まちみちふうけい

四角い枠に切り取られた風景は一瞬のもの、そんな一瞬を追い求めてこれからも相棒と走り続ける・・・

No.1317 2020年和歌山の旅(1)・・・智辯和歌山と黒江の町並

2020-04-30 10:37:10 | 旅行記
よろしくお願いします。
















紀三井寺


和歌山へ行ってきたのは2月の後半の休日、今年は暖冬だったせいかこの日も青い空に太陽がギラギラと光っていて暖かい日でした。旅の目的は万葉歌碑巡り、それと久しぶりの和歌山だったのでいろいろと行ってみたいとも思っていました、それとあの場所にも・・・。と言うことで奈良から天王寺へ、阪和線に乗り継いでJR和歌山駅へとやって来ました、駅前で相棒君を立ち上げてまずは国体道路を南へと進んで行く。たどり着いたのは紀三井寺、赤い山門の前には閻魔大王様、おっかないお顔で参拝客を迎い入れてくれます。山門をくぐると真正面に長く急な石段が襲いかかってくる、自分(一人称)は高所恐怖症ではないし上りも苦にはしない方だが、ここは手すりを引きづりながら上って行く、もしも足を踏み外したなら「銀ちゃん、カッコイイ~」・・・古いな~・・・になりかねない。と言うことで一番上まで上り詰めた所に本堂、更にその上には赤い多宝塔、その他の寺院の風景については上の写真の他にもフォトチャンネルにてまとめました。さて、いよいよ本格的に旅を始めて行くこととしよう、その前にこの石段を下りて行かなければ、上りよりも下りの方が怖い怖い・・・。









和歌山と言うとやっぱり思い出すのが・・・智辯和歌山、と言うことで来てしまいました、智辯学園和歌山高校です、校舎は小高い丘にあって自転車通学は大変だろうな~などと余計なことを考えてしまった。正門前には写真にあるように「祝・甲子園出場」の横断幕が掛かっている、この時はまさかこんなことになるとは思わなかった。センバツが楽しみで仕方なかった頃だった・・・いや、もしくは中止かもの不安はチラチラとあったかも知れなかった・・・わけだが、夏の大会も中止になりそうな感じ、一時はここで感情的な言葉で批判的なことを書いてしまったが今となってはそれも仕方ないのかな、と思わざるを得ない状況、じっと我慢して時が来るのを待ちましょう。























海南市へと入りJR黒江駅前から旧街道の雰囲気が漂う県道を進んで行くと黒江の町並へ、道が曲がり角になっている所にある風情のある古い建物が名手酒造店、この辺りは狭い道に交通量が多くて気をつけなければならない。その曲がり角を入ってすぐの所に酒造店の駐車場があり、そこにはいくつかの万葉歌碑が建物の壁に掲げられている、それについてはまた別枠でのお伝えとして、黒江の町並をちょっとじっくりと見て回ることにする。平坦な部分は道の両側に町が密集していて、狭い道が迷路のように入り組んで張り巡らされている。一方、町のすぐ後ろは山になっていて小高い部分には住宅もある、万葉歌碑がある神社がこの山にあるとのことで、ここは駐車場に相棒君を置いて徒歩でその神社を探し当てるが、ここもまるで迷路みたいな道になっていて探し当てるまでに結構時間がかかってしまった。再び酒造店の駐車場に戻ってきて次に向かうのは海南市の中心部、この辺りは万葉歌碑が町中に散らばっているようにある所なのですが、その話の方はまた別枠でお送りする予定の万葉歌碑巡り編にまかせて、こちらの方では町をいろいろと巡って見つけた風景を中心にお送りしていこうと思います、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。            まちみち



No.1316 秋篠川(1)

2020-04-27 10:07:52 | ふうけい
よろしくお願いします。
















平城京を流れる川として今回は秋篠川を巡って行ってみようと思います。秋篠川は学園前にある水源から奈良市内を北から南へと流れて佐保川へと注ぎ、更にいくつもの川が合流して大和川となって大阪湾へとたどり着きます、まあ奈良県北部を流れる川のほとんどが大和川水系なわけですが。その川を佐保川の分岐点から流れとは逆に進んで、平城京部分、更に平城、学園前方面と水源の地まで行ってみようと思います、予定では3回に分けてのお送りになると思います。
まずは写真1枚目、佐保川と秋篠川の合流点、90度曲がっている方が秋篠川、水の流れに逆らうようになるのですが、今回は川巡りなので先へ進んで行くという表現で進めていきます。川はJR大和路線の踏切を越えて奈良口交差点の辺りで今度は北へと90度向きを変える、写真3枚目、4枚目にあるようにちょうど平城京西市のあった所、川の側には船着き場跡の碑が立っている。ここからは奈良市と斑鳩を結ぶ自転車道が川に沿って通っているので、そこを進んで川巡りと行きましょう。














平城京で言うと七条と六条の中間あたり、進行方向左手側前方には薬師寺の2つの塔と金堂の頭がチラリと見えている。薬師寺の三重塔は約10年ぶりに2つの塔が揃って見えるようになった、これまでは片一方は無機質な箱に覆われていただけに、やっぱりツインで建つ塔は見栄えがいい。川の流れとは逆に北へと進んで行くと西ノ京へと差し掛かる、薬師寺、唐招提寺の2つの大きな寺院を擁する町だが、小さな集落がいくつか集まって町並を作っている感じの所。町を通る道は狭くて一方通行になっている所もあるが、さすがに世界に名の知れた寺院があるだけに車やバスの通りが多く、気をつけて走らなければならない、と言っても自転車道は・・・いやいや、自転車道もこの辺りは人が多く行き交っているのでやはり油断は禁物、ゆっくり自分のペースを保って進んで行くこととしましょう。















唐招提寺を過ぎた所が四条、ここがはっきりとした道だと言う痕跡は見当たらないが、西の方角には大きな古墳も見えて都の跡を感じられる場所も所々に。写真5枚目、6枚目にある川に架かる橋の名は「さいおんじはし」、以前平城京廃寺巡りをした時に、確かこの辺りに済恩院と言う寺院があったと言う話をしたことがありました、多分この寺院の名前が現在まで受け継がれてこの橋の名前となったのでしょう。平城京が廃れていって大きな寺院は現在まで残ったものの、いくつかあった小さな寺院は廃寺とされてしまった。1400年も経つとその名前も存在も忘れられてしまうのが当たり前なだけに、このようにフッと平城京の名残がうかがえるような光景に出会えるとロマンを感じてしまう。奈良にはそんなロマンを感じるところがいっぱいあります、有名な観光地や大きな寺社ではなく、ほんの町並の一角でそれを見つけると結構嬉しくなるものですよ。さて、秋篠川巡りはこの後西大寺方面へと差し掛かってだんだん都から離れて行くことになります、その辺りについてはまた次回でのお伝えとしておきましょう、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。            まちみち


No.1315 都の記憶(5)・・・推古天皇の時代

2020-04-26 18:44:56 | 
よろしくお願いします。


















この前の『ブラタモリ』では2週に渡って奈良の特集をやってました、前に奈良に来たのが初期の桑子アナの時、近江さん、林田さんの時は来てくれないで新しい人に変わっての1回目が法隆寺、聖徳太子がクローズアップされた回でした。最近は実在性が疑われるほどに謎多き人物ですが、ここでも何度も取り上げさせてもらっている辺りは、やはり奈良にとっては重要な人物だったと言うことでしょう。前回の都巡りでは聖徳太子が通った太子道を取り上げましたが、今回もまず聖徳太子に関する場所から、と言うことで写真1枚目~3枚目にあるのは桜井市にある春日神社、その境内にあるのがこの万葉歌碑↓↓↓

「家ならば 妹が手まかむ 草枕 旅に臥やせる この旅人あはれ」(聖徳太子・巻3-415)

この歌については前にもここで取り上げたことがありました、旅先で倒れた旅人を見て詠んだ歌だと言うことで『日本書紀』『拾遺和歌集』にもよく似た歌があるとのこと、いずれも行き倒れた旅人を哀れむ歌ですがそのミステリーなエピソードが聖徳太子を聖人と評されることにつながって行きます。
写真下5枚目にあるのは明日香村、飛鳥寺の外れた所にある蘇我氏の首塚、『ブラタモリ』明日香編では蘇我氏について触れられていました。蘇我氏と言うと豪族、何かその言葉の響きからちょっときつそうなイメージを抱いてしまいそうですが、実際にこの時代に君臨した人物として政治に踏み込んで来ては実権を我が物にしようとした辺りは、確かにきつそうな存在だったようです。この辺りについてはまたいずれ明日香村を訪れて・・・『ブラタモリ』の内容があまりにも興味深かったので・・・、いろいろと自分なりに調べてみようと思います、まあ素人の物好きいっちょかみ程度の話になると思うのですが・・・。








蘇我氏と言うとまず思い出し名前が蘇我馬子、こないだの古墳巡り桜井市編では崇峻天皇の暗殺に触れましたがその首謀者が蘇我馬子、それ以前にも天皇後継問題で皇子や他の豪族を滅ぼし、このクーデター後に推古天皇を推すことになります。日本で初めての女性天皇、まあ現在となるとが絶対阻止の動きをする感じだが、女性呪術師が実権を握っていた時代もあったからすんなりと受け入れられたのかも。推古天皇が即位したのが39歳の時、と言うから今で言えば広末涼子、田中麗奈辺りの年齢の女性が皇位についたと言うことになるのかな、その女帝をサポートするかのように甥である聖徳太子が摂政として政治に携わるようになり、冠位十二階、十七条憲法の制定、遣隋使などの政治の整備が行われます。元々は推古天皇の皇子への繋ぎのための天皇即位だったと言うことだったが、皇子が6歳で亡くなったために甥を皇太子として重用したことになる、それが現在の政治の礎になるわけだから、人間の思惑と運命が錯綜したものの結果オーライと言う簡単な言葉では終わらせられない。ちなみに上にある写真1枚目~3枚目にあるのが推古天皇を祀っている樋口神社、橿原市の耳成山の近くにあり推古天皇の耳梨行宮・・・行宮とは本宮が事情によって機能できない時の一時的な都となった場所、wikiには現在の皇居が行宮に当たるとも・・・の伝承地とされている所。4枚目、5枚目にも推古天皇社とあるがその場所が奈良市の大安寺の真横、天皇にさほど所縁のある場所ではないはずなのだが、境内には特に説明の看板もない、何でこの場所に推古天皇・・・?


















推古天皇の都があったのが豊浦宮、写真1枚目~6枚目にある向原寺が豊浦寺跡とされていて、推古天皇はこの場で即位したとのこと。政治を行った小墾田宮はこの寺院から北に少しだけ行った所、上の写真では7枚目以降にある場所にあったとされています。ところがちょっと分からんのやな~、下5枚の写真にあるのも小墾田宮跡、その場所は桜井市の天香久山の北側にある三十八柱神社でさっきの場所からはかなり離れている。境内にある説明の看板には推古天皇、聖徳太子の名が記されているから、ここが小墾田宮だったと言うこともできそうだがイマイチよく分からない。話は逸れますが「小墾田」と言って思い出すのがドラマ『鹿男あをによし』、児玉清が演じた教頭先生の名前が小治田だった。主要な登場人物には都にちなんだ名前が付けられていたが、当時は「oharida」と言うのが都の名だとは知らなかった。児玉清が珍しく悪役でコミカルなキャラクターを演じていたのが印象に残ったドラマだっただけに、早く亡くなられたのが惜しまれてなりません、「それではラストコール!!」、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。             まちみち









No.1314 お地蔵様で町巡り・・・京都、異空間な町並

2020-04-22 10:33:28 | まち
よろしくお願いします。





そんなわけで「1314OBC~♪ラジ~オ大阪O~B~C~♪」の1314回目です、ラジオ大阪と言えば近鉄バファローズナイター、近鉄(Bu)が優勝した1989年、優勝争いしている真っ最中の近鉄vs西武の試合、確か阿波野と郭泰源の投げ合いで0-0だったのですが、ラジオを聞いていると「藤井寺球場を爆破する」と言う声が実況に被るようにして聞こえてきました。当時はパ・リーグのゴールデンカードでしたが、結局事故はなく実況のアナウンサーが電波ジャックがあったと伝えただけでその後は全く話題になりませんでした。ちなみに試合の方は9回に阿波野投手が西武打線に打ち込まれて3-0で近鉄の負け、優勝争いから一歩後退となってしまいました、今回が1314回目と言うことで懐かしい話をしてしまいました、それでは本文、行ってみましょう↓↓↓








今回は京都でお地蔵様を中心にいろいろと巡っていようと思います、と言ってもこれ、もう昨年の秋の話なんだよねえ。今年は昨年あまり行くことができなかった京都を重点的に行こうと考えていました、そろそろ平安京についても知りたいと思っていた頃なのですが案の定この状況です、京都の中心部には未だに行けていません。この状況下では行きたくてもそれを口にするだけで何を言われるか分からない、自分(一人称)が今一番怖いと感じているのは感染症よりも人の目、人の声の方です。























今のウイルスの蔓延と同じ状態は平城京の時代も平安京の時代にもあったようです、奈良の大仏も平癒祈願で造られたんではなかったでしょうか。平安京の時代は貴族文化で華やかな頃だったと言うイメージがありますが、やっぱり思い出してしまうのが陰陽師、物の怪や魔界、霊界、地獄などの存在が信じられていた時代と言うイメージが強いです。まあこの間やってたドラマ・・・ってあまり面白くないので途中で見るのをやめた、安倍晴明と言うと思い出すのはやっぱり吾郎ちゃんかな・・・はあくまでも作り物、創造、想像の世界なので実際にはそんな事はなかったと思いますが、京都にはいろいろとミステリーな伝説が語り継がれています。
と言うことでやって来たのは松原通、ここは前にお伝えしたことがありますが鴨川を過ぎて東山区に入った所にあるのが髑髏町、もう町名の「dokuro」と言う辺りから怪しい雰囲気の所と言った感じ、どこからか「コ~ン」とか「チ~ン」とか鐘の音が聞こえてきそうな雰囲気です。写真1枚目、楽器を弾いているだるまさんみたいな絵と不思議茶屋と言うのがもう怪しさいっぱい、更にその下にある子育て飴と言うのも何かミステリーっぽい、ちょうどこの店の前にある寺院が子育地蔵尊だからその名前が付いているのだろう。この辺りは六道之辻と呼ばれ、いわゆるあの世とこの世の分かれ目とされていた所、子育地蔵尊から少しだけ東に行った所にある六堂珍皇寺には地獄に通じる井戸があって、平安時代の歌人小野篁はその井戸から地獄へと通って閻魔大王のお手伝いをしていたとか・・・そんなことあるわけないやん。













その後は四条、三条界隈をうろうろとお地蔵様巡りをしながら京都市内を当てもなく走り回る。京都は道が碁盤の目状になっているので、フラフラと回っていても目的地へはすぐに行くことができる、ただ人も車もバスも多く、五條付近や河原町通は歩道を自転車で走ることができない、決して自転車に優しい町ではない。人の喧騒は避けることができないのでどこも正面突破、ただしマナーは必ず守り速度は上げないしチリンチリンも鳴らさない、でも今の京都には人の喧騒はないのだろうな~、それはそれで寂しい感じも。それにしてもこの状況、いつまで続くのかなあ?実はGWにひとつ宿泊での旅を考えているが、それもキャンセルしようかと考えている、まあそうなってしまうだろう、それでも行くと言ったら集中砲火を浴びそうな感じ、やっぱり怖いのは疫病よりも人の目、人の声か・・・、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。            まちみち



No.1313 奈良の古墳巡り(12)・・・桜井市編

2020-04-21 10:36:04 | 文化財
よろしくお願いします。
























久しぶりの奈良の古墳巡り、前回のお伝えが2月だったので2ヶ月ぶりになります。まあ奈良盆地にある古墳はだいたい巡り尽くした感じと言うことですが、まだまだお伝えできてない所もあります、この先は補完編と言うことにもなりそうですが今回は本編、桜井市にある古墳を回って行きたいと思います。
その桜井市と言うと以前に纏向古墳群をお送りしました、多分この辺りに邪馬台国があったんではないだろうかと言う場所、JR巻向駅の西側にはいくつかの古墳が点在していました。今回まず上の写真にある古墳はその反対側、巻向駅の東側にある古墳です。巻向駅前には上ツ道が通っていてその道を南へと進んで行くとたどり着くのが箸墓古墳、そこから踏切を渡ってやって来たのがホケノ山古墳、この古墳こそが卑弥呼の墓ではないのではと言われた古墳です。この辺りは田園風景が広がっていて見通しのいい所、その田んぼの中にはいくつかのぽっかりとした緑色の丘が見える、見た目だけでも10近くはありそう、写真にあるように曇り空の下では田んぼの緑と交じり合って入るが、そのどれもがこれは古墳でしょう、と言った感じで存在感を示している。それぞれの古墳が何という名前かは分からないが、やはり邪馬台国があった場所・・・と書くと勝手に決めつけるな!!と言われそうだが、ほぼ間違いないでしょ、もうそう決めておきましょう・・・だけあって、小さなお墓でも名のある人が眠っているのだろう。













場所は変わってJR、近鉄桜井駅から南へ行った所、市の中心部から離れた所は少しずつ高台になっていった住宅地、その中にもいくつかの古墳を見つけることができる。写真にある古墳を巡ったのは夏の甲子園真っ盛りの頃、ああ~、思い出した、ちょうど智辯和歌山vs星稜のあの大熱戦を聞きながら走っていたんだった。万葉歌碑巡りで寺院を巡った後に写真1枚目~6枚目にある兜塚古墳、メスリ山古墳、コロコロ山古墳と、ちょっと変わった名前の古墳を3つ巡りました。その後にやって来たのは安倍文珠院、境内の中には西と東、2つの古墳があり石室の中に入ることもできる、まあ自分(一人称)は宗教的な畏れが強いので入ろうとは思いませんでしたけれど・・・、それよりも大熱戦になっている試合の方が気になって仕方なかったわけですが。











さて、ここからは日を改めて都巡りで桜井を訪れた時の話です。桜井市の中心部から多武峰へと向かう道は市街地を抜けると緩やかながらダラダラの上り坂となっていく、目指す都の跡はもう少しの所、右手側に見えてきたのが崇峻天皇陵、写真4枚目以降にあるのがその古墳です。崇峻天皇は推古天皇の一代前、その都が目的地となる倉梯柴垣宮とのことなので所縁の地で眠りについていると言うことだろう。ただその死に至る経緯については血生臭いものであって、いわゆるクーデター、その首謀者が蘇我馬子だったと言うことです。ああ~、そう言えば蘇我馬子についてはこの前『ブラタモリ』でもやってましたね、法隆寺、明日香村、2週に渡っての奈良特集はいろいろと興味深い内容ばかりでした。近々都巡りシリーズで推古天皇の時代を取り上げてみようと思っているので・・・と言ってもホント、門前の小僧さん程度のお話しかできませんが・・・またご覧いただけたらと思っております、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。            まちみち