まちみちふうけい

四角い枠に切り取られた風景は一瞬のもの、そんな一瞬を追い求めてこれからも相棒と走り続ける・・・

No.411 大和なひな祭り in 大和郡山

2016-02-28 23:20:40 | チョイ走
おはようございます。





前回のNo.410では最初の方で朝ドラの話をして、残りのスペースで今日(28日)走って来た記録をお伝えしようと思ったのですが、前回のが本文が思いの外長くなってしまいしつこくなってしまうのも何なので、今回へとシフトさせることにしました。

今日はチョイ走りで平城京跡から西大寺、西ノ京と回って最後に寄ったのが大和郡山。実はこの辺りは最近文化財巡りや町巡りで度々走っていたのですが、今日走った目的は『大和なひな祭り』、JR、近鉄の両郡山駅にはさまれた商店街を中心に至る所で雛人形が飾られているイベントで、今年で5回目となってます。



上の写真はそのイベントで人形が飾られている店、町家、神社などのリスト。全部で134件もあってもちろんそれを回り切ることはできないので、とりあえず走っていて見えるものだけ写真に収めればいいかと思って走り始めたのですが・・・







大和郡山の町並はここでも何度か紹介したことがあります。この辺りの商店街は道が狭く旧街道の雰囲気が漂う古い町並もあってなかなか風情のある所で、普段から結構人で賑わっている所ですが、今日はこのイベントのせいかいつもより数段に観光客が多く、ついでに車も狭い道にビュンビュンと入って来て、落ち着いて見ることができない状態。店の表で見える所に飾られている雛人形も、先に見ている人が場所をしめていてなかなか正面を切って見ることができない。上の写真1枚目、本家菊屋前はカメラを構えている人がいっぱい、ここから南へと伸びる柳町商店街はこのイベントのメインロードで先の方も人がいっぱい、なかなか落ち着いて見ることができない。







JR、近鉄の両郡山駅を結ぶ道が交差する所を通り過ぎると、呉服屋さんがいくつか続く所となり、その店に飾られている雛人形もまた豪華絢爛だ。さて、写真に収めようとするが、上の写真をご覧の通りの有様ですわ、展示されているのがガラスの向こうなので、写真に撮ると反対側の景色が反射してガラスに写ってしまう。真正面で撮ると自分(一人称)が入ってしまうので少し横にずれて撮るようにするが、光の関係でどうも納得のいくような写真が撮れない。そんなわけで見苦しい写真ばかりになってしまいました、あさが「堪忍どす」と言って謝ってくれています。最後の写真はここでも何度かお伝えしたことがあるニャンコさんがいる窓、何か占いじみたことをしてますなあ、ニャンコさんはますますブタ猫化していってるから、5匹いっぺんに見るのは至難の技かも・・・。







狭い通りの町家が並ぶ中を入って行くと川本家住宅へとたどり着く、ここは登録有形文化財巡りでつい最近来たばかりでしたが、ここでも雛人形の展示をやっていて、写真1枚目、2枚目にあるように行列ができている。自転車で入ってくると一斉に冷たい視線を向けられたので仕方なく退散、ただこうなるやろうなとは思っていた。実はこの家はニュースや新聞でもよく取り上げられていて、写真3枚目、4枚目にあるように家屋の階段にズラリと人形が並べられている、行列の人たちの目当てはもちろんこれである。それにしてもこの風景、何かめっさ怖いんですけど・・・。








今日は日曜日とあって町家などは観光客を迎え入れる準備も万端、普段は足を踏み入れることもできない人の家もこのイベント中はどうぞ見てやってくださいと言った感じだろう。ただ自分(一人称)はそこまでして見たいとは思わないで、店先に小さく飾られているもので十分祭りの雰囲気を感じたい性分。ところが人形を展示している店の中には本日日曜日と言うことで休業している所もあって、その辺りが結構残念だった。JR郡山駅近くのお肉屋さんのレジ横にささやかに飾られた2体の人形、豆パン屋さんでは店先にパンで作られた雛人形があるのだが、両方とも店は休みのため見ることができず、まあ、各店それぞれの事情があるのだから無理に開けろとも言えないし仕方のないところか。一応季節ネタなので取って出しと言う感じでお送りした今回のひな祭りイベントは来週の日曜日まで行われるとのこと、まあ興味があれば見に来てやって下さい、ただ自分(一人称)は何か消化不良気味と言うか、期待外れでしたね、まあその辺りはと言うことで、今回は是にて終了としておきます。        まちみち

No.410 かっこええ男

2016-02-28 19:12:34 | 日記
おはようございます。


今回のタイトル、はて、誰のことなんでしょうかねえ?まあ読んでいただければ分かることですので、お付き合いのほどよろしくお願いします。


先週の『あさが来た』はあさがさされたと言うことでほとんどが病室で寝たまんまとなっていました。夢の中では三途の川が出てきて、お爺ちゃんや正吉さん、五代様まで登場してあさを連れて行こうとしているくらいなのに、ちょうどええ具合に刺されたとか、花ばっかりもってきてもろてお葬式みたいだとか、結構不謹慎な話ばかりしていました、まあその辺りがこのドラマらしいと言えばそうなのでしょう。見舞客もたくさん訪れてまあ賑やかなこと、一方病院は大迷惑と言ったところ、ただこの頃のあさの高名ぶりがうかがえる場面でもありました。


それでも家族、身近な人にとってのあさはあさのまんま、特に千代は毎回「アホ」を連発していて、相変わらずの反抗期と言う感じ。しかしそこは新次郎がうまくフォローして二人の間を何とか取り持とうとしていました、なかなかいい男っぷりな演出でしたが、さて効果があったかと言うと・・・まだまだ母娘の溝は埋まりそうもない感じ。
はつ夫婦が大阪にやって来ました、和歌山での暮らしも板についた感じで白蛇君には大阪に対する後ろめたさはもうない感じでした。藍之助の銀行での働きぶりも認められた感じで良かったところ、ただちょっと気になる話が出てきました。それは養之助が20歳になったら結婚すると言う話の下りで「兵隊さんに行くよりは・・・」と言う台詞、前にもその話はチラッと出てました、この辺りがはつ家族に何か影をもたらす感じもするのですが、考えすぎでしょうか。そして和歌山に帰った後での菊さんに山王寺屋再興をあきらめてほしいと言った話、ここまではおとなしかった菊さんがはつに激高した辺りは前なら嫌な場面に見えたはずなのだが、今回はちょっと安心した感じで視れました。たぶん和歌山に来てからは菊さんにははつが静かなる鬼嫁と言う感じに見えていたんではないでしょうか。

へぇ~さんに一喝されて意気消沈の成澤先生の所に大隈夫人が訪れて、その後あさの所にも見舞いに来て女子大学校設立の支援を約束してくれました。その時に見せてくれた署名の中に楫取文や毛利安子の名前があるかな、と思ったがありませんでした。続いて見舞いに来てくれたのが宜ちゃん、眼鏡をキラリと光らせながら自分のことを「僕」と言ったり、流行りには結構弱いとか、面食いな一面もあったりで何かよく分からないキャラです。



ただこの子の中にあるものをあさは昔の自分に重ね合わせて見ている辺りは、成澤先生と共に女子大学校設立への布石となっていきそうです。来週の予告では宜ちゃんの母親役で高橋由美子が出てくるみたいです、またまた篤姫組ですか、辰巳琢朗、高橋英樹、松坂慶子に高橋由美子、あれ、誰か大事な人忘れている気がするんやけど・・・まあよろしおますわ。


そして東京から恩師の見舞いに来たと言う学生さん、東柳君、千代との出会い、華族の出、名前からしてもしかしたら感がありありですが、それに関してはまたドラマが進んでいってからと言うことで。演じているのは工藤阿須賀君、御存知福岡ソフトバンクホークス監督、工藤公康氏の息子です。自分(一人称)は近鉄(Bu)ファンだったので西武(L)時代の工藤は大嫌いだった、何気なく投げては当たり前の様に抑えて薄笑いを浮かべながらベンチに帰って行く、もう見てるだけで虫唾が走ると言う存在だった。




その頃の西武ライオンズは無敵もいいところ、投手では工藤の他に東尾、渡辺久信、郭泰源、打者では石毛、辻、秋山、伊東に田辺に(犯罪者なので名前は伏せる)と強力メンバーが勢ぞろい。そして阿波野秀幸(Bu)の投手生命を奪ってしまった伊原コーチ、もう名前を見るだけでも聞くだけでも憎たらしいイメージしかない面々。そんな強力なチームに挑んで行った関西のもっさい貧乏球団近鉄バファローズ、1988年はもう御存知の通り、近鉄は130試合目に力尽きてしまった。



昔新聞に載ってた4コマ漫画でこんなのがあった、画像がないので言葉で説明します。

1コマ目  西武ナイン「あ、雨が降って来た」  2コマ目  西武ナイン「外車買って雨宿りしよう」
3コマ目  近鉄ナイン「あ、雨降ってきよった」  4コマ目  近鉄ナイン「水たまりで洗濯しよ」

まだまだパ・リーグが不人気だと言われていた昭和の終わりの頃の出来事も「そんな~時代も~あ~たねと~」と言った具合です。先に挙げた名前の人たちも、オリックスの監督になって失敗した人もいれば、トレンディーと言われた頃とは大違いにハゲてしまった人もいる、時代は流れていくものなのです。

そんな工藤投手がその後ホークスを経て巨人に入団、そして200勝がかかる試合、



代打を出されてもおかしくないこの場面、この後飛び出すんですよね~、まさに奇跡のホームランが、それも工藤にとってはプロ入り第1号の本塁打。自分(一人称)はもう昔ほどの思いもなく普通にこの試合をリアルタイムで視ていたが、この瞬間は泣きましたね、なんてかっこええ男だこと・・・この瞬間から工藤公康氏は一番大好きな、と言うか尊敬するプロ野球選手となった。
その後は横浜(Bs)に移籍、40代半ばに差し掛かってもう若い頃の勢いはなく出れば打たれると言う試合が続いた、雨の中で吊し上げに合った試合はあまりにも痛々しかった。それでもこの人の野球に対する想いは当時週刊朝日のコラムで連載していたのを読んでいたので、ずっと頑張ってほしいと思っていた。西武(L)移籍、メジャー挑戦、故障、コラムではよく家族のことを話されていて、そのためにも現役続行を望んでいた感じだったが、引退時はもうボロボロな状態だったのだろう。引退後は野球解説者として活躍、若い頃の生意気な姿とは全く違って、的確で選手の立場を思いやった穏やかな解説が好きだったが、よりにもよって福岡ソフトバンクホークスの監督になるとはなあ~。ホークスは嫌いやけど工藤公康氏にはこれからもカッコ良く、頑張ってほしいと言ったところです。


ああ~話がまたまた逸れてしまいました、何の話してたっけ、ああ『あさが来た』だった。土曜日の放送ではあさは雪の中、新次郎に支えられながら加野銀行の人たちに迎えられて帰ってきました。ちょっと弱弱しそうに、すまなさそうに、されど嬉しそうに帰ってきたあさの姿にはちょっと泣かされました。しかしこの先あさはずっとモロボシダン隊長みたいな状態なのでしょうか?来週以降も気になるところです、今回は是にて終了としておきます。       まちみち





No.409 紀州街道(泉佐野から泉南へ)

2016-02-27 08:46:03 | みち
おはようございます。





正月の紀州街道走りは前回、前々回とちょっと横道へと外れて水間鉄道各駅巡りへと走りました。それほど長くない路線巡りは約1時間足らずで終了、箱根駅伝も4区へと入り往路もいよいよ終盤、ただ青学の強さだけが際立つレースには少し辟易気味ですが、こちらの走りは目指す岬町まではまだまだの距離、今は再び紀州街道へ戻るために水間鉄道の西側を通る府道を走っているところです。








水間の少し小高い所を下って来て、まずは写真1枚目のJR和泉橋本駅前を通り過ぎ、更に国道26号線、南海二色浜駅前を通り過ぎて府道204号線を経て紀州街道へと入る。小さな川に架かる石橋を渡ってすぐの所で道が二つに分かれる所に石の道標が立っている。ここが鶴原の追分となる所で写真4枚目、右へ進むのがこの先を走る紀州街道、左へ行くと泉佐野を経てJR阪和線沿いを通る熊野街道へと合流する道となる。この道も以前1度だけ走ったことがあるが、その時の記憶もほとんど薄れてしまったので近いうちにまた走りに行きたいと考えているところ。覚えているのは泉南市信達市場の風景にJR山中渓駅付近の旧街道の雰囲気が漂う古い町並と、阪和道が寄り添う付近での峠越えと急な下り坂、下り切った所で出会う古い町並に紀ノ川・・・やあ、こうやって書いてたらいろいろと思い出して来るもんだなあ。









さっきの分岐点を右へと進んで紀州街道は泉佐野市へと入り、関西空港への高架橋の下を通り過ぎる。南海本線で言うと羽倉崎、吉見の里、岡田浦と本線でありながらローカル色が漂う駅が続く所、紀州街道は普通の民家が建ち並ぶ中に所々旧街道の雰囲気が漂う古い町並があってなかなか趣深い所。この辺りを走る時にはいつもルート選びに迷ってしまう、と言うのもこの道の西側、海沿いの道はこちらの道とは違って車が多く通る広い道だが、関空に大阪湾、晴れた日には淡路島も見える、海からの風を感じながら走るのもまた気分爽快である。






上の写真はりんくうタウンからイオンモール泉南前を経て南海樽井駅の近くへ至る道の風景、途中には田尻スカイブリッジと泉南マリンブリッジと二つの大きな橋を渡る。こちらは箱根駅伝よりは夏の甲子園を聴きながら走りたい所、実際上の写真を撮った時は夏の高校野球の真っ最中で、確か智辯和歌山vs白樺学園の試合を聴きながら走っていた。なかなか白熱したシーソーゲーム、ホームランで追いつく白樺学園に粘る智辯和歌山、延長戦へと突入した試合智辯和歌山がサヨナラ勝ち、この試合はここの景色とコラボするかの様に印象に残っている。白樺学園は去年の夏の下関商戦でも途中まで劣勢の試合を追いついて最後は延長でサヨナラ負けしてるんですが、ひたむきにプレーする姿が好感の持てるいいチームでした、長崎の初出場校にコロッといわされてしまうチームとは大違いです。






また話が逸れてしまいました、走りに戻って紀州街道、南海本線の踏切を渡って右側にイオンモール泉南が見える所を少し先に進むと南海樽井駅。先述した信達市場の最寄り駅で、泉南市の中心にもなっている駅だが急行、特急は止まらない。この駅は自分(一人称)は前の仕事で毎週来ていた所、ちょうど朝のラッシュ時間でここからもたくさんの人が大阪へと通勤で向かっていた。大阪から40キロ程だから奈良とそう変わらない距離にある所、山を越えないからそんなに意識はしてなかったが結構遠くまで来ているんだなあ、となるとこの先、阪南市や岬町、和歌山市となるともう距離的には奈良よりも向こう、通勤すると言うよりはちょっとした旅行と言った感じの距離だ。その阪南市は樽井駅を過ぎて川を渡った所から入る、その境界線となる橋からは海がチラリと見える、今回の走りで初めて見る海である。ここからは海が見える風景の中を更に南へと進んで行くことになるが、その続きはまた次回に、と言うことで今回は是にて終了としておきます。      まちみち

No.408 各駅巡り・JR関西本線(1)木津川に沿う駅

2016-02-26 11:30:23 | 鉄道
おはようございます。





今回から各駅巡り新シリーズとして、JR関西本線の非電化区間を走ってみようと思います。この非電化区間は加茂~亀山間を結ぶ単線の区間で、沿線は大きな山越えとその途中にある小都市、その中を走るローカル情緒あふれる路線です。なお、この走りに関してはこれを目的として走った記録と言うよりは、今までこの辺りを走った時の記録のつなぎ合わせでお送りしていく仮想旅と言うことになるので、写真の中には古いもの以前にここで貼ったものや現在は変わってしまっている風景もあるかも知れません、その辺りはご了承ください。









スタートは加茂駅、ここでは大仏鉄道遺構巡りの時に紹介したことがありました。大阪からやってきた大和路快速はここが終点、ここから先は非電化区間となる。ホームは2本で線路はそれをはさむように3線あり、真ん中の線は両方のホームの扉が開くようになっているので乗換えは階段を渡らなくてもいい。最大8両編成の快速電車の隣に止まっているのは2両編成の車体が短いディーゼル車両、以前は奈良駅までやって来ていた車両も今は全部加茂止まりなので見ることはできなくなってしまった。
加茂駅周辺は大阪からの直通電車が増えたこともあって発展してきているが、駅を少し外れた所では広く田園風景が広がる所や、昔の旧街道の雰囲気が漂う町並も残っている。木津川を渡ると国道163号線に突き当たるが、ここを通り過ぎて北へ進むと写真6枚目にある恭仁京のあった場所へと行くことができる、こんな山あいの田舎に都があったと言うのも何とも意外な感じだ。さて、各駅巡りは国道163号線を東へ、木津川と山に挟まれた中を先へと進んで行くこととします。








関西本線は昔の国鉄の名残もあって各駅の駅間の距離が長い。加茂を出て国道163号線を走っているが目の前の風景は高い山が立ちはだかるばかり、右手側には木津川が流れているが、ここは狭い道で車も多いので川を見たいと思って向こう側へ渡ろうにもあまりにも危なすぎる。道は川沿いともあって結構平坦で走りやすい、ただ風景は山が広がるばかりで、たまに小さな集落も見かけるがそれほど何があると言うわけではないので、目には飽きが来てしまう風景である。
やがて少し上りがあって、そこを過ぎると景色が開けた前方右側に木津川に架かる橋が見えてくる。写真2枚目にあるドライブインでトイレ休憩の後、少し進むと笠置大橋に差し掛かる。この橋を渡ると笠置の町並の中に入って行き、右側に折れる道を進むと、やっとのことで次の笠置駅へとたどり着く。単純な造りながら歴史を感じることができる駅舎、山と川に囲まれた所にある島式ホームの駅、ホームからは木津川やさっき渡った笠置大橋を見渡すことができる。昔は急行が臨時停車したり、桜井線からの直通列車の終点にもなってた主要駅だったが、今は手前の加茂駅で電化区間が終わっていることもあって、非電化区間のローカル線の中の一駅となってしまった。









国道163号線に戻って先へ進んで行くとトンネルをくぐるが、その手前に左に分かれる道があって、そちら側を行くととんでもないベタ踏み坂となって峠を越えてトンネルの向こう側の集落へとたどり着けるが、今回は素直にトンネルを通って行くことにする。しばらくは集落の中の平坦な道を行くが、右手側にJR線が寄り添ってくる辺りからは長い直線の上り坂となって、その上り着いた所で南山城村へと入る、京都府では唯一の村らしい。
その先でJR線の下をくぐると山を回り込んでいた木津川が再び右側に寄り添ってきた。写真2枚目、3枚目は前にここでも紹介しました恋地橋、前に行った所は写真だけにしておいて、次の大河原駅にたどり着く。駅はもちろん無人駅、国鉄時代の名残を残す長いホームを持て余し気味にローカル情緒を漂わせている。走っている時の駅付近の町並でもそうだったがここのホームでも人の姿を全く見かけない、データで見ても1日の平均乗降客数は70人程度と、何ともさみしい感じの駅である。走っている時には駅舎の写真を撮らなかったので、その写真は転載で一番下に貼っておきます、どうやら時間となってしまったようです、今回は是にて終了としておきます。      まちみち









No.407 油小路通

2016-02-25 11:40:45 | みち
おはようございます。












今回は京都の道を行くシリーズとして、油小路通を1月の初めに走った時と二条へ映画を観に行った帰りにJR京都駅まで歩いた時の記録をミックスしてお送りしていきたいと思います。走り始めは一条通が交わる所の近く、この辺りは絹織物で有名な西陣の一番端っこに当たる場所、ここから南へ進んで行ってみることにしましょう。
あ、あなごさんだ、「やあ、フグ田く~ん」と誘ってきそう。ただこの辺り、特に古い町並や見所があるわけではなく、どうも退屈な風景が続くばかり。そう言えば確かこの辺りに・・・と思って堀川通に出るとすぐに見つかった、写真5枚目、6枚目にある場所は前にもここでお伝えしたことがあります、広岡浅子の実家があったとされる所。ちなみにちょうどええ具合にブスッとさされた話は小説の中での創作だと言うことです。










写真1枚目、2枚目にあるのは、ここが本能寺跡だと言う碑、場所は御池通に近い所。寺町通の御池通に近い所に本能寺と言うのがあったのはこの前ここでも紹介したが、織田信長がクーデターに遭った本能寺が実際にあったのはこの辺りだと言うこと。周辺の地名が本能とある、歴史の中では大きな政変の舞台になった本能寺の名はあまりにも有名だが、本能と言う地名は結構キラキラネーミングだ、京都らしいと言えばそれもあるけど。この辺りは古い町並もあって、やっと写真の枚数を増やせる所へと差し掛かってきたようだ。所々で見かける時代を感じる町名表示の看板、その地名の表示は縦軸×横軸+下ル+地名なので、目的地を探すときは結構分かりやすい。






映画を観に行った帰りに歩いた時は、三条通から油小路通へと入ったのですが、途中で大きな道路と交差する所は信号がないので、一旦堀川通まで出てそこで信号を渡ってまた油小路通へと戻らなければならない所があった。自転車で走っていても結構面倒なのに歩きとなると尚更だ、四条通も信号のない通のひとつ、堀川通の信号を渡って油小路通へ戻ろうと歩いていると、その間に細い道の通りがあって興味を惹かれたので、その道を歩いて行くことにした。その道は醒ヶ井通という名で自分(一人称)はもちろん今まで走ったことはない、自転車で走っていたら気が付かなかったかも知れない。狭い通りには古い町並が軒を為していてなかなかいい感じ、目に留まった風景は自然に足を止めてカメラに収める、そしてここでも出会った仁丹印の地名表示看板、最近はこう言った古い地名看板が気になって仕方がない。







醒ヶ井通は堀川五條交差点で終わり、ここの横断歩道を渡って再び油小路通を進んで行く。右横にはもうすぐに堀川通が通っていて、車が多く行き交っている音が聞こえてきそうなくらいにこちらの通りは静かでひっそりとしている。写真1枚目はこの区間で横に交わる六条通を撮ったところ、ここは郵便局の前で、一方通行の表示の向こうにある通りが油小路通である。四条、五条、七条と東西を結ぶ大きな通りに比べると六条通は不憫なくらいにその存在感は薄すぎる。ここを東に行くと戦国時代の刑場があった六条河原、ただ鴨川辺りと言うだけではっきりした場所は分からなかった。そう言えば大河『軍師官兵衛』で荒木村重の妻、だしが処刑されたのがその六条河原だった、八条のシネコンに『女子ーズ』を観に行った時にこの辺り走ったなあ、桐谷美玲つながりと言うことだけやったけど。
油小路通はこの先西本願寺の門前町と言う感じの所を通り過ぎる。ドラマ『鴨川食堂』は東本願寺だからここからだとちょっと東側か。七条通を過ぎるとJR京都駅の西の外れた辺りにたどり着く。とりあえず今回の走り、歩きはここで終わり、ちなみに油小路通の隣でずっと威圧感を漂わせてきた堀川通もJR線の下をくぐる手前で終わり、ここから南へと向かう大きな通りが油小路通を名乗って、近鉄京都線の高架を沿うように進む京都市の幹線道路となる。そんなわけでちょうど時間となってしまいました。今回は是にて終了としておきます。       まちみち