まちみちふうけい

四角い枠に切り取られた風景は一瞬のもの、そんな一瞬を追い求めてこれからも相棒と走り続ける・・・

No.619 『ローカル路線バス乗継の旅』は終わらない

2016-11-30 10:53:11 | 日記
おはようございます。








ようやく体調の方も・・・いや、まだかな、夜中には咳が収まらなくなって結構苦しんでいます。ただ、体の方は普通に動くのでもう治りかけなのだと自分で勝手に決めつけています、病は気からと言うがまさにそう言ったところでしょう。しかし病は病でも法律に関わる病はシャレにならない、は嘘ばかり言っている、何でこんな情けない男になってしまったんだ。自慢じゃないが、と言うか自慢できる話ではもうなくなったが、自分(一人称)はの80年代~90年代初期辺りの曲は歌詞カードを見なくても歌えます、『Mr.ASIA』『TURNING POINT』『GUYS』『始まりはいつも雨』・・・素晴らしい曲ばかりですよ、作った人間は犯罪者だが曲には罪はない、と思ってくれている人はいるでしょうか・・・








今回はバス停の写真ばかり並べていますが、特に意味はありません、バスの話をしようと思ったので、そのイメージとして並べてみました。バスと言うと『ローカル路線バス乗継の旅』、この前の土曜日にはその特別編が放送されました、大阪の人、すみませんねえ、この番組がある時だけは奈良に住んでて良かったと思います。だってあの奈良テレビです、小学生の頃は算数の番組でお世話になるも、その後は昼間はニュースは文字放送、プロ野球の試合は夜にデーゲームを録画放送、しかし試合途中で放送が終了すると言う意味ないやん!な放送ばかりしていたのが、TV東京の土曜スペシャルはオンタイムで放送してくれる、『ローカル路線バス』も大阪、京都、兵庫の人たちよりも早く見ることができる・・・と言うことで今回はその番組の話をしようと思うのですが、ネタバレには十分注意していきたいと思います。

今回のバス旅はいつもの太川&蛭子コンビはお休み、二人はバスに乗って今回の旅人たちの奮闘ぶりをテレビで見ながらあ~だこ~だと言う形で番組は始まります。そして最後には重大発表もあるとのこと、もしかしたら・・・と思ったのですがその話はまた後程で。








そんなわけで今回の旅人は俳優の田中要次と作家の羽田圭介、マドンナの宮澤佐江の3人、旅の始まりはは熱海からと言うことで、まず最初に太川氏からのアドバイスがあって、それからゴールの金沢に向けての旅のスタートです。田中要次は旅番組でももうお馴染みの人、元は国鉄職員と言うことで旅慣れていると言うイメージもあって立ち位置的にはリーダーになるのだろうが、『特急旅』では乗り遅れややらかしも結構あってその辺りは不安なところ。羽田圭介も最近旅番組などでよく見かけます、何かイメージ的には友達少ない系みたいな、顔面青白い系みたいな・・・失礼!そんなイメージを払拭してくれるような一面を期待したいところでしたが。宮澤佐江ももうお馴染みの人、ちょっと一筋縄では行かなさそうな二人を相手にどう立ち回って行くのかと言う感じで旅は始まりました。
田中氏は途中で聞きこみを二人にまかせて長時間に渡ってトイレに消えたり、1日目の終わりには(ネタバレ)で太川氏をあきれさせたりと、ホントにこの人大丈夫かと言う感じ。2日目は途中の山梨県内でルートが決められずに長時間滞在、でもこれは仕方ないですね、この旅の結末を左右させる選択になるのだから、そして長距離の歩き、選択ミスを愚痴る田中氏でした。一方の羽田氏は終始マイペースと言った感じ、ただ4日間とも自分の作品のタイトルがプリントされたTシャツを着ていて宣伝を欠かせない辺りはなかなかな喰わせ者と言った一面も。1日目はのらりくらり、2日目は歩きに懲りてやっとバス旅の大変さを分かった感じで「魔」と言われる3日目、この辺りになると歩きたい一心で何とかルート探しに真剣になってやっとバス旅らしくなってきた。








最終日にはゴールに近づくもまたもやバスがないと言う壁が、太川氏も蛭子さんも(成功or失敗)を期待していたみたいだが、さて、この旅は見事ゴールの金沢にたどり着けたのかどうか・・・そんなん結末知ってるわ、と言う人もいると思いますが、ここは近隣の大阪、京都の人に遠慮して結末はネタバレしないようにしておきます、それが奈良県民の礼儀というものですから。
そして最後の重大発表、これはもうニュースにもなったので皆さんご存知だと思うので書いてしまいますが、太川&蛭子コンビのバス旅は次回が最後だとのこと、まあこれはある程度予想はしていました。太川氏はこれだけ行くと日本全国行き尽くしてもうルートがない、と言っていたが、蛭子さんの年齢、体調、マンネリ、不仲?、映画もやったしもう十分と言った気持ちもあるんではないでしょうか。








過去24回+映画も混ぜると25戦で18勝7敗、なかなかな成績、プロ野球なら最多勝ものです。次回は最後の25段目、果たして華やかにゴールして終わるか、失敗して未練を残して終わるか、もう神のみぞ知ると言うことですが楽しみに正月の放送を待ちたいと思います。さて、そうなるとその次からはどうなるのか?今回の特別版の田中&羽田コンビ、自分(一人称)は悪くなかったと思いますよ、太川氏も蛭子さんもテレビを見ていてバス旅の真剣さを分かってないような言い方をしていたが、旅の楽しみ方は人それぞれです、今回の二人+宮澤さんは自分たちの旅の形を見せてくれていたと思うし、これがバス旅だと言う杓子定規みたいな決め方もないでしょうし。まあそれもこれからの楽しみとしておきましょう、何ならいろいろな人がチャレンジして、失敗したら即卒業とか・・・今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。         まちみち

No,618 登録有形文化財巡り・滋賀の旅初夏編より(1)

2016-11-27 13:11:08 | 文化財
おはようございます。


ん~、どうも調子が思わしくないんですわ・・・、喉の痛みは引いたし体も動くから普通に仕事には行っているが、夜中にはせき込むし昼間は睡魔に襲われてしまう。昔は喉の痛み→熱が出て寝込む→しばらく調子の悪い日が続くのコースで2週間ほどそんな状態が続いたが、今回は約4年4か月ぶりの喉の痛みから始まって、熱は出なくて寝込むことはなく(休みの日は寝ていたが)普通に仕事にも行っていたが、体のだるさとせき込むのは未だに収まらない、年をとってくると風邪の段取りも変わってくるのか?前回の更新の後、すぐに次回分の段取りを・・・要は今回分のことです・・・始めたのですが、いざ文章を書きこむとなるとだるくなってきて後が続かなくなってしまう、そんな状態の繰り返しで2日置いたら編集画面の下書きが消えてしまった、でまたまたやり直して、やっと今回分の更新となりました。どうも、お久しぶりです、てなわけで本編、まいります↓↓↓








滋賀の旅初夏編はやっと次回で近江八幡にたどり着けそうな所まで来ているのですが、その旅では途中にあるいくつかの登録有形文化財も巡っています。その紹介については旅の紀行とは別項でのお伝えをと考えていたのですが、今回はその第1弾をお送りしていきたいと思います。そんなわけでまずは柏原宿にある柏原歴史館、JR柏原駅を下りて街道筋を一通り走っていろいろと文化財っぽい古い家屋を写真に撮ったのだが、ここ柏原宿で国の登録有形文化財はこの歴史館だけと言うのは何か意外な気がしてならない。












醒井宿に入って宿場町の中心辺りにあるのが写真1枚目~3枚目にある醒井公会堂、周辺には本陣跡や旅籠などもあってそちらの方が文化財っぽい感じがするが、この建物は旧街道に沿う川の向こう側の目立たない所にあってあわや見落としそうになるくらい。そこから先に進んで石橋を渡った所で旧街道から外れてJR醒ヶ井駅へと向かう道を行くと、写真4枚目からあるいかにもと言う感じの建物、旧醒井郵便局前にたどり着く。銀行や郵便局と言った公共の機関の建物にも登録有形文化財は多いですねえ、郵便局は古くからの旧街道沿いに建っていることが多いので、旧街道巡りの目安として頼りにさせてもらっています。この建物も旧街道と鉄道の駅を結ぶ道にあって、往時はたくさんの人たちがここに通ったことなのだろう。そしてこの旧郵便局、滋賀県にあってこの様式と言うと思い出すキーワードが出てくるわけですが、それについては今回のこの旅のテーマのひとつでもあり、その本場となる場所には旅紀行本編にはこの先差し掛かって行くことになるので、その時にまた改めてお伝えすることにしておきましょう。寒くなってきました、自分(一人称)も毎年悩まされるのですが、皮膚のひび割れ、あかぎれ、痛いんだよなあ、メンソレータムでもぬっておくことにしましょうか・・・。











鳥居本宿ではまず写真1枚目~4枚目にある建物、本編でもお伝えしているのでここではもうお馴染みな所と言ってもいいでしょう。今回は中山道を京都方面へと向かって走ったのですが、逆向き、米原方面に向けて走っていると、宿場町に入ってもずっと続く直線の道、旧街道の雰囲気が漂う町並の中を進んで行くと、この家屋がその直線の道に待ったを掛けるように待ち受けている。道はここで急なS字のカーブになっているのでそう見えるのだが、だからこそ足を止めて見入ってしまうほどの印象を残す家屋とでも言った感じである。その次にあるのが近江鉄道鳥居本駅、ここももう説明不要でしょう。この駅の近く、旧街道沿いにあるのが一番最後に紹介している写真の家屋、さっきの薬屋さんを始めとして旧街道沿いには昔からある感じの古い家屋がたくさん建ち並んでいるが、その中で登録有形文化財となっているのがこの家屋ともう1軒、写真にある方にはが掲げられているので分かりやすかったが、もう1軒の方はその表示がなく似たような家屋も多かったのでどこか分からなかった。これだけ多くの古い家屋が軒を為す宿場町の中で、写真にある建物は明治期のものと言うことで、何か他を差し置いて文化財になったと言う感じがするのだが、その基準は一体何なんだろうといつも思ってしまう。ここまで3つの宿場町を通り過ぎてきたが登録有形文化財は数えるほどしかなく、お役所も古いからと言って、由緒ありそうだからと言ってそう簡単には乱発しないよ~と言う感じなのかも、旅の教訓、旧街道と登録有形文化財は直結しない!!と言うことで久しぶりの更新となりました、今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。          まちみち

No.617 各駅巡り・近鉄橿原線(2)

2016-11-22 11:12:48 | 鉄道
おはようございます。


更新の間隔が空いてしまったのですが、実は体調を崩してしまいました。喉は痛くなるわ体はだるいわ咳は出るわ・・・先週の土日はどこにも行かずにずっと寝ていました、もちろん土曜日の地震は体全体で体感させてもらいました、奈良市は震度3だったが隣の大和郡山は震度4、奈良で地震は滅多にない事なのでめっさ怖かったです。とりあえず昨日(21日)は仕事に行ったのですが、熱が出なかっただけまだマシだったとでも言ったところ、体調管理には結構気をつけているのですが、そんな自分(一人称)を奮い立たせてくれているのが、前の会社の上司が言った一言↓↓↓

「僕、風邪ひいたとこ見たことないでしょ!!」

どや顔で言ったから「バカやからでしょ」と言ってやりたかったのですが、この言葉がずっと呪文代わりとなっていたようなもんでした。今回も寝ていてもこの言葉がずっと頭の上で踊っているような感じでした、だから何とか起き上がることができているとでも言ったところでしょうか。そんなわけで久しぶりの更新です↓↓↓








近鉄橿原線各駅巡り、前回は八木駅まで、今回はこの駅の近くを通る下ツ道を北へ進んで行って次の駅を目指します。その次の駅は新ノ口駅、普通しか停まらないこれと言った特徴のない駅だが、この駅の八木側には線路が分岐していて大きく西に回り込んで大阪線に合流している、これは京都と伊勢を結ぶ特急が利用する渡り線で近鉄線にとっては重要な知られざる路線である。駅の東側には運転免許センター、北側にはシネコンなどを併設したアミューズメント施設があるが、この場は元はトイザらス日本進出2号店があった所、自分(一人称)も物珍しさに釣られて行きましたが、店の広さと品揃えに圧倒されて安いプラモデルをひとつだけ買って帰った記憶があります。新ノ口駅を後に更に下ツ道を北へと行きますが、その間はずっと近鉄橿原線が横を沿って進んで行きます、ややっ!ちょうど特急電車が通ったのでここで1枚・・・が2枚目の写真、京都~橿原神宮前間の特急は主に4両編成で走っています。










田園風景を過ぎると旧街道風の町並となり、その中心部に当たる所には写真3枚目にあるように多村の道路元標があるが、何てこと!無粋な看板にじゃまされてその姿が隠されてしまっている。よく旧街道の町並を走っていると、こう言った感じで道標など目印になる場所がゴミの収集場所になっていたりすることが結構ある、地元の人たちにとってはいい目印代わりなのだろうけど、町の歴史を物語っている物です、もっと大事に扱ってあげてもいいのではないかと思うのだが、大きなお世話だろうか。次の笠縫駅はこの元標の近くにある狭い道を西へと入った所にあって結構分かりにくい、普通しか停まらない特にこれと言ったものもない駅だ。一旦踏切を渡って写真を撮ってから戻ろうとすると踏切が鳴った、電車の写真を撮っておくかと思って待っていると通過して行ったのは『しまかぜ』、おお~、これはラッキーだ!


再び下ツ道に戻って北へと進んで行くといつの間にか橿原市を通り過ぎて田原本町の中心地へと差し掛かって行く、もう何度も走ったことがある所でここでも紹介したこともあるのですが、久しぶりに町の写真を撮ってみよか・・・と思っていろいろと撮ったら結構な枚数になってしまった。ここに貼り付けるには枚数が多すぎるしお蔵入りにするのももったいないので、ここはフォトチャンネルにてのお送りと行きたいと思います、もし良かったら見てやってください、ほとんど面白味はないですけど。


田原本町







・・・と言うことで今回最後にやって来たのは田原本駅、町の代表駅で急行も停車する駅、写真3枚目にあるのが西側にある駅舎、1枚目にも踏切の向こうに写っていますが、その向こうのロータリーの奥にあるのが近鉄田原本線の西田原本駅、この駅は前に各駅巡り田原本線編でお送りしたことがありました。地図や時刻表では田原本線は独立した路線になっているが、田原本駅の北側には二つの線をつなぐ渡り線があると言うのも、もうここでは今更な話ですね。こうやって見ると近鉄橿原線は地図には載らない渡り線があると言うのもこの路線の特徴、そして特急電車が大阪線と連絡することによってこの路線が重要であるとも認識されているが、この辺りの利用者はほとんどは地元の人、やはり地元のための路線と言った方がふさわしいのでしょう。まあ、何とか文章は書きあげたのですがまだ体調は思わしくない感じです、それでも何とか次回も間隔は空けないで更新を心がけたいと思っております、今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。

No.616 各駅巡り・JR学研都市線(3)

2016-11-16 07:25:36 | 鉄道
おはようございます。












各駅巡り、JR学研都市線編は前回京都府に入って松井山手駅へとたどり着きました、枚方市内は割と町中の風景、長尾を抜けると一旦建物は途切れるが京都府に入るといきなり風景は一変、ニュータウンの中を縫い進むようにして松井山手駅へとやって来ました。周辺は山を切り開いた住宅地らしく緩やかなアップダウンの繰り返し、そろそろニュータウンを抜けるかと言う辺りで府道から少し外れた所にあるのが今回最初に立ち寄ることになる大住駅、昔は野ざらしのホームが1本あっただけの駅だった記憶があるが、今は写真3枚目にあるようにきれいな駅舎ができてホームも行き違いができるようになった。大住駅を過ぎると田園風景の中を進んで高の原と八幡を結ぶ府道22号線へと合流して京田辺市の中心へと入って行く、鉄道のある所から少し離れた小高い所は写真下3枚にあるように旧街道の雰囲気を残す町並や道標などがあってなかなかいい風景である。











府道22号線から離れて町へと向かう下り坂を進んで行くと次の京田辺駅へとたどり着く、2面3線の広い構内と立派な駅舎は市の玄関口にふさわしい感じだが、この駅の東側すぐの所には近鉄新田辺駅があってそちらの方が賑やかで、どうしてもJRの方は寂しくなってしまっている。それでも近鉄は大阪へ向かうには一旦西大寺まで出なければならないのだから、京橋までは1本で行けるJRとしては近鉄からお客さんを奪い取ったと言うところだろう。昔の片町線と言っていた頃は長尾から木津までは非電化区間でローカル情緒漂う風景の中をディーゼルカーが走っていたわけだが、長尾から先は寸断されたような形で、しかも真横には近鉄が早さを自慢するかの様に走り去って行く、ずっと不遇な感じの路線も電化されて明石や宝塚まで1本で行けるようになって、やっと反撃態勢に入ったと言う感じである。それではそのローカル情緒が漂う路線を巡って行ってみることにしましょう。

再び府道22号線に戻って南へ進んで行くと次の同志社前駅、写真5枚目にそのホームが写っているが左側の線路は剥がされて無惨な姿を晒している。元は2面2線の駅だったが左側のホームはこの路線の電車が常時7両編成となったのを期に廃止されてしまった。



以前は上の写真にあるように旧客車が待合室として置かれていたが、それはもう今は撤去されている。以前あった東側のホームは当駅発着用で線路はそこで行き止まりになっていたが、大学付近が発展するにつれてホームを拡張しなければならなくなって現在の形になったと言うことで、決して駅が廃れてこういう形になったわけではなかった。発着ホームがなくなった今でも昼間には当駅始発の快速が1時間に2本設定されている。この駅の近くにある踏切で電車待ちをしていると横にバイクの警官が、「あ、やばい!」と思ったら案の定、イヤホンのことを注意された、これは自分(一人称)が悪い、注意は甘んじて受けようと思うが、他にも注意せんなアカン奴は周りにもいっぱいいてるやろ・・・

またまた府道22号線に戻って南へと進んで行くと、西側の小高い丘に同志社大学が見える、この付近一帯は路線名通りの学研都市の中心地にあたる所である。次の駅はJR「JR三山木」駅、JRの駅なのにJRを冠した駅名は他にもたくさんあるが、何か歴史に負けてしまった感じがして不憫に思えてならない、JR難波駅なんて、「そこで難波を名乗るんやったらJRてつけぇ」とでも言われたようで・・・。ここの場合はすぐ隣にある近鉄の三山木駅に合わせてJRを冠したと思うが、立派な高架駅が二つ並んで駅前のロータリーも広く同志社大学の玄関口にもなっていてまだまだこれから発展していくことだろう、JRも何とか近鉄に一矢を報いてほしいところである。











府道22号線はこの先もずっとJRの線路に沿って進んで行く、更にその向こうには近鉄が隣り合って走っているが、そちらの方はひっきりなしに電車が走って行っててJRの方は何とも淋しい感じ。その寂しさに追い打ちをかけるかのようあるのが次の下狛駅、粗末なホーム1本だけの駅は賑やかな府道と近鉄に挟まれてまるで肩身が狭そうな感じ、でも近鉄に勝っているところが一つだけ、JRは7両編成で大阪まで通じている、近鉄は急行でも6両編成だから1両でも多くつなげていたら・・・って言っても空気を運んでいたらどうしょうもないのですけど。更に進んで祝園駅、ここは隣の近鉄新祝園駅とひとつの駅としてつながっている、駅前のロータリーも広く、ここはまだ京都府だが奈良交通のバスがたくさん学研都市地域に向けて発着している。この駅も近鉄の方は急行停車駅なので圧倒的に押されていて、JRは何とも淋しい感じ、京田辺駅からここまでは近鉄にやられ放題と言ったところなのはもう仕方ない話である。
近鉄との競合区間はこの先で終わり、相棒との走りの方も近鉄山田川駅の手前で府道から分かれて木津方面へと向かう。木津から嵐山まで続く自転車道の入口に近い所から民家が並ぶ南側へと進むと写真6枚目~8枚目にある西木津駅、ホーム1本だけにアーチ型の簡素な駅舎があるだけ。周辺は国道も近く民家も多くて賑やかな所だが駅はローカル情緒たっぷり、近鉄との一方的な争いも終わってやっと一息ついた所にある駅と言った感じである。次の駅は終点の木津駅、木津の町並の外れた部分を通って行くが、この駅の紹介についてはまた機会を改めてJR奈良線を取り上げた時の紹介にでもしておきましょう。JR学研都市線各駅巡り、このシリーズでは野崎~西木津間をお送りしました、残りの駅に着いてはまた機会を見つけて走りに行きたいと思っています、やっぱり残しておきたくはないですからねえ、と言うことで今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。      まちみち

No.615 男の意地を見せるでマイル

2016-11-15 08:29:18 | 日記
おはようございます。


来週の日曜日は京都競馬場でマイルチャンピオンシップ(GI)が行われます、去年現地に見に行ってからもう1年が経つんやなあ、早いなあ~。






ゴール前、モーリスが追い込んで来た時に「ムォ―リスゥゥゥゥ・・・」と叫び、レース後には「よくやった!おまえは男や!」と言っていた自分(一人称)の前にいたおっさん、うるさいんじゃ!!と言いたいところだが、自分(一人称)も馬券を獲ったのでおっちゃんといっしょにその言葉を心の中で叫んでいたよ。上の写真はその時に撮ったもの、ちょっと分かりにくいですが優勝馬モーリスやプレゼンターの笑福亭鶴瓶師匠が映っています。



この時のモーリスは前走優勝した安田記念以来のレースと言うことでまさかの4番人気と言う低評価、しかしいざレースとなると、それがどうしたと言う感じで涼しい顔で伊着入線、見事にマイルGI春夏連覇を果たしました。しかもその後の香港のレースも優勝してこの年の年度代表馬に選出、昔はマイルなど短距離レース優勝馬から年度代表馬と言うのは滅多になく、この時も春のグランプリ、天皇賞優勝のラブリーデイとの評価が二分した感じでしたが、最後は海外GI優勝がものを言ったのでしょう、まあ妥当な結果と言ったところでしょう。今年は春の安田記念では不覚をとり評価を落としていたモーリス君でしたが秋の天皇賞を見事に優勝、さすがと言うところを見せてくれました。




天皇賞優勝からこのレースを優勝、しかも2年連続優勝をやってのけたのはダイワメジャー、皐月賞を10番人気で勝った後は病気もあって不調に陥りもがいていたダイワメジャー、4歳のマイルCSはハットトリックの2着、ここはさすがと言うところを見せてくれたのですが早熟ではなかったところを見せてくれたのはその翌年から、毎日王冠、天皇賞と連勝した後このレースを優勝、前年の雪辱を晴らすと翌年の安田記念を優勝、しかも秋のマイルCSも2年連続で優勝、決してクラシック優勝がフロックではないと言うところを証明してくれました。引退レースは有馬記念、1600の馬に2500は長いと言うことで人気はなかったのですが、この馬らしい一生懸命の走りを見せてくれて3着入線、ちなみに優勝したのは彼のあまりにもできすぎた妹、ダイワスカーレットと言うのも何かの縁だったのでしょうか、スカーレットブーケも大喜びのことだったでしょう。






写真1枚目はサダムパテック、3歳時は皐月賞1番人気、日本ダービー2番人気とGIに手が届く存在だったのにオルフェーブルに後塵を拝し4歳時も安田記念を1番人気で敗退、このままイマイチ馬で終わるのかと思ったところを救ってくれたのが武豊騎手、その武豊もここ2年はGI未勝利、怪我や騎乗数も減りもはや武豊の時代は終わったのかと言う感じでした。このレースはまさしく馬も人も意地のレースだったのでしょう、サダムパテックは晴れてGIの勲章を手にし、武豊も見事に復活、翌年のダービーでは5度目の優勝を飾ることになりました。
写真2枚目はトロットサンダー、地方競馬からの移籍での優勝馬、マイルでは芝、ダート問わず無敗と言うことで翌年の安田記念も制しています。まだまだこれからも走れると言ったところに湧き上がった馬主の名義貸し事件、そのために引退を余儀なくされると言う悲運の馬でもありました、人間の思惑で競争生命を左右されると言うと同じ地方出身からこのレースを制したオグリキャップや馬主と調教師が喧嘩して移籍騒動に巻き込まれたシリウスシンボリなど、それでも両馬ともGIを制していることなので、馬には馬なりの精神的な強さがあったと言うことでしょう。この馬の父は皐月賞馬ダイナコスモス、ダービースタリオンゲームでは価格も安いと言うことで初期の種付けにはピッタリな馬だったが、自分(一人称)はマイナー種牡馬でマイルのGIを獲るのが目標だったのでなぜかこのダイナコスモスにこだわりしつこく種牡馬として利用していました。
写真3枚目はノースフライト、マイルのGIは牝馬も多く挑戦してくるので、ここは男の子と意地を見せなければならないところですが、この馬はそんな思いを涼しい顔をして吹き飛ばしてしまいました。春は安田記念、秋はこのレースとマイルのGIを連覇、この馬の厩務員さんが当時では珍しい女性だったと言うのも話題になりましたが、どうもマスコミ嫌いだったらしくいつも怒ったような顔をされていた記憶があります。ちなみに最近のGIレースではゴール後に馬上で騎手同士がハイタッチするシーンがよく見られますが、中には頭をはたかれた騎手もいましたか、自分(一人称)が知るところでは安田記念でノースフライトが1着でゴールした後、角田騎手と2着のトーワダーリン騎乗の田中勝騎手とハイタッチしたのが初めてだったと思います。自分(一人称)はこの時このレースで万馬券をゲットしたので、このシーンは気持ちよく見てたし印象にも残っています、あ、さっき書いた頭をはたかれたのも田中勝春じゃなかったかな・・・。






マイルチャンピオンシップとなるとやはりこいつを取り上げておかなければなりません、ダイタクヘリオスです。マイルCS2年連続優勝、2度目の優勝では当時の京都1600外のレコードタイムで優勝しました。ダイタクヘリオスと言うとダイイチルビー、血統的には一流半のヘリオス君は5歳(当時)の時に出走した安田記念で勝った!!と思った瞬間、同い年のお嬢様にあっけなくかわされてしまい悔しい思いをしました。しかしその雪辱は次の高松宮杯(当時)で見事に果たし迎えた秋シーズン、マイルCSではお嬢様は1番人気、ヘリオス君は地味に4番人気と指示されていましたが、ここは男の子が意地を見せて見事に優勝して春の借りを返しました。その後ダイイチルビーはスプリンターズSを優勝、ヘリオス君は有馬記念で最後の直線まで見せ場を作っての5着、二人の戦いは来年も続くと思われたのですが・・・お嬢様はその後不調に陥り春シーズンで引退、お嫁入りとなりました。
一人残されたヘリオス君も春はダメダメ、しかし秋には毎日王冠を日本レコードのタイムで優勝、天皇賞では天敵メジロパーマーにペースを狂わされて惨敗、浮き沈みの激しい成績はいつものことだがそこに現れたのが毎日王冠でヘリオス君を追い詰めたイクノディクタス姐さん、そんな事ではお嬢様には相手にされないと言われてしまいます。この言葉に我を取り戻したヘリオス君は見事にマイルCSを2年連続で制覇、今度は外国生まれの人気者のお嬢さんを抑えての優勝でした、再び意地を見せてくれたヘリオス君にイクノ姐さんが一言、「あんた、男だね!」・・・ってこれはよしだみほさんの『馬なり1ハロン劇場』より「ルビー、ヘリオス恋物語」のお話でした。



写真はアグネスデジタルが勝ったマイルCSのゴールシーン、その後ろに2頭のダイタクの勝負服が映っています。このレース、2着がダイタクリーヴァ、4着がダイタクヤマト、リーヴァはダイタクヘリオスの妹の子、ヤマトは実の息子、この2頭がヘリオス君が躍った京都の舞台で凌ぎを削ることとなりました。直線では息子と甥が並んで先頭、自分(一人称)はこの瞬間泣いてしまいました、最後はリーヴァが同い年のアグネスデジタルに、ヤマトはメイショウオウドウに追い抜かれ悔しい結果となったのですが、このレースはこのマイルCSがヘリオス君が勝ったレースよりも印象に残っています。ダイタクヤマトはこのレースの前にスプリンターズSを最低人気で優勝、続くスワンSも低人気での優勝、しかしこの実績が認められてこの年の最優秀短距離馬と嬉しい嬉しい最優秀内国産場の2つの名誉を手に入れました。結局ダイタクヘリオスはダイイチルビーとの恋物語は実らなかったのですが、息子の活躍で幸福な人生を全うできたと思います。


さて、そんな男の子が意地を見せるレース、マイルチャンピオンシップですが今年はどうでしょう、自分(一人称)もこの頃はあまり競馬を見なくなったのでどの馬がどうとかってことはあまり言えないのですが・・・。過去の優勝馬にはダイワメジャーにジェニュイン、トロットサンダーの父親はダイナコスモス、そう言えば今年の安田記念はロゴタイプがまさかのモーリスを降しての優勝、となるとキーワードは・・・実績馬、新興勢力も多いけれどあえて今回はイスラボニータに注目してみることとしましょうか。今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。       まちみち