まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.1247 年の最後は二上山で

2019-12-28 07:53:38 | ふうけい
おはようございます。
















日程的に今回が今年最後の更新となります、年末は30、31日で久しぶりに泊りがけの旅を予定しています・・・って天気予報また雨やないか~、もう何でそんなにいじめてくれんねん。今年の締めは二上山です、写真は度々貼っていたのですが枠ではあまり取り上げていなかったと思います、まあ最後のまとめで行こうと思ってましたから。と言うことで今回は全部の写真に二上山、ついでに3部に分けて先行公開していたフォトチャンネルもまとめて貼りました。

二上山・2019年(1)
















奈良盆地は四方を山に囲まれています、西の方角には北から生駒山、信貴山とありその次が二上山、その南側には金剛葛城の山並。周辺の形に特徴のない山に比べると二上山は見る角度によって姿が変わるところが面白い、自分(一人称)はその姿を北から→牡丹餅、正面から→凛々しい、南側から→ちょっとだらしない・・・と、あまりいい表現ではないがそんな言葉で表してきました。いつも近鉄電車を撮りに行く所、そこから見る二上山が一番美しい姿だと思いますが、牡丹餅でもだらしなくても二上山には変わりありません、どれもこれも美しい姿です。

「うつそみの 人にある我れや 明日よりは 二上山を 弟背と我が見む」(大伯皇女・巻2ー165)

二上山には大津皇子の魂が眠っている、この歌はその姉が詠んだものと言うのは前に万葉歌碑巡りの時にお伝えしました。映画『かぞくわり』ではその大津皇子と中将姫のエピソードがつづられた『死者の書』を基に物語が為され、その中でも二上山が象徴的な姿で何度もスクリーンに映りました。しかしここを訪れる人は血生臭いエピソードがあったことなど露知らずで、美しい姿に惹かれてやって来ます。自分(一人称)もそうです、この風景が見たくて、この脇を通り過ぎる近鉄電車が見たくてここへとやって来る、ただそれだけ、映画や歴史や万葉集などと言うのはすべて後付けのようなものです。

二上山・2019年(2)











夕暮れ時の二上山、うん、なかなか泣ける風景だと自画自賛です。ただ自分(一人称)が撮ることができる夕時の二上山は時間的にどうしても赤く燃える空に牡丹餅の姿ばかりになってしまいます。写真下2枚は夕暮れ近い時間に真正面から撮った二上山、GWで日が暮れる時間が遅かったのでその時間を狙ったのですが、ちょっと分厚い雲が邪魔になってしまってますねえ。ここでもう一つ狙ったのが池の水面に映る逆向きの二上山、やって来た時には風のせいで水面に波があってユラユラ揺れていたのですが、少し時間が経つと波が収まり二上山がきれいに映ってくれました。まだちょっとユラユラした部分もありますが、水面にはきれいに2つの山頂が写っています、まあいつも言うように、写真なんかは狙うのではなくそのままのありのままの姿を、構図やら陰影など関係なく撮ると言うのが自分(一人称)のやり方なのですが、この時ばかりは狙ってみました、そうは行っても下手くそな写真には変わりないんですけどね~。

二上山・2019年(3)



そんなわけで今年1年、お付き合いくださってどうもありがとうございました。もう何度も書いていますが今年は近場での巡り、再訪が主流となってしまいました、一時は走りの目的を失ってしまった感じでしたからね。そんな窮地を救ってくれたのが万葉歌碑巡り、そこから古墳、お地蔵様、小寺院など、近場でもいろいろあるやないか、と言う感じでほぼ毎週、天気さえよければどっかへ走りに出かけていました。毎年最後には公開した記事の中でひとつ、これ、と言ったものを選ばせてもらっているのですが、今年はやはりこの記事になるでしょうか↓↓↓

No.1134 ○○○○巡り→万葉歌碑巡り・・・奈良市内編(1)



ところで、最近フォトチャンネルの表示の形が変わったんですね、知らなかった、と言うことで各ゾーンの本文の下にフォトチャンネルのタイトルを記していますが、画像は一番下の方にまとまって表示されています。今年も1年、ご覧いただきましてどうもありがとうございました。          まちみち




No.1246 本編・心に残る大失敗

2019-12-26 07:59:52 | 旅行記
おはようございます。





そんなわけで心に残る大失敗、前回ここからラジオの話になってしまってそのまま最後まで本題に入らずに終わってしまいました、何かこの前のM1のかまいたちのUFJのネタみたいになってしまいましたが・・・すみません、ちょっとだけこの前のM1の話を↓↓↓

審査員の上沼恵美子が和牛のことをボロカスに言っていました、ちょっとひどい言い方が話題になったようですが自分(一人称)はまさにそのとおりかな、と思いました。敗者復活で勝ち上がってきたのが何か既定路線っぽい感じだった、誰が勝つかの予想も敗者復活組が1位=それが和牛とほとんどの人が思っていたんではないのかと思いました。で、披露したネタは昼間と同じネタ、それ自体は別にいいのですが、上沼恵美子が言うように手慣れた感じでネタを披露して最終ラウンドに残ってとっておきのネタを最後に披露しようと思っていたのでしょうか。まああくまでもなんですが、「置き」に行ったネタをやって後進組に足元をすくわれたとでも言ったところじゃないでしょうか、3年連続準優勝は結局相手に勝てなかったと言うこと、今年はそこにさえも行けなかった和牛、打倒大阪桐蔭を掲げた智辯和歌山が近江に簡単に負けてしまった試合を思い出してしまいました・・・って、もういい加減にしておかなければなりませんね、心に残る大失敗、今回はキッチリとそのお話をさせてもらおうと思います。


11月の休日、太子町方面を走りました、目的は古墳巡り、国道25号線を進んで国分からは南へと進路を変え太子町へと入ります。竹内街道の古い町並の中を通り抜け、目的の古墳巡りも順調に終わり国道166号線の道の駅まで行ってそこで折り返し、竹内街道の旧街道の雰囲気が漂う町並を下って太子町の中心部へ。奈良への帰りは近鉄南大阪線に沿う道を利用、この道は上りもさほど急ではなく間もなく奈良県へと入りそこからは下り坂、陽の眩しさを背に受けて香芝市へと向けて快走・・・と思ったがちょうど屯鶴峰の前を通りかかったのでちょっと寄って行くことに、前にも一度来ているしこの前見た映画のロケ地にもなっていた所、サクッと立ち寄ってすぐに戻ることにしよう。



写真も撮ってさて、戻ることにしようか、と思ったが今来た経路が分からなくなってしまった、多分どこかで違う方向に入ってしまい道なき道みたいな所を来てしまったようだ。まあいい、まだ日は高いしこのまま進んで行ったら出口は見つかるだろう。ごつごつとした石灰の岩の出っ張りに手をかけ足をかけ、まるでロッククライミングの選手になれるんと違うか、と思うくらいに軽快に岩を上って前へと進んで行く、遠くからは人の声も聞こえるので大丈夫だろう。しかし行けども行けども出口への経路が見つからない、行くと崖で行き止まり、草むらの中の道も途切れて先へは続いていないので戻るしかなくまた白い崖が目の前に立ちはだかってくる。やばい!!・・・これは本格的に迷ってしまったか、でもまだ大丈夫、自分の方向感覚を信じていれば・・・などとはもう言ってられない状態になってきた。







そろそろ焦りと疲れが襲ってきた頃、荷物は持たずにポケットにカメラとスマホを入れただけの軽装だったので、落ちていた枝を杖にして更に奥へと入って行く。出口へと続く経路は見つからないが人の声が近づいてきた、団体さんらしく若い人たちの何人もの声が聞こえてくる、ここはもう神にもすがる思いでやっとその姿を見つけて、その中の引率のリーダーらしき人に方向を聞いてみる。リーダーは関屋方面から入ってきたがそちらはゲートが閉まっているとのことで、自分(一人称)が入ってきた登山口の方向を教えてくれた、いっしょに行きますか?と問われたが迷惑をかけるわけにはいかないので、とりあえずその団体からは離れて独りでそちらへと進んで行く。しかし道は見つからず、相変わらずごつごつした岩が前を立ちはだかる、草むらに入ると道は途切れまた戻るしかなくまた高い山をロッククライミングの選手のように上って行くが、さすがに疲れが出てしまい何度か滑って膝をすりむいてしまった。
これは本格的に遭難したか・・・陽も西の方に傾いてきていよいよ山の向こうに姿を消そうとしている、このまま夜になって暗くなってここに取り残されたら・・・と思ってしまい、ついに警察に助けを求めることにした。しかし向こうの対応はイライラばかりさせられるもの、名前はいいとしても住所やその他いろいろ聞かれてしまい、さっきの学生さんの団体が見えると言うとその人たちに声をかけてくださいと言われてしまった。学生さんがやってきて声をかけるとリーダーらしき人・・・実は大阪教育大の地学の先生で団体さんはゼミの学生さんたち、30人くらいいたかな・・・と山登りに来ていたとのこと、その先生が電話で警察と話して、引率してもらって登山口まで連れて行ってもらえることとなった。






自分(一人称)が進んでいた方向は正しかったが、ほんのちょっと道を逸れると違う方向へと進んでしまうと言うミスの繰り返しが遭難の原因だった。先生に付き添われてやっと登山口へと戻ってくることができた、ほんの30分程の出来事だったが、一瞬命の危険まで感じてしまうくらいの出来事だった。何しろ白い石灰の山には案内の看板も何もなく、足を踏み外すと大変なことになってしまうくらい、幸い落ちるとかはなかったが何度か滑ってしまって膝からは血が出ていた。
相棒君を置いている駐車場には警察の人が2人来ていて、自分(一人称)と先生はそこで事情聴取されることに、ここでも再度名前から他何やかんやと聞かれ、なぜこんなことになったのかも聞かれる始末、警察に連絡したのは自分(一人称)だからそれは仕方ないが、先生と学生さんたちには本当に迷惑をかけてしまった。5分間ほど事情聴取の終わり、先生と学生さんたちには深々とお礼を言って再び相棒君と走り始めた、帰りに女性警察官の方・・・自分(一人称)を聴取したのはおっちゃんの警察官、女性警官は先制の方に話を聞いていた・・・が「気をつけて」と声をかけてくれたのがちょっとだけ嬉しかった。


そんなわけでまさに石灰のホワイトアウトに襲われた今回の出来事、自分(一人称)の過信が招いたことと言うことでたくさんの人に迷惑をかけてしまうことになりました。警察の対応にはちょっと辟易したがそれも自分(一人称)が招いた結果、もう本当に反省しかないと言ったところです、改めて、助けていただきました大阪教育大の先生、それと生徒の皆様、どうも申し訳ありませんでした、心に残る大失敗、これにて終了としておきましょう、ああ~、お恥ずかしいったらありゃしない・・・、太子町での走りの模様については来年になってしまいますが、順次お送りしていきたいと思っております。


2019年、走りの備忘録・10月~12月編







10月 5日 馬見丘陵公園 
10月 6日 本薬師寺、藤原宮跡・コスモス
10月13日 古市古墳群
10月20日 川西町
10月22日 安堵町
10月26日 京都
11月 2日 葛城市、当麻寺
11月 3日 滋賀の旅2019年秋編
11月 4日 護国神社
11月10日 斑鳩町
11月11日 桜井市
11月17日 八尾市、河内街道
11月23日 太子町
12月 1日 馬見丘陵公園
12月 8日 生駒市
12月15日 広陵町、大和高田市
12月22日 大和郡山市九条地区

相変わらず近場をチョイ走りの日々、お地蔵様巡りから小寺院巡りが派生した感じで、これまで何度も走ったことがある町も再発見と言う感じの走りが続いています。上の写真ではこの期間中に撮った電車の写真を貼ってますが、今年はあまり遠出できなかったことや、近辺は各駅巡りで走り尽くしたこともあって鉄道編の写真が減ってしまいました。現実は相変わらず厳しいので来年もどうかな・・・と言ったところですが、どこかで機会を見つけてまた走りに行きたいと思っています、まあどこか再訪もあるかも、と言うことで今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。            まちみち




No.1245 心に残る大失敗・・・お送りしようと思ったのですが・・・

2019-12-24 08:30:49 | 日記
おはようございます。





今回は「心に残る大失敗」のお話・・・って昔、ヤングタウン金曜日でそんなタイトルのコーナーがありました、谷村新司とばんばひろふみ↓↓↓



そうそう、このお二人ですよ、このコンビの絶妙なやりとりが面白くて毎週楽しみに聞いていました。「崩れパンダの女性立入禁止のコーナー」とかありましたね、雑誌に載っている有名人が食べる1日のメニューと同じ物を食べて・・・まあそれはいいとして、「心に残る大失敗のコーナー」は文字通り、大失敗のエピソードをはがきで紹介するコーナーでした。その中で運動場でグランド整理のローラーを引いているのを見て「重いコンダラを引いている」↓↓↓



と言ったことから「思い込んだらのコーナー」が派生し、更に洋楽の一部がへんなフレーズに聞こえると言うハガキがあってから「聞きこんだらのコーナー」が誕生しました、今なら『タモリ俱楽部』の空耳アワーがこの流れを汲んでいると言ったところでしょうか。放送当時、『ザ・ベストテン』で大川栄策がタンスを持ち上げたところから、ばんばひろふみが『速達』↓↓↓



でランクインされたら司会者が座っている前にあるテーブルを持ち上げると言うのを公約に、その曲をランクインさせようとリクエストハガキを送ろうと言うコーナーもありました。この時はスポットライトで登場して、その時の公約で歌い終わったらギターのピックを投げると言うのをやったのですが、残念ながら10位以内に入ることはできませんでした。しかしこの流れは谷村新司の『22歳』に引き継がれ、ドラゴン作戦として展開され見事にベストテンに出演となりました、いや~、書いてて懐かしい話やな~としみじみ・・・。


ヤンタンは月曜日が明石家さんま、火曜日がチャゲ&飛鳥、水曜日が原田伸郎、木曜日が笑福亭鶴光と角淳一↓↓↓



金曜日は先に書いた通り、土曜日が笑福亭鶴瓶と言ったラインナップ、ほぼ毎日聞いてましたね。この頃の鶴瓶師匠は東京では不祥事で出演禁止となってしまい関西でやりたい放題だったのが、今ではもう丸くなってスタンダードナンバーなイメージ。明石家さんまも相変わらずと言うかもう御存知の通り、この間は奈良に帰って来て母校や奈良テレビにサプライズで出たりしていました。まあ残念なのはチャゲ&飛鳥か・・・、この頃は若手でまだブレイク前、ヤンタンの野球大会ではノーコンで試合を潰してしまい、テレビとラジオの生中継ではスタジオにガスを巻かれて着ぐるみのカメが呼吸困難になってしまうとかとんでもないエピソードもありました。自分(一人称)も毎週聞いていて、そこからいい曲歌いよる奴らやな~と言うことでレコードを買い始めたクチ、後にブレイクして大活躍していたのですが・・・やっぱり残念なことです、まあ曲には罪はないですからね。


ヤンタンが終わるとオールナイトニッポン、さすがに明日があると言うことでそれほど遅くまでは起きていることはできなかったのですが、月曜日だけはヤンタンが明石家さんまから中島みゆきのオールナイトニッポンの流れで聞いていました↓↓↓



みゆきさんのオールナイト、毎週録音しながら聞いてましたね~。終わるのが午前3時、明日があるのでどうしてもそこまで起きていられないので、ラジカセに120分テープをセットしてとりあえず1時になったら録画開始、そのまま2時まで頑張って起きて、2時になったらA面が録音完了、そしたらすぐに裏返してB面の録画ボタンを押して聞きながら眠りに落ちる・・・が結局最後まで聞いてしまって翌朝寝過ごしと言うのが流れでした。一度だけハガキを出して読まれたことがあったんだよねえ~、嬉しかったなあ~、その時の何かプレゼントが欲しいと書いたら、ちょうどその日のゲストに松坂慶子が来ていて・・・松坂慶子がみゆきさん作詞作曲の歌を歌っていた流れから・・・おふたりのサイン色紙を頂きました。10年以上は部屋の壁に飾っていましたね~、まあこの頃は超一流女優の松坂慶子さんも大河では稲妻と共に登場し、朝ドラではふざけた福ちゃんのお母さんとなってしまいましたからねw、もう37年前の話ですわ。

オールナイトニッポンは1部が終わると2部、こちらは3時からで終わるのが5時、もう朝です、でもなぜかよく聞いてたなあ~。上柳昌彦、中村あゆみ、谷山浩子あたりはよく聞いていました、中村あゆみって若い頃は大阪の瓢箪山に住んでいたんですね、花園ラグビー場の近くで自分(一人称)の親戚が住んでいる所なので妙に近い存在の人だな~と思っていました。谷山浩子は中島みゆきからの流れですかね↓↓↓



ビッグなみゆきさんに比べてマイナーな谷山浩子てな感じでよくネタにされていました、当時は希少な感じがした横浜大洋ホエールズのファンでよく番組で応援歌が流れていました。その週に発売された漫画雑誌のある1ページのコマの台詞を全部読んで、その漫画が何の雑誌の何というタイトルかを当てると言うコーナーがありました。漫画に興味のない自分(一人称)からするとそんなん分かるわけ・・・と思ったが分かる人には分かるんですね、結構人気のあるコーナーでした。この人の曲、昔ドラマの主題歌やCMの曲で聞いたことはあったが、wikiで調べると斉藤由貴の「サヨナラニンジンポ♪テト~♪」(土曜日のタマネギ)↓↓↓



がこの人の作詞だったんですね、あと「MAY」とか「LUCKY DRAGON」とかも、いや~、斉藤由貴好きやったんでこの辺りはよく存じています。でもこの前見た映画『蜜蜂と遠雷』でのあのキャラは昔とは変わってしまったなあ~と言う感じ、まあ若い頃に幻想を抱きすぎですかね。


と言うことで心に残る大失敗なのですが、あまりにも枕が長すぎてしまって時間がなくなってしまいました。今はやっぱりテレビやパソコンがが主流、ラジオは箱根駅伝と高校野球を相棒君との走りのお供でしか聞かなくなりました。この前までやってたドラマ『俺の話は長い』では清原果耶さんがラジオを聞いているシーンが多くありました↓↓↓



今の若い子がラジオと言うのが違和感があったのですが何かいいシーンでしたね~、自分たちも若い頃はあんな感じで聞いていましたからね、時間になったら一番よく聞こえるように周波数を合わせて、ハガキを送ったら読まれるかな、まあボツやろなあ、などと思いながら聞いていたことを思い出させてくれたドラマでした。心に残る大失敗については次回、改めてお送りさせてもらおうと思います、まあ今回は脱線しすぎてしまいましたね、最初の方に地図まで貼ったのにね~、場所は香芝市の大阪府との境界線近く、ここでの出来事だったのですが・・・まあ何があったんでしょうかねえ、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。           まちみち


No.1244 お地蔵様で町巡り・・・千本通を伏見区へ

2019-12-23 09:46:34 | まち
おはようございます。


『同期のサクラ』まあ無難に落ち着いた最終回と言う感じ、一度は会社に復帰したサクラも最後は退社の道を選んだ辺りは、彼女の一環とした考えを貫いた行動だとは思いました。ただ、サクラが掲げていた理想論はあくまでもドラマの世界、椎名桔平が演じる黒川の言い分の方が現実を象徴している感じがしました。ドラマとしてはとても良かったのですがそれは役者の演技の賜であり、サクラの言い分ややり方、それに同調する同期の仲間の姿はドラマの中の世界だけの物だと言う気がしました。まあなんじゃこりゃな最終回のディーンフジオカのよりは百倍良かったドラマでした、さて、本文と行きましょうか↓↓↓













お地蔵様シリーズで何度か京都府内を巡った記録はお送りしましたが、今回は伏見編の続編、と言っても走ったのはこちらが先、千本通を東寺から南へ伏見まで進んで行ってみようと思います。千本通については以前にここでも何度か取り上げたことがありました、平安京の時代では朱雀大路であった道、京の中心地を貫いていた道も今は国道1号線の1本西側を通る庶民的な道、その沿道は旧街道の雰囲気が漂う町並が展開していて、いくつかお地蔵様も見かけることができる。所々には小さな寺院も、その中の一つ、沿道にある行住院にチョイと立ち寄り、ちょっと厳つい顔つきのお地蔵様が小さな子分を従えるようにして立っている。

















ここまで真っ直ぐ進んできた道が少しだけ左にうねった所にあるのが浄禅寺、ここは『聞きこみ発見旅』でも訪れたことのある寺院・・・そう言えばあの番組もいつの間にか終わってしまっていたなあ、最後はちょっとマンネリ感があったから仕方ないところか、4年間の放送で奈良には2回しか来てくれなかった、それも大阪、京都との抱き合わせで物足りなかったし・・・。写真5枚目にある小さなお地蔵様の羅列は寺院の横の駐車場の片隅にあったもの、お堂に囲われているのもあれば野ざらしになったものも、そして1体だけ、小さくカラフルなお地蔵様はシンプルな色使いでお化粧が施されている。千本通はその後鴨川を渡って反対側へ、橋を渡ったすぐの所には写真にあるように鳥羽・伏見戦跡の碑、この辺りは幕末の頃は血生臭い戦いが行われた所、そんな場所も今は庶民的なのんびりとした雰囲気の町並が建ち並ぶ所となっている。その町並の中にも華やかなお化粧のお地蔵様、笑顔もあればちょっと困り顔をしたお地蔵様も見かける。それぞれの首からかけられた涎掛けには名前が書かれているが、これは子供の名前でそれぞれの成長を祈って書かれたものだろうか。












伏見区に入っても旧街道の雰囲気が漂う町並は続き、至る所でお地蔵様を見かけることができる。これまで何度も走っている道だがそれまでは全然気にもしなかったお地蔵様、注意を払って走っているといろいろと見つけることができた。お堂の中のお地蔵様も化粧されてますねえ、伏見区は特にこのようにお化粧されたお地蔵様が多いとのことですが何ででしょうかねえ、しかもどのお地蔵様もご丁寧に眉毛まで描かれていますしねえ。お地蔵様と言っても人々がお参りする仏様ですから、変に色を塗ったりしたら罰でも当たりそうな気がするんですが・・・お顔を作ってもらったお地蔵様も満更ではなさそうですけどねえ、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。           まちみち




No.1243 奈良の古墳巡り(8)・・・三宅古墳群

2019-12-19 11:09:03 | 文化財
おはようございます。


















今回は古墳巡り、三宅町から斑鳩町へと進んで行ってみようと思います、って言っても何回かに分けて走った記録をひとつにつなげたものですが。そんなわけでまず始まりは太子道と近鉄田原本線が交差する近くにある黒田大塚古墳、ポコンとした丘はさっぱりとした感じでいかにも古墳らしい姿で、民家が密集する中で突然と言った感じで現れる。ここから踏切を渡ってくねくねとカーブした太子道を進んで行くと三宅町の中心部へ、「恋人の聖地」と名付けられた場所の前を通り過ぎ町並の中をすり抜けて行ってその先で左へと直角に曲がる。町中を抜け田園風景が広がる辺りが三宅古墳群、数はそれほど多くはないが見渡してみるとあれは古墳やな、と分かるのがいくつか見える。西へと伸びる道の左手側にあるのが瓢箪山古墳とアンノ山古墳、両方とも山の字がついているが周辺は見渡す限り田畑が広がるだけ、そこに古墳らしき小さな丘が見えている。周辺には農作業に精を出している人も何人か見かける、走ったこの日は夏の甲子園真っ盛りの時で田んぼの稲もまだまだ成長中の時期、眩しい黄緑の中に古墳の濃い緑色が対照的に浮かび上がっている。

















一方の道の右側にもいくつかの古墳、狭い農道を通り抜けられるのかな~と思いながら進んで行く、その途中にあるのが茄子塚古墳、田んぼの真ん中にポコンとした四角い丘が浮かび上がっている。更に進んで行くと墓地の真ん中を通り抜けて寺の前古墳へとたどり着く、古墳の姿は見えなくて、ちょっと鬱陶しそうな木々が古墳の外に反るように出っ張っている、墓地は寺院に属しているから文字通り寺の前の古墳でこの名前なのかな、と思ってしまった。この辺りではもう川西町に入っていて・・・と言うことに気づかないくらいに三宅町は奈良県内でも存在感が薄い、町では日本で4番目に狭い所だとか・・・県道を突っ切って真っ直ぐ北へと進むと池に浮かぶ大きな古墳へとたどり着く。この鳥の山古墳は三宅古墳群の中では一番北にあるが、河合町にある川合大塚山古墳・・・河合、斑鳩編で紹介した古墳です・・・と形状が似ているとのことで、2つの古墳は関係が深いと見られている。













と言うことで何やかんやで斑鳩町へとやって来ました、ここは法隆寺の参道横にある駐車場、ここでトイレ休憩とするか。さて、斑鳩町でまだ巡ってない古墳は、っとグーグルマップで検索すると、今自分(一人称)がいる所に印が付いている、え?ここ駐車場よ、古墳なんてどこにもないやん、ちょっとそこの花壇に腰掛けて考えてみよう・・・って思ったらこれが古墳か!!ここはトイレ休憩で何度も来ている所なのに今の今までこれが古墳だとは全く思わなかった、見るからにあまりにも駐車場に溶け込んでいましたからねえ。でもこれが自分(一人称)が見つけたかった古墳なのかも、見るからに古墳古墳した古墳よりも、え、これ古墳やったん、って方が巡りも面白いですからね~、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。            まちみち