まちみちふうけい

四角い枠に切り取られた風景は一瞬のもの、そんな一瞬を追い求めてこれからも相棒と走り続ける・・・

No.2056 お茶の町から城陽市へ

2024-03-22 07:52:04 | まち
よろしくお願いします。















今回は京都南部の町を重文巡り、三角点巡りを兼ねてのチョイ走りです。まあ京都と言うと今回センバツは2校出てるんですよね、今日(20日)は京都外大西が山梨学院と対戦、外大西は知り合いがOBなので応援していたのですが、さすがに昨年の優勝校にはかなわなかったですねえ。前半はいい試合してたんですけど雨で調子を狂わされてしまったんでしょうか、最後は大差で敗戦となりました。それにしても山梨学院は強いわ、これからより強くなるチームが段階を踏んでステップアップしていると言った感じ、さすが吉田監督ですね、次は門馬監督率いる創志学園、名将対決が楽しみなところです、さあ、本編と行きましょう。
京都南部のチョイ走り、まずは木津川市、市の中心部から北へと進んで木津川を渡って上狛地区へと入る、ここには名前が知られたお茶の製造工場がある。CMでもお馴染みの伊右衛門緑茶がここが製造元だったんですね、工場群の中に細い道を入って行くと自動販売機が全部伊右衛門でした。その後は上狛の環濠集落を抜けて線路を越えて山の方へ、急な坂を上って鬱蒼とした森の中にある神社の参道へとたどり着く。長い石段を上った所にあるのが松尾神社、誰も来なさそうな場所にあるひっそりとした神社だがそこの本殿が重要文化財、むやみに観光に走るのは気に食わないがせっかく格のある建物を有しているのだから、地元がもっとアピールしてもいいのでは、と思いながら木津川市を後にします。
















山城古道を進んで行って城陽市へと入ってまずは酒蔵巡り、銘柄が「城陽」と地名そのままだが販売所の駐車場には車が何台か止まっていて買いに来ている人も多そう。先へと進むとJR長池駅、JR奈良線の隣の城陽駅が市の中心駅となっているが、むしろこちらの方が市の玄関口と言った感じ。いつもは京都や滋賀へ行く時にトイレ休憩で立ち寄る駅だが今回は町を濃密に巡ってみることに、駅前の案内板を見ると長池駅周辺にも多くの見所がある。駅前を通っているのが山城古道で、そこから少し奈良方へ戻った所にある役目を終えた元郵便局の建物・・・写真5枚目・・・の瓦には〒マークが施されている。その後は国道24号線の信号を渡ってアルプラザの脇の道を少しだけ行くと荒見神社にたどり着く、ここの本殿が重要文化財、城陽市にはこれ以外にも重文があるみたいなので行ってみることとしよう。

















そんなわけでJR城陽駅の脇を過ぎて坂を上った所にある水度神社、その後は駅の東の小高い所にある住宅地を抜けてJR奈良線の沿いにある久世神社と重要文化財巡り。久世神社は以前万葉歌碑巡りで来たことがありました、これ余談ですけど、神社の奥・・・JRの線路に沿う部分・・・には森があってここは前に『ニュースおかえり』のNDYのコーナーで訪れていた所、戦時中にはこの森が掩体壕として使用されていたとのことだとか。「掩体壕」聞き慣れない言葉なので調べてみると、戦時中に軍用機を隠していた場所だとある、放送でのテーマは久御山町に三角形の田んぼが多いのはなんでやねん?とのことだったが、戦時中はその場所に飛行場があって掩体壕として使用されていたとのこと。今はそんな形跡など滅多にうかがえなくなっているが、精華町にも軍用船用の鉄道が走っていたりで、観光地として空襲に狙われなかった京都にはいろいろと戦争に関係する施設があったようです。ちょっと長い余談になってしまいましたが、その後はいつも走る道へと出ていつもは通り過ぎる廃寺や古墳を相棒君を止めての巡り、歴史のある遺構も多い城陽市、いつもは脇役にまわしてしまう町を今回は主役にして巡りました、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち



No.2004 奈良の地名あれこれ

2023-12-04 09:53:55 | まち
よろしくお願いします。















自転車で走っているといろいろな所に行くわけだしその場所には必ず地名があります、その地名についていろいろと思いを張り巡らせることは楽しいことです、今回はその手始めに一番身近にある奈良の地名をいろいろと取り上げてみます。まず1番目のゾーンでは難読地名、まあどこにでもあるのですが奈良にももちろん、他府県の人は当然、奈良県民でさえも読めない地名が多くあります。交差点やバス停ではローマ字表記で読み方が分かりますが、ここに並べた中でも一番分かりにくいのが写真5番目、6番目にある「薑」と言う地名、「hazikami」と読みます。薑とは生姜のことで、葛城市のページによると↓↓↓

「「大和志」では「日本書紀」履中天皇即位前紀にある「攪食の栗林(かきはみのくるす)」の攪食(かきはみ)が転訛して薑になったと思われます。小字栗坪は栗林と関係があったのかもしれません。」

とのことです、漢字は「くさいったいったいち」で割と覚えやすいのですが読み方はなかなか覚えにくい、奈良でも一番の難読地名です。一方奈良市の東に当たる地域にも難読地名がズラリ、写真にある忍辱山、鹿野園の他にも「誓多林」「菩提山」と一筋縄では読めない地名があるが、これは「菩薩の修行すべき六つの徳目をあらわす菩薩行六波羅蜜」から来ているとのこと、ここでも前に紹介したことがある円成寺、正暦寺はこの地名を山号としている寺院です。




















県内の地名で日本一周・・・とは言わないが奈良には旧国名を名乗っている地名、駅名、バス停名を各所で見かけます。まあこれだけいろいろと見かけると偶然では済まされない、と言いたいところですが走っているうちは自然に通り過ぎていた町ばかり。特に地名など気にしていなかったのですが、とある奈良県外の人のブログで旧国名を名乗っている地名が多いと述べられていて、それ以来意識して走ってみると確かにあるわあるわ。上に並べた写真の他にも桜井市には吉備・・・以前万葉歌碑巡りで訪れたことがある所・・・、その他にも各所に散らばっているよう、となると何でや?と言うことで調べてみると↓↓↓

「藤原京の造成にあたっての貢進国が国名地名となっていることが多いことなどが指摘されています、藤原京造営時、藤原京造営の貢進には人的なものも含められており、造営協力の各国の出張所などが置かれた場所が、その後の村名になっていったとの見方が多い」

とのこと。確かに旧国名地名は横のラインになる桜井市、北の三宅町、南の高取町など藤原京がある橿原市を取り巻くようにして点在している、奈良市の中心部近くでは見かけないからやはり藤原京が関係しているみたいです。ここに挙げたのは一部で全部で50近くあるとのこと、まだまだ奈良盆地で日本一周巡りは続きそうです。













最後のゾーンは走りの中で見つけた地名いろいろ、ここで以前に取り上げた所もいくつかあります。写真下から4枚目「天理町」とあるのは大和郡山市、天理教の詰所があるからこの地名となったようですが、天理自体は地名ではなく宗教名、それが市名になったわけでその辺りはトヨタの豊田市と同じと言ったところでしょうか。その天理町交差点から入った所にあるのがその下の写真にある大阪口バス停、ここは大和郡山城外堀跡にあり、城の玄関口はもう大阪を目指していたとのことでしょうか。一番下にある新庄バス停、今は葛城市になったが以前は新庄町と言っていた所ですが、写真を撮ったのは新庄剛志が日本ハム(F)の監督になった時だったと思います。山形にも新庄市がありますがこちらは関ヶ原の合戦前にここに新しい城が建てられ、合戦後にはこの辺りに商工業を中心とした街が造られて「新庄」と呼ばれるようになったとのことです。巡れば巡るほど奥が深い地名巡り、これからも続けて行くこととしましょう、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち




No.1907 大和郡山市、無名橋名付け親プロジェクト(4)

2023-04-19 11:59:40 | まち
よろしくお願いします。





[治道小学校区]



【52】一日お遍路橋


【53】お米豊作橋


【54】笑顔いっぱい橋



【55】治道仲良し橋



【56】下ッ七条橋



【57】思い出通学橋

ここまで3回に渡ってお送りしてきた、大和郡山市の小学生が名付け親となった橋の巡りは今回が最終回、西名阪の大和郡山I.C.周辺を範囲とする治道小学校区を巡って行くこととします。天理市に近い所で昔から馴染みのあった地域ですが、今回名前のついた橋はどれも無意識に通り過ぎていた所ばかりです。これまでの巡りで各校区が特色のある名前を付けていました、今流行りのキラキラネームもあれば、地域の特色を捩った名前もありましたが、今回巡った所は一番小学生らしい名前が付けられた橋ばかりでした。確かに地域的にも形状も特徴があるわけではない橋ばかり、通学路で通り慣れた橋に親しみを込めて名付けたように思われます・・・と言っていると、中には下ツ道にある橋には地域を感じる名前も、いかにも小学生らしい名付けのセンスを感じさせてくれています。そんなわけで今回、と言ってももう2年前の話ですが、名付け親プロジェクトで「Every child has a beautiful name~♪」となった57の橋の巡りが終わりました、今回もご覧・・・、って終わるのはまだ早いか、残りのゾーンでは大和郡山市内のすでに名前が付いている橋をいくつか巡って行くこととしましょう。




【郡界橋】



【蟹川水門】


【寿橋】



【杉橋】



【嫁取橋】

どの橋も通勤や休日の走りで通り慣れた橋ばかり、【杉橋】は吉野川分水の水管が通る橋、【嫁取橋】は下ツ道旧街道巡りでかなり前にここで取り上げたことがありました。【蟹川水門】は城門を模した大きな水門の脇に架かる橋、ここは3本の川が並行して流れていて、川に挟まれた所には自転車道が通っている。この水門の手前には路面に白い文字で「蟹す」と書かれている、これは何だ・・・「ジャジャジャジャジャジャジャ~ン♪」とこれは前に『何これ珍百景』で紹介されたことがありました。なるほど、自転車道の路面に文字や記号が書かれているのはそのためだったのか。







【大師橋、稗田橋】



【稗田堀橋】



【売太橋】

最後のゾーンでは稗田環濠集落付近に架かる橋を取り上げました。2番目、このゾーンの写真では元から名前が付いている橋を取り上げていますが、まあどれもありきたりと言うか、見たまんまの面白くない名前ばかりです。今回のプロジェクトでは小学生たちが何の特色もない何気なく通っている橋に、格段の思いを込めて名前を付けてくれた様子がうかがえました。その数は57本、車がたくさん通る橋もあれば、ほんの2、3歩で渡りきれる橋もありました。大和郡山はよく走る所、そこにはまだまだ名前が付いていない橋もたくさんあります、どれも見向きも立ち止まりもされない橋ばかり、またその橋にもbeautiful nameを付けてあげてほしいと思いました、今回もご覧いただきましてありがとうございました・・・・まちみち



No.1898 チョイTri(p)To 大阪・・・昭和の傷跡

2023-03-30 06:28:49 | まち
よろしくお願いします。











今年は土日月の3連休が少なく残念な日繰りだとも言われていますが、早速2月11日は土曜日のパターンが巡ってきました。前日の仕事が忙しくてこの日は一日家でまったり、最近土曜日になると動けなくなることが続いてるんだよなあ、もう若くないからかなあ・・・、と明けて12日日曜日、午前4時半に目が覚めてしまいました。前日はずっと寝ていたので体調はよろしい、表に出ることが日課となってしまうと家にいてることに罪悪感を感じてしまうことも僕の悪い癖、そんなわけでまだ真っ暗な5時半に家を出て、少し遠めのチョイ走りと決め込みました。6時半ごろ、斑鳩付近でもまだ暗い空は明けきらず、斑鳩三塔を写真に撮ったがどれも画像はぶれて雷のような光線が走っていた。やっと空も明るくなった頃に国道25号線を進んで大阪府入り、走りも快調に近鉄国分駅前を過ぎて大和川沿いの自転車道へと入りました。背後に見えている二上山は奈良から見るよりも稜線が少し緩んだ感じ、太陽が昇ったすぐ後で明るくなった空に二上山のシルエットが映えています。
























特に目的もなく走りの方は堺市へ、仁徳陵から大仙公園を経て阪堺線が通る道へ、その後は南海堺駅の横を抜けて旧堺灯台へとたどり着く。この灯台も周辺の工場群や高速道路はもう見慣れた風景、海は内海となっていて狭い範囲しか見ることができないのは仕方ないところ。もう何度も来ている所なので写真のネタとなる光景もあまりない、すぐに折り返して再び阪堺線が走る所へ、とは言っても阪堺電車ももう飽きるほど写真を撮っているのでこちらもあまりネタが拾えない、今回は撮れ高はあまりなさそうだ。大津での京津線や京都の嵐電では信号機でネタが拾えたので阪堺線でも、と思ったが・・・、その辺りはまた信号機特集で取り上げることとしておきましょう。















天下茶屋から松虫通を経てあべの筋へと入る、以前各駅巡りをしたこともある阪堺上町線は筋違いの道となるのでこの道を走るのは初めて。しばらく走ると北畠と言う地名の町へと入る、南北朝時代の武将、北畠顕家にゆかりがあるところからこの地名となっているらしい、確か大河ドラマ『太平記』では後藤久美子が北畠顕家役を演じていましたね。ただ阿倍野区北畠と言うと自分(一人称)が思い出してしまうのが三菱銀行猟銃立てこもり事件、昭和54年1月に起こった3日間に渡った事件は犯人が射殺されてことで収束しました。自分(一人称)は小学生の頃で、テレビのニュースではずっとこの事件を中継していたのを見てました、サングラスをかけた犯人が猟銃を構えている姿はあまりにも不気味で今でもよく覚えています。その事件の舞台となったのが写真上から2枚目にある北畠支店、あべの筋の大きな交差点の一角にその建物がありました。事件からもう44年、そんな大きな事件があったと言うことを知らない人が多くなったが、知っている人にとってはまさに恐怖の3日間と言ったところだったでしょう、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち




No.1893 大和郡山市、無名橋名付け親プロジェクト(3)

2023-03-20 09:12:03 | まち
よろしくお願いします。





[昭和小学校]



【37、珊丸橋】


【38、藤北橋】



【39、藤南橋】


【40、古石橋】



【41、家族橋】

大和郡山市の小学生が無名の橋の名付け親となるプロジェクトを取り上げて今回が3回目、まず1番目のゾーンでは近鉄平端駅とファミリー公園駅に挟まれた住宅地にある橋から巡って行きます。【37】は近鉄天理線が通るすぐ真横にある橋、ここを渡ると京奈和自転車道へと入ることができます。【41】は近鉄ファミリー公園前駅前にある橋、名前は漢字で「家族橋」と記していますが、読みは駅にちなんで「ファミリーはし」と読むようです。まあその辺りは子供たちが考えてのことなので微笑ましく思いますが、「正義」と書いて「ジャスティス」となるとさすがに痛い気がしますね、キラキラネームも子供の将来を考えなければ・・・、今回橋の名付け親となった小学生はそのことを考える機会になったのではないでしょうか。


[平和小学校]



【42、大道橋】


【43、北⻲橋】


【44、子通り橋】



【45、大鯉橋】


【46、散夕橋】


【47、葉宮橋】




【48、火流橋】

大和郡山市の東側に位置する校区で自分(一人称)もよく通る場所にある命名橋です。特に【42】【43】は通勤時に走る橋なので、今回のシリーズのテーマのきっかけとなった所でもあります。【43】の橋が架かっている川は前に大和郡山市の水路巡りでも取り上げたことがある所、いつもこの沿いの道を走っています。川の途中には水門があるために、水量が少ない部分には汚いものがいっぱい浮いていて目を逸らしたいくらい、砂地の所でいつもたくさんのカメが屯しているのが子供たちの目に止まってこの名前が付けられたみたいですが、自分(一人称)は正直言ってこのカメの大群が苦手です。平和小学校区は市内で一番多く命名を割り当てられています、3番目のゾーンでも引き続き当校区の命名橋をお送りしています↓↓↓




【49、蓮華橋】


【50、桜公橋】


【51、罪無橋】


さあ、センバツが始まりました、今年の開会式は4年ぶりに全員参加の入場行進と言うことで、これまで当たり前だった開会式の光景を感慨深く見て・・・当日は雨だったので家でテレビ観戦でした・・・いました。セレモニーの始まりのトランペットのファンファーレ、各校特徴のある行進ぶり、全校一斉行進、「今ありて」の合唱、大阪桐蔭の校歌はなぜか自分(一人称)も口ずさんでいました。お偉いさんたちのお言葉さえも今回ばかりはありがたく思えてくるくらい、そして選手宣誓、良かったのですがいつも思うのですが、この中に戦争や災害はいらないな、どうしても加えたくなるのかな。今回からはアルプスでの声出しの応援も解禁され、いよいよ本当の甲子園の風景が帰ってきたようです、何でこの場所に奈良のチームがいないんや、とまたまた寂しい気持ちになってしまいました。そして智辯和歌山、こんなに早く消えてしまうなんて・・・、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち