まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.1336 広陵町~大和高田市、町並巡り(1)

2020-05-31 10:29:49 | まち
よろしくお願いします。















前に大和郡山市を中心に周辺の町をお地蔵様で巡りました、その時には巡ることのできなかった広陵町が今回のテーマです。お地蔵様や小寺院だけにとらわれず、環濠集落や町並を再発見するかのように、広陵町から更に南へと進んで大和高田市までをひとつのシリーズとしてお送りしていきます。
まず訪れたのは箸尾地区、近鉄田原本線の箸尾駅を玄関口とする、いわば鉄道による町の中心部と言った所です。小さな駅舎の無人駅、ひっそりとした駅前からは旧街道の雰囲気が漂う道が伸びている。この道が下街道で、箸尾の町の中を突きさすように通り抜けて大和高田、御所、風の森へと通じている。今回の枠でお送りするのは箸尾の町並と、その南にある環濠集落の風景、まずは当の箸尾の町並を巡って行くことにしよう。


















箸尾駅の南側は下街道を中心として環濠に囲まれるように集落が密集して、その中を狭い通りが張り巡らされている、その道をあてもなく縦へ横へと進んで行くといくつかの寺院と出くわす。その中でも一番大きいのが箸尾御坊との碑がある教行寺、集落の中に一際大きな本堂の屋根が周囲を威圧するかのように建っている。そこから見過ごしてしまいそうなくらいの細い道を東へと進んで行くと箸尾城址と彫られた大きな碑を見つける、文字通り箸尾に城があったことを示す碑だが、看板にはこの日は移設されたものとあり、元はここより少し北側にあったものだと思われる。この箸尾城の歴史についてはこれ・・・「箸尾城」・・・をご覧いただくこととしておきましょう、その城のあった場所へと行ってみましょう。集落の中を抜けて一旦広い道へと出ると道標があり、そこには大福寺と言う寺院が近いことが示されている。迷路のような道を進むと公園の一角に寺院の碑があり、その奥にひっそりと山門が佇んでいる、そこが大福寺、寺院の前の看板には箸尾氏と言う名前と戦国時代に隆盛を極めたとあるから、この寺院を含む一帯が箸尾城があった場所だと思われる。環濠集落は城郭は持たないが城の役割を果たしていたと言うことで、この箸尾の町並は寺内町以前に城下町だったと言うことでしょう。














箸尾の町並を抜けて下街道を南へと進むと次の古寺環濠集落へとたどり着く。下街道にはコミュニティバスが箸尾駅・・・直接駅前には入っていないが・・・から近鉄大和高田駅まで運行されていて、町内にもバス停が2つあって交通の便は確保されている。これまでは通り過ぎるだけの町だったが、「古寺」と言う地名はいつも気になっていた、町の雰囲気もそれに似合っているかのよう、どんな所かちょっと入って行ってみましょう。お濠に沿ってすぐの所には神社があり、そこに寺院が同居するかのように奥には観音堂と薬師堂、早速町名の由来にもなってそうな寺院が見つかる。集落内は狭い道が迷路のようになっていて、その通りの途中でも小さな寺院をいくつか見かける、でもその辺りは住職さんがいる寺院なので時代的には比較的新しそう。更に進んで行くと古い町中に一際目立つ立派なお屋敷が、この町の地主だろうか、ちなみにその家屋は登録有形文化財となっている。
下街道へと戻り更に南へと進んで行く、広陵町役場前を通り過ぎるが鉄道からはかけ離れた所だけに町の中心部と言う感じはしない。役場前の交差点を過ぎると南郷の環濠集落、更に南に進んで大和高田市に入るとは藤森、土庫の環濠集落、この辺りは前にここでもお送りしました。大和高田市には環濠集落が多いとのことですが、これまではあまり深く入って行ったことのない町並、どんな所なのでしょう、次回へと続くと言うことにしておきましょう、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。                まちみち




No.1335 2020年、星の旅

2020-05-29 18:25:15 | まち
よろしくお願いします。












今回は1月に交野方面を走った記録をお送りしようと思います。交野市は大阪府とは言っても奈良からは近く、国道168号線ですぐに行けてしまう所なので大阪と言う気がしない。だから大阪のストックがなくなってしまったと思ったかも知れない、な~んて言うと交野の人には気を悪くされるかも、ちゃんとフォローしておきます、れっきとした大阪府です。もちろんこの走りも生駒から国道168号線を利用して県境を越えました、磐船神社付近は旧道へと入るが、そこで待ち受けるのが心臓を凍らされそうな急な下り坂。スピードをぎゅっと緩めて慎重に下って行くと、トンネルからでてきた川の水が滝のように流れ落ちる場所へとたどり着く。ここからは国道を一気に下って行く、急な下り坂。カーブの連続、左程人くない道に反して車の量も多くて、ここは引き続き慎重に行かなければならない区間が続く。進行方向左手側には川の向こうに緑に囲まれた園地があり、途中には「星のブランコ」と言うバス停もある。ちなみに国道の横を沿って流れる川は天野川、前にもお伝えしたように交野市と言えば星にまつわる地名が多い、今回はその聖地ともなっている場所へと行ってみることとしましょう。















星田妙見宮


その場所とは交野の中心部から少し離れた、小高い丘にある星田妙見宮、名前からしてもう星に関わってそうやな~と言うのがありありです。木々に囲まれて薄暗い参道を進むと山へと続く長い石段、順路と書かれた看板に従って登って行く。その石段の途中で出会すのが上の写真にある神様の石像、これが何なのかはさておき、やがて一番上にある本殿へとたどり着く。自分(一人称)は参拝で来たわけではないので、ここは見物だけして折り返すことに、でも上の写真にもある十二支の図は興味を惹かれてくる。下りも順路に従って石段を下りていく、その途中にもさっきと同じような神様の石像。これは全部で7体あり、それぞれが北斗七星のひとつひとつの星が化身となった神様と言うことらしい・・・である記憶がよみがえってくる。昔チャゲ&飛鳥のラジオで関西にまつわるクイズをやっていて、星田妙見に祀られている神様は何でしょう?と言う問題があった。その時のゲストで解答者の明石家さんまが「北辰の神様、北斗七星!」と一発で正解して得意気になっていた。もう35年以上前の話だが、このしょ~もない記憶が、今回この場所に来るきっかけを作ってくれたのかも・・・。そんなわけで一通り巡って宮の出口にやって来ると何やら気になる看板が、そこには今年の運気が書かれている。まあ自分(一人称)は占いなど気にする質ではないが一応見ておくか、昭和41年生まれは・・・七赤、八方塞とある、ああ~、今の自分(一人称)はまさに八方ふさがりな状態、こんな運気のせいだとは思いたくないところだが・・・。




















星田妙見宮を後にして坂を下って来ると古い町並へと入った、ここは前に走ったことがあるなあ・・・と思い返してみたら、JR星田駅に近い所にある町並だった。駅前には東高野街道が通っていて、その幹線を取り巻くようにある集落だったのだろうか、妙見宮への道標もあるから往時から参拝で行き交っていた所だったのだろう。さて、走りの方は一応の目的も達したことだし、とりあえず交野市の中心部へと向かうことに。その途中、磐船街道でもある国道168号線と東高野街道が交差する所にあるのが天野川に架かる逢合橋、更にその先で砂子坂交差点・・・砂子と書いて「sudako」と読む・・・へとたどり着く。となると思い浮かべるのが「笹の葉さ~らさら、軒端に揺~れ~る~♪」と言うあの曲、この「逢合橋」が七夕伝説の発祥地なのか?でも付近は雑然とした町の中で、とてもそんなロマンチックな場所には見えない、橋の側に立っている万葉歌碑がわずかにロマンの雰囲気を漂わせているくらい。さて、交野市での走り、星の旅はここまでとしておいて、次回はちょっと違うテーマで続きます、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。              まちみち


No.1334 佐保川(前編)・・・大和郡山市域

2020-05-28 19:04:05 | ふうけい
よろしくお願いします。















最近の主流となってしまった感のある川巡りシリーズ、今回は佐保川を、これも2回に渡ってのお送りとなると思いますが、行ってみたいと思います。「また佐保川か~」と思われる方もいるのでは、確かに前にここを沿う自転車道や桜の咲く風景を取り上げたことがありました。まあ近場やからネタに困ったんやろ~、それもあるかも、でもこのシリーズは見慣れた風景から更に何かを再発見したいと思って始めたものです、とりあえず行ってみることとしましょう。
まずは近鉄平端駅の近くの佐保川の川縁、ここはよく近鉄電車の写真を撮りに来る所、平端駅は橿原線と天理線が分かれていて、近くには天理線の橋梁、一方の橿原線は橋梁を渡る電車の向こうに二上山を見ることもできる。互いの路線の電車が連絡し合い、橿原線は2面4線構造で特急が通過する場面も見られる、時間が合えば『しまかぜ』が見られるかも。さて、佐保川はその橋の向こう側で大和川と合流する、今回の巡りはここから奈良市へと向かって行くとのことで下流から上流へ、流れとは逆向きに進んで行くことになります。ところで上の写真では何か工事をしている光景が見えるが、看板には京奈和自転車道の工事とある。確かに自転車道はここで途切れて葛城川沿いで突然現れてそこからまた続くことになっている、GWに御所を走った時にはいつも走っていたあの道が京奈和自転車道に・・・その辺りはまた別の機会でのお伝えとしましょう。和歌山が近くなるのは・・・実際には100キロ近くあるけど・・・いいこと、とにかく完成が待ち遠しいところです。


















西名阪の下ツ道J.C.の下を通り過ぎる、このJ.C.もなかなか乙哉なネーミングだと思ったが、当の分岐する京奈和道が未だにあれやこれやな状態なので少し不憫な気もする。佐保川はこのJ.C.の手前で天理方面から流れてきた川と合流、佐保川水系ではそれが最初の支流となる。西名阪を過ぎると左手側には奈良中央卸売市場が見えてくる、広い駐車場にはたくさんの車が止まっていて市場も賑やかそうな雰囲気が漂ってくる。一方川の方は次の支流が合流してくる、この川は自分(一人称)が小学生の頃に通っていた小学校の前を流れていた川に通じている、馴染みのある川だが小学生の頃はゆくゆくはこの流れが大阪湾まで通じているなんて思いもしなかった。やがて先へと進んだ所で国道25号線が見えてくるが、自転車道は一旦坂を下って国道の下を過ぎて急坂を上り、Uターンして佐保川に架かる国道の橋へと入る。歩道の青いラインを進んで、ここから先は川の右側を進んで行くこととなる。見晴らしのいい右側前方には若草山か見え、気候によっては東大寺大仏殿も見ることができる、ここは快調に、引き続き佐保川沿いを進んで行くこととしよう。

















しばらくすると川とは逆の方に番条の環号集落が見えてくる。その集落を横目に見ながらさらに行くとまたまた支流との合流点、この川は菩提山川と言う名で前にもここで取り上げたことがありました。奈良市の東の山の方にある正暦寺付近を水源として、その後天理市の昔自分(一人称)が住んでいた町を伝って大和郡山市へと流れ着くこれも馴染みのある川。その合流点がちょうど番条の環号集落の入口となっている、その支流との合流点には上の写真にもあるように、河川の管理区域が変わる看板が立っている。ここでは本流となる佐保川は国土交通省・・・だから国と言うことか・・・の管理となり、菩提山川は奈良県、自治体での管理となるわけか、この先の川巡りではこの看板が重要なポイントとなっていきます。
さて、佐保川はこの先にある県道と打ちっ放しの横を通り過ぎて、大和郡山市の中心部へと近づいて行く。進行方向右手側に見えるのは稗田の環号集落、佐保川の方はこれも前にお伝えした地蔵院川との合流点へとたどり着く。自転車道は一番東側を流れる地蔵院川に沿って進むが、その先にも小さな支流の分岐点があった。この川はどこから流れて来たのだろう・・・、ちょっと気になるのですがそれについてはまた別項でのお伝え、今回はここまで、佐保川巡りは次回、奈良市へと入って行くこととなります。もう見飽きた風景やからって、そんなこと言わずにお付き合いください、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。             まちみち



No.1333 2020年年の初めは大津市へ(4)・・・でも話題は大河ドラマばかりですが

2020-05-27 20:21:52 | ふうけい
よろしくお願いします。













新年初めの滋賀県大津市への走りの記録、4月7日以来のお送りとなりますが、滋賀の走りの記録はこれでストックが切れてしまいます。あ、せやせや、前に大阪での走りの記録がストックが切れてしまった・・・という話をしたのですが、写真を見返してみるとまだいくつか残っていました。1月に交野市を走った記録やGWの淀川沿いを走った記録など、またまとめ上げたら順次公開していきたいと思っています。
さて、滋賀の走りの方は今回が最終回、実を言うとその消化不良分を補うつもりでGWには宿泊での旅を予定していてホテルも手配していたんですよね。でもこれはダメ元での話、感染症渦の中での旅は多分ダメだろうな・・・と思いながらの手配、結局病気も人の目も怖かったのでキャンセルとしました。感染症渦が落ち着いたら行こうと思っていたんですけどねえ・・・、やっぱり罰が当たったんですかね、今度は自分(一人称)から自粛しなければならなくなってしまいました。でも行くよ、足が治ったら絶対行くよ、今はそれまで我慢の日々です。

















走りの方は比叡山坂本方面、西教寺を経て丘陵部を下りてきて、琵琶湖岸に沿う西近江路へと入りました。さて、この通りは・・・な~んて話はするわけでもなく、相変わらず取り留めのない話を続けるばかりとなりますが、やっぱり今回も取り上げてしまうのが大河『麒麟がくる』の話です。何か後2回ほどでストックがなくなってしまうとのことです、まさに期限がくる・・・、物語は新章に入ってこれから、と言う時での頓挫はあまりにも痛い気がしますが、全44話は年を越えても放送されるとのことでこの先も頑張ってほしいところです。巷でよく言われているのが主人公の明智光秀の影が薄いと言うことですが、元々はあまり出自のエピソードは知られていない光秀を中心として三英傑の青春譚を描くとのことでした。まずは織田信長の捻くれた若かりし頃、そこに欠かせないのが帰蝶の存在、演じている川口春奈がなかなかいいですね~、不祥事で降板した女優の代役で最初はいろいろ言われていましたが、その声はもう完全にふさぎ込んだでしょう。その相手となる信長役の染谷将太も彼女の方がやりやすそうな感じ、だからこそどことなく情けなさそうでつかみどころのない織田信長を演じることができるのでしょう。




















写真は比叡辻を過ぎて坂本城址へ、ここでもやっぱり明智光秀の話です。まあ歴史の中ではまるで闇のように語られる人物ですが、今のところはそんなクーデターを起こすような人物には全く見えません。でも片鱗はあったよね、長良川の戦いでは斎藤道三側についた辺り、苦悩を経て人の意見より自分の信念を貫く人物像、それがどう本能寺につながって行くんでしょうか。主演の長谷川博己と言えばやっぱり『鈴木先生』のイメージが強いかな、あのドラマ好きだったんだよね~、土屋太鳳、松岡茉優、北村匠海が生徒役で出ていました。その時の鈴木先生は生徒との変な妄想までしてしまうキャラだったが、もちろん今の明智光秀にはそんな片鱗は見せていない、どこまでも実直な、と言うか堅物な感じの男です、まあその分信長と比べるとキャラクターが薄いだけに影も薄くなってしまっているんでしょうかね。光秀と信長、この先この二人がどのように交わり、あのクーデターを起こすことになるのか、ホントに楽しみなのですがやっぱり中断は痛いですね~。
と言うことで大河ドラマの話ばっかりしているうちに旅が終わってしまいました。序盤は岐阜の方が盛り上がった感じでしたが、いずれは物語はこの地へと舞台が移って来ます、そんなわけでこの走りでも至る所で『麒麟がくる』『明智光秀』の幟を見かけたわけですが、まさかこんなことになるとは思わなかっただろうな~。でもこんな状況に腐らず御当地としてに大河ドラマを盛り上げていってほしいところです、自分(一人称)も傷が癒えたらいつかはうかがわせてもらいますよ、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。              まちみち



No.1332 お地蔵様で町巡り・・・明日香村編

2020-05-25 22:20:41 | まち
よろしくお願いします。






















膝の骨折から1週間、今日(25日)ギプスが取れました、腫れはなく比較的痛みも軽かったこともあって1週間の固定期間でしたが、もう地獄の日々でしたね・・・。歩くことはできてももちろん膝は曲げられないから自由には動けない、太ももから足首までまかれていたので、かゆみが襲ってくるともう気が狂いそうになった。風呂もトイレも座るのも不自由、そんな地獄のような6日間が終わり、今日からはサポーターをつけての生活となります、もちろん膝を曲げることはできないので態勢はまだまだ不自由ですが、それでもギプスの時よりも何億倍もマシ、ここから何とか気を緩めずに治していきたいと思っています、でもホントは仕事に行きたい、走りたい・・・なのですが。
と言うことで今回まず最初のゾーンでは明日香村を走って見つけたお地蔵様をズラリと並べました。言わずと知れた日本の文化の発祥の地とも言える歴史のある場所です、村を巡っていると至る所でお地蔵様を見かけることができます。お堂に囲われているもの、野晒しになっているもの、道標を兼ねているもの、手厚く祀られているものもあれば粗末に転ばされているものもあるし一部が欠けているものもある。でも自然の風景の中にポツンと鎮座するお地蔵様が一番明日香村っぽい光景と言う気がします、まあ当のお地蔵様にとっては雨にぬらされ風にさらされでたまったもんじゃないでしょうけど。















このところ明日香村は定期的に行っている感じですが、昨年は万葉歌碑巡り、都巡りメインで行った他はあまりこれと言った目的はない走りばっかりでした。あ、古墳があったか、これもいつかお送りしなければならないと思いながらいまだ未発表です、いつかまとめ上げて日の目を見せてあげようとは思っています。上に貼った写真は正月休みにお地蔵様、小寺院巡りで明日香村を巡った記録、と言っても聖徳太子と推古天皇をテーマに走ったルートの延長線上で巡ったものです。このゾーンにある川原寺は飛鳥を観光で訪れた人なら一度は訪れていると思いますが、自分(一人称)がこの寺院を訪れるのはこれが初めて、お金は取られないから境内に入ったものの、自分(一人称)が興味を惹かれるものは特にありませんでした。ブログしてんねんやったらきちんと紹介しろ、って言われそうですが、まあこれが自分(一人称)のスタンスなので、ご勘弁ください・・・。












と言うことで相変わらず勝手気ままなペースで最後のゾーンへとやって来ました、真ん中辺りに三重塔の写真が見えています、これは岡寺の三重塔ですが参道の途中で望遠で撮ったもので寺院までは行っていません。岡寺の参道の入口には鳥居が立っていて、そこから岡寺までは上り坂となっている、相棒君で行ったのは途中の上りが緩やかな所まで、そこには上の写真にある岡本寺と言う寺院がある。この寺院には山門がなく、道を歩いていると突然民家の陰から寺院のお堂が現れると言う感じ、そのお堂には「天智天皇岡本宮後遺跡」と書かれている。でも岡本宮と言うと斉明天皇、天武天皇のはずだが・・・まあ、いいか、ここは住所が「岡」だからこの寺院名は「岡・本宮」なのか、ちなみに岡と言うのはここから少し離れた所にある雷丘から来ていると言う話も。地名の由来となるとまた奥が深くなりそう、あまり好き勝手に憶測ばかりで物は言えないのですが、気になってしまうと突き詰めたくなるのが僕の悪い癖、素人なりにまた調べておきます、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。           まちみち