まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.2031 チョイ奈良走りで重要文化財巡り

2024-01-31 08:26:58 | 文化財
よろしくお願いします。













2023年の暮れも押し迫った頃、残すは年末のしまなみの旅だけとなりましたがその前に、県内をチョイ走りと行ってきました、行先はもう毎度お馴染みの所です。まずは昨年何度も通り過ぎた稗田環濠集落、吉野川分水の貯水槽が立つ辺りにはオタフクナンテンが朝日に照らされて赤い葉を光らせていました。その後もいつものルートをたどって馬見丘陵公園へ、と言っても12月分の来訪は終わっていてこの時はトイレ休憩で立ち寄っただけ。南エリアの入口へといったのですがそこには写真にあるように植物をアートとして飾っていました、子供たちに目を引いてもらうためでしょうか、でもコキアに目をつけるのはどこでもやってますね、もうワンパターンも過ぎた感じです。














最近始めた三角点巡りで香芝市、二上山近くを過ぎて当麻寺へ、いつもなら二上山と近鉄南大阪線の電車の写真を撮るのですが、今回はスルーして直接寺院へとたどり着きました。いつもは電車の写真を撮った後でやって来てトイレ休憩、自販機で飲料を購入するのですが、今回の目的は重要文化財巡り、当麻寺は本堂や東西の三重塔が国宝、金堂や境内から離れた所にある薬師堂が重要文化財、この辺りは拝観料を取られずに自由に見て回れるのがありがたい。有名な寺院となると拝観料を払わないと入ることができない所が多いのがこの巡りの不自由な所、東大寺や興福寺は自由に見て回れるのは初めから分かっているが、これから訪れる所となると前以て拝観料がいるかどうかを調べておかなければならない。さあ、この後はこの先の重文巡りに弾みをつけたいところ、橿原市へ向かうこととします、お目当ては今井町です。






















今井町に行く前に橿原神宮へと立ち寄る、と言っても神宮にある重文は改装中で養生の枠の中で見れず仕舞、近鉄南大阪線の向こうにある久米寺は前に藤原京巡りで訪れたことがある寺院、ここでは多宝塔が重要文化財となっています。森の中の道を抜けて今井町へとたどり着く、もうここでも何度も取り上げたことのある町並は日本の伝統的建造物群保存地区に指定されているが、今回もまたこの町でネタ拾いです。重文物件は地図サイトを見るまでもなく、町中に案内板が立っていて分かりやすい、町並は狭い通路が迷路みたいに張り巡らされているがそこを何度も行ったり来たりしながら順調に巡りを済ませて行く。これまでいろいろなドラマや映画のロケ地になったことでもお馴染み、古き良き時代に似合う町並の中に建ち並ぶ家屋が、こんな押し迫った年の暮れにもやって来た観光客の目を引いていました。

さてさて、話はガラリ変わってしまいますが、今年のセンバツの出場校が決まりました、まあ奈良県民としては2年連続出場なしで全く面白くないですけどね。でも春はセンバツから、今回もまた出場校巡りを別の機会にお送りしていこうと思っています。開会式の入場曲はあいみょんさんの「愛の花」に決まったとか、2年連続で朝ドラの主題歌ってのもなあ、じゃあ今の朝ドラの主題歌で歩けるかって思ってしまうが・・・。今年こそ「今ありて」で行ってほしかったんですけどねえ、でも開会式はこの曲が流れてきただけでもう泣いてしまいそうです。この曲もセンバツのテーマ曲として育ちましたね、谷村新司氏もお空の上で今年のセンバツを見守ってくれることでしょう、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち



No.2030 北近江の旅(2)・・・石田三成の郷

2024-01-29 09:17:40 | 旅行記
よろしくお願いします。

















11月に行って来た北近江の旅の記録の2回目です、JR長浜駅を出た時は降っていた雨も止んで空に青い部分も見えてきました、ただ寒い!これが北近江の寒さなのか~。と言うことで国道365号線の郡上交差点から北国脇往還へと入りました、この道はもう何度も走ったことがあるかつて知ったる所です。まずはいつもの撮影ポイントである虎御前山をバックに水車が回って・・・ない、ないどころか水車自体がない、壊されたのか撤去されたのか・・・。その後は小谷城を取り巻くようにある伊部、尊勝寺、八島の町並を抜けて国道365号線にある道の駅へとたどり着く、映画『翔んで埼玉』のラストでミルクボーイが「滋賀は確認しに行く所」と言っているが、ここで確認したいのは・・・、ありました、今も店の奥の方で江様が微笑んで立ってらっしゃいました。放送からもう13年、放送当時はいろいろと言われたドラマでしたが、浅井三姉妹の里は今でもこのドラマを大事にしてくれていることに感謝です。
















合戦があった姉川を越えて田園風景の中を進んで行くと石田と言う町にたどり着く、ここはその地名からも分かるように石田三成が生まれた所、町中では随所にその跡を見ることができます。もう何度もここで書きましたが、『どうする家康』の石田三成はこれまでの戦国大河にはなかった共感をさせてくれたキャラクターでした。初めての登場の時が良かったんですよね、野望も野心もなく徳川家康と星の話を繰り広げる、それが後に戦うことになる二人の出会いでした。豊臣秀吉亡き後は今後の政をどう進めるかを話し合いその理想を語った三成でしたが、家康がその約束を破る感じで後に関ヶ原の合戦へとつながって行きます。大河では主人公をブラックに描くことで石田三成に共感させる、と言う感じでまんまと脚本家の思惑に乗っかってしまったわけですが、これまでの大河ではなかったような人物として描かれていた気がしました。
















町の中心部にあるバス停から住宅地の中の道を進んで行くと神社がある、その奥に五輪塔が立っている、どうやらそれが石田三成の供養塔のようだ。合戦の敗戦後、三成が処刑されたのが11月とのこと、墓所付近は紅葉が広がっていて訪れるにはちょうどいい時期だったかも知れない。その辞世の句であるのが上の写真にもある歌碑↓↓↓

「筑摩江や芦間に灯すかがり火とともに消えゆく我が身なりけり」

「筑摩江」とは琵琶湖のこと、そこに生える芦の間から見えるかがり火に自分の命を置き換えて最期の時を迎える無念さがうかがえます。彼はどこかで選択を間違えたのか、それとも誰かの間違えに導かれてしまったのか、歴史はいつもそんな瞬間の繰り返しです、それが現世につながっているのなら、その選択の間違えも一役を買ってしまったと言うことでしょうか。そんな無念さを含んだ山間の小さな町にたたずむ墓所を後にして、この後は山を越えて中山道の宿場町へと向かいます、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち




No.2029 三角点・水準点巡り、奈良編

2024-01-26 10:19:37 | みち
よろしくお願いします。




【奈良市・柏木 標高=58.04 m 三等三角点】

【奈良市・佐紀 標高=71.67 m 三等三角点】


【大和郡山市・番条 標高=51 m 四等三角点】


【大和郡山市・1393 標高=58.391 m 二等水準点】


【大和郡山市・池之内 標高=58.4 m 四等三角点】


【大和郡山市・若槻 標高=53.26 m 二等三角点】


【大和郡山市・天井町 標高=51.88 m 四等三角点】

地図サイトを見るとうちの近くの柏木町のケーズデンキの裏手の交差点に印がついているのでそこへと行ってみた、写真2枚目にあるように特に変わりのない普通の十字の交差点、その一角の土手に標石みたいなものがあった、これが三角点か~、と言うことでまたまた新しい巡りとして三角点、基準点巡りを始めました。三角点と言うと山の頂上にあるものを思い出しますが平野部にもたくさんあるんですね、標高を示すものだと言うのは漠然と知っていたのですが、改めて何ぞや?とのことでいつものwikiで調べてみると↓↓↓

「三角測量に用いる際に経度・緯度・標高の基準になる点のことである。日本では高山の山頂や公立学校などの公的建造物の屋上に設置されている。三角点には、基準となる柱石が設置されている。柱石には花崗岩など硬い素材の石が用いられる。石の頂部には十字の切り込みが入れてある。」

と言うことで、その測量方法なども詳しく書かれていましたがよくわかりませんでした。とある地図サイトを見ると三角点は自転車で走れる所にもたくさんあって、これはいいネタ探しにと思って始めることにしました。ただ全体の写真を見ても分かるように標石があるものもあれば、三角点と書かれた小さな木の杭が刺さっているものもあり、そして半分くらいは何の表示もない所も、ただの草むらを空しく目印を探し回ったことも何度もありました、結構地味な巡りとなっています。



【川西町・下永 標高=42.84 m 三等三角点】


【川西町・出屋敷 標高=48.04 m 四等三角点】

【河合町・乙女 標高=71.48 m 三等三角点】



【田原本町・黒田 標高=52.01 m 三等三角点】


【田原本町・東井上 標高=57.36 m 四等三角点】

一方その流れで標高が分かるシステムとして水準点も同時に巡っています。こちらはどう言うものかと調べてみると↓↓↓

「水準測量に用いる際に標高の基準となる点のことである。測量法で定められている測量標の一つであり、永久標識に分類される。国土地理院が設置・管理する水準点は通常、国道や測量当時の旧国道、主要街道沿いに約2km間隔に埋設されており、基準となる柱石又は金属標が設置されている。」

だいたい三角点と同じと言った感じ。3番目のゾーンの1枚目、2枚目にあるのが初めての巡りの場所でしたがここも見た感じ普通の国道が通るだけの何もない所、そこに自転車を止めて何かを探している光景は怪しい人にしか思われかねない。そこで見つけたのはコンクリートの歩道に埋め込まれた小さなピン、そこには国土地理院の文字と地図に記されていた番号が刻まれている、探しているのはこれに間違いない。水準点は国道の歩道やその近くにあって割と間隔が詰まってあるので探しやすい、たまに空振りもあったが三角点とは違って今のところは順調に見つけることができています。




【天理市・24-049 標高=48.0399 m 一等水準点】


【天理市・真目堂 標高=54.47 m 四等三角点】

【天理市・老田池 標高=59.9 m 四等三角点】


【天理市・備前 標高=51.62 m 三等三角点】


【天理市・南六条 標高=54.47 m 四等三角点】


【天理市・田井庄 標高=62.19 m 三等三角点】


【天理市・遠田池 標高=60.79 m 四等三角点】



【天理市・960764A 標高=51.903 m 二等水準点】


【桜井市・東田 標高=72.98 m 三等三角点】

そんなわけで昨年の暮れから始めた巡り、今回は導入編と言った感じで近場を巡った記録をお送りしました。暮れに京都をチョイと走って来た時も巡りましたが、三角点はなかなか見つけられないんだよなあ~、草むらに隠れているか元から表示がなかったのか・・・。見つけられない時はホントに空しくなってくる、だからやめようかとも思ったのですが暇つぶしのネタ探しで巡るにはまあちょうど手頃な案件かも知れない、と言うことで続けて行こうと思います。これまでは知ることができなかったその土地の標高が分かるのはいいですね、この先の旅の目安にもなってくれそうな気がします、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち








No.2028 有馬記念前日、京都で重要文化財巡り

2024-01-24 09:36:26 | 文化財
よろしくお願いします。

















年末に京都を走って来た記録をお送りしていきます、タイトルでは文化財巡りとしてますがまずは京都競馬場へ、有馬記念の前日発売へと行ってきました。前も書きましたが自分(一人称)の本命はタイトルホルダー、人によってはもう終わってしまったと言う声もありましたが果してどうだろう。これまでそう思っても日経賞やオールカマーでは復活してきた馬、思えばタイトルホルダーが名を挙げたのがエフフォーリアの2着に来た皐月賞、得意の中山ならやってくれるのではないだろうか。この馬が不遇を迎えてしまったのはイクイノックスの登場から、その馬がいなくなった今では好きに逃げることができるでしょう・・・とこの時は思っていました。月曜日には「な、言った通りやったやろ」と言ってやろうと思いながら競馬場を後にして京都の中心部へと入りました、ちょっと遅い時間からの文化財巡りの始まりです。


















タイトルでは重文巡りとしているのですが、この時は狭い範囲だったのでそれにこだわらずに、市指定文化財や登録有形文化財も巡りました。京都の重要文化財と言うと古くからの権威がありそうな神社仏閣をイメージしますが、今回巡ったのは島原の角屋、壬生寺狂言舞台、二条陣屋、京都府庁、京都ハリストス正教会、旧日本銀行と、江戸後期から明治にかけての建物。重厚な雰囲気でたくさんの観光客が訪れる観光地とは違って興味がなければ見過ごされそうな所ばかりですが、どこもさすがに箔を纏う所ばかり、そう言った建物こそ自分(一人称)の文化財センサーは活発に働きます。でもやはり京都の重文と言うと神社仏閣、またの機会の巡りの時はもっと広い範囲で時間をかけて行こうと思っています。














それにしても京都府庁ってめっさ分かりにくい所にあるんやなあ~、確か滋賀県庁も中央の通りから外れた所にありますね、奈良県庁は登大路通りの真ん前にで~んと構えているから、そんなイメージからすると京都府庁がこんなこじんまりとした所にあるのが何とも意外。自分(一人称)などは玄関口となる駅の周辺が町の中心部と言うイメージがあるが、ここは西に二条城、東に京都御所とかつての政治の中枢部が近く、この辺りが京都の中心部だったのだろう。お目当てだった府庁旧館は休日とのことで柵に遮られてはっきりと見ることができなかった、周辺を京都府警の建物が構えていてまるで守られている感じ。ドラマでお馴染みの京都府警ってこんな所にあったんか~、映画村の近くだと思ってた・・・、ここに沢口靖子や上川隆也がいるんやな~、とまたまたしょ~もないことを考えてしまいました。さあ、明日は有馬記念、これまではずっと無視し続けていたタイトルホルダーに頑張ってもらって花道を飾ってもらうこととしましょう、とこの時は思っていたのですが・・・、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち



No.2027 しまなみの旅2023年(1)・・・プロローグ編

2024-01-22 10:17:23 | 旅行記
よろしくお願いします。









昨年末に行って来たしまなみの旅の記録をお送りしていきます、今回はプロローグ編と言うことでこの旅に入る前のいろいろな経緯についてお伝えしていきます。12月30日。31日に予定していた旅は1日目は尾道からしまなみ海道を進んで四国へ入り今治で泊、2日目は川之江からJR予讃線沿いに進んで行けたら琴平を経由して坂出まで、と言うことで切符は初日は奈良~尾道、2日目は坂出~奈良で購入しました。さて、気になる天気は・・・、まずは30、31日とも☂マーク、今年も来ました精神的いじめ、その後30日は☁マークが付き31日は☂マーク、しかも大荒れとなるとの予報。頭をよぎったのが2020年年末の旅、雨覚悟で出た旅は香川に入った後強風と雨、更に途中には吹雪にも見舞われ強烈な寒さの中での旅となりました。その日は高松で泊だったが、後で瀬戸大橋線が止まったと知って明日は無事帰れるか心配になったことがあった、どうしてもそのことを思い出してしまい大荒れになる日に四国は危ないかも・・・と言うことで30日の今治のホテルはキャンセル、切符も乗車区間を変更することにしました。




















旅の4日前だったが福山でホテルが取れたのはラッキーだった、これによって四国へ渡るのは断念、走るルートも考え直しです。さて、どうしようか・・・、大崎上島を経由する旅を考えたがフェリーの時間が合わない、なら忠海からフェリーで大三島へ、と言うルートはどうか。時間を調べると電車やフェリーの乗り継ぎに余裕があるし、大三島からもたっぷり時間を使って尾道まで走ることができる、これでまず初日のルートは決まりました。30日は天気は何とか良くなりそうだが翌31日の雨予想は変わらず、どこまで走れるかを考えなければならない、時間ごとの天気をチェックするととりあえず午前中は大丈夫そうなので鞆の浦は久しぶりに行ってみようと決めた。しかしその後が問題だ、福山に戻った時点で雨になるか岡山県に入った所まで行けるかどうか、もうこれ以上思い悩んでも仕方がない、あとは当日の空模様と相談と言う感じで出発することとしました。



















30日はまずJR奈良駅から始発でスタート、いつものように久宝寺駅でおおさか東線に乗り換える。新大阪までつながって新幹線の乗り換えが俄然楽になった。思い出すのは2018年の旅のスタート、大阪環状線で大阪駅から新大阪駅へ一駅だけの乗り換え、しかし東海道線の電車が遅れてしまって新大阪駅での乗り換えで苦労させられた。岡山駅からは松山行きの特急の指定席を取っていたので、重たい相棒君を担いでせっせせっせと階段を上って、新幹線にはギリギリで乗ることができた。もうそんな思いをしなくなっただけに重宝したい路線だが、ちょっと育ちすぎた感も、最近は放出から座れないことも度々あります。映画『翔んで埼玉』では武蔵野線が取り上げられていたが、関西で武蔵野線みたいな存在になるのがおおさか東線と言ったところか。でもこの路線のおかげで奈良にも特急が走るようになって、まだまだ育ってほしい路線です。さて、最初から天気に翻弄されることになったしまなみの旅が始まりました、この後今回も含めて全8回の予定でお送りしていこうと思っています、今回もご覧いただきましてありがとうございました・・・・・・・・・・まちみち