まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.1267 備前の旅(1)・・・曇天の明石市

2020-01-31 10:17:19 | 
よろしくお願いします。

















昨年末泊りがけで兵庫県、岡山県を走った記録を何回かのシリーズでお送りしていきたいと思います。今回は金欠のため遠出はできなくなってしまい、それでも関西は脱出したいと思って選んだルートが美作~備前ルート、12月30日に姫路に宿泊して翌日の大晦日に現地を走る予定を立てました。その30日、姫路まではいろいろなルートを想定していたが、天気予報では雨予報、前日にはほぼ雨が確定的になってしまったので走りはあきらめて姫路に直での入りを、と考えていた。当日朝、やっぱり雨、ただ昼には止むとの予報だったのでそれを信じて午前10時に家を出る、この時は奈良はまだ雨、近鉄奈良駅前で相棒君をたたんで三宮まで直通の快速急行に乗車、奈良から神戸までは初めての乗車でした。三宮駅でJRに乗り換えたがその時には雨が止んでいた、これは行けるかも・・・で、明石駅に到着、雨は完全に上がっていたが下は濡れているので屋根がある所で相棒君を立ち上げる。雨上がりで寒さはあまり感じない中、明石駅前から姫路に向けて出発、今回は遅い出発で時間もないことなので海沿いの道を進んで行くことにしました・・・と言いながら、風景やお地蔵様や小寺院、偶然に見つけた万葉歌碑・・・前回明石を訪れた時に見つけきれなかった歌碑・・・もあってすんなりとは進まない。海のない県に住んでいるから海を見るとやっぱりカメラを向けたくなるんだよなあ、曇り空の下だが風景はキッチリと見通し良く見えてくれている、雨も止んでくれたことだしここはこの先も視界良好と行きたいところです。















写真1枚目~5枚目にある寺院はこの前の明石での走りの時にも来た所、前回は入らなかった境内へと入ってみると正月も間近で結構せわしない様子、近所の人たちが寺院の清掃に来ていて、空気の読めない旅人はそんな人たちの働きを申し訳なく思いながら寺院を後にする。その後も海沿いの道を進んで行く、晴れる気配は全くないが今は雨が降ってないことをありがたく思うだけだ、ただこのままずっとこの空模様だとまた雨が降ってくるのではないかと、不安な気持ちにもなってくる。特に見所があるわけでもないのでここはいい調子で走り抜けて行く、前回の明石の走りの目的は万葉歌碑巡り、ただその時は夏の炎天下の下での走りとなったので頭がボ~ッとしてしまい思考力もかなりダウンしてしまった。近くにありながら見逃した歌碑もあった、今回はここまで偶然の出会いと言う感じで2つの歌碑を見つけたが、前回巡り切れなかった歌碑がこの先にあるだけにぜひ訪れておきたい、地図サイトでその場所を確認して先を急ぐとしよう。
















その万葉歌碑があるのが写真1枚目~5枚目にある住吉神社、以前『聞き込み発見旅』でも訪れていた所、ここも境内ではお正月の準備で職員の方がせわしなさそうに動いている。駐車場には関東のナンバーの車が止まっている、こんな時期でも参拝に来ている人がいるみたい、と言うことで自分(一人称)も相棒君を止めて境内へと入って行く。下は雨でぬかるんでいて水たまりもちらほら、テレビでも紹介されていた能舞台や楼門は明石市の指定文化財とのこと、境内には立派な神殿や歌碑などいろいろと見所はあるが自分(一人称)の目的は万葉歌碑、さて、どこにあるんかいなと思いながら境内を歩き回って・・・その辺りは万葉歌碑巡りの項でのお伝えとしておきましょう。
さて、神社を後にして姫路へと先を急ぎたいところだが、お地蔵様や寺院があったりするとどうしても相棒君を止めてカメラを向けてしまう。今回最後に訪れたのが写真下6枚にある薬師院、ここも正月準備に大わらわと言った感じ、参拝するわけでもなく写真を撮るだけで境内に立ち入るのはちょっと気が引けるところ。まあ別に罪を犯しているわけではないからと何気ない顔で境内に入ると、あれ?この寺院見覚えがある・・・夏に歌碑巡りで走った時に寄ったことがある寺院だった、その時は裏口から入ってトイレを借りただけで引き返したのでこんなに大きな寺院だとは思わなかった。薬師院を後にして、さあ、今度こそ先を急ぐこととしよう、何か空模様が怪しくなってきたし姫路まではまだまだ距離がある、峠越えもある・・・と行きたいところだがどうも自分(一人称)の悪い癖はこの後も出てしまいます、その話はまた次回と言うことにして、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。         まちみち



No.1266 大和高田の環濠集落

2020-01-29 11:10:50 | まち
よろしくお願いします。




















環濠集落と言うとこれまでは大和郡山市の稗田、番条、若槻、天理市の竹之内、萱生など、奈良県内にある所を巡ってきましたが、大和高田市にもいくつかの環濠集落があります、今回はその中で3つの環濠集落を巡って行ってみようと思います。
まずは上の写真にあるところの南郷集落、近鉄田原本線の箸尾駅から南に伸びる道は大和高田、御所、五條などへ行く時によく利用する下街道、上ツ道、下ツ道などの奈良を南北に貫く3つの旧街道とは違って、近代に奈良から高野山へと至るために整備された道です。右手側に馬見の丘と更にその向こう側の二上山を見ながら進んで行くと、ひとつ小さな集落を通り過ぎて広陵町役場前の交差点へとたどり着く。信号の向こうの道は2つに分かれていて車道は左斜めに向いた道、真っ直ぐ進む方は南郷の集落を貫く町中の道となっていて、ここからが南郷環濠集落の始まりとなる、ちなみにここはまだ広陵町です。町並の様子は上の写真にある通り、整備された水路が集落を取り巻くように流れていて、その中には寺院や神社などもあり町がひとつになってこの地域を守っている城下町のように感じる。元々環濠集落の目的は防御と言うところにあるわけだから、この集落自体がひとつの城と考えても良さそうな感じです。














南郷の町並を抜けて下街道を南へ進むと大和高田市に入って次にたどり着くのは藤森環濠集落、下街道からは少しだけ東に道を逸れた所にあります。ここも整備された水路が町を囲っている、案内板のある所から狭い道を入って行くと民家がひしめくように建っていて集落の真ん中には小さな寺院がある、ここがこの町の有力者の本陣となっていた所だろうか。往時は戦から身を守るためにあった集落、その中を縦へ横へと張り巡らされた狭い道は、地元の人たちが自分たちの暮しを守ろうと排気ガスをまき散らす車も入って来れない様にしている感じ。自分(一人称)ももちろんよそ者だからこういった町並を走る時は地元の人たちの反応が気になって仕方ないところだが、奈良県は割と環濠集落を観光にアピールしているとのこと、よそ者の来訪もさほど気にしていないかのよう、観光で来る人も地元の人も、ここは持ちつ持たれつの関係で行きましょう。














藤森集落から南へ、下街道から1本東にある道を進むと中和幹線にある土庫東交差点、「土庫」・・・ワープロでは一発で変換できましたね、これ何て読むと思います?上の写真にある看板にもこの地名が出てきました。次に訪れるのはこの土庫の町並、交差点を過ぎると道は車が擦れ違えないほどの狭い道、その界隈には小さな寺院があり旧街道の雰囲気が漂う町並が展開している。この町並を過ぎてもう少し南へと進んで行くと近鉄大阪線が走っている所へとたどり着く、ここは駅で言うと大和高田駅と松塚駅の中間的な所で、大和高田市の中心からはまだ少し離れている。道を左に折れて写真下5枚にある立派な寺院の横を通り過ぎて、その後国道165号線の交差点を渡って近鉄大和高田駅へとやって来ました。
今回巡った環濠集落は3か所、しかしさっきの藤森集落で見た案内板では高田にはまだまだ多くの環濠集落があり、更にいろいろと調べてみると奈良には防御を目的とした環濠集落が多く点在しているとのこと。これで今年のテーマがひとつ決まりましたね、環濠集落巡り、これまでは何気に通り過ぎていた町も違った目で見ればまた再発見もあるはず、お地蔵様、小寺院巡りも兼ねてまたいろいろと巡って行ってみようと思います、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。           まちみち



No.1265 お地蔵様で平城京巡り(1)・・・西大寺

2020-01-28 10:47:08 | 
よろしくお願いします。













今回は平城京をお地蔵様を通して巡って行ってみようと思います。まずは三条大路をJR奈良駅から西へ進んで行った所にある写真1枚目にある出屋敷地蔵尊、そのお堂の横には由緒が書かれた看板が立っているがその文面は昔の文体で書かれていてイマイチ内容が分かりにくい。分かるのはこのお地蔵様が安産を祈願された子安地蔵だと言うことと、文面には後醍醐天皇と言う文字が見えるので南北朝時代・・・この時代ってイマイチよく分からない時代なんですよね、まあ歴史を大河ドラマで知るようになってしまってからはこの時代のことはほとんど取り上げられていないですから・・・からあったと言うことくらいです。ここは明石家さんま氏の実家がすぐ近くにあった所、そこから更に西へと近鉄尼ヶ辻駅を通り越して進んで行くと次に出会ったのが歯痛地蔵尊と彫られた碑がある地蔵堂。そこにはその由緒が書かれた看板などは立っていない、お堂の中のお地蔵様を除いてみると、あれれ、お口を閉じてらっしゃいますねえ、歯が痛くて口を開けることができないのでしょうか。さて、ここからは方向を北へと変えて住宅街の中の細い道を進んで行く、そこは西三坊大路が通っていたとされる所、一番下の写真にある、見過ごしてしまいそうな小さなお地蔵様の前を通り過ぎてたどり着いたのは・・・

























ズラリと並べた写真は西大寺の風景です、一番上の写真にあるジオラマでは手前側に小さく五重塔が2つ並んで見えている、そこが西大寺に当たります。まあ西大寺と言うと一般的によく知られているのが近鉄大和西大寺駅、もちろんその駅名の由来となっているのはこの寺院、名前から分かるように平城京の東にある東大寺に対して西の西大寺と言うことになります。まるで空気を読まないような季節感が漂う写真が並んでいますが、ここを訪れたのは真夏の暑い頃、この時期は毎年西大寺から西ノ京エリアでロータスロードが開催されているのですが、喜光寺、唐招提寺、薬師寺は境内に入るのには拝観料を払わなければならない、西大寺もそうだろうと思っていたのでこれまでは敬遠していたのだが、境内は自由に入ることができた。ハスの花の植木鉢がズラリと並べられているのは東塔跡、写真の並びの中央には西塔跡の碑もあるから、それがジオラマにある2つの五重塔に当たるのだろう。都の東の外れの山に広がってある東大寺に比べると町中にあった西大寺はその規模が小さく見えてしまうが、それでも平城京の南都七大寺の一つに数えられている、ただ寺院は平安時代に入って衰退し、更に火災や台風で多くの堂塔が失われ、興福寺の支配下に入ったとのことでした。










西大寺からは二条大路に当たる大宮通りを近鉄奈良線を沿うように進んで平城宮跡前、国道24号線の高架橋を通り過ぎるとミ・ナーラと言う大きなショッピングセンターが見えてくる、元はそごう、イトーヨーカドーがあった所、その入口の前にはここが長屋王の邸宅だったというモニュメントが立っている。長屋王と言うと奈良時代の政治の重鎮であった人物だったが、いわゆる当時のクーデターとなった長屋王の変での方で名前が知られています。政治の中枢で権力を持った人は上から下からと標的にされるのでしょう。藤原不比等の4人の子が長屋王家を抹殺し、聖武天皇の許しを得て長屋王邸を包囲したとのこと、ここがその場所だったのでしょうか、結局長屋王は自殺してしまいます。藤原不比等は長屋王とはいわば子弟の関係となり共に政治を動かしていたわけだが、代が変わるとどうしてこんな血生臭いことになってしまうのでしょうか、やはりそこには聖武天皇の意向があったからでしょうが、しかしその後藤原の4人の息子は皆疫病で亡くなってしまったとのこと、長屋王の祟りだとも言われていました。
その4兄弟の一人の子であった藤原仲麻呂がその後聖武天皇の後の天皇のもとで政治の中心へと名乗りを上げていきます。その藤原仲麻呂の邸宅があったのが長屋王邸から少し離れた所、写真4枚目にある住宅地の中の何気ない公園、そこに邸宅があったと言う看板が立っています。その看板には政治の中枢にあった藤原仲麻呂も結局は方向性の違いから孝謙上皇に滅ばされてしまうと書かれている、長屋王の死後、平城京の立て直しを図った人物がまたもいなくなってしまった、もしこの2人が生きていたら平城京も違った道をたどったかも知れない・・・まあ歴史には「かも」は禁句ですからね、だから今があるわけです。歴史を捻じ曲げてはいけない、主人公が父親の犯罪を止めるためにタイムスリップしてしまうドラマがありますが、あんなの以ての外です、樹里チャン第1話で死なせてしまいやがって・・・今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。            まちみち




No.1264 2020年センバツ、今年は夢が見られるか?

2020-01-27 11:13:08 | 日記
よろしくお願いします。


春のセンバツの出場校が決まりました、今年は楽しみやねえ~、何せ奈良県勢からすると去年はセンバツは不出場、夏は智辯学園があまりにも情けない試合だったから、今年にかける期待はひとしおと言ったところです。奈良県は高校ラグビーで御所実が準優勝、大相撲では徳勝龍が一番下の番付での優勝・・・奈良県出身力士の優勝は98年ぶりとのこと、って言うか奈良出身の優勝力士がいたのが知らなかったくらい・・・となりました。やあ~、徳勝龍優勝の瞬間はグッと来ましたね、近大の恩師が亡くなられたニュースの時にチラッと名前は出ていたものの、まさかここまで来るとは思わなかった、インタビューでも泣いていましたが見えない力が後押ししてくれたんでしょうね。いずれにしても奈良県にとっては上げ潮です、センバツでは天理、智辯学園がダブル出場となりましたがその話はまた後程、今回の出場校を巡って行ってみましょう。


【北海道・東北】
白樺学園(北海道)=初出場
仙台育英(宮城)=3年ぶり13回目
鶴岡東(山形)=41年ぶり2回目

鶴岡東は昨夏甲子園で2勝、近年山形県をリードするかのように台頭してきたイメージがあるだけに春は41年ぶり2回目と言うのが意外な感じ。その41年前の校名は鶴商学園、ってあの鶴商学園ですか、しかもその時は1勝していてその相手が天理、自分(一人称)はこの試合よく覚えています。この頃の天理は優勝はできなくてもいつもいい所まで行っていたから、まさか山形県勢に負けるとは・・・と思いながら見てました、ショックやったなあ~。でも近年の山形県のレベルは確実に上昇しているからもう昔のように侮ることはできません、何たって昨年は高松商、習志野を撃破、関東一相手には延長でサヨナラ負けながらあわや、という感じでしたからね。ただこの地区で3校だけと言うのはちょっと寂しいですねえ、せめてあと2枠はほしいくらい、でないといつまでも東北に優勝旗は渡らない感じ、狭き門でレベルアップを図るにも地区に格差があるのがセンバツの課題ではないでしょうか。


【関東】
桐生第一(群馬)=4年ぶり6回目
健大高崎(群馬)=3年ぶり4回目
花咲徳栄(埼玉)=4年ぶり5回目
国士舘(東京)=2年連続10回目
東海大相模(神奈川)=2年ぶり11回目
山梨学院(山梨)=2年連続4回目

天理にとっては見たくない名前・・・健大高崎、東海大相模、国士館・・・が揃いました、まあ近年奈良県勢はなぜか関東に弱く、特に群馬、栃木県勢には最近全然勝ってないんだよなあ。今年は東海大相模が強いとのこと、出てくる度に優勝候補になると言うのも凄いことだがそれでも2年ぶり、夏は昨年出場も4年ぶり、やっぱり神奈川県ってレベルが高いんだなあ。そんな東海大相模も関東大会では4強止まり、優勝したのは健大高崎、明治神宮大会も準優勝と言うことで、奈良県勢としてはあまり当たってほしくないところです。


【東海、北信越】
加藤学園(静岡)=初出場
中京大中京(愛知)=10年ぶり31回目
県岐阜商(岐阜)=5年ぶり29回目
日本航空石川(石川)=2年ぶり2回目
星稜(石川)=3年連続14回目

鍛治舎監督が甲子園に戻ってきます、今回は県岐阜商、名門中の名門も最近は8強が精いっぱい、熊本秀岳館を3期連続で4強に導いた手腕を今回も見ることはできるでしょうか。もう一方の名門、中京大中京は10年ぶり、ええ~、そんな長い間センバツからは遠ざかってたんかいな~。夏は10年前に新潟日本文理を破って優勝しているものの春となると前回の優勝が昭和41年、自分(一人称)が生まれた年ですよ~、それ以来優勝はなし、決勝進出は平成9年、この時は天理が相手させてもらいました。この時は雨が多くて中止やノーゲームで日程がかさんでしまい、決勝も開始時間が午前となってしまいました、気づいたら試合が終わっていて天理が優勝と何か気抜けになった決勝戦でした。


【中国.四国 】
鳥取城北(鳥取)=8年ぶり2回目
倉敷商(岡山)=8年ぶり4回目
広島新庄(広島)=6年ぶり2回目
尽誠学園(香川)=18年ぶり7回目
明徳義塾(高知)=2年ぶり19回目

岡山県は毎回出場校が変わって出てくると言うイメージ、今回は倉敷商、倉敷と言えば倉敷工の方が甲子園のイメージが強いのは中京戦の16-15の試合のせいだからか。その倉敷商と言えば星野仙一の出身校、先述した県岐阜商は高木守道の出身校と言うことで、中日(D)の黄金期を支えた投打の中心がもうこの世にいないと言うのも・・・自分(一人称)も歳をとったと言うことでしょうか。四国では明徳義塾がまたまた登場、昨夏は智辯和歌山に1イニング3本塁打を献上してしまいました、まあここもドラマの多いチームですねえ。そう言えば一番最初に取り上げた徳勝龍関は明徳義塾出身だとか、相撲では確か朝青龍もそうでした。明徳と言えば一時期特待生問題で出場を辞退したこともありました、それがいいのか悪いのかは自分(一人称)は分からないが、野球をやりたい子が地元を離れて遠くの学校に行くのは別にいいんではないかと思います。天理が夏に初優勝した時には地元の子がいなくて、奈良でも応援していない人が多かった、でも地元を離れて奈良にやって来てくれた彼らが奈良の高校を初めて甲子園の頂点に導いてくれたのだから、やっぱりそれは嬉しいことです。近年高校名を見ただけではどこの県から来たのか分からない高校が多いですが、そんな強化されたチームに地元で地味に頑張って這い上がってきたチームが挑んで行く、それもまた甲子園ならではの光景ではないでしょうか。


【九州】
創成館(長崎)=2年ぶり4回目
大分商(大分)=23年ぶり6回目
明豊(大分)=2年連続4回目
鹿児島城西(鹿児島)=初出場

ここにも奈良県にとっては見たくもない名前のチームが、創成館です、天理も智辯学園もサヨナラで負けています。そして3年前の夏の甲子園で天理と壮絶な打撃戦を繰り広げた明豊、昨年のセンバツでは準々決勝で平安を相手に延長11回サヨナラ勝利の名勝負を演じました。この時点ではその大会の一番の試合だと思っていたのですが、この後の明石商vs智辯和歌山がまたまた壮絶な試合を繰り広げたためにほんの数時間で影が薄くなってしまいました。春夏通じて初出場の鹿児島城西は監督がダイエー(H)、西武(L)で活躍した佐々木誠氏、当時西武の大スターだった秋山幸二とのトレードは驚きだった。プロ野球選手の高校野球監督と言えば今回は天理、智辯和歌山がそうだが、過去に首位打者を獲得したこともある選手が甲子園ではどのような采配を見せてくれるでしょうか。


【21世紀枠】
帯広農(北海道)=初出場
磐城(福島)=46年ぶり3回目
平田(島根)=初出場

21枠については近年そのレベルを疑問視される傾向があるようですが、結果的には大差がついてしまった試合が多いからであって、チーム自体にはさほどレベルが見劣りするものではないと思います。ただ先にも書いたように地区によっては枠の少なさを感じる所もあるから、この枠が必要か?と言うことになっているのではないでしょうか。かと言って出場校を増やしてしまうと日程的に問題が生じるから、この枠の必然性を言われるのでしょうね。自分(一人称)の意見を言わせてもらうなら・・・この先のセンバツには必ず必要だと言われる枠になってほしい、もし廃止にするならせめて奈良県から選んでからにして~ってなところですかね。


【近畿】
大阪桐蔭(大阪)=2年ぶり11回目
履正社(大阪)=2年連続9回目
明石商(兵庫)=2年連続3回目
天理(奈良)=5年ぶり24回目
智弁学園(奈良)=2年ぶり13回目
智弁和歌山(和歌山)=3年連続14回目

さあ、地元近畿です、まあ~濃いメンバーが揃ったと言うところでしょうか。明石商は順当だとして残る1枠がどこになるかだったが、こちらもほぼ順当に智辯和歌山に決まりました、昨秋の近畿大会では智辯対決で17-14とまるでラグビーか、ってな試合を繰り広げました。まあ途中経過を見る度にもういい加減にしてくれって感じでしたが、これが智辯和歌山クオリティ、甲子園ではまた昨年の星稜戦のような名勝負を見せてほしいところです。
それにしても思えばこれだけのメンツの中の近畿大会で天理がよく優勝できたなあ~と言うのが正直なところ、秋季奈良大会では準決勝で智辯学園にコールド負け、3位決定戦では奈良に辛勝、何の期待もしてなかったのに報徳、奈良大附を撃破して夏の覇者履正社にはサヨナラ勝ち、決勝では大阪桐蔭に大勝。神宮では仙台育英を撃破した後中京大中京に敗れるわけですが、奈良大会の不甲斐なさを思えばもう上出来です。一方の智辯学園は近畿大会準決勝で大阪桐蔭にサヨナラ負け、でも強豪相手をあと一歩まで追い詰めた結果には概ね満足です。こうなるとセンバツはいい所を夢見たいところですが、さすがに出場校を見ると悠長なことは言ってられない感じ、昨年は甲子園で1勝もできなかったから、今回は2校で最低5勝は稼いでほしいところ、と言いたいが、まあどちらかが4強にまで行ってくれれば・・・それも望み過ぎか、もしかしたら最初から健大や創成館と当たって、どちらも早々と奈良に帰ってくることになったりして。まあ勝負事はやってみなければ分からないですから、ここは純粋に天理、智辯学園のどちらかが旗を生駒山を越えて持ち帰ってくれることを期待しましょう・・・な~んて言ってたらまた生駒山の手前にある高校に止められたりして。そんなわけで今回は久しぶりに写真無しで、くどくどした文章だけでお送りしました、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。             まちみち




No.1263 滋賀の旅2019年秋編(5)・・・万葉歌碑巡り編&頑張れ東出昌大

2020-01-24 09:59:00 | 万葉
よろしくお願いします。


















「あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」(額田王・巻1-20)
「紫草の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに 我れ恋ひめやも」(大海人皇子・巻1-21)

滋賀の旅2019年秋編は前回八日市へとたどり着きました、ここからは折り返す形で近江八幡市へと向かうわけですが、今回の走りの目的の一つが万葉歌碑巡り、次の目的の場所は・・・とその前にここまで巡ってきた万葉歌碑を紹介しておきましょう。
上の写真1枚目~6枚目は竜王町にある妹背の里の風景と万葉歌碑、上に記した歌は写真では2枚目、3枚目にあります。額田王の歌は「誰も見ていない所で男性が自分に向かって袖を振っている」と言うことで、この「袖を振る」と言うのは求愛を意味しています。額田王はこの頃は天智天皇の妻と言うことなので、袖を振っているのは天智天皇・・・ではなく下の歌の作者である大海人皇子、この人、額田王の前の夫だったとのこと、これは穏やかじゃありませんねえ、東出さん・・・。その大海人皇子の歌は、もう見るからに別れた妻に未練ありありと言う感じ、写真にある像の二人が天智天皇に隠れてそんな歌を交わしていたわけですよ、東出さん・・・。こうなると修羅場を連想してしまいそうですが、このエピソードの時の二人は像にあるような若々しい姿ではなくおじさんおばさんだったとのこと、このやりとりは宴席で交わされたものでその場には天智天皇もいたみたいです。まあそりゃそうだわな、でなきゃかなりヤバい歌なはずが後世にまで残るはずがないもんな、しかもセットでです、過去のことを許し合える穏やかなエピソードがうかがえるような気がしますね、東出さん・・・。





な~んて素人がネットであさったエピソードをにわかにここで披露していたら、だいたいそのようなことを説明する文が写真2枚目の碑に記されていましたね。まあここにはどろどろとした三角関係などはなかったと言うことですよ、東出さん・・・↓↓↓

「君待つと 我が恋ひ居れば 我がやどの 簾動かし 秋の風吹く」(額田王・巻4-488)

近江鉄道八日市駅の近くにある市神神社にある、こちらも額田王の歌、まあ意味的にはちょっと切なさがこもった歌みたいですが、ここにある額田王の「我が恋ひ居れば」の相手は天智天皇と言うことで、額田王にとってはわだかまりのない気持ちが天智天皇に向けられた歌のように感じられます、まあ大海人皇子の方の心境がどうだったかは分からないですが。それにしても今回の東出昌大の騒動、やっちゃったかあ~、応援していた俳優さんなだけにちょっと残念だなあ。朝ドラ『ごちそうさん』でめ以子が切れて子供とおじいちゃんがちゃぶ台を動かしたシーンを思い出してしまいました、あれも悠太郎が不倫していた時でしたね、あの騒動がまさか現実になるとはねえ。相手の女優さんは映画『寝ても覚めても』で同性から嫌われるように演じたとか、そちらも現実になってしまったかも、でもこの子、ちょっと危ないかも・・・。杏は東出の事許さないんだろうなあ、でも彼は事実を認めているわけだから・・・何かその辺りが彼らしい感じがしますね、昨夜もドラマ見たけど面白かった、これからも応援したい俳優さんなだけに頑張って挽回してほしいところです。

























何か話が思いっきり逸れてしまっている今回ですが、やって来たのは近江鉄道市辺駅近くにある阿賀神社、この神社の裏手が山になっていて、奥へと入って行くと万葉歌碑が立っている。そこにある歌も一番最初に紹介した2つの歌、今回はもうこれだけでもったと言う感じです。山を下りると下は公園になっていて、遊歩道には万葉植物に関する歌碑がズラリと並んでいる、もちろんあかねは「あかねさす・・・」、ムラサキは「紫草の・・・」の歌、ここはひとつずつ拾い上げるのは骨が折れるので、さくっと写真に収めておきました。公園の真ん中には写真下3枚目にある壁画、先の2つの歌が詠まれたのが天智天皇がこの地を狩りに訪れた時と言うことで、その時の光景が壁画に表されているとのことです。一番右の花畑に立っているのが額田王でしょうか、この光景を見る限り、やっぱり三者の間にはわだかまりなどなかったように見えますね、東出さん・・・と言うことで、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。           まちみち