も上の写真にあるように田園風景の中の一本道、風は相変わらず冷たく吹き込んで来て行く手を阻んでくる、箱根駅伝1区は熱気あふれる走りが繰り広げられているが、こちらは寒さに耐えてこの区間を過ぎて行かなければならない。さて、走りの方は箱根駅伝をお付き合いにしてこの先、山城大橋から国道24号線へと出て、宇治市の中心部を経て京都市へと入って行きます。次回はちょっと飛んでしまいますが逢坂越えから大津市に入る模様についてお送りしていこうと思います。あ、ラジオでは中村勘九郎がやって来た、『いだてん』なあ~、正直言ってあんまり・・・、まあその辺りもまた次の機会としておくとして、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。 まちみち