まちみちふうけい

四角い枠に切り取られた風景は一瞬のもの、そんな一瞬を追い求めてこれからも相棒と走り続ける・・・

No.769 当尾の里、石仏巡り

2017-06-30 01:03:53 | ふうけい
おはようございます。









以前、奈良交通浄瑠璃寺行急行バスの話をお伝えしましたがその時の走りの続きはまだでした。走ったのは1月の寒い日でしかも今にも雨が降りそうな空模様、奈良を出た頃から雲行きは怪しい感じだったが泣きそうでなかなか泣かない空ももどかしい、もちろんこのままもってくれるのが一番なのだが・・・と言うことでまずは浄瑠璃寺の風景を、ここは余計な文章は差し控えてフォトチャンネルにてのお送りです。

浄瑠璃寺


参拝客は自分(一人称)だけ、昨夜の雨で木々には滴が残りそれがいい雰囲気を演出してくれていました。静かな境内をぐるり一周して寺院を後にここからは当尾の里の石仏巡りへと進んで行くことに。ちょうどこの日はこの地区でマラソン大会が行われていて沿道にはたくさんの係員の人がいたが、幸いにも止められることなく進んで行くことができた。浄瑠璃寺からは道は下り坂になっていて、その途中に写真2枚目にあるバス停と灯篭のある場所にたどり着くが、ここからは道を逸れて石仏巡りのコースへと入って行く。こんな寒い日、しかもいつ雨が降ってもおかしくない日に寂しいハイキングコースとも思ったが、早速石仏巡りをしている人たちがいた、3人組のおばさんたちだったが派手な観光地を選ばず石仏巡りとはまた乙哉なことである、さあ、自分(一人称)も巡って行ってみることにしましょう。










写真をズラリと並べたのですが、まずは下にある地図から↓↓↓



今回自分(一人称)が巡ったのは地図にある赤い点線のコースのうち右下の部分に当たる所、中央付近にあるあたご灯篭から入って、写真1枚目~4枚目がその次のポイントとなる阿弥陀地蔵磨崖仏(カラスの壺)の場所に当たる所となる、地図では「カラス」とあるが漢字では「唐臼」と記されている。コースは一本道だが道標には一鍬地蔵とあり更にその向こうへと行くと浄瑠璃寺へ行くことができる、ただその道はと言うと一番最後の写真にあるように葉っぱで埋もれて道か何か分からないような所、とりあえずそのお地蔵様までは100メートル程だから相棒君をその場に置いて徒歩で行ってみることに。葉っぱは昨夜からの雨に濡れていて滑りやすくなっている、ここまで坂道を上って来たので足は結構ガクガク来ているがすぐにお地蔵様のある場所にたどり・・・ってどこにもないやないか。表示の矢印みたいなのが示すところ、崖の上を見上げるとそれが写真5枚目、6枚目、確かにお地蔵様に見えないこともないがよく分かんないや、と言うことで結構虚しい気分で引き返すことに。













道は雨でぬかるんでいて走りにくい、更に先へと進んで行くと階段があり再び相棒君をその場に置いて上って行くと写真2枚目、3枚目の大きな岩が乗っかった場所へとたどり着く、ここを更に上って行くと岩船寺までの近道となるが相棒を置いていくわけにはいかないのでまた戻ることに。ちなみに浅見光彦シリーズでこの地方が舞台となった作品があって、この大きな岩が殺人の現場にされてしまったことがある、でもそんな物騒な事件なんて滅多に起こるようなことのないようなのどかな所です。ここまで森の中の薄暗い(天気のせいもあってだが)道だったが、やがて景色は開けて写真4枚目~6枚目のわらい仏、ねむり仏へとたどり着く。写真5枚目、大きな石仏の左側に小さなお地蔵様が埋もれているのが見えるでしょうか、それがねむり仏、気持ち良さそうに眠っていると思うのか、土に埋められてお気の毒と思うのかは人それぞれです。更に先へと進むとこのハイキングコースの終わりの地点となる写真8枚目、9枚目にある弥勒磨崖仏の前へとたどり着く、浄瑠璃寺から続いている府道がここで合流しているが、次の目的地である岩船寺は1キロ程行き過ぎた所になるので浄瑠璃寺方面へと戻ることにする。ああ~やっぱり、と言う感じでここに来て心配していた雨がとうとう降り出してきた、傘は持っているがさしながら乗るわけにはいかない、さて、どうしたものか・・・その模様については次回でのお伝えとしておきます、またお付き合い願えたらありがたいことです、今回はここまでとしておきましょう。        まちみち

No.768 奈良交通12番系統・広陵町から大和高田へ

2017-06-28 23:42:43 | バス
おはようございます。










写真1枚目、2枚目にある施設、何か分かりますでしょうか?ここは今年の初めに上映された映画『天使のいる図書館』の舞台となった、主人公が働いていた図書館です。広陵町立図書館、映画を見た人なら分かると思うのですが、結構周辺は何もない所と言うか分かりにくい所にあります。広陵町は奈良県磯城郡の中のひとつの町で、人口は奈良県の町の中では田原本町を抜いて一番多い、オリンピックの金メダリストや甲子園出場校、靴下の町としても有名な所なのですが、町の中心部となるとこれがどこになるのか分かりにくい。町役場はとりあえずここにあったらええやろ、と言うような場所にあり、鉄道の駅はそこからは遠く離れた場所にあるのでアクセスは悪い、その分コミュニティバスが町内、更に大和高田市内まで路線網を広げていて町内を結んでいる。しかし今回お伝えするのは奈良交通の路線バス12番系統、スタートは図書館の一応の最寄りとなる竹取公園東バス停からとなります。











馬見丘陵公園から南へ、竹取公園と大きな古墳に挟まれた道を行った所に写真1枚目のバス停がある、行先は近鉄大和高田駅、更にはイオンモール橿原まで、ここがその路線の始発となるのだがどうせならもうちょっと北の方まで行って馬見丘陵公園を始発にすればいいのに。そちらの方は近鉄五位堂駅から真美ケ丘を経由する路線が通っているので、こちらの方は遠慮してここ止まりなっているのか・・・バス停の前には讃岐神社、前に広陵町にあるかぐや姫伝説の話をした時に紹介させてもらったことがありました。バスはここから南へ、車線はあるけど民家が左右から押し迫って狭苦しく感じる道を進んで行く、本数は昼間は1時間に1本、買い物客に便宜を図るかのようにイオンモール橿原まで運転されている。









このバス路線が通っている道は県道132号線、広陵町の西側、馬見丘陵公園にあるたくさんの古墳を含む馬見古墳群の中を貫くその沿道には上の写真にあるように古い町並をいくつか見ることができる。写真の風景は平尾の町並、県道から少し逸れた所にあり、重厚な感じの家屋や寺院、道標やお堂など、旧街道の雰囲気が漂う風景が繰り広げられている。その北側、さっき通り過ぎてきた所にあったのが疋相の町並、寺院がたくさんあり昔ながらの民家が密集していて狭い道が迷路のように展開している、両方の町並ともまるで時代から取り残されたかのようにあるが、その西側すぐの所には真美ケ丘ニュータウン、今風の住宅地がカクカクとした区画の中に広がっている。ニュータウンは小高い丘にあるので多分山を切り開いて造られた所だろう、となるとこの町は山の一番近い裾野にあったと言うこと、今はその丘にできた道の左右で全く違った風景が繰り広げられていることになっている。








県道132号線は平尾の町並を抜けると北東側から流れてきた高田川に沿って南へと進んで行く、展望が開けて後は特にこれと言った特徴もない何気ない風景の中を大和高田へと向かって行く。この区間で見所と言えば中和幹線との交差点を過ぎた所に古墳があるが、それもさっきまでいくつも大小様々な古墳を見てきたから「それほど」って思うくらい、しかも道は交通量が多くて堀には柵もあるので写真を撮ろうと言う気にはならない。やがて前方に電車の架線が見えてくる、高田川に架かる橋を渡ってやっと大和高田市へと入り、信号が見えてくるとその架線の手前で国道165号線との交差点へとたどり着く。その一角にあるのが築山バス停、ここまではあまり馴染みのない地名やバス停ばかりだったが、築山と言うと近鉄の駅があるのでやっと知っている名前が出てきたと言う感じ。その次が一応終点となる近鉄大和高田駅なのでとりあえずバス停巡りはここまでとしておくことに、架線は近鉄大阪線のもので交差点のすぐ右側には近鉄築山駅のホームが見える。築山と言うとこの間までお伝えしていた葛城山麓の旅の途中で立ち寄った所で、この付近も大小様々の古墳が点在していることはその時のブログでここでお伝えしました。あまりの馴染みのないバス路線で町も初めて訪れた所ばかりでしたが、なかなかいい発見があった所でもありました。奈良でもまだ知らないところがいっぱいあるんだな、これからもいろいろと巡ってまたここでお伝えしていきたいと思います、その時もまたお付き合い願えたらありがたいことです、今回はここまでとしておきましょう。         まちみち

No.767 滋賀の旅冬編(7)・大津市坂本、後編

2017-06-27 07:31:32 | 旅行記
おはようございます。










前回に引き続き滋賀の旅冬編、重要伝統的建造物群保存地区である大津市坂本の町並巡りを続けていきます。今回はまず京阪坂本駅前を通る坂本のメインルートから北側へ分かれる道へと入って行く。こちらも古い町並は健在、それは写真を見てもお分かりの通り、更に奥へと入ってみることとしましょう・・・とその前に。
今回は町巡りと言うことで走っているわけですが、坂本と言うと門前町、寺内町と言うことで本当に犬も歩けば寺社に当たると言うくらいに神社やお寺が多い。その寺院の中には織田信長の比叡山焼き討ちの被害を被った寺院もあったが、その復興に尽力したと言うのが坂本の琵琶湖沿いに城を築いていた明智光秀、『聞きこみ発見旅』JR湖西線の時に訪れていた西教寺はその代表的な寺院として紹介されていました。前回滋賀院門跡を紹介した時に引用したwikiの文章には「天台宗の僧天海が、後陽成天皇から京都法勝寺を下賜されてこの地に建立した寺」とあったが、歴史のミステリーとして良く語られているのが明智光秀=天海上人と言うこと。まあそう言うくらいならさもありなんと笑い話のネタになりそうな感じもするが、その二人が共に比叡山のために尽力したと言う話があったとなると、同一人物とは言えなくとも何らかの関係があったのかも知れないと思いたくなる。まあ近しい関係となると親子、縁戚関係、師弟など・・・いろいろな実証で同一人物ではないと言う証明はされているわけだが、織田信長に何らかの違和的な感情を抱いていた明智光秀の精神を天海上人が体現していたとでも言ったところかも。









こちら側の道は先述した西教寺や日吉大社の参詣道となる所だが、もちろん参拝に興味のない自分(一人称)はそちら側に行くことはなく、付近をグルグルと巡るだけ。この辺りでも前回に紹介した坂本の町並の特徴のある石垣である穴太積みの風景が多く見られる、至る所が穴太積みであるのでそこが寺院か普通の民家か分からなくなってくる。参拝道からは少し外れた迷路のようにある道はメインルートの坂道とは打って変わっての静けさ、人の姿もチラホラとしか見ることができないくらい、観光客もこちらの方には入って来ないのかも知れない。石垣が高かったらそれこそ迷路のような道程で迷いそうな感じだが、自分(一人称)は方向感覚はしっかりとしている方なので何事もなく坂本駅へと戻ってくる、さあ、いよいよこの町ともお別れだ・・・。













と言うことで駅前で相棒君を寝床へと誘い(いやらしい意味にとらんといてよ)後は電車を乗り継いで帰ることに、切符は地下鉄の六地蔵駅まで購入、京都駅を経由しないで帰ることができるのは何か得した気分になってくる。坂本駅から電車を乗るのは多分これが2度目、1度目はもう何時の事だったか記憶がないくらいだが乗ったことはあった、実質初めての乗車と変わらないと言うこと。京阪電車は新幹線や近鉄と同じ広軌規格の線路幅のはずだが、その割には車両は小さく車内も狭く感じる、それは京津線系に限らず本線系もそうだが、京阪電車は急カーブが多いので小さな車両でなければならないのだろう。
さて、電車は坂本を出発、各駅巡りで見た風景も車窓から見るとまた違った感じで見える、やっぱり地元に根付いている路線らしく一駅ごとに乗ってくる人も多くなり浜大津駅に着いた時には立っている人もいた。そう言えばこの路線をテーマにしたNHKのドラマもあったなあ、やっぱりローカル線っぽい雰囲気なのに意外にも『聞きこみ発見旅』ではまだこの路線は取り上げられていない、聞きこみにはピッタリな線だと思うのだが京阪が渋っているんかな?電車は三井寺駅を出ると路面区間となり、ゆっくりと車や人に気をつけながら浜大津駅へと到着する、あ、交差点では写真を撮っている人もいますねえ。
浜大津駅は京津線と石山坂本線が合流するターミナル駅だが、ホームは島式の1面2線、これでこの駅を始発終点とする京津線とスルーする石山坂本線の電車の両方を賄っているので結構忙しい発着シーンが見ることができそう。と言うことで乗換え、やってきた電車はもう見慣れた感じの青い車両、地下鉄と直結してカラーが統一された感じで見る側としてはつまらなくなってしまった感じだが、ここは久しぶりの乗車となるので純粋に旅を楽しむとしよう。この間のNHKの『鉄オタ選手権』と言う番組では京阪電車が取り上げられていて、中川家や鉄オタマネージャーが峠越えの急カーブや傾斜でベンチがゆがんだ駅で盛り上がっていた、普段乗っている人にとっては何とも思わない路線でも旅人にとっては結構な乗り応えのある路線、山越え、急な下りから地下鉄とバラエティ豊かな路線をこの旅の最後の紹介として、滋賀の旅冬編、季節外れな写真ばかりを並べた旅の記録はこれにて終了といたします。次回もお付き合い願えたらありがたいことです、今回はここまでとしておきましょう。          まちみち

No.766 「夢見るのはこれからだ」

2017-06-26 10:48:11 | 日記
おはようございます。


昨日は映画を見に行ってきました、場所は橿原のTOHOシネマズ、もちろん相棒君を駆って朝からムシムシとした空気の中を走って行ってきました。で見に行ってきたのはこの作品↓↓↓



『TAP THE LAST SHOW』、奈良ではここでしかやっていなくてしかも朝一番、夜には雨になるとのことだったのでもう選択の余地はなしと言う感じで行ってきました。


水谷豊初監督作品、20代の頃から温めていた企画がやっと日の目を見ることになったと言う作品ですが、物語の肝になるのがタップダンスと言うことで自分(一人称)はその辺りにはあまりなし、でも水谷豊監督となると見ないわけにはいきません。前に映画館の予告編でこの映画の予告を見たのですが全編に流れるタップの音と髭面の落ちぶれた感じの水谷豊↓↓↓




そのラストには「夢見るのはこれからだ」と低い声での台詞が入る。「夢見る」とはどういうことか?と言うのがこの映画のテーマのひとつになっているのかも知れない。主演は水谷豊演じる怪我で落ちぶれたタップダンサーだが、物語の核となるのは主人公渡真二郎がプロデュースするショーに出演することになる5人の若手ダンサー、それぞれがダンサーとしてだけでは生きていけない苦悩を抱えている姿が描かれています。そのエピソード自体は貧乏や病気、家庭の事情や向上心と言った物語を盛り上げるためのありきたりなものばかりだが、その5人がそれぞれの苦悩を乗り越えてひとつのショーを成し遂げて行こうとするのがひとつめの夢です。
そのショーが行われるのがタップの殿堂「THE TOPS」と言われた舞台、しかしそこも借金を抱えていて岸部一徳演じるオーナーは最後のショーのプロデュースを渡にまかせようとする。これが大人たちの見ている夢となるわけで、そのオーディションが行われるところから物語が動いていくのですが、タップにほとんど興味のない自分(一人称)もこのシーンからはジ~ッと見入ってしまいました。



渡が椅子に杖を打ちつけてリズムを刻む、それに合わせてオーディションに来ているメンバーが一心不乱にタップを踏み続ける、そのうち疲れて倒れるものが一人、二人・・・何人もが倒れて残った者も疲労困憊な状態、それでも渡は手は止めない、そんな中から選ばれたのがメインとなる5人のメンバー、彼らは名の知れた俳優、女優ではなく、タップを前提でこの映画に選ばれた役者さんばかり、その分演技の方には期待できないかとも思ったが、そんなことは忘れさせてくれるほどの頑張りを見せてくれています。ただし物語はそう簡単に進むはずがありません、皆がそれぞれ抱えている苦悩が苛立ち、仲間割れを生むようになり、渡たちの方も借金やその他いろいろな試練が立ちはだかり、形になり始めていたラストショーは一時中止にまで追い込まれそうになってきます。


今まで俳優、女優と言った人たちが監督した映画もいろいろと見てきました、とは言ってもほとんどテレビでやったものばかりですけどね、最近では黒木瞳がやってたかな。岸谷五郎がやった時は上野樹里が主演だったので映画館まで見に行ったが、『地球ゴージャス』の舞台がそのまま映画になったような感じがして、それなら高いお金を払ってもいいから舞台で見たかったなあ、と言う気分だった。要は俳優さんが監督をするとどうも変な評価をしがちになってしまうと言うことです。この映画にしても最初、この水谷豊が監督をやると言うニュースを見た時には「あんたもか」と思ったし、こういうパターンでは厳しい評価をまるで記号のように押し付ける評論家も多いです、監督が何をやりたかったのかと言うのが映画に如実に現れるから、それに合わせて評価も厳しくなるのは仕方ないことだと思います。役者さんとしてはいろいろな刑事役や探偵役を演じてきた水谷豊がやりたかったのがタップだと言うのは意外な気がしたが、ありがちな物語の内容を除けば映画全編の半分以上に流れるタップダンスのシーンやその音は俳優さんが作った映画とは思えないほどの演出だったと思います。まあ出演者の中にはお約束通りに『相棒』からのメンバーがいて、その辺りは愛嬌と言ったところでしょう。


上の写真のポスターにもある通り、この映画の見所はラストの24分にあります、まあ簡単に言ってしまえば『SWING GIRLS』と同じような感じですがここからが渡が言う若者たちの夢、大人たちの夢が形になるシーンが展開されていくことになります。



ショーが始まる前に、最初のオーディションで落とされたおっちゃんとおばちゃんがロビーでタップを踏んで周りが盛り上がるシーン、見ているこちらも楽しい気分になってくる場面でした。演じているおっちゃんは日本を代表するタップダンサー、最初のオーディションの時は一歩踏んだだけで腰をいわして退場するのですが、只者ではない感じはありありでした。平べったい顔のおばちゃん、どっかで見たことある人だと思ったら島田歌穂だった。ショーでは思わずこちらも足踏みしたくなるような心地いい靴音とリズムが交差して更に楽しくなってくる、それにしてもタップダンサーって一歩であれだけ複数の音を鳴らすことができるんやなあ、自分(一人称)の靴底の減りが早いのは・・・関係ないか。
この映画ではメインの5人に名の知れた役者を使っていないことは先に書いたが、ひとつ気になったのが劇場の事務員役の女性、いつも岸部一徳といっしょにいて結構出番も台詞も多く、途中では水谷豊に苦しい心情を吐く場面もあるのですが、この人も見たことのない女優さんで気になっていた。渡が「サプライズを仕込んでいる」と言うのだが、ショーの中ではこの人もそのサプライズのひとつとなるわけで、なるほど名の知れた女優さんを使ってなかったのはそう言うことだったか、と思いました。物語の核を握るのはタップの人たち、六平直政や北乃きい、前田美波里と言った名の通った役者さんはあくまでもバックでこの映画を支えていると言う感じでした。そしてショーは最後メイン5人が躍るシーン、結構長いシーンで曲のスピードも速くなってきて踊っている方も一心不乱と言う感じだったが、今までの苦悩の場面がすべてここにつながってきているような感じがして思わず泣けてきちゃいました、ここはまさに圧巻だったと言ってもいいところでしょう。


タップの殿堂「THE TOPS」で行われた最後のショーは大盛り上がりでフィナーレを迎えますが、映画の最後はちょっと淋しい感じで終わることとなります。これまで象徴のように画面に映っていた東京タワーをバックに、ショーを最後まで見届けないで劇場を出てきた水谷豊が岸部一徳とベンチに腰掛けて、そこで多分映画を見ている人も気になっていることを話そうとするのですが・・・おっと、これ以上はネタバレになってしまいそうなのでここまでにしておきましょう、水谷豊初監督作品、さっきも書きましたがタップダンスをテーマにするのは意外な気がしたし、そのテーマにあまり興味はなかったのですが、それでもやっぱり見に行って良かったです、まあお金を出して見に行っているわけだから悪く言うことはしたくないのですが、そんなことは関係なくいい映画でした。ただ、自分(一人称)としては『相棒』の右京さん↓↓↓



わっ、また出てきた!そうじゃなくて、久しぶりにチョカチョカ走り回っている水谷豊も見てみたい気もします、もう60過ぎてるからしんどいかも知れないけどね・・・と言うことで、次回もお付き合い願えたらありがたいことです、今回はここまでとしておきましょう。           まちみち




No.765 滋賀の旅冬編(5)・大津市坂本、前編

2017-06-25 10:02:56 | まち
おはようございます。





滋賀の旅冬編はいよいよ今回の走りの最終目的地、坂本へとやって来ました。今までは各駅巡りで来たことがあるくらいで琵琶湖を巡る走りの時もここまではあまり上って来ることがなかったので、今回はこの場所に目的を絞ってやってきたと言うところです。その模様は今回と次回、前後編でお送りしていきたいと思います、季節的には真逆な風景の写真が並びますがまあお付き合い願えたらありがたいことです。












紅葉真っ盛りの森の中の道、途中で国の登録有形文化財である比叡山ケーブルの坂本駅へと立ち寄り、その後はいよいよ坂本の町巡りへと入って行きます。今通って来た道が坂本の町の中では一番高い場所となり、写真1枚目にあるお堂の所で直角に折れて少し急な下り坂が一直線にJRの駅まで続くメインルートとなっている。道の両側には並木の遊歩道、周辺は寺院が多く建ち並び厳かな雰囲気が漂う所を象徴するかのように、たくさんの灯篭が道の左右に向き合うように立っている。上の地図を見ても分かる通りこの辺りは卍のマークが多い、さっきは厳かな雰囲気と書いたが宗教施設だと言うことを思うと自分(一人称)は足を踏み入れたい気分と敬遠したい気分がないまぜになってくる、夜ならまあ行かないだろうな、でも今はまだ空が明るい時間(当たり前や)なのでちょっと巡ってみることにしましょうか。
と言うことで比叡山中学の横の細い道を入って行く、写真にある石畳の細い道、その道を取り囲む様にしてある石垣はこの町並の中でよく見かける「穴太積み」と呼ばれる特徴のある積み方、この町の象徴的な風景と言った感じである。少し進むと進行方向右側に立派な造りの寺院が現れる、滋賀院門跡、比叡山延暦寺の総里坊(本坊)に当たるとある。wikiには↓↓↓

「1615年(元和元年)江戸幕府に仕え「黒衣の宰相」とも称された天台宗の僧天海が、後陽成天皇から京都法勝寺を下賜されてこの地に建立した寺である。滋賀院の名は1655年(明暦元年)後水尾天皇から下賜されたものである。滋賀院御殿と呼ばれた長大な建物は1878年(明治11年)火災により焼失し、比叡山無動寺谷法曼院の建物3棟が移されて再建された。」

とある、ちょっと気になるキーワードがあるのですがそれについては後編でのお伝えとして、今は紅葉真っ盛りの静かな径を進んで行くことにしよう。










石畳の道を折れて急な坂を下りると以前各駅巡りの時に走ったことがある京阪石山坂本線に沿う道へと出る、写真2枚目、3枚目にあるお堂は京阪松の馬場駅から坂を上った所の交差点に建っている。この辺りは門前町の一番南の外れに当たる所、このまま南へ下りて行ってしまうと坂本の町並を外れてしまうので、ここは北へと向けて相棒を進める。道は旧街道の雰囲気が漂う所、さっきの寺院が集まっている所とは違ってこの辺りは人々の生活の場所、まあ車の通りが多いのは仕方のないところと言った感じ。道はやがてさっきの坂本のメインルートとなる坂道へと突き当たる、その交差点の一角にあるのが京阪坂本駅、今回の帰りはこの駅から輪行で、と決めていたのでここで相棒君をたたむことにしようかと思ったが、まだまだ坂本の町並を巡り足りない。もう少しこの町を走ってみようと言うことで、今度はこの道の北側へと行ってみることにした、そう言えばそちら側は一度も走ったことがない所、どんな風景を見ることが楽しみなところなのですが、その模様については後編でのお伝えとしておきます。







上の写真にあるのは『本家鶴喜そば』、ちょうどお昼時とあって店の前にはたくさんの人が行列を為しています、場所は京阪坂本駅前、観光地の一番中心地にあってこれだけたくさんの人が待っているのだから有名なお蕎麦屋さんなのでしょう、お店の店員さんが店前で待っている人に忙しい様子で注文を聞いている姿も見えました・・・って自分(一人称)は食には興味ないの、興味をひかれたのはこの建物、玄関前に掛かっているプレートが示す通り、登録有形文化財に指定されている建物です。坂本は寺院の町とも古い町並がある所としても名高いところだが、その割には文化遺産オンラインのページに示された神社仏閣を除く登録有形文化財はここと前にお伝えした坂本駅だけと意外に少ない。この地域は大津市坂本と言う名称で重要伝統的建造物群保存地区と指定されている所、いわば町全体が文化財みたいなものと言うことです。比叡山の玄関口としてたくさんの神社仏閣があり有名な観光地であるわけですが、自分(一人称)の旅はそのような名所には目を向けることはまずなし、後編でもごく自然にある町並や風景をお送りしていくことになります、と言うことであまり観光の参考にはならないと思いますが、次回もお付き合い願えたらありがたいことです、今回はここまでとしておきましょう。           まちみち