まちみちふうけい

四角い枠に切り取られた風景は一瞬のもの、そんな一瞬を追い求めてこれからも相棒と走り続ける・・・

No.1720 京奈和自転車道奈良県内部分を行く(6)

2022-02-27 07:59:43 | みち
よろしくお願いします。























京奈和自転車道を巡る走りもちょうど県内部の中間点、川西町から広陵町へと入って自転車道へと入って行きます。ここまでは既存の市道や町道を自転車道と設定して青いラインの上を伝って走ってきたのですが、葛城川に架かる橋を渡った後は久しぶりに自転車専用道、車の煽りを気にせず走れる区間です。元は葛城自転車道と言って河合町から葛城川に沿う自転車道は近鉄田原本線の下を過ぎて広陵町を南へと進んで行く。進行方向右手側には広陵町にある環濠集落、その向こうには馬見の丘陵地帯にある住宅地、更にその向こうには二上山が見渡せる。一方の左手側は川の風景は見ることができるものの、途中からは堤防に遮られて無機質な壁を見ながらの走りとなってくる。大和高田市に入ってからは左手側も住宅地がすぐ横に寄り添ってきて、風景は全く見えなくなってしまって走っていてもあまり面白くない区間となる。やがて自転車道は中和幹線の下をくぐり抜けて、自分(一人称)くらいの鈍脚では自転車を降りなければ攻めることができない急な坂を上って、やっと風景がうかがえる場所へとたどり着く。


















その場所は上の写真にある、近鉄大阪線と葛城川が交差する所、葛城川沿いには自転車道の対岸に車道がずっと続いてきたが、その道はここでカーブして大和高田市の中心部へ向かうことになっている。左手側にあるのは松塚の環濠集落、近鉄松塚駅が近くにあるから、いつもイオンモール橿原へ行く時に利用している道が近くを通っていることになる。葛城川の自転車道が展望が開けない所を通るのならむしろこちらの道を自転車道に設定しても良かったのでは、とも思ってしまうが、その道も狭いうえに車がビュンビュン走り過ぎる所、やはり危なさは否めない。さて、風景がやっと開けて目の前には近鉄電車、となるとやっぱりここは電車にネタを求めてしまうところ、しばらくはバラエティー豊かな車両が通り過ぎる近鉄大阪線を撮ることとしましょう。








その後は踏切を通り過ぎて橋を渡って葛城川の左側へと移る、左手側には畝傍山が見えている、古代にはあの場所に藤原京があったのだな~、と思わされる。手前にはイオンモール橿原が見えている、自転車道は一瞬だけ橿原市に入り横大路に突き当たり、再び葛城川を渡り車道のままJR万葉まほろば線の下を過ぎて、やがて国道24号線の交差点へとたどり着く。今回はここまでとしておくのですが、またルート設定に不満が漏れてしまいましたねえ、まあ奈良県内・・・と言っても県北部の平野部だけだから半分にも満たないのですが・・・をいろいろと走っているから、ここよりはあちらの方が良かったんでは、と思うことも多々あるわけですよね~。吉野、五條部分は一番最初にお伝えしているので、ルート巡りに関しては次回御所市部分をお伝えして最終回となるのですが、ルート設定の不満箇所についてはひとつ枠を設けてお送りしようと考えています。まあ大きなお世話ではあるのですけどね、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち





No.1719 チョイ To 奈良・・・平城宮跡と近鉄電車編

2022-02-25 08:21:15 | 鉄道
よろしくお願いします。




















今回はチョイ走り、ここでは定期的にお送りしている平城宮跡編です。ここから見る風景、近鉄電車はもうお馴染みのものとなってしまっていますが、この時も休日の短い時間の暇つぶしと言った感じで行ってきました。いつもは朱雀門をバックに走る電車を撮るのですが、今回はまず逆方向に大極殿をバックに電車の写真を撮ろうと・・・、あれ?自分(一人称)の目がおかしくなったんかな、大極殿が二つに重なったように見える。最近仕事でずっと眼鏡・・・と言ってもハズキルーペのパチモンだが、そのハズキルーペのCMもあんまり見なくなったなあ、と思ったら最近は通販番組でよく博士ルーペと言うのを見かけるようになった。まあ自分(一人称)が使っているのは100均で買った安物です・・・をかけているから目もおかしくなるよな~。でもこれは現実、大極殿の前に南門が復原され、昨年の秋頃にその全貌の姿を現した、まあ朱雀門から見ると2つも建物が重なったかのようにしか見えないですけどね。



















この南門は再建工事中は鉄骨の養生に覆われていたが、南門が完成した時にはその鉄の枠の建物が右横にレールでスライドされた。その鉄骨は今も残っていて風景的には見栄えは良くないが、いずれは撤去されて南門は春には一般公開が行われるとのこと、平城宮跡にまた新しい見所ができそうです。近年平城宮付近は整備されて、朱雀門の南側には観光の拠点やバスターミナルもできた、奈良もこれを機に観光客増を狙いたかったところに感染症が蔓延し、その目論見も見事に粉砕されてしまった。一時は落ち着いた感染症禍も今年に入ってまた猛威を奮う状況、いまだに人が訪れてくれない観光地として苦戦しているところですが、その分この広いエリアはのどかな雰囲気が漂っていてこれはこれでいいのかも。しかしこの平城宮跡もこの後大きな転換期を迎えることになります、昨年ここでも取り上げた2060年問題です。













2060年にはこの地を通り過ぎる近鉄電車が地下へとルートを変えて、この風景が見られなくなってしまう。2060年と言うとまだまだ40年ほど先、自分(一人称)もまあ生きてはないだろうけど、これを提案した荒井知事も余程往生際が悪くない限りはこの世にはいていないはず、いわば後世に投げっぱなしとなるのだが、その間にこの愚策覆ってくれないかな~。一時は田んぼや原っぱとほったらかしにされていた平城宮跡、観光地として整備されたらされたで今度は線路を撤去するなんて・・・、景観の問題もあるだろうけど、この草原の中を走る近鉄電車もここではまたひとつのありふれた風景、ずっと残してほしいのが本音です。今回は暇だったので割と長い時間、いろいろな電車の写真を撮りました。京都地下鉄と接続して地下鉄の車両が奈良までやってきて、阪神と接続して阪神の車両も当たり前のように奈良を走るようになった。運用の関係で近鉄のバラエティー豊かな特急電車も入ってくる、上の写真にはないが、朝の時間には『ひのとり』もこの区間を通り過ぎる。電車が好きな自分(一人称)としてはずっと残してほしい風景、また時間を見つけて・・・って来ようと思ったら20分くらいで来ることができる所だけど・・・電車と宮跡の風景を撮りに来ようと思っています、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち



No.1718 2021年大晦日兵庫の旅(1)・・・三木市

2022-02-23 08:23:36 | 旅行記
よろしくお願いします。























大晦日に兵庫県内を走った時の写真のまとめがやっと終わったので、今回から3回に渡って走りの記録をお送りしていこうと思います。もう度々ここでは書きましたが、本来なら年末はしまなみの旅のはずでしたが1週間前の病院の診断で入院、手術しなければならないと言われ旅は断念、それでもあきらめきれずに29日には明石方面へ万葉歌碑巡り、そして大晦日には同じ兵庫縣、久しぶりに三木、加西方面へと行くことにしました。しかしこの時は体調が悪いのに増して相棒君はギアが不調、しかも大晦日は雪で天候が大荒れになるとの予報、体調が悪くなったら引き返すことに決めてと、まさにこの世の不幸を背負い込んでの出発となりました。
阪神電車から新開地で神戸電鉄に乗り継いで地下を出ると天気はまずまず良さそう、六甲の山を越えて鈴蘭台の住宅地を過ぎると電車は兵庫中部の台地を進んで行く。車内は2~3人しか乗っていなくて、兼ねてから廃線の噂もある路線、この状況を見るとますます心配になってくる。窓の外から北側の空を見ると、青空の向こうに明らかに雪雲だと分かる雲が広がっている、ゆくゆくは青の雲の下に行くこととなって雪に降られてトホホな旅になるのか・・・いかんいかん!ネガティブなことばかり考えてしまう。三木駅の2つ手前の恵比寿駅で下車、迫りくるグレーの雲を見ながら駅前で相棒君を立ち上げさあ、出発と行きましょう、まああまりテンションは上がってないんですが・・・















まずは久しぶりの湯の山街道、有馬へ続く道だからこの名前がついているのだろう、その町並の風景は1番目のゾーンでお送りしています。旧街道の雰囲気が漂う町並、所々には登録有形文化財の建物もあって、気分とは裏腹に写真のシャッターを押す頻度は増えていく。旧街道は市の中心部へと差し掛かって橋を渡って神鉄三木駅へ、近辺の火事のあおりを受けて駅舎が燃えてしまったが、今は再建中、この様子を見ると廃線はないだろう・・・と期待させられる。以前は市の中心駅と言っても小ぶりな感じは否めなかったから、今度は玄関口として立派に生まれ変わってほしいところです。さて、再度橋を渡って川の南側にある町並へ、この辺りはあまりじっくりと走ったことがなかったが、巡ってみるとなかなか趣のある所。ちょっと気になる看板があったので、その矢印に導かれて狭い路地を入って行くと家と家の間に小さな水路があって、そこには洗濯場の看板が掲げられている・・・下のゾーンの写真2枚目、3枚目・・・。その水路の脇にかがんで洗濯している人が写っているが、このような町並のど真ん中を流れる水路を生活に利用している場所があったなんて何か意外な感じ、大きな通りも一歩入れば異空間となってしまうんですね~














久しぶりの三木市町並巡り、最後にやって来たのはやはりお約束ですね、三木鉄道の終点三木駅があった所です。以前はJR加古川線の厄神駅から廃線跡を進んでここまでやって来たこともありました、そのスタート部分からこの走りの第2章が始まります、そんなわけで今回はここまでです。

今年の一番最初の更新はこの走りを終えて帰ってきた後の報告、その場で自分(一人称)はこの旅ではかなりわがままにやんちゃに走って来たと書きました。今回の旅はもう何度も述べているように入院、手術を控えているとのことで、かなり気持ちにストレスを抱えた走りでした。年明けすぐでもしかしたら手術前のこれが最後の走りになるのでは、しかもいつ雪が降るかと言うこともあってかなりテンション低めで始まった旅でした。しかしいざ、始まってしまうと夢中になってしまうものです、この後はかなり自分(一人称)でも攻めた走りをすることとなりました、それが「やんちゃ」と言う表現になってしまったわけですが、その顛末については次回以降の話としておきましょう。ついでに言うと入院、手術はもう100パーセントないと言ってもいい状態です、まあその結果は来月の通院で決まるわけですが・・・、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち



No.1717 吉野川分水・県営飛鳥工区(2)

2022-02-21 09:38:19 | 吉野川分水
よろしくお願いします。






















吉野川分水飛鳥工区は前回、高取町で東部幹線水路から分岐する1号工区、飛鳥川から頭首工を経て分岐する2号工区、そのうちの第二頭首工から分岐する左側水路についてお伝えをしました。今回お送りするのは第一頭首工から分岐する右側水路を追いかけて行こうと思います。岡交差点に架かる橋の下、東部幹線水路から放流された用水は飛鳥川を伝って約300メートル先にある第一頭首工で分水路へと分岐する。水路は上の写真にあるように、コンクリートのフタに覆われて飛鳥板蓋宮跡付近の田園風景の中を流れて行く。飛鳥寺の蘇我入鹿の首塚から板蓋宮跡へと続く遊歩道はもう何度もお伝えしたことがある所、菜の花や彼岸花の季節のみならず、明日香村に来ると必ずと言っていいほど通る道、その道に沿って大きなタイルが敷かれたようにあるのが吉野川分水路だと言うのを、この巡りを通じて初めて知った次第です。




















飛鳥寺の裏手から町道を過ぎると水落遺跡がある所へ、ここは以前『ブラタモリ』でも訪れていてこの遺跡にある水時計跡を紹介されていました。当時の天皇の皇太子が造ったのは水が落ちることで時刻を知らせる「漏刻」と言う装置、だからここを水落遺跡と言うのか・・・、とまあそのことは置いといて、その場所の横を何げなくと言った感じで分水路が通っている。北側真正面に天香久山を見ながら田園風景が広がる所を分水路は畦道に沿って流れていく、はるか昔には藤原京があって都として栄えた場所、先ほどの漏刻も水を頼りにされた装置だったから、往時から水の恵みがありがたく思われていたのだろう。今はその水が田畑の実りを潤す重要な役割を、この水路を通じて担ってくれている、引き続きその水路を追いかけて行ってみることとしましょう。











水路は大きな県道を過ぎた所で姿を消してしまう、ちょうど明日香村と橿原市の境界線辺り、ここからはいつものように抽象的な地図と感覚と、マンホールや分水槽を頼りに進んで行かなければならない。飛鳥川の右岸側は畦道と田んぼだけで自転車で通るのが難しい、ここは自転車道を通って庭球場がある所へと向かう、確か前にここでそれらしいものを写真に撮った気が・・・。その思惑通り分水槽を見つけることができた、ここには藤原京廃寺巡りや万葉歌碑巡りで来ていて、その時にこの分水槽が気になって写真に撮ったと思う。この先もマンホールは見つけるもののはっきりした経路は分からず、藤原宮跡の小さな水路も分水とつながりがあるのだろうと勝手に仮定して宮跡周辺を進んで行くと、藤原京資料館の横に大きな分水槽があった。ここは何度も通っているし資料館にも行ったこと・・・藤原京のジオラマがある所です・・・があるのに、分水槽は無意識に見落としていたんですね。ここから先は住宅地に入ってしまい、水路の痕跡も全く見つけられなくなってしまう、先には田畑もないのでここで終わっているか、暗渠となって飛鳥川へと通じているのか???いずれにしても巡りはここで終わりです、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち



No.1716 今年も来ました、巨椋池

2022-02-20 16:14:26 | ふうけい
よろしくお願いします。


















昨年の12月、有馬記念の日に走ったのに続いて1月にも八幡、淀付近を走って来ました、今回は主に巨椋池をテーマに巡って行こうと思います。まずはいつもの府道22号線を進んで八幡市へ、八幡なら自転車道やろ~、と言う人もいると思いますが、その区間はトイレがないので府道を利用することにしています・・・と言っても、実はこちらの方もトイレは長い区間ないんだよなあ。今までよく利用していたJR祝園駅前のトイレは工事中のために閉鎖中、コンビニを逃したら結局石清水八幡宮下のトイレまで我慢しなければならない。今回もそんな感じで八幡市入り、トイレ休憩の後京阪の駅前の小松菜奈の映画でロケ地になったたこ焼き屋さんの前を通り過ぎて御幸橋へ。いつもならそのまま橋を渡って京都市へと入るが、今回は信号を渡って宇治川沿いの道へと入る。まっすぐ進んで行くと左手側には京都競馬場、早くここで行われるマイルチャンピオンシップが見たい・・・天皇賞や菊花賞じゃなくこのレースこそが京都であるべきレースだと思う・・・ものです。一方右手側には大きな水門の向かい合わせに久御山排水機場、昨年はここから城陽市に向けて川巡りで訪れた所です。



















排水機場で河川敷から下りて東一口の古い町並の中を進んで行く、ここは巨椋池巡りの重要な拠点となる所、池の堤にあった町並には登録有形文化財の家屋もあってなかなか趣深い。町並を抜けて国道1号線を通り過ぎると風景は一変して見渡す限りの田園風景・・・とはならない、その風景を遮るかのように高速道が立ちはだかってくる、しかも2本も。その2本の高速道が交わるのが久御山JCT、ここは自転車も通り過ぎることができるところだが、今回はそちらには寄らずに高架道の下をくぐり抜ける。ここからは3番目のゾーンの写真の並びにある風景、またまた見渡す限りの田園風景の中で高速道は遠くなり、東の方の山並みも小さくに見えている。横を流れているのは巨椋池排水幹線、地図では広い範囲に四角い道で区画された場所は実際に走っても何もない所、その中を車がやっと通れるくらいの幅の道と小さな水路が規則正しく張り巡らされている。今回は冬のど真ん中で色のない風景の中の走りだったが、田植えが終わって緑が目立つようになった頃にまた来たくなりました、ただ何もない所だから話は膨らまないですけどね・・・。














・・・と言うことで、話が膨らまないまま3番目のゾーンでは何の話を、と思ったがこれをやるかな、北京冬季オリンピックの話です。まあほとんど興味はないんですけどね、フィギュアもスピードスケートも、スノーボードなんて子供の遊びが競技になっただけやん・・・。そんな中でカーリングだけは一生懸命見させてもらいました、日本、負けちゃいましたねえ、でも銀メダルだからこれでも十分ですよ、宿題は4年後に取り戻しに行きましょう。そんなわけで今日は決勝のイギリス戦を見ていたのですが、予選リーグでも敗れている相手、しかも前回のオリンピックでは3位決定戦の相手だったとのことで向こうにもいろいろと思惑はあったのでしょう。一方的な展開で最後は10エンドを迎えずに握手、何か日本チームが昨年の甲子園の智辯学園にダブって見えてしまいました。でもデンマーク戦やアメリカ戦、準決勝のスイス戦など世界の強豪を打ち破っての決勝進出だから、胸を張って日本に帰ってきていいですよ、宿題は4年後に取り返しに行きましょう!マリリンさんはどんな表情で日本チームの頑張りを見ていたのでしょうか、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち