まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.602 藤原京巡り(後編)

2016-10-30 10:17:32 | ふうけい
おはようございます。










今回はこの間お送りした藤原京巡りの後編をお送りしていきます、間を置くとまた忘れてしまうかも知れないんで。藤原京は平城京時代の前にあった日本で初めての条坊制の都、しかしここが政治の中枢であったのはわずか16年間だけだったとのこと、しかも宮都の完成も次の平城遷都の数年前と言うことで都としてあった時期はほんのわずかだったことになる、この都が置かれる前が聖徳太子から蘇我氏、大化の改新と大きく時代が動いた時期、後は平城京で華やかな奈良時代に入る時期なのであまり歴史的にもあまり前面に出ることがない時代と言ったところか。












その政治の中枢となった藤原宮跡は大和三山と明日香の地域にちょうど四方を囲まれるようにしてある、宮跡と言っても広大な緑色の広っぱと言う感じで、大和三山がくっきりと見渡すことができる。畦道くらいの狭い歩道を進んで行くと写真にあるように蓮池があり、大きな緑の葉っぱが一面を覆っているが、この日はもう8月の終わりと言う頃で花はほとんどが散ってしまい、チラホラと咲いている花もシーズンが過ぎてしまっていて、弱弱しくても最後の力を振り絞って、さあ、見て行って、と言う感じで咲いてくれている。それにしても蓮の花ってどことなく宗教的な雰囲気があって、背筋がゾクゾクするような感覚にさせられてしまう、苦手なはずなのにそれでも写真に撮ってしまう、人間って複雑なもんやなあ・・・


特に見所もなくただの原っぱを相棒と西の方向へと駆け抜けて西一坊大路となる道へと出る。上の写真の中には飛鳥関連の史跡を世界遺産にとの幕が掛かっているが、そんなに世界遺産って魅力的なんかなあ、なりたがっている所はこの近くでも堺の古墳群とかいろいろあるみたいだが、観光の目的でなりたいって思ってるんならもういい加減にしてくれと言う気がする。確かに明日香の史跡にはそれに似合うだけの資格はあるかも知れないが、いまさら「世界遺産」と言う名前だけの箔など頂くほどのものでもないだろうし、そんなものなくても十分世界に紹介出来得る観光地であると思う。ちなみに明日香には国の登録有形文化財は建物部門ではひとつもありません。



この道は明日香へ向かう時によく利用する道、ここよりひとつ西側にある道が下ツ道に通じていることから西二坊大路が黄道169号線に当たるがそちらは交通量が多いのでこちらを走ることが多いのだが、この道は途中から方向を変えて明日香方面へと通じている。その方向が南東方向なのだが、そうなるとその途中で朱雀大路に当たるはずなのだが、自分(一人称)の記憶ではそのような道は思い当たらない、朱雀大路は幻なのか・・・?







上の地図で六条大路に当たる道、バスも通る広い道だが、藤原宮跡の大極殿にあったであろう場所のちょうど南側に当たる場所に上の写真にあるように朱雀大路の跡を示す看板があった。看板はあれど、さて、道は・・・となるとその向こう側は丘になっていて道の後は見当たらない、丘の上は普通に住宅があってもう朱雀大路の痕跡を示すものもないと言った感じ。地図を見ても朱雀大路跡から南へ伸びる道は全然なくて、途中にニュータウンの中を通る道がその位置にあるだけで、明日香までその痕跡を手繰ることはできない。平城京でもそうだったが朱雀大路のその後の扱いがあまりにも不憫すぎるような気がする、平安京は確か千本通だったか、まだ形が残っているだけでもありがたいと言ったところか。








前編でも書きましたが、藤原京についてはまたいずれ、機会を作って走ってみたいと思っています。宮跡の南側には大官大寺や薬師寺などの跡があるのですが、この時は写真1枚目にある紀寺跡を巡っただけ、そう言えば「紀寺」って平城京にもありますが何か関連があるのでしょうか。今回走ったのは8月の終わりであまり天気が思わしくない頃、さっき見た蓮もシーズンの終わり頃でしたが、写真3枚目~5枚目にあるひまわりも少し薄暗くなった空をバックにどことなく寂しそう、もう俺達の季節も終わりか・・・てな感じでうなだれていて元気がありません。今は秋桜が見頃だと言うことですが今回は訪れる機を逸してしまいました、大和三山を風景に咲く秋桜も絵になったのでしょうけど、それは宿題として来年にとっておきましょうか、今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。        まちみち

No.601 かぐや姫伝説の地

2016-10-28 02:20:25 | チョイ走
おはようございます。










奈良県北葛城郡広陵町は町としては結構名の知られた所、大和広陵高校は数年前立田投手(現・日本ハム)を擁して甲子園に出場、出身有名人にはオリンピック柔道3大会連続金メダルの野村忠宏、浪速のモーツァルト、キダ・タローがいます。靴下の生産量は国内トップクラス、そしてこの町の一番のウリと言ってもいいのが「かぐや姫」、町中の至る所でかぐや姫の姿を見つけることができます。かぐや姫伝説にはいろいろと諸説があっていろいろな場所が竹取物語の舞台となる場所を名乗り上げているが、その中でも広陵町は割と知られている方だと思います。広陵町については前にコミュニティバスを取り上げた時に紹介したことがありますが、いつもは南の方へ向かう時に通り過ぎるだけの町、今回は馬見丘陵公園に行った後に隣接する竹取公園に寄ったときの話を中心にお送りしていきたいと思います。


まずは竹取物語とはどういう内容なのかご覧ください、割と字が大きく写っているので読みやすいと思います↓↓↓







まあ物語についてはだいたい皆知っている通りだと思います、かぐや姫と言うと今はCMで有村架純が演じていて御馴染みですが、自分(一人称)らの年代だと思い出すのがこれ↓↓↓



今思えば結構ネタ映画になるのだろうが、沢口靖子のかぐや姫もネタとしては十分と言った感じ。それにしてもUFOで月に帰って行くのはそりゃないやろ~、と言いたいところだが日本の昔からあるおとぎ話がもうその頃からSFを意識していたと言うことだろうか、思えば例えば桃太郎やカチカチ山やその他の日本昔話に比べると恋愛要素ありSFありと結構前衛的なんですよねえ。











名前は竹取公園であっても園内にはかぐや姫に関するものは特になく、単に家族連れなどが楽しむ憩いの場と言った感じの普通の公園、詳しくはこちらをご覧になって。園内を進んで行くと西側には二上山が見え、写真2枚目にあるちょっと風流な感じの水車小屋があり、写真4枚目、6枚目~8枚目にあるよう復元された古代の住居が建ち並ぶ所もある。こうなるともうかぐや姫など関係ないと言った感じだが、この公園のある所が三吉と言う地名が山へ芝刈りに行ったお爺さん(・・・で良かったかな)の名前に由来していると言うことからここが竹取公園と名付けられたとでも言ったところか。ついでに言うとかぐや姫に求婚する貴族たちは藤原京から通って来ていたということだから、時代設定は壬申の乱の後と言うことになる、時期的には歴史的なクーデターがあった後と言うことで政権も何とか安定期に入ろうと言う時代だろうが、そんな時に女にうつつを抜かすと言うのもいかがなものか・・・






最後はまあ気休めと言うことで公園に咲いている花に近づいて接写、花はいつの時代でも当たり前の様に咲いているので、もしかしたらかぐや姫も見ていたのかも知れない、しかし自分は月に帰らなければならない運命、生まれたのは当然地球なので月がどんな所かは分からないはずなのに、どうしてそんな見たこともない地に思いを馳せては悲しみ、帰りたいと言う気になったのだろう。変な言い方をすればそのまま地球に残っていたら皆が幸せになっていたはずなのに・・・と言っても物語にそこまで真剣に考えても仕方のないところ、お話はお話としてそのロマンをあくまでも真摯に受け止めて、広陵町がかぐや姫伝説の地であることを認識しておくこととしておきましょう。今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。      まちみち

No.600 各駅巡り・JR学研都市線(2)

2016-10-26 10:11:34 | 鉄道
おはようございます。





今回は各駅巡り、JR学研都市線を前回の続きから走って行きます。走ったのは今年から祝日となった「山の日」の8月11日、巷ではリオデジャネイロオリンピックでメダルラッシュに湧き、夏の甲子園も真っ盛り、今、携帯しているラジオから聞こえているのは中越vs富山第一の試合、緊迫した投手戦が繰り広げられています。甲子園同様、走りも暑さの中で高揚しているわけなのですが・・・↓↓↓



あまりにも暑いと思っていたら、気温が49度もありました、ってそんなわけないやん!どうやらこの暑さでデジタルの電光掲示板もになってしまったらしい。ただ気温はどうあれあまりにも暑いので、ここは涼しい気分になりたいところだ、となるとやっぱりこの近くではあそこに行くのが一番だろう。








交野市倉治の古い町並を通り過ぎて行くと山の裾野の近くにあるのが源氏の滝、ここは『こころ旅』でも訪れたことがある所で自分(一人称)も前に一度来たことがあります。大阪の都心の近くにこんな滝があったなんて、しかも隠れたスポットらしく人の姿もほとんど見かけない。徒歩で滝へと続く深い森の中の道を進んで行くと、突き当たった所で水が流れ落ちる場所へとたどり着く、それほど大きな滝ではないが近くまで寄ってみると水しぶきがチラチラとはね返って来て気持ちいい。水を頭からかぶりたい気分だがさすがにそれはできない、ずぶ濡れになって走るわけにはいかない、と言っても汗だくだからずぶ濡れとあんまり変わらないか。でも水の流れを見ているとやっぱり落ち着いた気分にさせられる、涼しい森の中で一時だけだけど暑さを忘れさせてくれる時間を過ごすことができた、さて、本題であるJR学研都市線各駅巡りを再開するとしようか。








府道736号線を通って枚方市に入ってすぐにJR津田駅、町中にある普通の駅と言った感じでこれと言った特徴のない駅、府道側から見ると高架駅っぽく見えたが、山手側は小高くなっていてこちらから見るとれっきとした地上駅である。駅は味気ない感じだが、府道を少し北に進んだ線路の東側には山根街道に当たる道が通っていて、旧街道の雰囲気が漂う古い町並が続く所となっている。ところで甲子園の方だが中越の投手が7回まで富山第一をノーヒットに抑えている、これは大記録達成の可能性も、しかし試合は0-0で中越も得点がとれない、なんとか打線が援護してあげてノーヒットノーランを達成してほしいところだが・・・









写真1枚目、JR藤阪駅が見えた所でラジオからは大歓声が上がった、試合は8回裏、富山第一はノーヒットながらも四球などで2死満塁のチャンス、ノーヒットで勝つと言うのも滅多にないことだから面白いかも・・・と思っていたところだった、アナウンサーも興奮していて一瞬何が起こったのか分からなかった。投手真正面に飛んできた打球はそのままグラブに吸い込まれた、ピッチャーライナーだった、ノーヒットはまだ続いている、ここは何とか9回表、点を取ってあげたいところだが。
JR藤阪駅もこれと言った特徴のない駅、再度府道側へと出て次の駅を目指して走る。9回裏、試合は0-0のまま、ああ~1死後、富山第一4番打者に初ヒットが生まれた、2塁打だった、これで大記録もなくなってしまった、中越の今村君、これからは北陸の西口とネタ扱いされるのだろうか・・・。走りの方は写真3枚目、4枚目にある次のJR長尾駅に到着、枚方市第2の中心地で周辺は人やバスの通りも多く賑やかな所である。以前、片町線が東半分非電化区間だった頃はこの駅が境界になっていて、木津からここまではディーゼルカーがトロトロ走るローカル線、ここから先は通勤路線と言う感じだったが、今は全線電化以来木津からも大阪方面への流れもあって完全な通勤路線である。この駅も終点駅の座をひとつ先の駅に譲ってしまってはいるが、大阪方面へは通勤、京都府方面へは通学のお客さんで賑わう、JR学研都市線の中でも主要駅には変わりはない。あっ、また大歓声、どうやら富山第一がサヨナラ勝ちしたようだ、つい数分前まではノーヒットで苦しんでいたのが、9回表、4番5番の連続2塁打であっけない終幕。ただ中越今村君にとっては悔やんでも悔やみきれないと言ったところだろう、大記録から一気に地獄へと突き落とされたのだから、でもいい試合だった、緊迫した投手戦はラジオで聞いているとじれったくなってしまうものだが、自分(一人称)はこの試合が今年の夏の甲子園のベストゲームである。
JR長尾駅を出ると町中を抜けて風景が開けてくる、府道に沿って通っていた山根街道は北側に分かれていき、まだまだ開発が続いていくであろう場所の中に通る道を東へと進んで行くと京都府八幡市へと入る。ここから先はニュータウンの風景の中を走ることとなり、味気ない四角い建物ばかりを見ながらきれいに整備された道を先へと進んで行く。道はややこしいまるで迷路のようで、頼りにしたい線路もどこにあるのか分からない、所々に駅の場所を示す道標があるので、それに沿って進んで行くと第2京阪道路を下に見るように越えて写真5枚目、6枚目にあるJR松井山手駅へとたどり着く。ホームは駅舎の下でまるで地下になっているかのような所にあるので、線路を見失ってしまっても仕方ないところ、ニュータウンらしく人の流れも多く、駅前には店も多くあって賑やかな所である。さて、今回の走りはここまで、四條畷市内からここまで、はっきり言うとそれほど特徴もなく味気ない感じの駅ばかりだったが、ここから先はローカル情緒漂う路線となるので、いい風景が見られることではないだろうか、その模様は次回でのお伝えとしておきましょう、今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。         まちみち

No.599 今年も飛行機を撮りに行きました

2016-10-25 07:51:08 | 写真
おはようございます。










伊丹空港近くの河川敷には去年の3月以来で8月と9月の2度飛行機の写真を撮りに行ってきました。8月は夏の甲子園真っ盛りの頃、ちょうど盛岡大附vs創志学園の試合をラジオで聞きながらここで飛行機がやって来るのを待ってたんだっけ、ついでに言えばその次の試合が智辯学園が鳴門にしょ~もない負けを喫した試合、絶対勝てると思ったんやけどなあ~、こんな所で智辯クオリティー発動させてどないすんねん!!って何の話だっけ・・・飛行機を撮りに来た話だった。この河川敷のすぐ向こうは伊丹空港の滑走路で着陸する飛行機はちょうどこの上を通り過ぎて行くが、その機体の大きさには驚かされる、まるで手を伸ばせば触れられるんじゃないかと思うくらいにまで低い位置を飛んで柵の向こうの滑走路へと滑り込んで行く。






写真は伊丹空港の北西側の柵に沿って、猪名川に挟まれた所にある道から飛行機が飛び立って行くところを撮ったもの、飛行機が飛び立つところとなると佐藤直紀↓↓↓



この人です、この人の作った「ジャンジャンジャ、ジャジャン・・・♪」のメロディーが頭に鳴り響いてくる、文字で書くと分からないだろうけど木村拓哉主演のドラマのあの壮大なメインテーマと言えば、分かるかな・・・?話は逸れるがこの人の曲は心が躍る曲が多いですねえ、例えば『ハゲタカ』のメインテーマやズンズンズンと鳴り響いてくる曲、『龍馬伝』のクライマックスシーンでかかった『維新た』と言う曲やNHKのドキュメント『ホットスポット』のメインテーマとか・・・って完全に自己満足の世界ですが、あれ、山下達郎の『RIDE ON TIME』まで聞こえてきたりして・・・。話はまたまた逸れるが、この間この近くで変死体が見つかったとか、全く、物騒ったらありゃしない。







9月の走りではJR伊丹駅から空港地下道へと向かう道を走ったが、その時真正面に「あれ、新幹線かな、あんな所に」と思わされた。実は自分(一人称)が新幹線と見間違えたのは飛行機であって、この道の正面がちょうど滑走路であって、着陸してきた飛行機が地上を走る姿がチラリと見えたわけである、そんなわけで次は空港地下道入口近くで地上を行く飛行機の姿を撮ることに。さすがにこんな道の真ん中で写真撮影している物好きはいない、近くには飛行機を見ることができる公園があって去年そこには行ったことがあるが、結構家族連れが多くて前に行くことができなかった。独り者の自分(一人称)にはこの場所がピッタリだ、ここで飛行機の姿を狙うこととしよう、横を通り過ぎて行く車からの「こいつこんなとこで何しとんねん」と言うような視線も感じるが、人が何しようが勝手やろ・・・













再び最初の河川敷に戻って時間の許す限り飛行機の撮影を。たくさんの人が来ていて、こっちに向かって飛んでくる飛行機や、柵の向こうの滑走路から今にも離陸しようかの飛行機を撮影しているが、皆さんええカメラを使ってらっしゃること、ええんや、カメラなんて写ればそれだけで十分、自分(一人称)の目で見た瞬間を四角い枠に収めておきたいだけのことだし、人の目にはカメラのいい悪いのような価値の区別なんてないわけだし。自分(一人称)のカメラも旅には大事な相棒、ここでも十分に働いてもらうことにしましょう、と言うことで飛行機のベストショットを狙うことに。
南の空に小さく一点が光るとそれが飛行機が近づいてきていると言うこと、その光は少しずつ大きくなってやがてその姿がはっきりと確認できるようになってくる。期待は上空に風があるのか左右に小さく揺れながら、だんだんこちらにまるで狙ったかのように近づいてきて、どの会社の飛行機かが分かるくらいにまで大きくなってくる。皆は南の空にカメラを向けているが、自分(一人称)は川の方に向かってカメラを向ける、そして四角い枠に入り切った所でシャッターを・・・と言うのが上にある写真なのですが、いつも言うようにテクニックなんて関係なし、写ればそれでいいんです。たとえ機体の一部が切れていたとしてもそれは自分(一人称)にとっての大事な瞬間、恥ずかしげもなくここに貼らせてもらいました。まるでタコ糸につなげて空に飛ばしたかのような飛行機、その大きさとジェット音には驚かされるが、巨体はやがて柵の上を越えて向こうの滑走路へと滑り込んで行く、周囲の人たちはまた各自それぞれの時間に戻って次の飛行機が飛んでくるのを待つ。8月に来た時は少し消化不良気味だったので9月にもう1回来たのですが、今回は十分な写真が撮れたと自分(一人称)では思っています。


飛行機・伊丹空港近くにて


今回はその時に撮った写真を上に貼った分も含めてフォトチャンネルにまとめました、まあ他の写真は柵の向こう側で機体は小さくて分かりにくいですが、実際には遠くから見ても離陸する瞬間はなかなかな迫力でした。相変わらずへったくそな写真ばかりですがどうぞ見てもらえればありがたいことです、そんなわけで今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。        まちみち

No.598 藤原京巡り(前編)

2016-10-24 09:27:10 | ふうけい
おはようございます。


日本シリーズ、広島(C)vs日本ハム(F)、広島の2連勝と言うことで、まあ勢いとマツダスタジアムの応援に日ハムナインも押されてしまったと言うところでしょうか。日本ハム、ミスが多いですねえ、野球はミスした方が負けと言うのはもう当然のことなのでこの連敗もまあ仕方ないと言った感じですが、それにしても打てないねえ、2試合で1点ずつとはちょっと情けない、この流れ、札幌に帰って取り戻すことができるでしょうか。今回のシリーズは初めての組合せと言うことで、自分(一人称)も楽天(E)が日本一になって以来のテレビでのシリーズ観戦をしています。まあどっちのチームがどうのこうのは関係なしに見ようとは思っていましたが、連敗したこともあってかやっぱり日本ハム(F)の方に肩入れしてしまいそうです。札幌に戻って、さて、広島がこの勢いをそのままに一気に決めてしまうのか、日本ハムが地元で逆襲に転じるのか、この先も楽しみに見たいところです。どっちにしてもプロ野球はこの1週間が最後と言うことで、できれば7銭までもつれこんでほしいわけですが、どうなることでしょうか?





最近は平城京、恭仁京と都巡りの走りが続いているのですが、今回は藤原京があった場所を巡ってみようと思います。藤原京は平城京の前に政治の中枢が行われていて、日本で初めての条坊制の都となった所です、平城京巡りをしているうちにここにも興味を持ってしまったようでやっぱり来てしまいました。藤原京とはこんな形であったようです↓↓↓



予備知識はほとんどなく簡単な地図を見づらい携帯の画像に用意していただけで走ったのでどこがどこなのかははっきりと分からなかったのですが、実際に走ってみることである程度の位置関係は分かりました。それでは行ってみることとしましょう。










写真1枚目は大和三山のひとつ、耳成山の登山口、小さな山をぐるっと回る形で進んできたのですが、その北側から山を通じて写真2枚目に通じる道が玄武大路、「玄武」とは四神のひとつで北方を守護すると言うことでこの名前がついているのだろう。近鉄大阪線の踏切を越えると横大路との交差点、写真3枚目にあるこの道が藤原京では三条大路に当たるらしい。まずはここを東へ進んで耳成山を左手側に見ながら古い町並の中を進んで行くと最後の写真にある交差点へとたどり着く、この交差する道が中ツ道であり藤原京では東二坊大路に当たる道である。交差点にはお地蔵様や道標が立っていて、この場所が当時の交通の要所であった場所だと言うことがうかがえる、藤原京巡り、次はこの中ツ道を右へと曲がって進んで行ってみることとします。










JR万葉まほろば線の踏切を越えると目の前の展望が開け、広く風景が見渡すことができる道となる。写真1枚目、進行方向右側田園風景の向こうに見えるのが畝傍山、写真2枚目、真っ直ぐ伸びる道の向こうにあるのが天の香久山、写真3枚目、振り返った向こうにあるのが耳成山、ちょっと前のビルが邪魔やな・・・と言うことでこの辺りでは大和三山がきれいに見渡すことができる。藤原宮跡はこの先の写真5枚目の道標が立つ交差点を右折した所にある、上の地図と天の香久山の位置からするとその道は四条大路となる道か↓↓↓










藤原京巡り、この走りの記録については次回へと続きます、その項では藤原宮から都の南部の方を走った記録についてのお伝えを予定しています。さっきも書いたように今回は予備知識もほとんどなしでの走り、この間の明日香を走った時もこの辺りは通ったのですがその時は時間に余裕がなくてスルーしてしまいました。相変わらずいっちょかみの域は出ないのですが、興味を持ってしまったものにはいろいろと調べてみたくなってしまう、僕の悪い癖・・・と言うことでまた機会があればこの付近をもっとディープに巡ってみようと思っています。とりあえず次回については、この日のちょっと天気が思わしくない曇り空の下での走りの記録を後編としてお伝えしていくことにしておきます、今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。        まちみち