まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.2158 石川の旅、灼熱編(4)・・・金沢市へ

2024-10-29 07:10:13 | 旅行記
よろしくお願いします。














石川の旅、小松市から能美市を経て白山市へと入り鶴来の町並を巡っています、今回はまずその町並の玄関口である北陸鉄道石川線の終点鶴来駅へとやって来ました。ホームや車庫に停まっているのは前面が2つ窓の懐かしさを感じる車両やステンレス製の車両、関東の私鉄路線で活躍していた車両だろうか。その車両の奥にあるのは除雪車か、前回の福井の旅でも見かけた車両だが望遠機能で撮るとカメラがカタカタ震えてエラーを起こしてしまう。それでも何とか照準を合わせて何とか車両を枠に収めることができた、この調子であと2日、何とか頑張ってもらいたいところ。さて、走りはこの後金沢市を目指すことになるのだが、さて、甲子園の方では大変なことになっているよう、岸田首相の会見が終わって試合の中継が再開されたのですが・・・。

















走りは白山市を抜けて野々市市へ、関西では馴染みのない地名が続くのですが、まだ関西でも馴染みのある小松の地名をつけたチームが大阪桐蔭にリードしたまま9回まで来ました。春のセンバツでは星稜がベスト4まで進出したものの健大高崎に敗北、昨年の神宮大会優勝校ともあって夏もその勢いで、と思っていたが不覚をとってしまい代わって甲子園にやって来たのが小松大谷、全国では無名のチームがついに大阪桐蔭を下しました、しかも今までにはなかった完封勝ちです。大阪桐蔭どうした?と言うよりはやっぱり勝った小松大谷のほうがよくぞやってくれたと言った感じ、さて、地元の人たちの様子は・・・と走りながら見ていたのですが、みんな甲子園見てないのかな?あまり盛り上がっている気がしないのですが・・・。


野々市市を過ぎてやがて金沢市へ、特に見所もない住宅地を抜けて旧北国街道へと入ると市の中心部はもう近い。甲子園では過去2度しかない完全試合を成し遂げた投手を擁した金沢高校の前を過ぎて北陸鉄道石川線の起点野町駅へとたどり着く。市の中心部からは少し外れた住宅地の中にあるが乗降客は結構多い感じ、ここから少し上り坂となって出た所にある国道沿いに今夜の宿泊するホテルがある、もし輪行すればこの道を歩くことになるのか・・・。その後は野町駅に近い所のあるにし茶屋街へ、更に登録有形文化財の犀川大橋を渡るといよいよ金沢の中心部、これぞ金沢と言った感じの風景へと入って行きます。















たくさんの観光客でごった返す香林坊交差点を右折すると百万石通り、左手側に石垣が見えて次の交差点を左へと曲がると石川門の櫓が見えてくる。兼六園や金沢城はもうすぐそこでさすがにこの辺りは観光客が多い、金沢と言ったらここと言う場所だからいろいろと見ておきたいところだが、まだまだ先の予定があるので今回は通り過ぎることに。まあこれなら金沢に何しに来たんや!と言われそうだがこれが自分(一人称)の旅の形です、ただこの後も観光地を相棒君を駆って観光地をお邪魔することになるので、結構迷惑かけてしまうことになります、その模様はまた次回でのお伝えとしておきましょう・・・、まあ自分(一人称)から言わせてもらえば逆に結構迷惑かけられたのですが、それでは賛同していただけないかも、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち







No.2156 和歌山の旅、2024年夏編(1)

2024-10-25 08:24:38 | 旅行記
よろしくお願いします。














和歌山へと行って来たのは石川の旅の翌々日、と言うことは数回前にお送りしたチョイ奈良、新カメラのデヴュー戦の翌日でこの日が本格的な使い始めとなりました。和歌山は昨年の夏も走りました、その時は湯浅からスタートして海南市を経由して和歌山市へと入りましたが、今回もそのルートと一部ダブる部分を走りました。ここ数年の恒例となっている夏の和歌山、今回の目的は三角点巡りに文化財巡りと相変わらず地味な宝探しと言った感じですが、まずはJR和歌山駅からスタートして付近を三角点巡りです。ラジオでは智辯学園vs小松大谷の試合、智辯学園は久々に先制したものの次の回に逆転されて相変わらずのイライラする試合展開、一方の走りは順調に進んで和歌山電鉄の伊太祁曽駅へとたどり着きました。何かイベントでもあるのだろうか、ホームにはたくさんのお客さんがいて喜志行の列車に乗り込んで行った、反対側ホームにも電車がやって来て駅は賑やかになったが、その電車が去っていくとホームは閑散となり一気にローカル線の風景と変わってしまった。




















伊太祁曽駅はホームと車庫が登録有形文化財、前回来た時は和歌山電鉄線各駅巡りで鉄の見地からの来訪だったが、今回は文化財巡りをテーマに来た・・・と言っておきましょう。ここからは海南へ向けて山越えです、このルートは前にも走ったことがある道で、沿道の民家の軒下には熊野古道と書かれた提灯がぶら下がっている旧街道です。山越えと言っても伊太祁曾駅が高い所にあるので、ちょっとした上りがあるだけで後は緩やかな下り、次の目的地の藤白神社は海南市の中心部からは少しだけ離れた小高い所にあるのでまたちょっとだけ上りで、やがて神社へとたどり着く。この神社も何度か来たことがあるが前回は万葉歌碑巡りでしたかね、神社には歌碑はないけど駐車場の一角にはご当地に因んだ歌が書かれた看板が掲げられている。ここは「鈴木」姓の発祥地の地でもお馴染み、そう言えば滋賀の竜王町には田中姓の由来となった町もありました、日本には数多くある姓にも何かしら起源があるものです。















海南市の中心部を経て和歌山市へ、ちなみに甲子園の方は智辯学園がその後逆転して追加点を重ね、ピンチには1人1殺と小坂監督らしくない采配も冴え渡って小松大谷に勝利、ベスト8進出となりました。今年は期待できないと言われていただけにここまで来たのは上々、こうなりゃ最後まで突き進んで頂きたい・・・と思いながらも気分は良く、うだるような暑さの中で走りは快調です。そして今回も和歌山と言えばここ、と言った感じで和歌浦へとやって来ました、もう定番中の定番となっている所ですが今回はこれまで行ったことがなかった所、紀州東照宮に行ってみようと思います。これも重要文化財巡りの一環ですがこの記録については次回でのお伝え、更に三角点巡りでも1枠と言うことで、あと2回費やして和歌山の旅をお送りしていくことになります、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち




No.2152 石川の旅、灼熱編(3)・・・鶴来の町並

2024-10-17 08:11:01 | 旅行記
よろしくお願いします。















それでは石川の旅本編とまいりましょう、とろけそうな暑さの中で集中力も途切れがちになりながらの旅は1泊2日、今回より6回の予定でお送りしていこうと思います。まずは新幹線を下りて小松駅前で相棒君を立ち上げ、この時点でかなり暑い、そして甲子園では智辯学園と健大高崎がジリジリするような試合展開、そんな中でのスタートです。小松駅前にはコマツのテーマパークみたいな広場、小松あってのコマツかコマツあっての小松なのかは分からないが、小松市は重機でお馴染みの町らしい。さあ、スタート、まずは北陸鉄道石川線の元の終着駅加賀一の宮駅跡を目指して走ることに、国道305号線から県道4号線と進んで行きます。おっ!智辯学園が9回に1点をとって2-1でセンバツ優勝校に勝った、今年は期待できないと思っていただけにこれは大したものだ、でも次は多分大阪桐蔭が来るだろうなあ・・・、その大阪桐蔭は次の試合で相手は地元石川県代表小松大谷、優勝候補相手にどう立ち向かっていくのだろうか・・・?

















能美市に入って田園風景の中を走っているがホントにこの辺りは見所がない、これはネタに困りそう、目的地まではまだまだ遠くジリジリした暑さが容赦なく襲い掛かってくる。甲子園では小松大谷vs大阪桐蔭の試合が始まったが、突然のニュース速報、岸田首相(当時)が次回の総裁選に出馬しないとのこと、案の定NHKのラジオ放送は首相の会見に切り替わった。ホントにこの首相はタイミングが悪いなあ~、などと思いながら走りの方は白山市へ、今の北陸鉄道石川線の終点鶴来駅付近は古い町並でやっと見所のある所に来た感じ。この町並はまた後でゆっくり巡るとしてとりあえず目的地の加賀一の宮駅へ、少し上りの道を進んで行くと右手側に風情のある駅舎が見えてきた。見ての通りこの駅舎は登録有形文化財、扉を開けて中に入ると、やあ~、涼しい~、生き返りますねえ。その内部は上の写真にある通り、北陸鉄道の写真や当時の備品が飾られていて小さな歴史館みたい、北陸鉄道がどんな路線でどんな電車が走っているのかははっきり知らないが、写真を見る限りでは地方のローカル線と言った感じか。














古い駅舎を後にしてさっき走ってきた道を戻って鶴来の町並へ、さっきはサラリと流して見ただけだったが、こうしてゆっくりと走ってみると風情のある古い建物が建ち並びなかなかいい雰囲気だ。石川県についてはほとんど予備知識もなくこの町のことも金沢を走る私鉄の終点としか知らなかったくらいだが、ここは旧街道の宿場町だろうか、かと言ってむやみに観光に走っているわけでもなく素朴に人々が暮らしている雰囲気。ここに来たのは登録有形文化財となっている駅舎を見るため、北陸鉄道石川線の各駅巡りのためだったが、この町並を見られたのは一種の儲けものだったかも。そんなわけで本格的に走りが始まった石川の旅、時間の都合とカメラの不調で各駅巡りはやめにして、この後は日本を代表する観光地金沢を目指して進んで行くこととします、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち



No.2147 滋賀の旅6月編(後編)

2024-10-06 19:32:31 | 旅行記
よろしくお願いします。









【201 標高=103.0881 m 一等水準点】



【201-1 標高=100.9907 m 一等水準点】





前回最終回となった福井の旅が5月で今回お送りする滋賀の旅は6月編、ペースの遅さは相変わらずですがひとつずつ終わらせていくこととしましょう。滋賀の旅はこの後7月、8月、9月も月末に行ってきてもう毎月恒例となってしまっています、そんなに行ってたら飽きるやろ~と言われそうですが、まあ確かに飽きはあります、それでも行きたくなるんですよねえ。四角い枠に切り取った風景はその時だけのもの、ミルクボーイが言ってますが滋賀は観光ではなく確認しに行く所、これネタじゃないですよ、まさにそんな所なのです。そんな滋賀と言えば大津や近江八幡、彦根や長浜など観光地も多いのですが、自分(一人称)が今年特に攻めまくっているのが守山市、野洲市、東近江市付近、普段の滋賀旅では通り過ぎるだけの町に何があるのか、と言うことで巡っています。最近の巡りの目的は専ら三角点、この日も前半はさざなみ街道でいくつか巡ってきましたが、この先でも2カ所ほど行ってみようと思っています。













【206 標高=113.9856 m 一等水準点】






・・・と言うことでその2カ所は1番目のゾーンでもう出てしまいました、走りの方はさざなみ街道を進んで彦根市に入った所で折り返し、方向を南へと変えて豊郷町へと入りました。ここからはもう何度も走り慣れた中山道を進んで行くのですが、巡ったのは2カ所とも水準点、どちらも神社の一角にあり見つけやすかった。ただこの近くには三角点もあったがそちらは見つけきれずに断念、中山道を進んだ先の五箇荘では以前に巡りを終えているのでそのまま通り過ぎようと思っていたが、以前気になったものが・・・。それは近江鉄道五箇荘駅から八日市駅方面に向かう御代参街道に沿ってあった廃線跡、架線があったので五箇荘駅から分かれていたのだろうけど、一体この路線は何なのか?と思って駅の横の狭い踏切を渡ると、いつの間にか御代参街道からどんどん離れて行ってしまった。何とか中山道へと戻ることはできたが結構な時間のロスとなってしまった、ただ途中で新幹線が見られるスポットがあったのでそこで列車を撮影、やはり新幹線は速いですなあ~、今更ですけど。













中山道を進んでJR野洲駅付近を過ぎると間もなく野洲川に架かる橋へと至る、さて、そろそろ帰りのことも考えなければならないところだが、どの駅から輪行するか。このまま中山道を行けばJR草津駅が一番の候補か、もうちょっとだけ走ってJR石山駅、でも草津からさざなみ街道に出るのもしんどいしなあ・・・と思いながら橋を渡ってすぐに浮かんだのが、ここから方向を変えて野洲川沿い、更になんやかんやと進んでJR堅田駅なら一番安く電車代を押さえることができる。そう思ったとたんにもう野洲川沿いの道へと入っていた、近江富士を背にして川沿いの土手のサイクリング道を進んで行くが、左手側は守山市の風景が全然見えないので結構退屈、前方の単調な風景が続くばかりでしかも夕刻の蒸し暑さも相まってイライラがつのってくる。国道477号線の下を過ぎた先でやっと風景の見える所へと出てさざなみ街道に合流、琵琶湖大橋を渡るともうゴールは近い、今回は特記すべきものがなかった滋賀の旅でしたが、この地に対する思いは来月以降にもつながって行くはずです、近日7月編公開!今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち



No.2146 福井の旅(12)・・・旅の終わりに大トラブル

2024-10-02 09:10:58 | 旅行記
よろしくお願いします。











福井の旅、長く引っ張ったのですが今回やっと最終回を迎えることとなりました、石川の旅の記録も始めたことだし大団円としてこの旅の記録を締めることと・・・は行かなかったんだよなあ~、最後の最後でとんでもない事件が起こりました。まずは木の芽峠トンネルを越えて敦賀市へと入るが市街地はまだはるか先、ここは国道476号線を一気に下って行くだけ。最初は急な下りの連続もやっと落ち着いて、緩やかな下りとなるとやがて長々と続いていた山を抜けて町の風景が現れる。ハピラインの踏切があって線路はトンネルへと続いている、そのトンネルが北陸トンネル、かつてはJR在来線のトンネル長さランキング1位にあった所だが、北陸新幹線開通によりハピラインに移管したためランキングから姿を消すこととなってしまった。前日久しぶりにこのトンネルを通ったがやっぱり長かった、抜けるまで15分くらいかかりますからね、黒い車窓を見ながらずっとボォ~ッとしてました。























市街地に入ってコンビニで休憩をとった後は敦賀港へ、港の入口にあるレトロな建物は旧敦賀港駅舎、敦賀は鉄道の町で戦前はここまでやって来た人や物資が船便でロシアまで渡るルートが計画されていた・・・と『newsおかえり』のNDYのコーナーで言っていた。周辺にもレトロな建物も多くマップでは登録有形文化財の印もたくさん点在している、敦賀での残りの時間はそれらを巡ることで費やすことに。赤レンガの建物も登録有形文化財、倉庫と言ってもレストランやカフェがあるとのことでたくさんの観光客が訪れている。倉庫の横には国鉄型のディーゼル車両が展示されている、鉄道の町の流れは脈々と受け継がれてきているが、今回の北陸新幹線の開通はまた大きな変わり目となったことだろう。その後も周辺の町並や文化財を巡ってその後は気比の松原へ、敦賀の気比と言うとセンバツ優勝校敦賀気比、場所を調べてみると市の中心部から結構離れた丘の上にあるみたい。さあ、そろそろ帰りの時間が迫って来た、新幹線開通で賑わう敦賀駅の前で相棒君をたたんで福井の旅は終わり、あとは湖西線経由で帰るわけですがここで事件が起こってしまったわけですね。















近江今津駅で京都行の列車に乗り継ぐが発車時刻になっても電車は動かない、何やら無線でやり取りしている雰囲気がうかがえる、また人身事故でも起こったんかいな~、もういい加減にしてや~。車内放送が入り京都駅で不審物が見つかり確認中とのこと、結局電車が動いたのは60分後、自分(一人称)は入口付近に相棒君を置いて補助席に座っていたが、4両編成の車内は案の定超満員となってしまった。堅田駅を過ぎた辺りでは後続の列車が8両で運転しているからそちらにも乗車するよう放送で促していたが、早く京都に付きたい人は皆この列車に乗ってくる。ちょっと声の大きい男の人が山科で地下鉄に乗り換えて阪急で大阪まで帰ろか~、とか言っていたが、まさに地獄はここから、間もなく京都駅に到着と言う所で電車はストップしてしまった。どうやら東海道本線の列車を優先しているようで、こちらはちょっと動いてはすぐに停まって長い時間待たされるの繰り返し、隣に座っている女性は新幹線の時間を気にしていたが到底間に合いそうにない。60分遅れで近江今津駅を出た列車だったが京都駅に到着したのは約120分後、最後は散々な目に合っての旅の終わりとなりました、JR西日本よ、反省してくれ!!今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち