まちみちふうけい

四角い枠に切り取られた風景は一瞬のもの、そんな一瞬を追い求めてこれからも相棒と走り続ける・・・

No.807 紀ノ川に沿って(5)・・・各駅巡り・JR和歌山線、その5

2017-08-31 09:53:33 | 鉄道
おはようございます。














JR和歌山線各駅巡り、所々では大和街道巡りも織り交ぜながら紀ノ川沿いを遡っています。今回はまずは旧街道の風景から、普通に民家が建ち並ぶ何気ない光景も、ここが昔から奈良や高野山へと向かう旅人が通った道だと思うとそれなりの歴史を積み重ねてきた場所だと言う感じ。自分(一人称)がよくここで使う「旧街道の雰囲気が漂う町並」と言うフレーズは人にしてみたら普通の通りやないか、と言いそうな道でもそこが昔の人たちが通っていたんだな~と感じることができる場所のことであって、その感じ方は人それぞれのものだと思います。鉄道ができ車が通る大きな道もできて旧街道は横へと追いやられるような存在となってくる、そんないつの間にか時代から取り残された道を往時の旅人に気分になりながら走るのは、これもまた乙哉なことです。
さて、各駅巡りの方は前回は笠田駅までやって来ました、今回最初の駅は旧街道から少し外れた所にある大谷駅、田園風景が広がる所にポツンとある駅はホーム1本だけの寂しい感じ、乗降客数も100人をちょっと超えるくらいでいかにもローカル線の駅と言ったところ。この辺りは見た目賑やかそうな駅と寂しそうな駅が互い違いに続いている、となると次の駅は賑やかそうな駅となるはずだがどうでしょうか、行ってみることとしましょう。












旧街道はやがて行動24号線へと合流、ここからは車の通りが多い国道を進んで行くことにする。かつらぎ町の町役場があり賑やかそうな町へと入って行く、どうやらジンクスは生きているような感じで写真1枚目、まあまあな造りの駅舎が建つ妙寺駅へとたどり着く。2枚目の写真を見ても分かる通り、以前は2面3線の配線だったが真ん中の線路は剥がされていて2本のホームそれぞれに同じ向きに線路がある形、往時の駅の大きさ、賑やかさがうかがえる駅も広い構内を持て余している感じである。
国道へと戻り町の中を次の駅へと向けて進んで行く、その途中では線路が道路のすぐそばにあって壁や仕切がないのでちょっと安全面に?が付いてしまう、それでも電車を撮るにはいい所、ちょうど電車がやって来たので狙ってみることにしよう。やって来た電車は奈良や和歌山ではよく見かける青い車体、最近はラッピングの電車もよく見かけるがこれが一番一般的な車両。以前は赤とクリーム色のいかにも個性がない感じの電車よりは単一のブルーでもこちらの方が見映えがする、まあそれも見る人によっていろいろと思うところがあるものだろうけど。
国道24号線をそのまま進んで行くと、さっきまで横を沿っていた線路がいつの間にか見えなくなってしまっていた、と言ってもどっかに離れて行ったのではない。道は少しだけ上り坂、その途中に粗末な感じで次の駅の案内板があるのでそちらへと入って行くと、橋の下にホーム1本だけの駅が見えた。その先には駅前広場、たどり着いた中飯降駅は駅舎はなく、駅前広場から写真6枚目にあるホームへと至る坂道を通って駅へとたどり着けるようになっている。これまでの法則で行くとこの駅は廃れている方に当てはまるが、ホーム1本だけとは言っても駅を挟んで南北に町が展開しているので乗降客数は隣の妙寺駅と左程変わりはない。写真にあるようにホームには藤の花が垂れ下がり、駅前広場には近隣住民の方が手入れ為されている花壇もあり気持ちも落ち着く所である。








各駅巡りを優先させてしまったため、紀州街道巡りは国道24号線の南側にある道、少しだけ妙寺駅方面へと戻ることに。この辺りは古い家や酒造会社などがあって、これぞ見たまま旧街道の雰囲気が漂う町並が、と言った風景が続いている所。道のすぐ南には紀ノ川が流れていて、静かな町並に水の流れる音も聞こえてくる。今回巡った駅があるかつらぎ町は橋本市と紀の川市に挟まれて南北に細長い町ではあるが、今回の3駅の他に笠田駅、西笠田駅も属していて、東西には短い町域に5駅もとは結構贅沢な感じ、それだけ駅間が短く(実際にはそう感じなかったが)和歌山にも南海利用で大阪にも近いと言う感覚を持たせてくれる、交通の要所と言った所だろう。
さて、今回の各駅巡りも次回やっとのことで和歌山県北部の中心都市橋本市へと入って行くことになります。もしも自分(一人称)がヘタレだったら多分ここが第一の最終目的地になっていたであろう所だが、まだまだ全然走れる状態、もう確実に五条までは走れそう、と言うことで紀ノ川に沿って各駅巡りシリーズは中盤戦、まだまだこの先続いていくこととなります。JR和歌山線、長いなあ・・・と言うことで次回もお付き合い願えたらありがたいことです、今回はここまでとしておきましょう。         まちみち



No.806 泉南の旅(3)・・・各駅巡り・南海本線、その2

2017-08-30 10:04:40 | 鉄道
おはようございます。











泉南の旅、昨年の暮れに和歌山市内の走りが途中で断念、その続編と言う感じで始めた旅も大阪府に入って岬町、阪南市と過ぎて泉南市へと入って来ました。阪南と泉南、市名がごっちゃになりそうでややこしいが、紀州街道でのその境界線は尾崎駅を出て少し走った所に架かる橋の所にある、この橋からはほんの少しだけ海が見えて河口が近い場所であるが、今回の旅ではここが海が見える最後のポイントとなる。泉南市に入って最初の駅が写真1枚目、2枚目にある樽井駅、小さな駅舎にホームは2面3線、この駅で折り返す電車や始発となる電車もあるので泉南市の主要駅であるが、市の代表駅はJRの和泉砂川駅となっている。この駅も仕事でよく行っていたがそれはちょうど朝のラッシュの時間、難波への帰りにはこの駅始発の普通電車の発車時間に合っていたので座って行くことができたがそのまま難波まで乗り通すわけにはいかない、どこかで急行に乗り換えなければならないが朝ののラッシュの
時間、当然座ることはできない・・・はずが座って帰ることができたんだな、これが、さて、その方法とは?
樽井駅を出ると写真3枚目、ちょうど電車が通ったので写真を撮ったのだがその後ろに見えているのがイオンモールりんくう泉南、正面入口は海沿いを通る道側にあるが、線路の東側を通る紀州街道側も跨線橋を渡って行くことができる。自分(一人称)が仕事で言っていた時にはまだこの店は建設中で、車窓からは何か大きなビルを造ってるな~と思っていたが、それがイオンだと言うのはすぐに分かった。何せこの頃はイオンも出店ラッシュと言った感じで大和郡山ができたのもちょうどこの頃、最近は大型スーパーやモールも増えたがイオンはその走りと言った感じ、まあ生活の面ではありがたくお世話になっております。










更に紀州街道の古い町並を進んで行って次の岡田浦駅、2面2線の素朴な造りの駅は町中に埋もれたような感じの存在、紀州街道はこの時点では踏切を渡って線路の西側へと来ている。線路の東側、国道26号線をもう少し東に行った所には熊野街道が通っていて、その沿道には○○王子と名付けられた神社が一定の距離を置いて並んでいる。そちらの旧街道はこれまで1度しか走ったことがない、やはりここに来た時は山よりも海が見たいからどうしても紀州街道を走ることになってしまう、おやおや、写真4枚目、町中の交差点にテトラポッとが無意味に転がっている、漁港が近いこともあってテトラポッとは身近にあっても不思議ではないがなぜこんな所に無意味に置かれているのか、それは謎だ・・・。
次の駅は吉見ノ里駅、紀州街道はこの駅の手前で川を渡っているが、そこからは田尻町に入っていて、この駅は田尻町唯一の駅となっている・・・と言いたいところだが実は田尻町にはもうひとつ駅が存在する。しかし地図を見ても田尻町は小さな町、一時期は日本で一番小さな町だったこともあるとか、南海本線もその両側の駅はそれぞれ泉南市、泉佐野市に属していて他に駅はない。しかし地図をよ~く見てみると海の向こうにある関空島、ここは市域、町域の境界線がそのまま海を飛び越えていて島へと続いているので、JR、南海の関西空港駅は田尻町に属していることになる、世界への玄関口となる空港の最寄り駅が市を差し置いて町に属していると言うのもまたおかしな話だ。











と言うことで田尻町はサクッと終わってしまって次の泉佐野市、まず最初の駅が写真1枚目~4枚目にある羽倉崎駅、駅舎の形は今回これまで巡って来た駅とはあまり変わらないが、ホームは2面3線で駅に隣接して車庫がある結構大きな駅、当然ここを始発終点とする電車もある。関空ができるまでは本線には2種類の急行があって、和歌山市までの通しの急行はその頃はまだ特急が止まらなかった尾崎、みさき公園を停車するでこの駅は通過していたが、もう一方では春木駅を停車する区間運転の急行があって往時はこの駅を終点としていた。結局その急行が今の関空急行にシフトされる形になってしまって、今ではこの駅は区間急行が停まる駅へと格下げになってしまった。しかし朝ラッシュ時にはこの駅を始発とする区間急行があって、自分(一人称)がさっき記した樽井始発の普通からこの駅で始発の区間急行に乗り継げば難波まで座って行くことができた、1本電車を見送ることにはなるが、その頃はよく利用させてもらいました。
今回の南海本線各駅巡りでは一応最後の駅となる泉佐野駅は写真6枚目、今は高架の立派な駅となりました。写真はないがホームは4線ありホームはそれぞれの線路に挟まれるように3本並んでいる、階段で上り下りしなくても電車の両扉を開いて通り抜けることができるようにしてくれているのは、空港線への乗換を配慮してのことだろう。自分(一人称)が行っていた頃はまだ高架駅は工事中、下りは地上、上りは高架で階段を上へ下へと歩かされたものだった。駅周辺も随分整備されたことだと思うが、写真にあるのは西側の出口の方でロータリーのある東側と比べて人も少なくひっそりとしている。その駅周辺は紀州街道が通っていて最後の2枚の写真にあるようなちょっと趣のある建物も見かけられるが、今回は時間がなかったのでサクッと通り過ぎてしまった。各駅巡りは泉佐野駅で終わったがまだもうひとつやっておかなければならない目的が残っている、それは貝塚、岸和田にある登録有形文化財巡り。泉南の旅はいよいよ最終盤へ、限られた時間の中での走りはまだもう少し続きます、出来れば電車代浮かせたいからできるだけ北へと行きたいんだけどなあ、さあ、どうなることかはまた次回でのお伝えとしてお付き合い願えたらありがたいことです、今回はここまでとしておきましょう。        まちみち





No.805 滋賀の旅2017春編・心和む分水の風景

2017-08-29 08:57:54 | ふうけい
おはようございます。













滋賀の旅春編は8月の間は高校野球などがあって約1ヶ月ぶりの更新となってしまいました、決して忘れていたわけじゃないですよ、と言うことで早速行ってみることとしましょう。まずは写真1枚目、2枚目、春照の宿場町の外れにある八幡神社の角に立つ道標、石面に彫られた自体が時代の古さを感じさせてくれるなかなか立派な道標です。神社の脇の細い道を進んで行くと右手側に大きく伊吹山が見える、これも御馴染みの風景。この道の終わりの所にも神社があり、そこの角にも道標が立っている、それが写真4枚目、その道標の横には伊吹山側から小さな川が流れてきている。旧街道はここで左に曲がって川に沿うようにして進む、勢いよく流れる水は透明で冷たそう、さて、ここからの北国脇往還の旅は今回の隠しテーマである水を巡る走りへと入って行きます。












激しい水の流れは川の途中で仕切が入り写真1枚目~3枚目にある分水へと注がれる、写真4枚目の案内板には小田分水とあるが小田と書いて「yanaida」と読む。ここは前にも書いたと思いますが自分(一人称)の好きな場所、春照は伊吹の風景、旧街道、宿場町、道標と本当に自分(一人称)の好きなスポットが続くのですが、いつも一番最後にたどり着くのがここ、ここでグォォォォ~ッと流れてくる水が各農業用水へと注がれていくのを見ると何か心が落ち着くと言うか気分が安らぐと言うか・・・すみません、水の流れが怖いと言う人もいると思います、実は自分(一人称)も子供の頃にプールに沈められて以来泳げなくなりました、それでもここで泳ぐわけではないですからね、水にはもちろん感情も選択の自由もありませんが、ここで各水路に分配された水が畑に流れ込みそれが人々の生活の糧となっていく、これも一種のロマンと言ってもいいのでは・・・って勝手に言っとけって。後ろを見ると大きくそびえる伊吹山、さっき手前の宿場町で見た姿とはやはり少し違う気もする、この付近にはこの分水から注がれた水が小さな水路となって更に各田畑へと流れて行くように仕切られている、小田分水では轟音を上げていた水も細い水路になると流れも緩やかになり、また気分を和らげてくれる。









小田集落からは右手側に伊吹山を見ながら田園風景の中を通る道を進んで行く、水をテーマの走りなら見ておきたい分水がある、その分水の名前になっている井ノ口集落が写真1枚目、狭い通りに軒を為す趣のある家屋、北国脇往還はこの界隈を流れる姉川の北側、伊吹山に近い所を通っているのでここはもう地元の人しか通らない道と言った感じ。この集落を外れると広く田園風景が広がり、姉川の南側に流れる小さな川沿いの砂利道へと入って行くと写真2枚目~5枚目にある分水へとたどり着く。井ノ口集落の近くにある分水だからここが井ノ口分水だろうと思い写真を撮って後にしたのだが、一般に井ノ口分水と言って知られているのはこちらの分水↓↓↓



上の写真にある分水から更に伊吹方面に戻った所にあると言うことだった、円形の分水だと言うのは知っていたがここも半円形になっているので思い込みでここだと自分(一人称)で決めつけてしまっていた。ああ~これはしたり・・・、と言うことでまた宿題を残してしまうことになった、でもこの時はこの分水を見ただけで満足な気分になって、更にその道中の陽気なこと!!って具合に、この先の北国脇往還走りにますます調子づくことになるのでした。その続きはまた次回の・・・とその前に今回この界隈で撮った水の流れをフォトチャンネルにてお送りしておきます。

伊吹の水の郷


それでは次回もお付き合い願えたらありがたいことです、今回はここまでとしておきましょう。       まちみち


No.804 大和郡山昭和工業団地

2017-08-28 12:48:56 | チョイ走
おはようございます。











大和郡山市を巡るチョイ走り、前回は柳町商店街から下街道、はたまた吉野街道とも記されていた道を一駅分、筒井界隈まで来ました、近鉄筒井駅の東側は旧街道が通り古い町並がある所、今回はその西側を進んで行ってみようと思います。まずは国道25号線、近鉄線の高架を過ぎてすぐの所にあるビジネスホテルは有名建築士の耐震偽造によって開業が遅れたホテル、奈良県内にはJR奈良駅前にももう1件耐震偽造のホテルがあってあの時は結構話題になっていた。
更に西へと進むと夜が賑やかになりそうな店が並び、その後写真2枚目、3枚目にあるパナソニックの工場前へとたどり着く、写真1枚目にあるバス停名がパナソニック、そのままやんけ、と言われそうなバス停だがここからシャープ前まで上新電機の前を通って行くバスもある。国道25号線はちょうどこの辺りが起点となる四日市から100キロの地点となる、と言っても国道25号線は名阪国道と名阪酷道があるからどちらが基準になっているかは分からないが。パナソニックから更に西へと進むとファミリーレストランや量販店など人が集まる賑やかな所を通り過ぎ、途中には写真4枚目、5枚目にあるような古い家屋の横を過ぎて今国府の大きな交差点へとたどり着く。







今国府で交差している道路は県道249号線で通称「大和中央道」、中央道と謳っている割にはその道筋ははっきりしていないし中央道と言う名前の役割も果たしていない。奈良市にも大和中央道と冠した道があるが距離はわずか数百メートルしかなくしかも先述した県道249号線とは通じていない、県道249号線は奈良市内では富雄川に沿う県道7号線となり枚方市へと通じている、そのルートは京奈和道の下道と言う感じで計画されていたのかも知れないが、奈良を南北につなぐ道は計画が頓挫してばかり、狭い範囲に何本も道路はいらないや、もう新しい道路を作るのは止めてほしいところだ。
中央道のJR線を通り越す高架を過ぎた所には鶏小屋がある、風向きによってはたまにそこからきつい臭いが漂ってきて気分が悪くなることがあるが、この交差点付近では逆に甘ったるい香りが漂ってくる。たまに両方が綯交ぜになって頭が痛くなりそうだが、その香りがどこからかと言うと交差点の一角にある大きな工場から、そこは写真2枚目~4枚目にある味覚糖奈良工場。『空から日本を見てみよう』でも紹介されていたが、地域限定版の「ぷっちょ」を生産しているのはここと言うことで、たくさんの商品が生産されては日本全国に送り届けられている。


上の写真1枚目がここまで話してきた今国府交差点、大和中央道と言う名前はここで終わりになってここから南へ行く道は県道108号線と番号も変わる。その起点となる場所=味覚糖工場前からは昭和工業団地と言う工場や会社が建ち並ぶ道となる、それではそちらの方向に進んで行ってみることとしましょう。↓↓↓













県道は南へと真っ直ぐ伸びているが途中で西名阪と交差する、この西名阪にあるICが大和まほろばスマートIC、インターチェンジにもキラキラネームかよって感じだが安堵じゃあまりにも地味過ぎか。上の写真にあるようにこのICを取り巻くようにしていろいろな名の知れた会社の工場が集まっている。そう言えばこの前コンビニで買ったパンの中からやわらかい針金が出てきた、写真4枚目にある会社のパンだったので文句言ってやろうかとも思ったが大したことなかったので・・・ってそう言うわけにはいかないか、もし子供が食べたらえらいことになっていたかも、でも大袈裟に言うのも何なので今回はここだけにとどめておきます、安心には重々気をつけてもらいたいところです。
県道108号線は更に南へと続いて、いろいろな工場の立ち並ぶ中を通り過ぎて行く、名の知れた会社もあれば奈良県民でも知らない中小の会社もある。この辺りは近鉄平端駅が一応通勤の最寄り駅となるのだろうが、結構距離が離れているのであまり利用する人もいなさそう。以前に安堵町を走るコミュニティバスを紹介した時に走った場所を過ぎて大和川に架かる橋を渡る、下2枚の写真がその橋から撮った写真、ここまでは大阪湾から大きな川として流れてきた大和川も数々の支流に分かれてだんだん小さくなっていく。この橋を渡ると川西町に入り昭和工業団地と言う名前はここからは結崎工業団地と変わってもう少しだけ続いている、その終わりとなるのがT字の交差点、川西町役場が近い所で建物の向こう側には田園風景が広がっている、大きなカクカクとした建物が並んだ区間の終わりは結構寂しい所だった。3回に渡って大和郡山市内を巡って来たシリーズは今回で終わりです、さて、この続きはどこへ行ってみようか、このまま引き返して奈良へ帰るかただいま思案中・・・と言うことで次回もお付き合い願えたらありがたいことです、今回はここまでとしておきましょう。         まちみち

No.803 西国街道(2)・調子に乗って調子八角

2017-08-27 19:11:20 | みち
おはようございます。


今回もまたまた高校野球の話から、もう終わったやないかと言われそうですがチョイとだけお付き合いください。
先日、BS朝日で高校野球の応援に懸ける吹奏楽部の特集をやってました、昨年もやっていて今年も楽しみにしていたのですが、その中で一番最初に紹介されていた昨夏の優勝校作新学院の吹奏楽部を見て気分が悪くなりました。野球の応援のはずがこの曲をやりたいとか、練習でその曲に合わせてくれる応援部や控えの野球部の応援の生徒たちが苦労しているのを無理矢理納得させる感じで吹奏楽部何様や、と言う感じでした。応援の演奏曲もたくさんあってめまぐるしい感じのところに新曲までとなると、もうまるで吹奏楽部が主役のための応援、本来主役であるはずの野球部が下手に出ていたのが気分が悪くて仕方なかった。その曲はネットなどでは話題になっていて甲子園でも演奏されていましたが、野球の応援をまるで吹奏楽部の発表の場所と勘違いしているんではないかと思いました。
自分(一人称)は以前にも書いたと思いますが、作新学院の応援は打者が打席の時でも応援曲を変えることがあるんですよね、あれって相手投手のリズムを読んでいる打者にとっては邪魔になったりしないんでしょうかねえ、テンポやリズムが変わったりしたらやりにくくて仕方ないんじゃないかと思うのですが・・・。例えば天理の応援は基本3曲に「わっしょい」だけ、広陵はたくさんの曲をやっていましたがその中には早稲田や慶応のコンバットマーチがあってこれぞ甲子園の応援と言う感じでした。その他各校に魔曲と呼ばれるチャンステーマなどがあって、それが相手をビビらせる要因にもなっていきます、たくさんの応援曲のレパートリーを駆使しての華やかな応援もいいけど主役はやっぱりグラウンドの選手たち、応援ももっとシンプルになってもいいんではないでしょうかねえ、まあ作新学院の場合は野球で結果を出しているから吹奏楽部もまだまだ調子乗りそうですが・・・、と言うわけでそろそろ本文行きましょか↓↓↓














西国街道の走りは前回、向日市に入った所へとやって来ました、旧街道は阪急西向日駅前から伸びる緩やかな坂道を過ぎて車の通りが激しい府道の横道へと入って、普通の町中を通り過ぎて行く。緩やかなアップダウンと曲がり具合がいかにも旧街道らしい感じ、そのまま進んで行くと府道と阪急京都線の高架を通り過ぎて府道の西側へと入り写真4枚目からの石畳の道となる。その入口となる小さな橋の欄干には西国街道と記されているのでここが旧街道だと分かりやすい、石畳となっていると言うことは町並にも期待できそうだがその風景は写真4枚目、今回この1枚だけにとどめているのはこの界隈には登録有形文化財の民家があるから、それについてはまた別枠でのお送りとして、この区間を抜けると下から2枚目にある一文橋へとたどり着く。













一文橋を渡ってしばらく走ると写真1枚目の場所へとたどり着く、ここはもう長岡京市に入っていてここから進むタイル詰めの道が西国街道、この先は長岡京の中心地へと通じている。写真3枚目、4枚目にある商店街の名前や道路元標には神足とあるが、この名前は以前にJRの駅名にも使用されていた、その後は紫明に合わせてJR長岡京駅と改称されたが、以前使われていた「神足」の駅名坂はこの通りの途中にある公民館の前に立っている。旧街道は真っ直ぐに伸びていて、途中でJR長岡京駅前を通り過ぎる、この辺りは結構賑やかな所だが市の中心地となると阪急長岡天神駅の方らしくJRの駅からは結構離れている。道は更に真っ直ぐ続いていて、これも別枠でのお伝えとなる登録有形文化財の建物の前を通り過ぎて写真下2枚の常夜燈や道標が立つ場所へとたどり着く。真っ直ぐ続いてきた旧街道もここで曲がりを迎えて再び府道へと合流する。








府道をほんの少しだけ進んで再び左に分かれる細い道へと入って行くと、普通の住宅地だが所々では旧街道の雰囲気が漂う町並や道標などを見ることができる風景の中を進んで行く。沿道には結構名前の知られている高校があり、GWの休日でも部活はあるらしくて学生さんたちが多く歩いているのを目にした、確か甲子園には出たことがない所だったと思うが、それでも大会を前に練習には余念がないと言ったところだろう、それは強豪校も甲子園未出場校も変わらない。やがて旧街道は写真3枚目~5枚目にある京都縦貫自動車道の高架が通る場所へと出る、調子八角と言う何だか調子のいい名前の交差点は道がややこしく分岐していて、ここで西国街道を見失ってしまった。交差点の近くには阪急京都線の駅があり線路と同じ方向の道を進めば良かったのだが、道が新しくなったり付け替えられたりしたら旧街道などはどこか分からなくなってしまう、案の定あちらこちらを走り回ってやっと旧街道を見つけたわけだが、そこからの話はまた次回へと続くとしておきます、またお付き合い願えたらありがたいことです、今回はここまでとしておきましょう。         まちみち