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まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.2239 雪の富田林寺内町、二上山

2025-04-18 08:33:37 | まち
よろしくお願いします。



















2月の後半の休日、特に予定もなくとりあえず徒歩でJR奈良駅へ、相棒君を使わないのは夜中に雪が降って道が滑りやすくなっているため。駅の料金表の地図を見てどこに行こうかと考えたのですが、結局手頃な値段で行ける天王寺へ、後は電車の中で考えることに・・・って眠ってしまったあ~。天王寺駅で下りてとりあえず駅の表に出て上から見るとαの文字の形になっている歩道橋を歩く、ここを歩くのは初めてだが、さて、この後どうするか?とにかく寒い、何とか凌がなければ・・・、阪和線で和歌山方面、南海で関空へ、阪堺電車で堺方面へ、地下鉄でいろいろと廻るか、と考えたが選んだのは近鉄南大阪線阿部野橋駅、料金表の地図を見ると・・・、高い!近鉄は一昨年の値上げで近距離がものすごく高くなった、まあそれでも乗ると決めたので切符を買って河内長野行きの準急に乗車、富田林に向かうことにしました。













電車を富田林西口駅で下車、こちらの方が寺内町の町並に近い、奈良も天王寺も雪は積もってなかったがこの辺りでは結構雪が残っている、道が滑りやすくなっているので気をつけて歩を進めて行く。重要伝統的建造物群保存地区の町並は国道を渡って東へ、台地になっているので少し坂道になっている、ここは気をつけなければいけない。やがて狭い通りが碁盤の目状になった寺内町へとたどり着く、これまでは自転車でさあ~っと走り過ぎていた所、今回は歩きなのでゆっくりじっくり見て回ることにしよう。高台にある休憩所には展望台があって金剛葛城の山並みが見える、もちろん二上山も見ることができるはずなのだが頂上部は雪雲がかかっていて2つの頂上は姿を見せてくれていない。東高野街道が通る風情のある町並、文化財も多く見るには飽きない、と言っても自分(一人称)の場合はただ見て回るだけ、碁盤の目の道を行ったり来たり気ままに歩いていると急に雪が強く降る時間もあった、まあこれもなかなかない経験だ、良しとして歩を進めて行こう。

















その後は電車を乗り継いで近鉄二上神社口駅で下車、ホームに下りて電車が行き去ってしまうと住宅越しに二上山が見える、もちろんここも薄っすらと雪が積もっている。自転車だったらこの天気と道が滑りやすいこともあって来ることがなかっただけに、別にこの日は狙ったわけではなくただ暇つぶしと言うだけだが、この風景に出会えたのはラッキーだったかも知れない。もう何十回と相棒君と走っている道を今回は歩きで、いつもの近鉄南大阪線の電車を撮る場所へとたどり着く、今回は薄く雪雲がかかる二上山をバックに、薄っすらと雪を被った風景の中を走り抜ける近鉄電車の写真を撮りました、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち



No.2238 滋賀の旅2025年1月編(2)

2025-04-16 07:20:33 | まち
よろしくお願いします。










滋賀の旅1月編は長浜へ、昨年の10月は自転車で長浜市界隈を三角点巡りで走ったのですが、町の中心部へと戻ってきた時には時間もなくて町中を通り抜けるだけとなってしまいました。その時に次回の宿題と決めたのですがそれをこの日実行させることに、ただ今回は町をゆっくりじっくり巡りたいとのことで相棒君はお休み、長浜へは電車で出向きました。前回のお伝えでは長浜駅の東側、北国街道付近を歩きで回りました、旧街道の雰囲気が漂う町並にレトロ感漂う看板や商品がウインドー越しに見えて時代が昭和に戻った感覚にさせられる。商店街をあちらこちらと歩き回り今度は駅前から伸びるバス通りの横断歩道を渡り、南側エリアへと入りました、こちらもなかなかいい雰囲気の町並です。






















こちら側も道は碁盤の目の状になっていて、時間に余裕もあることで道を行ったり来たりしながらの巡りです。自分(一人称)の場合は食にもショッピングにも興味はなし・・・ただお金を使いたくないだけですが・・・なので、町並を見ながら目についた風景を写真に撮っていくだけ、まあ他人からするとくだらなさそうに見えそうですが、これが自分の型と言うものです。バス通りの北側が商業的な町並に対してこちら側は庶民的な雰囲気、普通の人々の暮らしを感じられる場所となっているだけにあまり観光客の賑わいがない所。ぐるり巡った後はJR北陸本線の踏切を渡って長浜鉄道スクエアへ、ここはまあ興味もありと言うことで入場料を払って中へと入る、その模様については次回でのお伝えとしておきます。その向かいにあるのが慶雲館、歴史と由緒ある古い建物は迎賓館とのことで時の天皇も来られたとか、今は商業施設や観光に走っていてお金を落として行ってください、みたいな所、ここは無料で歩ける庭園をぐるりと一回りして後にするとしましょう。

















湖岸道路に出ると左手側に見えるのが長浜城、言わずも知れた羽柴秀吉が築城した城としてお馴染み、ここから秀吉の天下取りへのストーリーが始まる場所でもあります・・・、と言ってももちろん天守閣は復元で歴史博物館となっている。もちろんそこには入らず城を写真に撮って湖を見に・・・って、そうか~、やっぱり来年の大河が豊臣兄弟と言うことでここも舞台をPRしているか~、となると大和郡山市とはライバルになるのかな?でも大河で戦国時代がテーマになる度に滋賀県は舞台をPRするわけだからもう慣れたもの、一方の地元奈良は大河も朝ドラも舞台になったことがないので今回は一大チャンスなのです、山下知事も力が入るところです。そんなわけで今回はうちにいい思いさせてくださいよ~、長浜市にはおとなしくしておいてほしいところです。さて、いよいよ長浜を去る時間がやって来ました、この後は米原駅で今年最初のDYAI、ドクターイエローに出会うことはできるでしょうか、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち




No.2215 地球を感じる町、明石(3)

2025-02-23 20:48:48 | まち
よろしくお願いします。














電車、歩きを交えて明石へ、前回は天文科学館で結構密な時間を過ごしました。表に出ると雨が結構降っている、天文科学館の裏手の小高い丘の上にある寺院を通り抜けて急な石段を下ると住宅街へ、ちなみにこの日は翌日に兵庫知事選と県議会補選の前日、注目の選挙とあってポスターにも何か異様な雰囲気が漂っていました。まあ結果から言えば前知事が返り咲きで当選、いろいろ問題があった人でも県民から選ばれたと言うのがすべての結果なのでしょう。ただ一連の経緯の中では亡くなっている方もいるので、はっきりさせなければならないところはいろいろあると思います、とにかく外部からうるさく言っている奴は何とかしなければならないところでしょう。さて、歩きの方は市の中心部へ、いつも自転車で走るのと同じように高速船乗場へ行ってそこから魚の棚商店街へと向かう、魚の焼けたいい匂いがしてくるが買って帰るわけにはいかない、ここはこの匂いを覚えておいて晩御飯のおかずとしておこうか・・・って寂しい話やなあ~。




















小雨が降り続く中、選挙の宣伝カーが走る国道2号線、ここを越えると明石駅だが電車で帰るにはまだ早い時間、なのでちょっと歩くことにした。さっき行った天文科学館の時計台がバックに見える郵便局、駐車場にはラインが引いてありこれが子午線である、この先の交差点を渡り子午線表示の標柱がある交番の前を通り過ぎ、登録有形文化財でもある中崎公会堂の横を過ぎると子午線通過のモニュメントが立つ公園にたどり着く。モニュメントは上部の円形に日本地図、その下には「刻」の文字が刻まれていて、さっきの郵便局からずっと続いてここを子午線が貫いていることが分かる。更に公園に入った所には天文科学館にもあったトンボの標柱が立っていてその向こうはもう海、ここが子午線に本州最後の場所となっている。子午線はこの先淡路島と和歌山の友ヶ島をかすめて南の海へと突き抜けている、もちろん子午線巡りの一環として訪れたいと思っているところだが、さて、行く機会と手段は巡って来るか、これも宿題としておきましょう。















大蔵海岸公園を通り過ぎて国道2号線のJR朝霧駅前、一駅歩いたことになるがまだまだ行けそう、雨にけぶる明石海峡大橋を見ながら歩くのもいいだろう。先へと進んで行くとJR山陽本線と山陽電鉄線、国道が並走する区間、自転車で走った時には海沿いの歩道で電車を撮る所だが、ここにある踏切では悲しい事件が起こってしまいました。関西のニュース番組ではこの場所の危険度を検証していたが、地元でも危ない場所として走られていていつかはこんなことが・・・と言う声もあったらしい。兵庫県も知事のことでゴタゴタしていないで住民のためにいろいろと働いてあげてほしいところ、でないと亡くなった2人の女性が浮かばれませんよ。明石海峡大橋の下を過ぎて更に歩いてたどり着いたのはJR垂水駅、ここからなら快速に乗れると言うことで地球を感じる町、明石への旅はこの駅でお終いです、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち



No.2056 お茶の町から城陽市へ

2024-03-22 07:52:04 | まち
よろしくお願いします。















今回は京都南部の町を重文巡り、三角点巡りを兼ねてのチョイ走りです。まあ京都と言うと今回センバツは2校出てるんですよね、今日(20日)は京都外大西が山梨学院と対戦、外大西は知り合いがOBなので応援していたのですが、さすがに昨年の優勝校にはかなわなかったですねえ。前半はいい試合してたんですけど雨で調子を狂わされてしまったんでしょうか、最後は大差で敗戦となりました。それにしても山梨学院は強いわ、これからより強くなるチームが段階を踏んでステップアップしていると言った感じ、さすが吉田監督ですね、次は門馬監督率いる創志学園、名将対決が楽しみなところです、さあ、本編と行きましょう。
京都南部のチョイ走り、まずは木津川市、市の中心部から北へと進んで木津川を渡って上狛地区へと入る、ここには名前が知られたお茶の製造工場がある。CMでもお馴染みの伊右衛門緑茶がここが製造元だったんですね、工場群の中に細い道を入って行くと自動販売機が全部伊右衛門でした。その後は上狛の環濠集落を抜けて線路を越えて山の方へ、急な坂を上って鬱蒼とした森の中にある神社の参道へとたどり着く。長い石段を上った所にあるのが松尾神社、誰も来なさそうな場所にあるひっそりとした神社だがそこの本殿が重要文化財、むやみに観光に走るのは気に食わないがせっかく格のある建物を有しているのだから、地元がもっとアピールしてもいいのでは、と思いながら木津川市を後にします。
















山城古道を進んで行って城陽市へと入ってまずは酒蔵巡り、銘柄が「城陽」と地名そのままだが販売所の駐車場には車が何台か止まっていて買いに来ている人も多そう。先へと進むとJR長池駅、JR奈良線の隣の城陽駅が市の中心駅となっているが、むしろこちらの方が市の玄関口と言った感じ。いつもは京都や滋賀へ行く時にトイレ休憩で立ち寄る駅だが今回は町を濃密に巡ってみることに、駅前の案内板を見ると長池駅周辺にも多くの見所がある。駅前を通っているのが山城古道で、そこから少し奈良方へ戻った所にある役目を終えた元郵便局の建物・・・写真5枚目・・・の瓦には〒マークが施されている。その後は国道24号線の信号を渡ってアルプラザの脇の道を少しだけ行くと荒見神社にたどり着く、ここの本殿が重要文化財、城陽市にはこれ以外にも重文があるみたいなので行ってみることとしよう。

















そんなわけでJR城陽駅の脇を過ぎて坂を上った所にある水度神社、その後は駅の東の小高い所にある住宅地を抜けてJR奈良線の沿いにある久世神社と重要文化財巡り。久世神社は以前万葉歌碑巡りで来たことがありました、これ余談ですけど、神社の奥・・・JRの線路に沿う部分・・・には森があってここは前に『ニュースおかえり』のNDYのコーナーで訪れていた所、戦時中にはこの森が掩体壕として使用されていたとのことだとか。「掩体壕」聞き慣れない言葉なので調べてみると、戦時中に軍用機を隠していた場所だとある、放送でのテーマは久御山町に三角形の田んぼが多いのはなんでやねん?とのことだったが、戦時中はその場所に飛行場があって掩体壕として使用されていたとのこと。今はそんな形跡など滅多にうかがえなくなっているが、精華町にも軍用船用の鉄道が走っていたりで、観光地として空襲に狙われなかった京都にはいろいろと戦争に関係する施設があったようです。ちょっと長い余談になってしまいましたが、その後はいつも走る道へと出ていつもは通り過ぎる廃寺や古墳を相棒君を止めての巡り、歴史のある遺構も多い城陽市、いつもは脇役にまわしてしまう町を今回は主役にして巡りました、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち



No.2004 奈良の地名あれこれ

2023-12-04 09:53:55 | まち
よろしくお願いします。















自転車で走っているといろいろな所に行くわけだしその場所には必ず地名があります、その地名についていろいろと思いを張り巡らせることは楽しいことです、今回はその手始めに一番身近にある奈良の地名をいろいろと取り上げてみます。まず1番目のゾーンでは難読地名、まあどこにでもあるのですが奈良にももちろん、他府県の人は当然、奈良県民でさえも読めない地名が多くあります。交差点やバス停ではローマ字表記で読み方が分かりますが、ここに並べた中でも一番分かりにくいのが写真5番目、6番目にある「薑」と言う地名、「hazikami」と読みます。薑とは生姜のことで、葛城市のページによると↓↓↓

「「大和志」では「日本書紀」履中天皇即位前紀にある「攪食の栗林(かきはみのくるす)」の攪食(かきはみ)が転訛して薑になったと思われます。小字栗坪は栗林と関係があったのかもしれません。」

とのことです、漢字は「くさいったいったいち」で割と覚えやすいのですが読み方はなかなか覚えにくい、奈良でも一番の難読地名です。一方奈良市の東に当たる地域にも難読地名がズラリ、写真にある忍辱山、鹿野園の他にも「誓多林」「菩提山」と一筋縄では読めない地名があるが、これは「菩薩の修行すべき六つの徳目をあらわす菩薩行六波羅蜜」から来ているとのこと、ここでも前に紹介したことがある円成寺、正暦寺はこの地名を山号としている寺院です。




















県内の地名で日本一周・・・とは言わないが奈良には旧国名を名乗っている地名、駅名、バス停名を各所で見かけます。まあこれだけいろいろと見かけると偶然では済まされない、と言いたいところですが走っているうちは自然に通り過ぎていた町ばかり。特に地名など気にしていなかったのですが、とある奈良県外の人のブログで旧国名を名乗っている地名が多いと述べられていて、それ以来意識して走ってみると確かにあるわあるわ。上に並べた写真の他にも桜井市には吉備・・・以前万葉歌碑巡りで訪れたことがある所・・・、その他にも各所に散らばっているよう、となると何でや?と言うことで調べてみると↓↓↓

「藤原京の造成にあたっての貢進国が国名地名となっていることが多いことなどが指摘されています、藤原京造営時、藤原京造営の貢進には人的なものも含められており、造営協力の各国の出張所などが置かれた場所が、その後の村名になっていったとの見方が多い」

とのこと。確かに旧国名地名は横のラインになる桜井市、北の三宅町、南の高取町など藤原京がある橿原市を取り巻くようにして点在している、奈良市の中心部近くでは見かけないからやはり藤原京が関係しているみたいです。ここに挙げたのは一部で全部で50近くあるとのこと、まだまだ奈良盆地で日本一周巡りは続きそうです。













最後のゾーンは走りの中で見つけた地名いろいろ、ここで以前に取り上げた所もいくつかあります。写真下から4枚目「天理町」とあるのは大和郡山市、天理教の詰所があるからこの地名となったようですが、天理自体は地名ではなく宗教名、それが市名になったわけでその辺りはトヨタの豊田市と同じと言ったところでしょうか。その天理町交差点から入った所にあるのがその下の写真にある大阪口バス停、ここは大和郡山城外堀跡にあり、城の玄関口はもう大阪を目指していたとのことでしょうか。一番下にある新庄バス停、今は葛城市になったが以前は新庄町と言っていた所ですが、写真を撮ったのは新庄剛志が日本ハム(F)の監督になった時だったと思います。山形にも新庄市がありますがこちらは関ヶ原の合戦前にここに新しい城が建てられ、合戦後にはこの辺りに商工業を中心とした街が造られて「新庄」と呼ばれるようになったとのことです。巡れば巡るほど奥が深い地名巡り、これからも続けて行くこととしましょう、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち