まちみちふうけい

四角い枠に切り取られた風景は一瞬のもの、そんな一瞬を追い求めてこれからも相棒と走り続ける・・・

No.1855 続・一灯式点滅信号機

2022-11-29 07:09:27 | みち
よろしくお願いします。







【奈良市、近鉄西大寺駅南】



【京都市、松原通と大和大路通の交差点】



【京都市、仏光寺通と東洞院通の交差点】



【野洲市、県道48号線】




【大津市、旧東海道】

奈良県警の陰謀によって信号無視の違反の切符を切られたことをきっかけに巡りを始めた一灯式点滅信号機、前回は奈良県内で見つけたものを取り上げました。その後も近鉄西大寺駅付近でひとつ見つけました、最近新しくなった南口のロータリーから外れた所、何度も通ったことがあったのでしたが、それまでは全く意識していなかっただけにまさに再発見と言った感じでした。最近は信号機にも注目して走っているのですが、奈良県外でもいくつか見つけました、上の写真にある場所は1度ないしもう何度も走ったことがある所ばかり、松原通のこの場所なんて京都異空間巡りで何度かここでも取り上げたことがある場所です、目の向け場所を変えて意識を信号機に向けていれば見つけられるもんですね~。京都は細い通りが碁盤の目状に網羅しているので、一灯式がまだ多く残っているんでしょうかね~、ここでは取り上げていませんがこの間も京都市内を走っていてひとつ見つけました。







【泉大津市、紀州街道】


【富田林市、近鉄富田林西口駅西】

1番目のゾーンにもありますが、奈良でもそうでした、一灯式は割と旧街道に多くあるようです、道が狭くて三つ目の信号機をつけるほどではないのでしょう。ただ最近でもニュースになっていましたが、一灯式は各地で姿を消してしまっているとのこと、『モーニングショー』では信号が撤去されたために事故が増えた交差点を取り上げていましたが、逆に信号機がなくなって通りがスムーズになった交差点も多いようです。今や腫れ物扱いとなった一灯式点滅信号機、上の写真の富田林にあるのは信号機が撤去された跡にミラーを取り付けたようです。奈良県内では平野部に関してはもう巡りつくした感じ、最近見たニュースでは神戸市内では残っているのは2ヶ所だけとか、それもいずれ撤去されるように書かれていました。滋賀、京都、大阪はどうでしょうかね~、地図に載っているものでないだけに探し当てるのも難しそうですが、まだまだ巡りは続けて行きたいところです。




【京田辺市、普賢寺小付近】


【木津川市、吐師交差点手前】


【宇治市槇島町、国道24号線】


【長浜市、湖岸道路】



【斑鳩町、国道25号線斑鳩東小学校交差点】


【天理市、国道169号線】


【三郷町、大和川沿い】



【川西町、大和川沿い】

さてさて、消えつつある一灯式点滅信号機だけでは枠が埋まらなかったので、最後のゾーンでは一つ目だけの一灯式を並べました。京都で見かけた3つの信号機はどれも黄色の予告信号、カーブなどの先に本信号があるよ~のサインみたいな信号機ですが、別にここで止まらなければ、と言うものではないので意味あるんかな~、って気もします。その他の一灯式信号機は支線向けの赤色点滅信号、本線との合流に注意するようにある信号機ですが、点灯と点滅を繰り返すだけでは分かりにくい感じも、まあ奈良みたいな交通量もそんなにない長閑な所だからこれで間に合わせとけ、ってところでしょうか。それでも車が多く通る所にある信号機にはやはり懸念が必要、歩行者は気をつけて・・・もちろん自分たち自転車利用者もです・・・行かなければなりません。赤信号、みんなでわたればみんな罪、です、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち



No.1854 過去旅より・・・中山道美濃路

2022-11-28 09:08:24 | みち
よろしくお願いします。

















今回は過去旅シリーズで2018年のGWに岐阜県を走った記録を思い返してみましょう。この頃は朝ドラ『半分青い』が放送されていて舞台が岐阜県、ドラマの中では五平餅がよく出てきてこれがまた美味しそうに見えたんだよなあ~、



まあこれも良く使った写真ですがこのシーンはこの旅の後のことでしたね。五平餅と言うと以前木曽路を走った時に買って食べようとしたら、餅が地面に落ちてしまって口にできないと言う苦い思い出がありました。この旅ではそのリベンジと言う感じでどこかで五平餅を、と思いながらの走りでしたが、さて、どうだったでしょうか・・・。
















走りのスタートはJR岐阜駅前から、名鉄各務原線、JR高山本線の各駅巡りを兼ねて旧中山道を進んで鵜沼宿へ。旧街道の雰囲気が漂う町並はお目当ての登録有形文化財の建物や見所も多くてなかなか良かったがちょっと観光に走っている感じも、まあ地方もどこも苦しいから観光に力を入れたい気持ちはコロナで打撃を受けた今となっては分からないわけでもないですけど、この頃は結構否定的になっていました。それもそのはず、この後立ち寄った犬山はもう観光客の波、波、波・・・、趣のある町並もたくさんの人が訪れていて、自転車は完全に邪魔者扱いとされてしまいました。その後は可児市を経由して再び旧中山道へ、次に立ち寄った伏見宿はむやみに観光に走らず、何気ない風景の中に旧街道の雰囲気も残していて、なかなかいい所だったです。ただここでも五平餅にはたどり着けず、さっきの犬山では店はあったものの人の波に押されてそこまでたどり着くことができなかった、どこまで遠い道なんだ・・・。



















旅の最終目的地である御嵩宿、日帰りの旅だったのでこれ以上先を追うことはできずにここが最後の地となりました、鈴愛チャンが住んでいた町はまだまだこの先、岐阜と言っても中心部からは離れていて、もうほとんど木曽路と言ってもいいような所でした。敗戦が相次ぐ名鉄戦の中で生き残った路線の終着駅の周辺には古い町並が展開していて、旧街道はその先山の方へと伸びていて国道21号線へと達していた。ここが今回の旅の折り返し地点、もう帰りの時間の心配もしなければならないので、いろいろと心残りもあるのですが名鉄御嵩駅へと戻りました。結局この旅では五平餅に巡り合うことはできず、食にこだわりがない自分(一人称)がここまで言うには、あの木曽路での惨劇がいかにショックだったか・・・と言うことなのですが、その数年後、無事五平餅を食べることができました。ただその味については・・・、まあこんなもんだったかという感じでした、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち



No.1853 吉野川分水・初瀬川工区(3)

2022-11-25 08:52:06 | 吉野川分水
よろしくお願いします。


























吉野川分水初瀬川工区巡りは今回が3回目、第1号幹線から分岐する川西支線を追って行くこととしましょう。田原本町の西門川と中ツ道が交差する近くにある分水工から分かれた水路はその後中ツ道に沿って流れているようで、北に向けて少し進んだ所でひとつ分水槽を見つける。その先には右手側には田んぼの中に太陽光パネルの列、左手側には池の水面に太陽光パネルと、エネルギーの補給に使える場所は徹底的に使うと言った感じ、最近は池が本来の目的を失われたかのようです。この池を過ぎた所が武蔵町の交差点、ここには柵が為された分水槽や吉野川分水を示す大和平野のマンホールがあり、交差点の真ん中を通っている地下水路からは水が勢いよく流れる音も聞こえてくる。この先北へ進むと布留川へと突き当たるが、その流域はまた別の水路のカバーとなっているので、地図を見てみると川西支線はそれまでに西へと向きを変えている。











そのまま進むと大和川に突き当たるが、その手前に流れているのが西門川、その付近で分水槽を見つける、結局この水路は東部幹線から分かれた時からずっと西門川とお付き合いしてきたこととなる。この辺りで最初に見つけた分水槽は写真にあるように草むらに隠れているかのよう、手前に見えている川はこの先西門川へと注ぐ支流、天理市内の田園地帯を網羅している水路が最後にこの流れに集まって終結してこの支流となっている。分水槽に近づきたいと思ったが、川沿いの道は舗装がされていなくて草が生え放題、仕方ないので対岸の舗装された方の道を行ける所まで行って、その姿を写真に捉えることとしました。西門川はこの先で布留川と合流して程なく大和川とも合流、しかし川西支線は・・・、あれれ?どこへ行ってしまったんや~。

















次に川西支線の分水槽を見つけたのは大和川が流れる近く、西門川に沿っていたと思ったがいつの間にかその西門川を横切って大和川へとお付き合いの相手を変えていた。まず見つけたのは川の西側にある大きくて白が映える分水槽、周辺は民家もなく畑に囲まれて近くには墓地があるちょっと寂しい雰囲気の所。さっきまでは天理市内を走っていたが、この辺りではまた田原本町に戻っている、と言っても町域の一番北に当たる所で田園風景の中で策に囲まれた分水槽、その先の環濠集落の中でも大きな分水槽を見かける。ここを過ぎるともう川西町・・・となるはずがまたまた天理市に入っている、どうもこの辺りの町の境界線は複雑ですっきりとしていない。多分用水のやり取りでもいろいろと事情があるのだろう、とそんな内部の事情はお構いなしに巡りは国道24号線を越えて、いよいよこの水路の最終目的地、川西町へと差し掛かって行きます。その巡りについては次回でのお送りと言うことで、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち



No.1852 三重の旅2022年夏・鉄道にこだわる巡り

2022-11-22 08:08:17 | 鉄道
よろしくお願いします。

















夏に甲子園を聞きながら走った三重の旅、まあ蒸し暑いわ、時には大雨に見舞われるわで足止めもあって大変な旅の記録は、3回に渡ってのお送りで前回終わりました。今回はその旅の記録の仕上げとして、鉄道にこだわった写真を全編に渡ってお送りしています。三重の鉄道と言うとJRはローカル情緒を漂わせながら走り、それを相手にもしないよ~ってな感じで近鉄電車が高速で追い抜いて行く。所々には小さな私鉄がいろいろとあり、長大編成の貨物列車もたくさん走る、ほとんど鉄道に見所がない奈良県とは大違いの楽しい所です。
まずは旅の始まりとなったJR亀山駅、時代を感じさせられるホームには電車とディーゼルカーが一緒に停まっていて、大都市と地方の小さな町への中継点となっている。JRの電化区間は関西本線の名古屋から亀山まで、近鉄の域がかからない部分だけが電車が走ると言った感じです。一方の近鉄はJRや伊勢鉄道が走る部分をことごとく塗りつぶすかのような路線網、長距離を豪華な特急が颯爽と駆け抜けて行って、横を走るJRの短い編成の列車を置き去りにして行ってしまいます。





















旅の最終目的地は鳥羽だったのですが、度重なる雨による足止めのおかげで伊勢市で終わることとなってしまいました。宮川の近くの踏切で近鉄電車を撮った後は、伊勢市の中心部へと入り伊勢市駅の手前のJRと近鉄が並走する所で列車が来るのを待ちました。商店街の入口で結構人も車も多い所であまり撮影に適した場所ではないんですけどね、もう旅の最終版だしまあ撮り高のためには手段を選んでる場合ではないです。駅が近いので特急もJRの列車もゆっくりと通り過ぎてくれる、やっぱり近鉄の豪華さと比べるとJRは貧相・・・失礼!・・・な印象は否めない、ただ近鉄にはこの先地獄のような値上げが控えている、JRがこの機に逆転のチャンスを狙うことはできないものか。














さて、帰りは近鉄で、まあ貧乏人は特急など使わず大阪線の庶民のエースである大阪~伊勢を結ぶ急行で帰ることとするか、と言うことで宇治山田駅へ。ところが上本町行の急行はこの時間1時間半ほど間隔が空いてしまっている、まだ1時間以上間tなければならない、最近は長距離急行も減便や区間が短縮されたりで憂き目に合っている、これも時代だから仕方ないのだろうけど、この後更に地獄の値上げがあるからなあ・・・。そんなわけで名古屋行急行に乗車して松阪で下車して、そこから始発となる急行で帰ることとする、松阪ではちょっと時間があるので、ここでも電車の写真が撮れそうだ。ところで宇治山田駅に入ると軽やかなピアノのメロディーが聞こえてきた、最近流行りの駅ピアノの演奏のようだ。人だかりができていてちょっと見てみるとピアノを弾いているのは小学生の女の子、なかなかな腕前のようだ、将来はのだめみたいになるんかな、と思ったが、この前バラエティー番組を見ていると自分が弾いた後に同じ曲を小学生の女の子が弾いて、嫌な気分になったと言う話があった。駅ピアノ、まあいいんだけどね~、あまり火花を散らさないように楽しく演奏してくださいね、聞く方が気まずくなってしまいそうだから。最後はちょっと鉄道から話がズレてしまいましたが、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち


No.1851 全然楽しくない神社巡り・・・六県編

2022-11-21 08:26:36 | 箱根
よろしくお願いします。





神社巡り、久しぶりですね~、しばらくやらなかったからもう飽きたんか、って思われたかも知れませんがそんなことはありません。これまではエリアごとでの巡りをお送りしてきたのですが、今回は倭の六県をテーマに巡って行くこととします、と言っても「倭の六県」って何やねん?wikiでは↓↓↓

「倭の六県(六御縣、やまとのむつのあがた)は、古代の大和国にあった大王(皇室)の直轄地である」

6つの県とは曽布(添)県、山辺県、磯城県、十市県、高市県、葛城県でもう奈良ではお馴染みの地名ばかり、その県にある神社が今回の巡りの目的です。それぞれの神社は「県名+御県坐神社」の名称・・・高市、葛木を除く・・・で「・・・nomigataniimasuzinja」と読みます、それでは行ってみることとしましょう。







【59】山邊御県坐神社 祭神・・・建麻利尼命 以前万葉歌碑巡りで来訪






【60】山邊御県坐神社 祭神・・・建麻利尼命 以前都巡りで来訪

【59】【60】はどちらも同じ同じ山邉を冠した神社で天理市にあります、この後取り上げる神社が各県にひとつだけなのに、なぜここには2つあるのかはよく分かりません。祭神の建麻利尼命は山辺県の県主の祖と言うことで、蔬菜類を栽培し大和国を治める王に献上するための農園を持っていたとのことですが、下位の者から上位の者へと成果を献上する仕組みは昔も今も変わらない感じです。







【61】志貴御県坐神社 祭神・・・大己貴命 以前万葉歌碑巡り、都巡りで来訪





【62】十市御縣坐神社 祭神・・・豊受大神



【63】高市御県神社 祭神・・・天津彦根命、高皇産霊神



【64】葛木御県神社 祭神・・・劔根命、天津日高日子番能瓊瓊杵命

大和平野の中央部にあった4県それぞれにある神社を取り上げています、【61】は過去には都がおかれた所であり、その巡りで前に訪れたことがあるので場所に覚えはありました。他の神社も県を代表すると言うことで大きな神社だと思ったのですが、【62】は集落の中にあってまあまあ大きな神社、【63】【64】は探し当てるのに少し苦労するほどの小さな神社でした。写真もそれぞれ3枚しかなく森や住宅地の中に神殿があるだけの殺風景な感じ、ただ、【63】がある高市県は倭の六県の筆頭に位置されているので昔は大きな神社だったとあるし、【64】については場所の移動を要求されてこの場所に行きついたとか、それぞれにいろいろな経緯があるようです。










【65】添御県坐神社 祭神・・・建速須佐之男命、武乳速之命、櫛稲田姫之命





【66】添御県坐神社 祭神・・・建速須佐之男命、櫛稲田姫命、武乳速命

最期に取り上げるのが曽布県にある神社、曽布と書かれるとあまり馴染みはないが別表記である「添」と書かれると分かりやすい、大和平野の北部は添上、添下と言われていましたからね。【65】【66】は祭神である武乳速之命が県主の祖ですが、【65】については曽布の地域から離れていることもあってこの神社名に異論もあるようです。一方の【66】はもう自分(一人称)にとってはお馴染みな所、歌姫街道の峠にあって境内にはトイレもあるので、木津から帰ってくるときにはよく休憩させてもらう所です。鳥居の横の碑には「添御県坐神社」と立つ碑があって、それを見るたびに何て読むんかなあ~?、漢字をそのままで「てんごけんざ」と読んでいたのですが、今回神社巡りを始めて初めて名前を知った次第で、ああ~、お恥ずかしいったらありゃしない、な感じでした。そんなわけで久しぶりの神社巡り、勉強が大変なので次回はいつのことになるのやら・・・、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち