まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.1578 Go To 大津(2)・・・瀬田川と瀬田の唐橋

2021-05-31 11:23:29 | みち
よろしくお願いします。

















大津市GoTo編、浜大津から近江大橋を渡って草津市へ、しかしそれも一瞬で湖岸道路を右へと進んでまた大津市へと入りました。漕艇場前を通り過ぎて湖に沿って自転車が通れる道を進んで行ってJR東海道本線の架橋の下へとたどり着く、ここではお約束のように電車の写真を撮ったのですが、昔は華やかな幹線路線も今では同じような型の電車が時間通りに走り過ぎていくだけのつまらない路線になってしまっている。結局2本ほど撮っただけで走りを再開、ここから先は公園の中を進んで行く、ちょうど桜も見頃の時期で公園にはたくさんの人が繰り出していた。でも最近は奈良県よりも滋賀県の方が感染者数が多くなってきているんですよね、大阪も京都も減ってきている中で滋賀県の数が増えてきているのがちょっと気になるところです。ところでこの辺りでは対岸がもう向かい側の近い所まで迫って来ていて、もう湖ではなくなっている、地図で見てみると国道1号線には瀬田川大橋と記されているからここはもう瀬田川に入ってしまっていると言うことになる。琵琶湖から大きな川幅の瀬田川へと流れ出る水はこの先どこへとたどり着くこととなるのでしょうか、この後は途中までですがこの川を追って行ってみようと思います。



















瀬田の唐橋へとやって来ました、この橋が架かっているのが旧東海道、しかし旧街道とは言い難いくらいに交通量は多くて湖岸道路との交差点付近は渋滞になっている。信号を渡って橋の下へと至り橋の下をくぐる、さっき通り過ぎた公園で三角屋根の小さな小屋の横に立っている電光掲示板・・・1番目のゾーンの一番下の写真にある施設・・・が気になっていたが、ここからでは琵琶湖の情報が代わる代わるに表示されているのが見えた。その後は唐橋を渡って対岸の道へ、国道422号線が通っているが川の沿いには自転車道があるのでそこを走って行くことにする。走ったのは4月最初の休日だったが桜はもう見頃が終わってしまっていた、年々満開の時期が早くなってきているのはやはり温暖化の影響でしょうか。琵琶湖周辺はまだ花が咲いていて見頃の最終期と言った感じ、春休みの最中とのこともあって人も暖かさに誘われて出てきているようです。おやおや、どこからか威勢のいい掛け声が聞こえている、どこかの大学のボート部が集まってエールを掛け合っているらしいが・・・このご時世だ、マスクしろよな!
















新幹線の高架下をくぐり抜けて川に近い所を通っている自転車道を進んで行く。大きな河口から水が流れ出る光景はあまり見ることがないが、瀬田川はこの先山の方へと差し掛かって行く、でもそれでも下流方向となるんだよなあ~、何か変な感じ・・・、まあその風景については次回でのお伝えとしておきましょう。写真4枚目、5枚目にあるのは京阪石山坂本線の終点駅である石山寺駅、観光名所の玄関口と言うにはあまりにも寂しいと言うか、そんな雰囲気などまったく感じられない行き止まり駅。まあ当の石山寺がここからまだ1キロほど先なのだから仕方ないだろう、交通手段はバスと言ったところでしょうか。自転車道と国道を出たり入ったりしながら、その石山寺の参道入口へとたどり着きました、と言ってもまあここも相変わらずスルーですけどね。浜大津辺りではどんよりと曇り空でしたが、午後になってここに来て青い空も見えてきました、走りの方はそれでももう奈良へ向けての帰り道へとなっていますがまだまだ先は長い。次回は瀬田川を先の方へと追いかけて山の方へと入って行きます、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。・・・・・・・・・・・・まちみち


No.1577 徳島への旅(5)・・・登録有形文化財巡り、引田町

2021-05-30 22:45:46 | 文化財
よろしくお願いします。















徳島へ向けた走りも中盤戦、東かがわ市の中心部を過ぎて峠を越えて引田と言う町に入りました、ここにはいろいろと巡る所がありそうなのですが、その前に1番目のゾーンではさっき通り過ぎてきた志度の町並をおさらいしておきましょう。琴電志度線各駅巡りの終盤、進行方向左手側に海が見えた辺りからは国道を外れて旧街道へと入る、まずは大きな石灯篭がお出迎えしてくれます。いい雰囲気の町並の中を進んで行くと平賀源内先生旧邸と書かれた建物の前へとたどり着く、そうか~、平賀源内ってここの出身の人なんだあ・・・って平賀源内って誰?と言うことでwikiで調べてみると『キカイダー01』でシャドウがタイムトンネルで江戸時代に行って平賀源内を誘拐を画策したエピソードが載っていた、ああ~、その話はよく憶えている。蘭学者、医者として名前を知っているくらいですが、何かいろいろと肩書を持っている人だったようです。この町並を通り過ぎて行くと琴電の終点志度駅へとたどり着くが、古ぼけた感じの木造駅舎が町並の雰囲気に合っている感じ、でも文化財になるよりも前に改装されてしまいそうです。



























さて、引田での登録有形文化財巡り、海が近くに見える朱色の橋を渡ると何か異様な雰囲気が漂う赤い壁の建物が建ち並ぶ通りへと入って行く。入口に掲げられた看板には「かめびし屋」と書かれている、関西ではあまり名前を聞かないが四国では有名な醤油のお店らしい。通りを突き当たった所にも時代を感じる由緒ありそうな建物が並んでいて、この辺り一帯がかめびし醤油の店や製造蔵で占められている。狭く建物が入り組んだ通りを縫うように進んで行くとレトロな洋館の建物と、対称的に江戸時代へと戻ったかのような古めかしい建物が通りを挟んで向かい合っている。レトロな洋館は元は郵便局、今は風の港館という名の観光目的のカフェとなっている、文化財となっている旧郵便局はこれまでにもいろいろと巡りましたね、奈良では御所市や宇陀市にもありました。最近は新しい巡りのテーマとして郵便局の写真を撮っているのですがこれはどうでしょうねえ~、果たしてネタとして使えるかどうか、まだ微妙なところです。引田の町は海に面して港があって、その奥は町並と通りが碁盤の目状に展開していて、その中には登録有形文化財に指定された建物も多くある、町の交差点に案内の看板があったので、この後もそれを参考にして登録有形文化財の建物と古い町並を巡って行きました。そう言えば港と海の風景、JR高徳線各駅巡り引田駅は前回にお伝え済みでしたね、さあ、徳島へ向けての走りを再開していきましょう。

志度、引田・・・登録有形文化財の町










本編の走りはまだ香川県内ですが、登録有形文化財巡りの方は一足先に徳島県へと入りました。もう徳島市も目の前と言ったところで通りかかった醤油工場とお店が気になったのでちょっと寄道、蔵らしき建物のシャッターの横にはが掲げられているのが見えています。三角屋根の蔵が建ち並び、道を挟んだ向かい側にはお店があって、中から購入したのか瓶を抱えたお客さんが出てきました。ここはノーマークだったので帰ってから調べてみたのですが、いつもの登録有形文化財のページにはこの建物は載っていない、ちなみに鳴門市のHPで文化財一覧を見たが、そこにも福寿醤油の文字は見当たらなかった???でも写真3枚目には確かにあの文化財のプレートが掛かっているのが見えているからなあ・・・、よく分かんないや、こんな形で終わるのはあまり気分いいものではないけれど、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。・・・・・・・・・・・・まちみち



No.1576 季刊・馬見丘陵公園、冬号

2021-05-29 23:26:35 | 
よろしくお願いします。





毎年年末に走りの備忘録でお送りしてきた馬見丘陵公園巡りですが、今年は季刊として今回は1月から3月までの風景、光景を冬号としてお送りしていこうと思います。季語では1月~3月は春になるのですが、風景はどう見ても冬なので冬号と言うことで、まずは1月から↓↓↓

【1月】






















毎月1回は行っている馬見丘陵公園、今年最初の来訪は1月11日でした、そう言えば2年前の1月来訪の時は部分日食があった日でしたね。昨年末から寒さと強風に悩まされた日は続いていて、この日も案の定の寒さと言ったところ、もう写真1枚目からして寂しい風景だったと言うのは分かるでしょう。園内の植物は枯れてしまっていて色を失ってしまっている、そんな寂しい光景に彩を添えてくれたのが野鳥たちでした。池ではカモさんが集団で押し競まんじゅうでもしているかのよう、遠くの方でくるくると回って寒さを凌いでいるのでしょうか、そんなにくるくる回っているとバターになってしまう・・・わけないじゃ~ん。その他にも公園内ではいろいろな鳥さんたちを見ることができるのですが、自分(一人称)は動植物はどうも苦手なので何が何だか全然分かりません・・・。


【2月】









2月、そして下のゾーンにある3月、ともにまだ風景は華やかさには程遠い感じ、春が待ち遠しい時期ですが確実にやって来るものです、慌てずゆっくり待つこととしましょう。折からの感染症禍は衰えることもなく、この時はそろそろ終息するのだろうと思っていたのですが、変異種ウィルスの蔓延が関西で起こってしまいその煽りは奈良にも到来、3月にはその兆候が始まり4月から5月にかけては奈良でも100人を超す日がありました。最近はその数もやっと落ち着いてきた感じ、関西全体でも感染者数は落ち着いてきたようですが油断は禁物です、緊急事態宣言は来月20日まで延長されましたね、仕方ないところでしょう・・・って前はそんなこと言わなかったキャラやったのに、とか思われているでしょう、でも自分(一人称)の周辺でも黒い影は確実に近づきつつありましたからね、あんなに嫌だったマスクも今では超必需品となっています。


【3月】











話は逸れてしまいますが阪神(T)の佐藤輝明選手、昨日の西武(L)戦で1試合3本塁打、新人ではあの長嶋茂雄氏以来と言うことで、本当にすごい奴ですね~。高校野球では無名校で無名の選手、甲子園には出てないんですよね、ホンマ、阪神を変えてくれそうな選手、こんな逸材、いったいどこにいたんだ!↓↓↓



ありゃりゃ、また変なのが出てきました、ってまあネタふりしたのは自分(一人称)なのですけど・・・。『おはよう朝日です』も今年は阪神(T)が絶好調なので番組も調子に乗ってしまっているような感じ、面白くないのはオリックス(Bs)ファンのたむけんと中日(D)ファンの浅尾美和・・・ってこの人最近来てないんですけど、緊急事態宣言のための欠席ですが案外阪神ばかりの雰囲気にいたくないのかも・・・くらいでしょうか。スポーツコーナー担当の関本氏、濱中氏、桧山氏は阪神OBで現役時代は結果を残している選手、チーム同様調子に乗った解説で朝から絶好調といった具合。それよりも更に絶好調なのが金曜日担当の「ナリ君」なのですが、この人はいったい誰やねんレベル、現役時代は打った本塁打の数が6本、佐藤選手が4月でもう追い抜いてるやん、阪神ファンはこの人の解説を許せるんかいな~と思ってしまいます。シーズンももう3分の1は終わってこれからは交流戦、そして夏が来て秋が来て・・・、その頃には阪神(T)はどこにいてるでしょうかね~、一番上かそれとも順位を落としているか。自分(一人称)はプロ野球はあまり興味はないのですが、朝からあれだけはしゃがれると、特に今成はしゃぎすぎ、やっぱり気になってしまいます。まあ沈み切った関西の経済に阪神(T)が一役買ってくれるのもいいでしょう、そのためには佐藤選手にはもっと打ってもらわなね、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。・・・・・・・・・・・・まちみち



No.1575 京都疏水巡り・・・分線(1)

2021-05-27 10:04:53 | みち
よろしくお願いします。


















京都での疏水巡りは昨年のうちに本線の方は巡りを終えましたが、別線の方がまだ残っています、今回はいよいよそちらの方へと踏み込んで行ってみようと思います。今のところ今年に入ってからは直近になる京都市中心部の走り、そうか~、もう4ヶ月も行ってないんやな~。疏水巡りの方は前回、横道編として祇園から白川をたどりました、知恩院から平安神宮へと経て白川通りへ、今回はそこから始めて行くこととしましょう。白川通りの永観堂の道標の碑が立つ交差点を右へと折れて、急な坂を上って行くとトンネルから姿を現した疏水分線が流れている場所へとたどり着く。その水路に沿って通っている未舗装の道が哲学の道、京都ではあまりにも有名な通りだがこの時は冬の真っただ中に折からの感染症禍と言うこともあって人の姿もちらりほらり、観光客はなかなか戻ってきていないようです。














花の季節になると人もたくさん出て風景にも彩りが表れるのでしょうが、今は写真を見ての通り木は枯れて緑はほとんど見えない状態。そんな色を失った風景の中でも水路の水は透明感を湛えて悠々と流れている、ここはその水路をたどっての哲学の道を散策となるのだが、南禅寺から銀閣寺方面に行く時は白川通りか鹿ケ谷通りを行くようにしている、哲学の道って舗装されてないし観光客も多くて走りにくいんだよなあ。でも今回のシ~ンとした風景はあまりにも拍子抜け、まだ観光客が戻り切っていないのかな、まあその分人に気兼ねなく走ることができるのはありがたいことなのだけど。そう言えば京都にも発令されている緊急事態宣言、どうやら6月まで延期されそうですね、さっきも書いたように自分(一人称)ももう4ヶ月も京都には行ってない状態なので今はどんな感じか分からないが、観光地はまだまだ痛手を負うことになりそうです。




















そんなひっそりとした哲学の道を水の流れと同じように悠々と相棒君を進めていきます。人が多いと走ることはできないし止めることもできない、風景を写真に撮りたくても人が邪魔になって撮れないこともあったが、今回はまあこんな状態なので目についた風景や建物はすんなりと撮ることができた。この辺りは洒落た感じの店が多く、それを目的に来る人も多いわけだから、緊急事態宣言が発令されている昨今の状態だと厳しいんだろうな~。この時でもそうでしたからね、哲学の道はこれまでにも何度も来たことがあったが、こんなにひっそりとしているのは初めて。自分(一人称)は走りやすい~と調子に乗ってしまっていたが、沿道の店の人たちにとってはたまったもんじゃない、それがいまだに続いていてその中での緊急事態宣言ですからね。昨年一時期GoToキャンペーンで人が戻りつつあった京都が今も苦しめられています、行政はこのどんづまりな状況をどう打開していくのでしょうか・・・。さて、哲学の道を進んで行って銀閣寺への参道へとやって来ました、この辺りに来ると人の姿も見え始めましたね、でもまだ物足りない感じ。疏水分線はここで向きを西へと変えて更に続いていくのですが、それを追いかけた記録については次回でのお伝えとしておきましょう、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。・・・・・・・・・・・・まちみち



No.1574 吉野川分水(1)・・・分水の始まり

2021-05-26 09:47:04 | 吉野川分水
よろしくお願いします。











さて、この間お伝えした通り吉野川分水巡りの記録をお送りしていきたいと思います。昨年から始めた川巡り、その途中でよく見かけるのが上の写真3枚目にある四角いコンクリートの塊、これは何や?写真4枚目にあるのはそれが更に背ぇ高になっている、これは馬見丘陵公園にあるもの。そのどちらにも「大迫ダムから○○キロ」と書かれた看板が掲げられていて、その下には「吉野川から取水した農業用水を配水している吉野川分水の施設です」との説明。そして走っている時にもよく見かけるのが写真2枚目にある看板、吉野川分水の施設は奈良盆地一帯に点在している、と言うことはその水路が一帯に張り巡らされていると言うことになります。その水路を巡ってみようとほんの軽い気持ちで始めたのが昨年の夏のこと、ここから吉野川分水巡りにどっぷりとはまってしまうこととなりました。




















GWに吉野へと行ってきて大淀町にある下渕頭首工を見ていました、吉野川の更に上流部にあるダムから放流された水は、この頭首工を通り過ぎて奈良盆地へと張り巡らされた水路へと流れていくことになります。奈良は気候は温暖で雨が少ないことから、古くから水不足に悩まされていました。その解決方法と言うことで吉野川から水路を引いて、その水を農業用水として利用することとなったのですが、その政策に怒ったのが和歌山県、奈良県には一滴の水もやれぬ!!と言い放ったとか・・・昭和4年の話です。それでも長年の工事期間を経て完成した吉野川分水は、現在では奈良県の農業を潤す重大な役目を担っています。下渕頭首工はその始まりとなる所、昨年の夏から始めた巡りはここで終わるはずだったのですが・・・まあその話もまた追々していくこととしましょう。











上の地図では緑色の丸で囲っているのが今回巡っている部分、頭首工からの水路には幹線導入路とあります。上の写真にあるのはここまでは暗渠となっていた水路が一瞬姿を現すところ、この場所は吉野川分水の最初の分岐点となる今木分水工、ここで支線となる川へと流れた水はその後灌漑地区の支線へと流れていくのですが、この経路についてはまだまだもっと先でのお伝えとなりそうです。さて、本線となる水路はこの先でまたトンネルへと姿を消してしまう、吉野川分水はほとんどが暗渠やトンネルとなっているので経路を探すのにも一苦労、これが巡りに苦しむ要因になっているのですが、姿の見えないものを追いかけるわけなのでこの先も憶測やはっきりとしない文章が多くなると思います、この件に関してはご了承ください。














ここでお送りしている記事は基本的にはその時の巡りの記録としてお送りしているのですが、吉野川巡りに関しては経路を順路に従っての巡りとして、基本的には流れに沿ってと言うことでここでは進めていきます。上の写真にあるのは水路を進んで、地図では緑色の丸の一番上の所にある東西分水工、御所市の割と山の方にある施設は吉野川分水の分岐点、阪急電車で言うと十三駅みたいなものでしょうか。ここで分水は東西の幹線へと分けられて奈良盆地へと分散されていく。その幹線に当たる部分は国営で農林水産省の管轄となっている、その管轄が終わって支線となる所は県営へと変わり、更に枝分かれした支線の支線は共同営と規模は小さくなっていく。今回から始めることとなった吉野川分水、次回はまずは国営幹線である東幹線水路を水の流れに従うようにして追って行こうと思います。巡りは今も続けていて長いシリーズになりそうですが、飽きずにお付き合いしていただけたらありがたいことです、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。・・・・・・・・・・・・まちみち