よろしくお願いします。
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今回は旧東海道三重県内部分を走った記録をお送りしていきます、2017年5月だからちょうど丸5年前の記録となります。この時は愛知県の弥冨から愛西市で木曽三川を渡り、その後は輪中の町を進んで長島へ、桑名へと戻った後は東海道を亀山まで走りました、かなり前に過去旅で船頭平閘門を取り上げたことがありましたが、その続きの走りと言うことになります。旧東海道はそれまでにも何度か走っているが、逆に言えばこれ以来走っていない、その5年の間にこの地域を訪れたのは2019年の近鉄名古屋線各駅巡りの時、その時に部分的に東海道を走っていたかも知れないが、こうして過去旅の写真を見るとまたまた旅の虫は泣き始めてきますね~。まあまた近いうちに三重県を旅する機会はあると思いますが、そやなあ~、そろそろ一句ひねりに行くこととするかね。
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桑名宿から四日市宿へ、道なら名阪に国道1号線に23号線、鉄道なら近鉄名古屋線にJR関西本線と移動には全く困らない所。その昔、交通の大動脈となっていた旧東海道もたくさんの道標や常夜灯があって、人々の往来も盛んだったと思わされる、それもそのはずでこの区間は京へ向かう人と伊勢へ向かう人で賑わっていた辺り。桑名宿は七里の渡しの到着地だったことや、名古屋方面からの街道も合流するとあって多くの旅人で賑わっていた所、そのおもてなしがその手は桑名の焼き蛤となっていたのだろう。四日市宿までは少し距離があるが、途中には間の宿と言った感じで富田の町があって、ここも昔の賑わいがそのまま現代に引き継がれている感じ。町があって田園風景があって素朴な家並みがあって、やがて三重県最大の町となる四日市へ、遠くの方には大きな煙突が並んで見えている。一時は公害の代名詞とされていた四日市のコンビナートも、今や映えのスポットとなっているのも現代の風潮と言ったところか、正直言って自分(一人称)には無機質な怪物が並んでいるようにしか見えませんけどね。
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伊勢との分岐点となる日永の追分を右側へと進むと東海道は丘陵地帯へ、鈴鹿市に差し掛かる辺りにはとんでもなく急な坂道が立ちはだかってくる。滑り止めの〇が彫られた坂道を悪戦苦闘しながら上り詰めると、その後は国道1号線にまとわりつくようにして旧街道を進んで行く。この先にある石薬師宿、庄野宿は桑名宿や四日市宿とは違って規模はぐんと小さくなっている、まあその方が旧街道の雰囲気が感じられて自分(一人称)は好きですが。鈴鹿市には先述した2つの宿場町があるが、市の中心部は鈴鹿川の南側にあって、こちら側は取り残された感じ、鉄道もそうだよな、四日市を過ぎると近鉄は賑やかな部分を走るがJR関西線は本数も減って閑散としてしまう、思うにこの辺りはやはり伊勢神宮に向かう方がメインだったと言うことか。
旅人の往来はあったもののさびれた雰囲気は否めない旧東海道は、やがてお城があった亀山へとたどり着く、城下町だったと言うことで繁栄はあったとは思われるが、旅人の思いはこの先にそびえる鈴鹿山脈に控える峠越えにあったのだろう。鉄道もJR亀山駅がJR東海とJR西日本の境界線となってしまいここを境にして扱いが全く変わってしまう、電化区間もここまででJR西日本管轄の路線は非電化、その区間が今、苦境に立たされています、この件に関しては近いうちに一枠設けて取り上げてみようと思っています。そんなわけでお送りしてきました旧東海道伊勢路、5年前の写真を並べたのですが、多分今もそんなに変わってないんだろうな~、近いうちに行ってみることとするか!今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち
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今回は旧東海道三重県内部分を走った記録をお送りしていきます、2017年5月だからちょうど丸5年前の記録となります。この時は愛知県の弥冨から愛西市で木曽三川を渡り、その後は輪中の町を進んで長島へ、桑名へと戻った後は東海道を亀山まで走りました、かなり前に過去旅で船頭平閘門を取り上げたことがありましたが、その続きの走りと言うことになります。旧東海道はそれまでにも何度か走っているが、逆に言えばこれ以来走っていない、その5年の間にこの地域を訪れたのは2019年の近鉄名古屋線各駅巡りの時、その時に部分的に東海道を走っていたかも知れないが、こうして過去旅の写真を見るとまたまた旅の虫は泣き始めてきますね~。まあまた近いうちに三重県を旅する機会はあると思いますが、そやなあ~、そろそろ一句ひねりに行くこととするかね。
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桑名宿から四日市宿へ、道なら名阪に国道1号線に23号線、鉄道なら近鉄名古屋線にJR関西本線と移動には全く困らない所。その昔、交通の大動脈となっていた旧東海道もたくさんの道標や常夜灯があって、人々の往来も盛んだったと思わされる、それもそのはずでこの区間は京へ向かう人と伊勢へ向かう人で賑わっていた辺り。桑名宿は七里の渡しの到着地だったことや、名古屋方面からの街道も合流するとあって多くの旅人で賑わっていた所、そのおもてなしがその手は桑名の焼き蛤となっていたのだろう。四日市宿までは少し距離があるが、途中には間の宿と言った感じで富田の町があって、ここも昔の賑わいがそのまま現代に引き継がれている感じ。町があって田園風景があって素朴な家並みがあって、やがて三重県最大の町となる四日市へ、遠くの方には大きな煙突が並んで見えている。一時は公害の代名詞とされていた四日市のコンビナートも、今や映えのスポットとなっているのも現代の風潮と言ったところか、正直言って自分(一人称)には無機質な怪物が並んでいるようにしか見えませんけどね。
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伊勢との分岐点となる日永の追分を右側へと進むと東海道は丘陵地帯へ、鈴鹿市に差し掛かる辺りにはとんでもなく急な坂道が立ちはだかってくる。滑り止めの〇が彫られた坂道を悪戦苦闘しながら上り詰めると、その後は国道1号線にまとわりつくようにして旧街道を進んで行く。この先にある石薬師宿、庄野宿は桑名宿や四日市宿とは違って規模はぐんと小さくなっている、まあその方が旧街道の雰囲気が感じられて自分(一人称)は好きですが。鈴鹿市には先述した2つの宿場町があるが、市の中心部は鈴鹿川の南側にあって、こちら側は取り残された感じ、鉄道もそうだよな、四日市を過ぎると近鉄は賑やかな部分を走るがJR関西線は本数も減って閑散としてしまう、思うにこの辺りはやはり伊勢神宮に向かう方がメインだったと言うことか。
旅人の往来はあったもののさびれた雰囲気は否めない旧東海道は、やがてお城があった亀山へとたどり着く、城下町だったと言うことで繁栄はあったとは思われるが、旅人の思いはこの先にそびえる鈴鹿山脈に控える峠越えにあったのだろう。鉄道もJR亀山駅がJR東海とJR西日本の境界線となってしまいここを境にして扱いが全く変わってしまう、電化区間もここまででJR西日本管轄の路線は非電化、その区間が今、苦境に立たされています、この件に関しては近いうちに一枠設けて取り上げてみようと思っています。そんなわけでお送りしてきました旧東海道伊勢路、5年前の写真を並べたのですが、多分今もそんなに変わってないんだろうな~、近いうちに行ってみることとするか!今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち