まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.1665 オリックス優勝について思ったこと

2021-10-31 09:46:56 | 日記
よろしくお願いします。


前回お伝えした通り、今回はオリックス(Bu)優勝を取り上げます。



1988年10月19日、あの10.19のロッテvs近鉄のダブルヘッダー第1試合の試合前、突然阪急ブレーブスが身売りすると言う話が飛び込んできました。その年は南海ホークスがダイエーに身売りして福岡に行くことが決まっていました、そこにもう一つ、関西の鉄道会社が持つ球団がなくなるとは・・・、でもこの日は近鉄(Bu)の大一番、その大ニュースを冷静になって見ることも聞くこともできませんでした。売却先はオリエントリース、知らん、何やその会社、どこかのオーナーは金融業者が野球チームを持つことに苦言を呈していましたが、その会社は翌年にオリックスと社名変更してオリックスブレーブスとなりました。
1989年は近鉄(Bu)、西武(L)との激しい優勝争いの末に2位、元々強い阪急からそのまま引き継いだチーム力は、持ち味のブルーサンダー打線で打ち勝つ野球、福岡ダイエーホークスとは差がつく結果となりました。1991年に「オリックスブルーウェーブ」に改称、そして1995年、阪神大震災があった年です、オリックスは仰木監督の下、「がんばろう神戸」を掲げて初優勝しました。その年の競馬、菊花賞ではマヤノトップガンが勝って杉本アナが「今年は神戸が当たり年~!」と言ったのが印象に残っています。翌1996年も優勝、そして昨年敗れた日本シリーズでは巨人(G)を破って日本一になりました、仰木監督にとっては1989年の近鉄の3連勝からの4連敗があったので、そのリベンジとなったところでした。しかしこの優勝からオリックスは長い暗黒の時期をたどることとなります、まだ2、3年はましな方だったが2000年にイチローがチームを去ると、そこからはもうあとは悲惨な状態・・・

2001年は大阪ドームで近鉄、北川の代打サヨナラ満塁優勝決定ホームランを見せられてしまい、2003年の福岡ダイエーとの試合では↓↓↓

H  788001104 29
Bu   000000001 1


と言う屈辱的な試合もありました。こんなん高校野球の予選のスコアやん、本来なら5回でコールドになるのだがプロだから9回までやらなければならない、これはもう針の筵の中でやるもんみたいなもの、9回裏の1点が空しく見えてしまいます。
そして2004年の球界再編、近鉄消滅でオリックスに吸収、近鉄に関しては自分(一人称)は長くファンを続けていましたが、近年のネーミングライツ問題や球団経営が危ないと言う話が度々出ていて、少し気持ちが薄れていた頃、球団がなくなると言う話を聞いた時も仕方ないんやな~、ってくらいにしか思いませんでした。楽天と言う救世主が現れ・・・その前にも胡散臭いのはいろいろと出てきてたが・・・チームがそのまま東北に行ってくれればまだ応援する気持ちも残っていたのですが、近鉄はオリックスと選手を振り分けて楽天(E)へ分配すると言う措置となりました。自分(一人称)はもうこれで完全に気持ちが離れてしまいましたね、近鉄を吸収したオリックスなんかファンにはなれないし、東北に行った楽天もそこまで気合を入れて応援する気にもなれない、プロ野球から興味がなくなった瞬間でした。今でもその気持ちは同じかな、興味があったのは梨田氏が日本ハム(F)の監督になった時にコーチ陣を元近鉄の選手で固めたことがあった時に応援したくらい。そんな日ハムも西武(L)、ソフトバンク(H)に対抗できるチームとして何度か優勝を果たしていたが近年は低迷、今年は栗山監督が退任して来年は新庄が監督?、ついに笑わせに走ったか・・・。そんなわけで球界再編を経てオリックスは愛称をブルーウェーブからバファローズへと変更、「バファローズ」は近鉄の称号だと思っていただけに、この措置は何か悔しくてならなかったです。




今回のオリックスの優勝は関西が盛り上がるとのことでそれは良かったが、自分(一人称)にとっては誰かが言ったような「元近鉄ファンの方にも嬉しいニュース」ではありません。優勝の翌朝にはたむけんが『おはよう朝日です』に出てきて、選手からのコメントに涙していた、これが25年間優勝から遠のいていた正直なファンの姿でしょうねえ。その他にもますだおかだの岡田とかなにわ男子などがオリックスファンを公表していているが、近鉄ファンを公言していた(共に関西の芸人さん)がオリックス優勝に喜びのコメントを公表していたのが、何か腹が立って仕方なかった。上の写真にもあるように、近鉄百貨店が優勝セールをやるのも何か違和感、まあ近鉄電車に乗るとオリックスのポスターをよく見かけるので、バファローズの流れはかすかに残しているのだな、とは思っていましたが。とある掲示板を見ていると、今回の優勝を喜んでいる近鉄ファンが結構多いこと、近鉄が優勝した2001年以来20年ぶり5回目の優勝と言っている人もいるが・・・やっぱりそれは違うよな~。オリックスは阪急の流れを汲んだチームだし、球団を吸収してバファローズを愛称としていても「近鉄ではありません」。



その掲示板を見ると、オリックスファンは近鉄ファンの参入をあまりよろしくないと思っている一面もうかがえたので、双方思うところはいろいろとあると思います、まあそれが純粋なオリックスファンの言い分だと思いますけどね。「それが近鉄バファローズのファンをやっていた人間が言うことか!」と言われそうなことを今回は書かせてもらったのですが、オリックスの優勝は素直に恐れ入ったと言うところ、そこは気持ちを切り替えて関西のチームを見守っていくこととしましょう。あ、もう一つの関西のチームは・・・今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち




No.1664 滋賀の旅2021年夏編(6)・・・2日目は彦根から

2021-10-29 09:47:18 | 旅行記
よろしくお願いします。

















滋賀の旅夏編、2日目が始まります、宿泊先のホテルの前で相棒君を立ち上げて走り始める、今日もいい天気になりそうだ。まずは最初の目的である万葉歌碑巡りでJR彦根駅へと向かうが歌碑があるのは駅の北側、ここは遠回りしてそちらへと向かいひとつ目の目的をクリア。その後は国道8号線を進んで次の目的地、これも万葉歌碑だが名前の知らない山の入口にあるとのこと、その場所には地図サイトにチェックを記しておいた。旭橋交差点から芹川沿いへと入りチェックした場所へとたどり着くとそこは中山道、万葉歌碑の場所のことばかりに注目していて、そこが中山道だと言うことは全く意識してなかった。ただ歌碑を探し当てるのには結構苦労した、山の周りや周辺の住宅地の中をいろいろと走り回ったがなかなか見つからず、もうあきらめて行こうかと思ったら・・・そんな所にあったのか~、交通ルールを守っていたから見つけられなかったんだあ。



















次の目的地も万葉歌碑巡り、中山道を豊郷まで進み途中で右へと折れて、国道8号線を越えて宇曽川沿いへと出る。次の場所は肥田町の宇曽川沿いにあるとのことでこれまた抽象的な、探すのに苦労しそうやな~、と思っていると案外簡単に探し当てることができた。JR稲枝駅が最寄りとなるこの地はこれまでに来たことがない所、彦根市の一番端っこに当たる場所だが、湖岸道路、朝鮮人街道、中山道と決まりきった道しか走らないからこのエリアは自分(一人称)の走りの中では空白地帯だった。名前も知らない、何の予備知識もないままにやって来た所だが、万葉歌碑がある辺りには町の案内板があり割と歴史がある町とのこと、城下町と言うことで戦国時代にはここに城もあったらしい、奈良は至る所に古墳と言う感じだが、滋賀は至る所に城って感じやな~。万葉歌碑巡りはひとまずここで一段落、次の目的は守山市のハスの花と言うことでしばらくの間は気ままに走ることに。久しぶりに近江八幡の町並に行ってみようと思ったが、県道2号線=朝鮮人街道は車が多いのでパスして・・・湖岸道路も遠回りになるのでパス・・・、これまで走ったこともない道を進んで行こうと思います。














そんなわけでこのゾーンでは走っている間に撮った田園風景の写真をお送りしているのですが、ずっと続く退屈な風景には少し飽き飽きしてきた感じも。何かネタになりそうな風景はないかな~、と思って走っていると、風情のありそうな町並がありました、もちろん興味がひかれたのでその集落へと入って行ったわけだが、その話については次回で進めていきたいと思います。

話は逸れますが、一昨日オリックス(Bu)が優勝を決めました、25年ぶりとのことで関西では割と盛り上がっている感じ、まあ阪神(T)があんな感じで終わってしまったので、みんな話題をオリックスに持って行きたかった感じですが。昨年は最下位だったので今年も厳しいと言うのがまあ名のある評論家の予想、まあ評論家なんて強いチームばかり見ていて下位チームはそんなもんだろうってくらいにしか見ていないのが普通です。ソフトバンク(H)や西武(L)がここまで落ちるとは思えないでしたからねえ~、それでも誰がオリックスと千葉ロッテ(M)がここまで躍進することを予想していたか、でも昨年は両チームとも兆しはあったはずです。選手が揃い始めてきたオリックスなら今年はAクラスは必然かな、と思っていたらそれが一気に優勝ですからね、いや~、恐れ入りました・・・と言いたいところですが、この優勝、ちょっと自分(一人称)にはいろいろと思うところがあります。その話は次回にさせてもらおうかと考えています、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち




No.1663 Go To 甲子園・・・「あかん、優勝してまう」の呪い

2021-10-28 08:17:14 | 旅行記
よろしくお願いします。














感染症禍の勢いがそろそろ収まりそうになった頃、1月に走って以来大阪市へと入りました。出控えていたとは言えこれだけ長く大阪市に来なかったこともなかったなあ、と言うことで国道25号線を進んでまずは阪堺線恵美須町駅へ・・・ってなくなってるやん、廃線になったんか?実は駅は元あった場所から少し南に移設されていた。その後は都心部へと入り毎朝テレビで見ているあの場所へ、そこは『おはよう朝日です』の正木さんの天気予報のコーナーの時にいつもジョギングしている人が映ると言う所。堂島川沿いの遊歩道を進んで行くと朝日放送の社屋があって、ああ~、あのあたりが正木さんと鷲尾アナが立っている所かな、その手前にある遊歩道からジョガーさんが走り始める、そのネタは『探偵ナイトスクープ』でも取り上げられていました。『おはよう朝日です』と言うと・・・6月頃にこのブログでも阪神タイガースの好調ぶりを取り上げて、その時に秋に首位の位置を保てるか?と書いたのですが、案の定ヤクルト(S)に優勝されてしまいましたね。この番組では↓↓↓



とか言って阪神(T)が好調の時にはしゃいでいたのですが、優勝を逃して関西ではとうとう呪い扱いにされてしまいました、はしゃぎすぎやねんって!!しかも昨日(26日)の対戦相手が中日(D)で失策付きの完封負け、今日(27日)の放送では水曜コメンテーター、中日大好き芸人の浅尾美和が司会者の隣で怖がっていたのがあまりにも気の毒、岩本アナ、この罪は大きいぞ~!!その岩本アナ、ヤクルトは残り試合を全部勝っても阪神の勝ち数を上回ることがないので、12球団で一番多く勝ったのが阪神だと言っていたが、一番多く勝っても優勝できないのはプロ野球ではよくあること、それが今年は夏の甲子園でも、ああ~、智辯学園は未来の阪神から「あかん、優勝してまう~!」の呪いをかけられていたのか、村上と右京の未来が心配だ・・・。























走りの方は尼崎を過ぎて・・・その尼崎ではいつの間にか変な天守閣が出現していた・・・旧西国街道を進んで武庫川を渡る。この道を先へと進むと甲子園の町並へ、球場のイメージが強いが「甲子園」はれっきとした町の名前、阪神甲子園駅の北側は瀟洒な住宅地と言う感じで、その町は国道2号線から南に行くにつれて一番町、二番町・・・、阪神線を越えて九番町まで区画されている。阪神甲子園球場は後で取り上げることとして、まずはメインストリートを南へと進んで鳴尾浜公園へ。おっ、阪神園芸の会社があるじゃないか、夏の甲子園では雨に呪われながらも大活躍、2時間遅れの試合開始や大雨が止むのを見越して午後からの試合開始など、今年はグラウンド整備の意地とプライドを存分に発揮してくれました。その先のT字交差点の向こう側が鳴尾浜公園、ここには昔鳴尾球場があって夏の高校野球も当初はそこで行われていた、その記念碑とここで開催された時の歴代優勝校が掲げられている。それではこの走りの最大の目的地、甲子園球場へと戻ることにしよう。















本来なら甲子園球場には夏の大会開催中に来る予定だった、それが雨続きと緊急事態宣言の発令で行けなくなってしまった。大会は無観客試合だから、せめて外から応援の音や声を聴いて雰囲気に浸るつもり・・・東京オリンピックの開会式をスタジアムの間近で見ていた人たちがいましたね、まああれと同じ感じです・・・だったんだけど、今回はそれが叶わずに終わってしまい、1か月くらい経った頃に来ることになった次第です。この日は甲子園では2軍の試合が行われていたようです、センターポールにはオリックス(Bu)の旗がなびいていました。そう言えば1軍では転んでしまったが阪神は2軍では優勝したんだっけ・・・と思って調べてみるとオリックスがぶっちぎりで最下位になっていた。阪神は2軍が強いのはよく話題になるが、その成果が1軍で好成績を続けている結果・・・・・・となっているのでしょう。ちなみに今年の投手成績を見ると村上頌樹投手が最多勝と勝率、防御率で1位となっている、1年目から頑張っているようです、1軍ではボロボロに打たれてましたけどね、確か智辯学園が決勝で負けた日だったかな。その彼が初めて智辯学園を頂点に導いてくれた証が、高校野球の歴代優勝校に記されていました、今年はその名が夏の欄にも入るはずだったんですけどねえ。その智辯学園はセンバツが絶望となりましたが、天理がほぼ出場を確実と決めました、来年も楽しませてくれるでしょうか、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち







No.1662 万葉歌碑巡り・・・春日井市、東山公園編

2021-10-27 07:56:48 | 万葉
よろしくお願いします。























GWに走ってきた愛知の旅、本編は終わりましたが万葉歌碑巡りはまだ残っています、前回は一宮市にある万葉公園にある歌碑を巡ってこの旅の始まりとなりました、今回はその続きとなるわけですが・・・多分話がもたないんじゃないかなあ~。万葉歌碑巡りをお送りする時には各ゾーンで一つか二つは写真にある歌碑の歌を取り上げるのですが、今回はそれがなさそうな展開になりそうなんですよねえ~。走りの方は一宮市から岩倉市、小牧市と名古屋のベッドタウンを過ぎて春日井市へと入りました、春日井となると名古屋からちょっと遠いな~、と言うイメージがあったが、ここには万葉歌碑がたくさんあると言うことで巡りのプランに入れました。その目的地が落合公園から八田川へと続く遊歩道にある万葉の小道、そこには15基ほどの歌碑が道の両側にズラリと並んでいるが、万葉植物をテーマとした歌が取り上げられていて、特別この地に関する歌ってのはなかったんだよなあ~。歌碑を探し当てる楽しさは走っている時には感じることができるが、見つけてしまった後でその歌が当地に因んだものでないと分かると結構覚めてしまうもんなんですよね~、と言うことで一応写真は並べましたがこのゾーンでは歌を取り上げることはなく、次の目的地へ向かうこととしましょう。













国道19号線を結構長い距離を走って名古屋市へと入り、次の目的地は千種区にある東山公園、直線の道路の真正面に大きな森と観覧車が見え、近くへと差し掛かるとたくさんの車が駐車場へと向かって行く。とりあえず公園の入口へとたどり着いたが、公園に入るには入場料が必要、動物園と遊園地があり家族向けの公園のようでお一人様が歌碑を目当てに来るようなところではなさそう。とは言えせっかくここまで走って目的の歌碑を目の前にして、入場料を渋って引き返すのも情けない気がする。よし!行こう!こうなりゃ今日の残りの時間全部ここで費やすのもいいだろう、入場料を支払って公園へと入って行く・・・がこの公園はかなり広そう、目指す万葉歌碑は植物園にあるとのことだが、案内表示板を見るとその植物園に行くまでには結構距離がありそう、タワーを通り抜けて動物園を通り抜けて、池を通り抜けてなんやかんやと歩いて歩いて、やっとのことで植物園の入口へとたどり着いた。その場所にあるのは写真1枚目にある名古屋市東山植物園温室前館、なかなか洒落た建物と言う感じだが重要文化財とのこと、目指す万葉歌碑がある場所はここからまだ先へ行かなければならない・・・。












そんなわけでやっとたどり着いた万葉の散歩道、まあ最初から分かっていたことですがここにある歌碑も万葉植物に因んだものばかりで、ご当地に関するものは見当たらなかった。それでもここまで長い道のりを歩いてきたのだから、撮れるものは搾り取れるくらいに確保しておこう、その模様、風景については2番目、3番目のゾーン、それと先行公開しているフォトチャンネルでもお送りしています。そんなわけで今回も・・・と終るのもちょっと味気ないので、一つくらいは歌を取り上げておきましょう、3番目のゾーンの上から3枚目、4枚目にある歌碑↓↓↓

「あぢさゐの 八重咲くごとく 八つ代にを いませ我が背子 見つつ偲はむ」(橘諸兄・巻20-4448)

作者は男性だが、官人の慶事の祝宴の席で女性の気持ちになって歌ったものと言うことです。「我が背子」とは自分の子のことではなく、慶事の主の官人を表していてその幸せを長く願っているという意味ですが、慶事に「偲ぶ」の文字を使うのはちょっとな~、と言う気もします、まあ昔はこの字も現代のように亡くなった人に対して使うと言うような固定観念はなかったのでしょう。さて、東山公園を後にして、この日は時間的にもう少し動けそうなので、残りの万葉歌碑も攻め落としに行くことにしました。その模様と翌日の巡りの記録については次回でのお送りとしておきましょう、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち



No.1661 チョイ To 奈良・・・桜井市編

2021-10-26 08:33:45 | チョイ走
よろしくお願いします。


















今回は休日の午前に近場をチョイ走り、と言うことで山の辺の道から桜井市へと向けて走った記録をお送りしていこうと思います。まあ巡り自体は完全に間を埋めるためのネタ拾いと言った感じ、ここに並べた写真も前に見たことあるやつばっかや~ん、と言われたらそれまでです。山の辺の道と行ってもほとんどが自転車で走れない区間ばかりなので、結局はいつものように環濠集落と古墳を巡りながら国道169号線を進んで桜井市へと至りました。さって、どこへ行こうかな~、と思って足を向けたのが宇陀ヶ辻方面、特急銀座の近鉄大阪線の写真を撮れる場所となるとここかなあ・・・。



















そんなわけでやって来たのは宇陀ヶ辻交差点から初瀬街道へと入って大和川に架かる石橋、すぐ近くには近鉄大和朝倉駅があり特急以外の列車は停車、追い越し駅なので特急もスピードを緩めると言うことで、ここから電車の姿を狙うことに。早速大和朝倉駅始発の列車が桜井駅へと向けて走り出して行った、更に間もなくアーバンライナー、伊勢志摩ライナーと大阪線を彩る特急列車が颯爽と通り過ぎて行った。今度は場所を変えて駅を見渡せる所へと言って電車を写すことに、と言うことで橋からチョイと進んで初瀬街道と上ツ道との分岐点へ、この場所に来ると民家の前に折れて倒れた石の道標があまりにも切ない姿を晒している、もう修繕する気はないのか・・・。ここから少し先で右へと曲がり線路の下をくぐって急坂を上ると、近鉄大和朝倉駅前のロータリーへとたどり着く、さっきまで走っていた旧街道の古い町並みから打って変わって、ここは丘の上の開発された住宅地で、一歩入っただけでその風景は対称的なものに変わってしまう。大和朝倉駅は以前は普通と準急しか停まらないただの追い越し駅だったのが、数年前のダイヤ改正で急行停車駅・・・急行が各駅停車になる区間が増えただけだが・・・となり、準急、普通がここで始発、終点となる列車が設定された、その話についてはわざわざこの駅だけを1枠設けて取り上げて、ここでお送りしたことがありました。ホームを上から撮った写真の風景はその時と変わらないが、今回は列車のラインナップに『ひのとり』も加わり、バラエティー豊かな特急車両を見ることができました、桜井の町並の向こうには二上山も控えめに姿を見せてくれています。














ここからは写真とは関係ない話を、この前の土曜日にワクチン接種の2回目に行ってきました。奈良市役所に行ったのですが、受付に行くとそこからはもう案内されるがまま、一本の線の上を渡るような感じですんなりと終ることができました、まあ1回目はそのすんなりさがあまりにも有無を言わさずな感じで結構戸惑ったのですが。一番心配だったのは接種後の副反応、1回目の時の接種が終わって15分の待ち時間の間にもらったプリントを読んでいると、痛みや発熱や倦怠感は2回目の方に多く症状が見られているとか、2回接種が終わった人からも発熱が大変だったと言う話を聞いていたので、今回は怖いな~と思っていたのですが・・・翌日は腕に痛みがあったくらいで、発熱はほとんどありませんでした。まあ自分(一人称)は薬の効き目をあまり感じることがない質なので、逆にワクチンも効かないかもと心配になったのですが、感染症には今後も気をつけて行きたいので、引き続きマスクは必須です。夏は暑くても苦しくてもずっとマスクをして走ってましたからね、だからよく自転車道を走っていてノーマスクで走っている人を見ると何してんねん、と思ってました、自分(一人称)もここ一年で完全にマスク警察側の人間になってしまいました。感染症禍、このまま収まってくれるでしょうかねえ~、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち