まちみちふうけい

四角い枠に切り取られた風景は一瞬のもの、そんな一瞬を追い求めてこれからも相棒と走り続ける・・・

No.1012 明日香へと続く道

2018-10-30 08:47:15 | みち
おはようございます。













毎月恒例と言う感じで馬見丘陵公園や二上山へと走っているのですが、その通り道も毎回同じと言った感じ、大和郡山市の小泉と言う所から安堵町に入り、古い町並の中を通って名阪の下を過ぎる。住宅地を抜けて田園風景の中を走っていると写真1枚目、何か見えてくる、一際目立つ背ぇ~高のっぽさんは聖徳太子、決して中井貴一ではありません、安堵町はその中井貴一が斑鳩から明日香村まで通ったと言う太子道が通る町、と言うことでこのデカい案山子が飾られているわけである。この先大和川を越えて近鉄田原本線を通り過ぎて馬見丘陵公園や二上山へと向かうわけですが、その途中にあるのが一番下の写真にある標識、飛鳥=明日香村まで21キロとある。つい先日もお送りした大和平野の中心部、市にはなり切れない町が連なる所には大和川からの支流が何本か流れているが、その川に沿っての道が藤原京や明日香村に向かっての自転車道や道路となっている。













その中の1本が上の写真にある道・・・ってこの自転車道、前にここでやってなかったかな?確か上のゾーンにある中井貴一と言うフレーズも前に使った記憶が、と言うことで調べてみると「No.987 藤原京、蓮は咲いたかホテイアオイはまだかいな・・・」でお送りしてました、ダブってしまいましたねえ、まあいいか、このまま続けよう。この自転車道は広陵町の第二浄化センター前から始まり南へと進んで、近鉄箸尾駅の近くを通り大和川の支流である葛城川沿いにほぼ真っ直ぐ南へ、大和高田市へと続いている。はっきりとそうとは言えないがこの道が京都の嵐山から和歌山の雑賀崎までをつなぐ京奈和自転車道のルートとなっているはず、ただその表示は全く見かけないのでまだまだ整備中と言ったところか。この時は藤原京へと向かうために利用した所だし将来的には和歌山へと通じることにもなる道だが、途中にはさっき見た飛鳥と表示された看板もあり明日香村へとつながる道でもある、聖徳太子がもしこの道を使って飛鳥へと向かっていたら、この道が太子道となっていたかも知れない。
















こちらにズラリと並べた写真は飛鳥川に沿って通る自転車道、道は大和郡山市の慈光院の近くの県道9号線に架かる橋から富雄川を沿って、河合町、川西町、三宅町、広陵町と経由して橿原市へと至り、近鉄大阪線、JR万葉まほろば線を越えて東南方向へ進み明日香村の中心部まで至っている。この道は飛鳥葛城自転車道と称され、自分(一人称)は今年の夏に明日香村までこの道を利用して明日香村まで走りました、ちょうど夏の甲子園の時だったんだよなあ、仙台育英vs浦和学院の試合を聞きながら走ったんだった。写真を見るとお分かりの通りこの日は空は見えるものの黒い雲に覆われてちょっと不安定な空模様、写真4枚目を見ると風景の右側、ちょうど二上山、金剛山がある辺りは灰色の膜に覆われて何も見えなくなってしまっている。かと思うと数分後には次の写真にあるようにクッキリと姿を見せてくれた二上山。天気は数分おきに変わる状態は続き、橿原市に入った辺りではついに大粒の雨が落ちてきて、空からはゴロゴロと音が聞こえてきた。途中で10分くらいの雨宿りを挟んで再び明日香村を目指して走り始める、最後の下2枚の写真にある線路は近鉄橿原線新ノ口駅から大和八木駅の大阪線ホームへと至る線路、京都と伊勢を結ぶ特急電車が走る所で、たまにここを走る電車を狙ってカメラを向けている人のいるのですが、さすがにこの日は暑いし天気も悪かったのでいなかった。この辺りでは空は見えるけど分厚い雲も広がっていて、更に向こう側では雨が降っていそうなもう何でもありな空模様、そんな中を明日香村を目指して走っているわけですが、その明日香村の風景については夏編、秋編を合わせて次回でのお送りとしておきましょう。今回も時間となったようです、次回も気楽にお越しくださいませ。          まちみち




No.1011 登録有形文化財巡り・三重県編

2018-10-28 21:54:17 | 文化財
おはようございます。















登録有形文化財巡りも随分長くやってなかったよな~、どこをやってどこをやってないのか分からなくなってしまった。とりあえず残っているのを調べてみると三重県を旅した時のがまだだったので、今回はそれをお送りしていきたいと思います、何か在庫処分みたいな始まりで申し訳ないですが、どうぞお付き合いください。

と言うことでまずは昨年の夏、甲子園を聞きながら津から伊勢までを走った時の記録からです。この時の旅の始まりは関宿から、旧東海道にある趣のある町並は自分(一人称)は以前、観光に走っていてちょっと気に入らないと書いたことがあったのですが、この時はまだ朝早い時間、ひっそりとした空気の中にある町並は旧街道の雰囲気が漂っていて・・・これだけでいいんですよ、無理に人を呼び込まなくても、興味を持たれたら人の方からやって来ますから。ただ旧街道と文化財はリンクしないと言うのが自分(一人称)の持論、文化財サイトでマークがついているのは写真1枚目、2枚目にある本堂と鐘楼だけ、宿場町にある家並には古くて由緒ありそうなものも多くあったがそれらには印はついていなかった。写真3枚目にはこの宿場町が日本の道100選であることを示す碑が立っている、そう言えばテレ東系列で放送されていた『トゥクトゥクで行く日本の道100選』、最近やりませんねえ、トゥクトゥク自体がもう走れなさそうだからできないのか、ついでに田代さやかも最近見ないし・・・。











伊勢市は伊勢神宮のお膝元、しかし登録有形文化財となると神宮関連のものはさほどありません、あえて言えばおかげ横丁沿いにある建物(写真無し)と下2枚の写真にある建物くらい。多くの旅人がやって来る所とあって、そのたくさんの人を迎えると言うことで商業は盛んだった一面もうかがえる、写真1枚目~3枚目にあるのは近鉄伊勢市駅の北側にある古い町並、伊勢河崎商人館と称される建物の並びとその付近の町並は神宮のお膝元、伊勢とはまた違ったイメージを引き出される風景である。写真4枚目以降は今年の1月に走った時の写真になります、神宮の玄関口となる伊勢市駅の南側は市の中心部に当たり外宮へと向かう参道が駅前から続いていてたくさんの人で賑やかな所、この界隈にも登録有形文化財はいくつかあるのだが、昨年夏の走りの時もこの時も・・・2度走ったのに探しきることができなかった。その時持っていた携帯が電池の消費が早く頻繁にサイトを開くことができないので、マークのついている場所をノートに事細かく道筋を書いていたのを頼りに走ったのだが、2度とも探しきることができなかった。携帯は3月に新しいのに買い替えたのですが、このことが買い替えのひとつの引き金になったのかも知れません、だから今はスムーズに探し当てることができるようになりました。

















伊勢市を巡った後は近鉄山田線各駅巡りを経て松阪市内へ、市の中心部にはいくつか文化財のマークがあったので、こちらもあらかじめ予習をしておいたノートを頼りにして相棒君を進めて行きました。上にズラリと写真を並べたのですが真ん中辺りにある武家屋敷などは松阪市を象徴する風景としてよく出てくるので、見たことある人もいると思います、まあそんな感じのみんなが知っていると言うものよりは、よその人はもちろん、地元の人さえも知らない建物が文化財としてある、それを探し当てるのが登録有形文化財巡りの面白いところなんですよね~。そう言う意味では上の写真の1枚目、2枚目にある料亭などはお客さんにとっては食を楽しむ所、地元の人にとっても普通に街角にある店って感覚でしかないんでしょうねえ。そんな建物を写真に撮ってると、ほ~ら、写真2枚目で店の前を歩いている人がこっちを見ているよ、「こいつ、何写真に撮ってんねん」てな具合に、でこちらは「アンタらは地元の人やのにこの建物が文化財やと知らんやろ~」な~んてね・・・今回も時間となったようです、次回も気楽にお越しくださいませ。           まちみち





No.1010 岡山の旅・プロローグ編

2018-10-25 09:21:43 | 旅行記
おはようございます。













さあ、今回からは新章、9月に行ってきた久しぶりの泊りがけの旅についてお送りしていきます。行先は1日目が岡山、2日目が香川、泊りがけと言うことで久々にちょっと贅沢な旅をしたと言う感じでしたが、本格的な旅の本編については次回からと言うことにさせてもらって今回は岡山の旅プロローグ編としてお送りさせてもらおうと思っています。
前回の泊りがけが2015年の大晦日の湘南~富士方面、今回は約3年ぶりとなるのですが長らく自粛していた旅を再開させたのにはいろいろと事情があったからです、最近は日帰りの走りを終わらせる時間が遅くなったのもまあ同じ事情から、その辺りについては特に詳しく話はしません。そんなわけで久しぶりに遠出をしようと思って、さて、どこへ行こうかと考えていて思いついたのが大崎上島、昨年2度しまなみ海道へ行ったのですがどちらも日帰りだったので、離島まで足を伸ばすことができなかった、今回の旅では何としても行程に組み込みたい。と言うことで初日に大崎上島、下島、2日目は鞆の浦を巡る予定を立てて時間繰りも宿泊地も決めて、さあ、切符の購入にJR奈良駅の緑の窓口へ、「奈良から呉線の竹原までの普通乗車券と新大阪から福山までの新幹線自由席を・・・」











新幹線は余程長い距離を乗らない時はもう自由席と決めている、理由は自転車を車内に持ち込みたくないから。いつもは指定席は車両の最後部の座席をとりその後ろのスペースに自転車を置くようにしていたが、去年の旅ではそこに置いていると外国人が大きな荷物を押し込むようにして置いて行った、その時は何とかその荷物を引っ張り出して相棒君を救出してデッキへと移ってずっとそこでお立ちを決め込んだ。新大阪から福山までだと1時間とちょっとくらい、それくらいならお立ちでも我慢できる、と言うことで自由席と決め込んだ、まあ広島から向こうとなると、もしくは東京方面となると指定席をとると思うがその辺りはまた考え処になってしまいそうです。そんなわけでみどりの窓口で先述したように言ったのですが、窓口の駅員さんは何かパソコンの画面を見ていろいろと調べている、こちらは「早ようせえや~」とだんだんイライラしてくる、すると駅員さんから「呉線は大雨の影響で今も動いてません」との言葉、えっ、そうなの・・・


と言うことで旅の行程は考え直し、以前から考えていた岡山の旅を練り直し、2日目に香川を走る予定へと変更しました。岡山の旅はできるだけいろいろと巡りたい、路線を巡りたい、やっぱり瀬戸大橋は見ておきたい、できれば夕暮れ時、そして橋を渡りたい・・・で、宿泊先は香川に渡って丸亀のホテルを手配しなおし、2日目の予定はとりあえずその後で考えると言うことで、後日、岡山までの乗車券と新幹線自由席を手配しなおしました。















今回は予告編みたいなもの、映画館ならそろそろ映画泥棒の画面が流れるようなものです、と言っても本編はまもなく上映ではなくまた別の機会になってしまいますが。もう少しだけネタバレすると今回の岡山の旅、鉄分多めの旅となっています、岡山電軌、JR吉備線、水島臨海鉄道に下津井鉄道廃線跡などを各駅巡りしました、あとは吉備の緑いっぱいの風景、倉敷の町並、瀬戸大橋では泣ける風景も見ることができました。そして旅にはトラブルも付き物、まあ長時間走っているとこれまたいろいろとあるものです、その辺りはまた本編、次の機会にお送りしていきたいと思います。さて、今回も時間となったようです、次回も気楽にお越しくださいませ。           まちみち



No.1009 リベンジ走り、明石を目指して(2)・・・各駅巡り、阪急今津線、その2

2018-10-24 10:02:23 | 旅行記
おはようございます。
















明石を目指しての走りはJR川西池田駅から始まり、宝塚からは阪急今津線各駅巡りで南へと進んできています、旅のお供はラジオのイヤホンから聞こえてくる夏の甲子園、準々決勝は熱い戦いを期待していたのですが第1試合は大阪桐蔭が浦和学院を圧倒しています。さて、走りの方はまずは今回最初の小林駅、読み方は「obayashi」、閑静な住宅街の中にある駅は道が入り組んだちょっとわかりにくい所にあった。小林駅と言うと思い出すのが映画『阪急電車』、主演の中谷美紀がウエディングドレス姿でこの駅に立っているシーンは印象に残っている、ただ駅は住宅地に接した所にあってホームの様子を写真に撮ることはできなかった。ここは気を取り直して次の駅を目指して行く、閑静な住宅地と言っても道は狭くて車も多くてせせこましい、やがて左手側にはテレビでもよく見る大きな銀色の屋根が見えてきた、次の駅に行く前にちょっと寄って行くことにしよう。そこは阪神競馬場、自分(一人称)は奈良に住んでいるから競馬を見に行くとなると京都が主流、阪神の方は前はよく行っていたが一番最後に行ったのがファインモーションが1番人気で負けた時の有馬記念の日、もう何年前かも忘れてしまうくらいの昔の話となってしまった。その時は最寄りの駅を下りてすぐにある地下道を歩いて競馬場にたどり着くと言う経路になっていたが、それは今も変わってないみたいだ、ちなみにこの日は夏競馬真っ盛りで阪神競馬場は場外発売でひっそりとしていた。競馬場の横には宝塚から続いている県道が通っていて、その先の急な坂道を上って川の手前の道を折れた所にその最寄駅となる仁川駅がある。それほど大きくない駅と言うイメージはあったが改札機の多さは競馬客を見込んでのことだろう、駅前はロータリーになっていて競馬新聞を広げてベンチに座っている人もいる、すでに場外で馬券を買ってきた人が帰りにこれで大丈夫か、買い足しはないだろうかと確認しているのだろうか。ちょっとホームの様子をと思って横の川へと出る、ちょうどスペースがあったのでそこで自転車を止めて阪急電車の写真を撮る、いつも言っていることだがやっぱり阪急電車・・・(略)















次の甲東園駅は周辺が賑やかな住宅街や商店街が近くにあって活気のある町並の中に溶け込むようにある、今津線の途中駅の中ではこの駅が乗降客が一番多いとのこと。まあ自分(一人称)の庶民的な考えからすると「○○園」と言う駅名は高級感が漂っていて近寄りがたい気もするが、この駅も駅舎がいかにもお洒落な造りになっていて、まさにこれが阪急なんだなあとイメージがしてならない。駅の南側には新幹線の高架が通っていてここからすぐの所で六甲トンネルに入る、ちなみにそのトンネルの上にあるのが関西学院大学、甲東園駅の乗降客数が多いのは関学の学生さんが利用することも影響しているのだろう。そのまま新幹線の高架の下を過ぎて線路沿いを南へと進んで行くと次の門戸厄神駅、ここまで下りてくると・・・と言う言葉を使うと高級住宅街から庶民の町に下りてきたと言う感じになってしまうが、やっと自分(一人称)の肌に似合った所に戻ってきた気がする、とは言ってもまだまだ高級住宅地の一部には違いないのですが・・・。駅のすぐ横に踏切があり、駅前で今走って来た道と踏切の向こう側からのちょっと狭めの道が斜めに交差している、その交差点の一角には「旧西国街道」の表示が立っている。この旧西国街道となっているのが踏切を交差している狭い道、阪急今津線各駅巡りは残りの駅巡りはここまでとして、この住宅地を縫うように通っている狭い道を進んで行くこととしよう。と言うことで旧西国街道へと入ったのですが、門戸厄神への道標が立っているのを見かけるくらいで普通の住宅街を通り抜けて行くだけ、旧街道の雰囲気は到底感じることもできない町並、道の曲がり具合、うねり具合から旧街道の痕跡がうかがえるくらいだ。やがて道は中途半端な形で途切れてしまいこの道と並行して通っている国道161号線へと合流する、ここからは車がビュンビュン行き来する味気ない町中を進んで行って国道171号線の終点、国道2号線との札場筋交差点へとたどり着く、前回は来ることができなかった四角い建物ばかりが建ち並ぶ西宮の町、ここからはいつもの神戸までの道、国道2号線を進んで行く。







タイトルにリベンジと書いている通り、7月に熱中症で断念した走りを取り戻すための旅、ちょっとカッコよく言えば自分(一人称)の気力、体力を再確認する旅とも言ったところでしょうか。今回はスタートを兵庫県内としただけに是非とも目的地の明石までは行っておかなければならないところ、今のところ体力的には問題はないのでまず目的達成は大丈夫でしょう。さて、その走りの方はサクッと神戸市内までやって来ました、ここからは明石を目指す旅となるのですが、今回の味付けは山陽電鉄各駅巡りで進んで行きたいと思います。山陽電鉄各駅巡りはこれまで何度か実行しようと考えていたのですが、2度人身事故や架線トラブルで阻まれている計画、こちらもまたリベンジと言うことになります。今回は時間的に姫路までは無理なので明石までを最終目的と決めました、次回からは山陽電鉄各駅巡りでこの旅の続きをお送りしていこうと思っています。さあ、今回も時間となったようです、また次回も気楽にお越しくださいませ。         まちみち







No.1008 大和鉄道100周年(2)・・・三宅町から田原本町へ

2018-10-23 01:37:50 | 鉄道
おはようございます。
















大和鉄道100年を前回お送りしたのはもう2ヶ月も前のことでした、いや、別に忘れていたわけではないんですが、まあ機会がなかったと言うことにしておきましょう、いろいろとお伝えしなければいけない案件が山積みになっていますからね。昭和初期には王寺から大和平野の中心部を斜めに桜井まで結んでいた大和鉄道、今回の走りはそのルートを巡って走っているのですが、前回は現在その一部の新王寺駅~西田原本駅が近鉄田原本線として営業しているうちの新王寺駅から箸尾駅まで走りました、今回はその続きを巡って行くこととしましょう。
箸尾駅付近で広陵町の旧街道の雰囲気が漂う町並を一巡り後、近鉄線に沿うようにある道を進んで行く。この辺りでは南北に流れる川が二つ並んでいて道はアップダウンでそれを越えて、春のセンバツにも2度出場したことのある大和広陵高校の前を通り過ぎて次の但馬駅にたどり着・・・かない、駅がどこにあるか分からない。道を逸れて集落の中の狭い道を縫うように進んで行くとやっと但馬駅へとたどり着く、しかし何て分かりにくい場所にあるんだ、この駅。この但馬駅があるのが三宅町、と言っても町の中心部はこの駅からは結構離れている、更に言うと三宅町の中心部って一体どこやねんと言った感じ、なぜならこの町は奈良県では一番なのはもちろんのこと、日本でも二番目に小さな町である。野球のグローブの生産地でちょっとだけ名の馳せている町、有名プロ野球選手もこの町で作られているグローブを発注しているとか。さて、但馬駅を後にして、またまた今進んできた道へと戻って東へと向かって行く、大和平野を斜めに走っているイメージがある近鉄田原本線もこの辺りは道に沿って東へ向けて並行している。やがて道は古い町並に入り細い道と交差する、この道が太子道で、ここを左に曲がってすぐの所に次の黒田駅がある。この駅もさっきの但馬駅同様1線1本のいかにもローカル線な感じの駅、ちょっとおしゃれな造りの駅舎が存在感を主張しているかのようだ。









黒田駅のすぐそばを通っている高架の道路が京奈和道、今は無料区間で国道24号線のバイパスと言った存在である、近鉄線はこの高架の下を過ぎて南へと緩やかにカーブして終点の西田原本駅へと向かっている。走りの方は太子道へと入り京奈和道をくぐり抜けて保津の環濠集落を通り抜けて近鉄西田原本駅前へとたどり着く、駅のすぐ東側には近鉄橿原線の田原本駅があり、両駅前に挟まれた場所は近年整備されて乗換えも楽になった。確か昔は田原本駅は東側にしか入口がなく、駅を出て踏切を渡ってまだ古い駅舎だった西田原本駅まで歩いて行かなければならなかった、今でも両駅は離れているので歩かなければならないのは変わらないがその距離と時間は短縮されている。どうせなら西田原本駅を出たすぐの所に橿原線との連絡線があるので橿原線と直通運転してもいいんでは、とも思うのだが、よくよく考えてみるとあまり需要はなさそう、田原本線は今のままで王寺町と田原本町の間にある町のお客さんをのんびりと運んでいるのが一番幸せな時間なんだろうな。













近鉄田原本線各駅巡りはここまで、しかし往時にはこの先桜井まで線路が通じていて大和鉄道が走っていた、と言うことでその線路があったであろう所をたどって先へと進んで行きたいところなのですが今回はここまで、続きに関してはまた次回と言うことにしておきます。そんなわけでこのゾーンで並べたのは田原本駅前の風景、下ツ道が南北に貫く町並は前にも何度かお送りしたこともありましたが、時代を感じさせる古い建物や町並が続き、道標も多くなかなか趣深い所。それにしても前回、今回と走って来た所は全部町なんですよね~、どの町も結構自己主張が強いのか、市になりたがらないんだよねえ、何か意地を張っている感じがしてならない。いっそのこと強引に合併してしまえば・・・なんて言うと各町から非難ゴウゴウ浴びそう、この辺りが奈良県が一皮剥けない部分な気がしてならない、まあ頑なに自己主張することは悪い事ではないんですけどね。そんなわけで今回も時間となったようです、久しぶりの更新になってしまったのですが、何か中途半端な気持ちでの終わりとなってしまいました、まあそんなことには懲りることなく、次回も気楽にお越しくださいませ。        まちみち