おはようございます。
GWに走った岐阜の旅もいよいよ後半戦、こちらもそろそろ終わらせていきたいところですが予定では今回を入れてあとまだ3~4回はありそうかな。前回はたくさんの人で大混雑の犬山城界隈で登録有形文化財を巡りました、人の波をかき分けるように抜けて名鉄犬山駅へ、さて、これより名鉄広見線各駅巡りで可児まで向かおうと思っていたのですが、地図で確認すると可児までの道は結構線路と離れている、時間も足りなくなりそうなのでここは一直線に可児を目指し、更にその先の御嵩まで何とかたどり着くように走って行くことにしよう。犬山の中心部を出てしばらくは線路に沿う道を進んで行くが、山に入り線路が離れて行ってしまうと今度は国道41号線に沿う県道へと入り、愛知県から再び岐阜県へと入る。四方が山に囲まれて本当にこの道で正しいのかと不安になってくるが、小さな峠を越えて町中に入るとそこは土田宿と言う名の宿場町、と言うことはここまで自分(一人称)が走って来た道が旧街道だったのだろうか。すぐ北側には木曽川が流れていて所々に日本ラインと言う文字も見かける、日本のライン川だから日本ライン、まあ言ったもん勝ちでつけたような名前と言う気もしますが。
先を進むと左側からカーブになって合流してくる道がある、この道が旧中山道に当たるのでちょっと寄り道、そちらへと入って行くとすぐに木曽川に架かる青い橋に差し掛かる。無論往時にはこのような橋はなかったので旅人はこの川を渡っていたことになる、「それやったら橋を架けたらええやん」と言うことになるが、その頃は日本の中で領地争いをしていた時代、簡単にこっちに入って来られるような橋を架けるわけにはいかなかったのだろう。さて、中山道に戻って旧街道の雰囲気が漂う町並の中を・・・って全然そんな雰囲気漂ってなし、道は普通に車が擦れ違えるほどに広く単調な住宅地の中を通り過ぎる道が続くだけ。途中で通り過ぎた踏切はJR太多線、そう言えば名鉄はすぐ近くを通っているようだがその姿は見えず、途中で南へと方向を変えて可児市の中心部へと向かって行く。踏切を越えると国道21号線と合流、風情も何もない大きな道だがこの道が中山道だと言う表示が立っているので、それを信じて先へと進んで行く。国道21号線はその先で本道とバイパスとに分かれる、ここは本道へと入って行く、さすがに車の行き来は少なくなり風景も風情のあるものと変わってきた。そのまま進んで行くといきなりこの旅の最終目標である御嵩町の看板、もう入ってしまったのかと思ったが目的地の宿場町はまだまだ先、その前にひとつ通り過ぎる宿場町が伏見宿、所々に旧街道の雰囲気を感じることはできるがそれほど大きな宿場町ではない感じ。「伏見」と言うと関西在住だとどうしても京都の伏見稲荷を思い出してしまう、資料によると↓↓↓
「伏見宿は元禄7年(1694)に新設された。これは木曽川の流れが変化して、渡し場の位置が上流へ移動したため、それまでの土田宿は廃宿となり、上流に位置する伏見宿が宿場となったことによる。」
とある。なるほど、先程通り過ぎた土田宿の通っていた道が元の中山道だったってことか、と言うことは伏見宿は木曽川の渡しの位置が変わったことに感謝しなければならないな、しかしこの場所は可児からも御嵩の中心地からも離れた所、以前はここを通っていた名鉄線も廃止されて町は静かで寂しい雰囲気しか漂っていない。
伏見宿を後にいよいよ今回の最終目的地御嶽宿へと向かうことに、町名は「御嵩」だが宿場町は「御嶽」、何か「嶽」の字がつくとおどおどしい感じがするがまあそんなことはどうでもいいか。ここもずっと国道21号線を進んで行くが、所々にはここが中山道と言う表示もあって国道から逸れる部分もあるので、ルートには迷わないで進んで行くことができる。そう言えばこの旅って昔全部を食べきることができず地面へと召されていった五平餅を食べると言う目標があったのだが・・・もうほとんどあきらめてる、この辺りも東濃(のあくまでも近く)に位置するのだから走っていたらどっかで五平餅が売っているだろうと思ったのだが、そうはうまく行かないもんですねえ。あとはもう最後の御嵩宿に期待するしかない、その場所までは残り4キロ程、ここは往時の中山道に思いを馳せながら進んで行くことにしよう。さて、今回も時間となったようです、『半分、青い。』もついに終わっちゃいましたねえ、次回はこのドラマについて語らせてください、また気楽にお越しくださいませ。 まちみち
GWに走った岐阜の旅もいよいよ後半戦、こちらもそろそろ終わらせていきたいところですが予定では今回を入れてあとまだ3~4回はありそうかな。前回はたくさんの人で大混雑の犬山城界隈で登録有形文化財を巡りました、人の波をかき分けるように抜けて名鉄犬山駅へ、さて、これより名鉄広見線各駅巡りで可児まで向かおうと思っていたのですが、地図で確認すると可児までの道は結構線路と離れている、時間も足りなくなりそうなのでここは一直線に可児を目指し、更にその先の御嵩まで何とかたどり着くように走って行くことにしよう。犬山の中心部を出てしばらくは線路に沿う道を進んで行くが、山に入り線路が離れて行ってしまうと今度は国道41号線に沿う県道へと入り、愛知県から再び岐阜県へと入る。四方が山に囲まれて本当にこの道で正しいのかと不安になってくるが、小さな峠を越えて町中に入るとそこは土田宿と言う名の宿場町、と言うことはここまで自分(一人称)が走って来た道が旧街道だったのだろうか。すぐ北側には木曽川が流れていて所々に日本ラインと言う文字も見かける、日本のライン川だから日本ライン、まあ言ったもん勝ちでつけたような名前と言う気もしますが。
先を進むと左側からカーブになって合流してくる道がある、この道が旧中山道に当たるのでちょっと寄り道、そちらへと入って行くとすぐに木曽川に架かる青い橋に差し掛かる。無論往時にはこのような橋はなかったので旅人はこの川を渡っていたことになる、「それやったら橋を架けたらええやん」と言うことになるが、その頃は日本の中で領地争いをしていた時代、簡単にこっちに入って来られるような橋を架けるわけにはいかなかったのだろう。さて、中山道に戻って旧街道の雰囲気が漂う町並の中を・・・って全然そんな雰囲気漂ってなし、道は普通に車が擦れ違えるほどに広く単調な住宅地の中を通り過ぎる道が続くだけ。途中で通り過ぎた踏切はJR太多線、そう言えば名鉄はすぐ近くを通っているようだがその姿は見えず、途中で南へと方向を変えて可児市の中心部へと向かって行く。踏切を越えると国道21号線と合流、風情も何もない大きな道だがこの道が中山道だと言う表示が立っているので、それを信じて先へと進んで行く。国道21号線はその先で本道とバイパスとに分かれる、ここは本道へと入って行く、さすがに車の行き来は少なくなり風景も風情のあるものと変わってきた。そのまま進んで行くといきなりこの旅の最終目標である御嵩町の看板、もう入ってしまったのかと思ったが目的地の宿場町はまだまだ先、その前にひとつ通り過ぎる宿場町が伏見宿、所々に旧街道の雰囲気を感じることはできるがそれほど大きな宿場町ではない感じ。「伏見」と言うと関西在住だとどうしても京都の伏見稲荷を思い出してしまう、資料によると↓↓↓
「伏見宿は元禄7年(1694)に新設された。これは木曽川の流れが変化して、渡し場の位置が上流へ移動したため、それまでの土田宿は廃宿となり、上流に位置する伏見宿が宿場となったことによる。」
とある。なるほど、先程通り過ぎた土田宿の通っていた道が元の中山道だったってことか、と言うことは伏見宿は木曽川の渡しの位置が変わったことに感謝しなければならないな、しかしこの場所は可児からも御嵩の中心地からも離れた所、以前はここを通っていた名鉄線も廃止されて町は静かで寂しい雰囲気しか漂っていない。
伏見宿を後にいよいよ今回の最終目的地御嶽宿へと向かうことに、町名は「御嵩」だが宿場町は「御嶽」、何か「嶽」の字がつくとおどおどしい感じがするがまあそんなことはどうでもいいか。ここもずっと国道21号線を進んで行くが、所々にはここが中山道と言う表示もあって国道から逸れる部分もあるので、ルートには迷わないで進んで行くことができる。そう言えばこの旅って昔全部を食べきることができず地面へと召されていった五平餅を食べると言う目標があったのだが・・・もうほとんどあきらめてる、この辺りも東濃(のあくまでも近く)に位置するのだから走っていたらどっかで五平餅が売っているだろうと思ったのだが、そうはうまく行かないもんですねえ。あとはもう最後の御嵩宿に期待するしかない、その場所までは残り4キロ程、ここは往時の中山道に思いを馳せながら進んで行くことにしよう。さて、今回も時間となったようです、『半分、青い。』もついに終わっちゃいましたねえ、次回はこのドラマについて語らせてください、また気楽にお越しくださいませ。 まちみち