よろしくお願いします。
今回は都跡巡り、まあ自分(一人称)が住んでいるのが平城京のエリア内なので、近辺を走ればもうそこは1300年前は都だった所、過去の風景に思いを馳せながらチョイ巡りと行ってみましょう。そんなわけでやって来たのは八条町界隈、一番上の写真にある平城京の模型図では黄色の丸で囲った辺りです、丸の右側に小さく2つの塔が見えているのが大安寺、と言うことで自宅からはもうすぐにある場所です。佐保川と岩井川に挟まれた所には旧街道の雰囲気が漂う町並やお地蔵様、常夜灯があってなかなか趣深い感じもするのですが、集落を外れた所ではただいま大規模の工事中。将来はここを通るJR大和路線には新しい駅ができ、京奈和自動車道もやっとルートが決まったところでこの辺りもガラリと風景が変わってしまいそう。更にそれに合わせてリニア新幹線の駅も誘致するとか、でもこれについてはルートも決まってないしまあ難しいでしょう、正直言えばこんな所に新幹線の駅は要りません・・・。ちなみに町名は八条町ですがここを通っていたのは七条大路で、八条大路はこの町並から南へ500メートルほど行った辺り、国道24号線では杏交差点がある所でここを通っている道を西へと進んで行ってみることとしましょう。
進んでいるのは元は八条大路だった道、佐保川と秋篠川が合流する所で大和郡山市へと入り、JR大和路線の踏切を渡って県道9号線奈良口交差点へとやって来ました。ここも奈良市と大和郡山市の境界線となる所で、秋篠川が緩やかにカーブしていてそこに沿って通っている自転車道はもう庭と言った感じでいつも走っています。交差点の手前にあるのが九条公園、その入口に立っている看板には、ここが「富本銭」の出土地との案内が記されている。富本銭とは↓↓↓
「683年頃に日本でつくられたと推定される銭貨である。鋳造年代は708年に発行された和同開珎より古いとされる。この貨幣が実際に流通したのか、厭勝銭(えんしょうせん:まじない用に使われる銭)として使われたに留まったかについては学説が分かれている。」
とのことだが、手前を通っている八条大路には朱雀大路を挟んで東西に市があったので、普通に貨幣として流通していたと信じたいところ。そう言えばかなり前に都巡りでこの場所を取り上げた時に、貨幣が出土したと言うことは昔の誰かが落としたのかな・・・、と書いたことがありました。この前テレビを見ていたら開かずの金庫の扉を開けると、昔のお金がたくさん出てきたと言うのをやっていたが、価値がなくなったらほったらかしにされるのは昔からずっと変わらない、その価値に気づくのはいつも時間が経ってからです。
奈良口交差点から自転車道へと入って秋篠川に架かる橋を渡った所には西市の船着き場がある、京の方から川伝いで届けられた物資がここで降ろされ市で売られていたと言うことか。物が流通し貨幣が流通して都が栄える・・・となるはずだったのに平城京はたったの70年しか栄えませんでした、結局はお金だけじゃなくそれを使う人の思惑が時代の盛衰を左右するんだよなあ~。そう言えば最後の話は逸れてしまいますが、BSで『ハゲタカ』再放送やってましたね、この前の月曜日にやっていたのが第3話、第4話、この辺りのエピソードが一番いいんだよなあ。もう15年前の作品なのに、柴田恭兵のセリフにはやっぱり泣かされてしまいました、自分(一人称)も人生の折り返しはとっくに過ぎていますが、残りの人生、自分に言い訳して生きて行くのは・・・やや、言い訳ばっかりやろうな、ここでも言い訳ばっかりですもんね。鷲津はやっぱり大森南朋やな、綾野剛とは格の違いを見せられた感じでした、まあ今回はお金の話をしたと言うことで、最後は『ハゲタカ』の話で締めとしておきましょう、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち
今回は都跡巡り、まあ自分(一人称)が住んでいるのが平城京のエリア内なので、近辺を走ればもうそこは1300年前は都だった所、過去の風景に思いを馳せながらチョイ巡りと行ってみましょう。そんなわけでやって来たのは八条町界隈、一番上の写真にある平城京の模型図では黄色の丸で囲った辺りです、丸の右側に小さく2つの塔が見えているのが大安寺、と言うことで自宅からはもうすぐにある場所です。佐保川と岩井川に挟まれた所には旧街道の雰囲気が漂う町並やお地蔵様、常夜灯があってなかなか趣深い感じもするのですが、集落を外れた所ではただいま大規模の工事中。将来はここを通るJR大和路線には新しい駅ができ、京奈和自動車道もやっとルートが決まったところでこの辺りもガラリと風景が変わってしまいそう。更にそれに合わせてリニア新幹線の駅も誘致するとか、でもこれについてはルートも決まってないしまあ難しいでしょう、正直言えばこんな所に新幹線の駅は要りません・・・。ちなみに町名は八条町ですがここを通っていたのは七条大路で、八条大路はこの町並から南へ500メートルほど行った辺り、国道24号線では杏交差点がある所でここを通っている道を西へと進んで行ってみることとしましょう。
進んでいるのは元は八条大路だった道、佐保川と秋篠川が合流する所で大和郡山市へと入り、JR大和路線の踏切を渡って県道9号線奈良口交差点へとやって来ました。ここも奈良市と大和郡山市の境界線となる所で、秋篠川が緩やかにカーブしていてそこに沿って通っている自転車道はもう庭と言った感じでいつも走っています。交差点の手前にあるのが九条公園、その入口に立っている看板には、ここが「富本銭」の出土地との案内が記されている。富本銭とは↓↓↓
「683年頃に日本でつくられたと推定される銭貨である。鋳造年代は708年に発行された和同開珎より古いとされる。この貨幣が実際に流通したのか、厭勝銭(えんしょうせん:まじない用に使われる銭)として使われたに留まったかについては学説が分かれている。」
とのことだが、手前を通っている八条大路には朱雀大路を挟んで東西に市があったので、普通に貨幣として流通していたと信じたいところ。そう言えばかなり前に都巡りでこの場所を取り上げた時に、貨幣が出土したと言うことは昔の誰かが落としたのかな・・・、と書いたことがありました。この前テレビを見ていたら開かずの金庫の扉を開けると、昔のお金がたくさん出てきたと言うのをやっていたが、価値がなくなったらほったらかしにされるのは昔からずっと変わらない、その価値に気づくのはいつも時間が経ってからです。
奈良口交差点から自転車道へと入って秋篠川に架かる橋を渡った所には西市の船着き場がある、京の方から川伝いで届けられた物資がここで降ろされ市で売られていたと言うことか。物が流通し貨幣が流通して都が栄える・・・となるはずだったのに平城京はたったの70年しか栄えませんでした、結局はお金だけじゃなくそれを使う人の思惑が時代の盛衰を左右するんだよなあ~。そう言えば最後の話は逸れてしまいますが、BSで『ハゲタカ』再放送やってましたね、この前の月曜日にやっていたのが第3話、第4話、この辺りのエピソードが一番いいんだよなあ。もう15年前の作品なのに、柴田恭兵のセリフにはやっぱり泣かされてしまいました、自分(一人称)も人生の折り返しはとっくに過ぎていますが、残りの人生、自分に言い訳して生きて行くのは・・・やや、言い訳ばっかりやろうな、ここでも言い訳ばっかりですもんね。鷲津はやっぱり大森南朋やな、綾野剛とは格の違いを見せられた感じでした、まあ今回はお金の話をしたと言うことで、最後は『ハゲタカ』の話で締めとしておきましょう、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち