まちみちふうけい

四角い枠に切り取られた風景は一瞬のもの、そんな一瞬を追い求めてこれからも相棒と走り続ける・・・

No.1344 2020年和歌山の旅(2)・・・悲劇の皇子

2020-06-08 21:51:52 | 旅行記
よろしくお願いします。





さて、今夜私がお送りするのは2月に走った和歌山の旅編の第2回目です、早速行ってみることとしましょう↓↓↓


















またあのCMのフレーズを使ってしまいましたが、和歌山の旅、まだセンバツが普通に行われると思ってわざわざ智辯和歌山高校の手前まで行ってしまいました。その後黒江の町並へ、ここからは万葉歌碑巡りをメインとしての走り、まずは酒造会社の駐車場で目的をひとつクリアして、その後は海南市の中心部へとやって来ました。町には万葉歌碑がいくつか点在していて、地図サイトの印を目当てにして目的をクリアしていく。一通り市街地の巡りは終わり、次に向かうのは少し山の方へと行った所にある神社、国道42号線から分かれて急なカーブの上り坂を進んでいく。ここは相棒君は押し歩き、途中には寒いからか厚着をされたお地蔵様、そこを通り過ぎて少し薄暗い森の中にある藤白神社へとたどり着く。境内を奥の方に入って行くと有間皇子が祀られた神社がありその一角に万葉歌碑が立っている、この有間皇子に関しては次のゾーンで取り上げることとしておきましょう。境内を貫くようにして熊野古道が通っている、その熊野古道をたどって神社の北側にあるのが鈴木屋敷跡、ここは全国に数多い名字である鈴木姓の発祥の地となっている・・・って「鈴木」さんって今全国で一番だった?一時期高橋姓が抜いたことがなかったっけ・・・。













熊野古道は以前に泉佐野からこの辺りまで走ったことがあった、でも確かその時はここから先は山に入るので、ここで旧街道巡りは終えたのだった。今回の目的は万葉歌碑巡り、この先にもうひとつだけ捕らえておきたい歌碑があるので、熊野古道と書かれた案内板に沿って先へと進んでいく。前回はここまでで折り返していたからこの道は初めて行くこととなる、写真1枚目、2枚目にある川を越えて坂を上って行くと風情のある家屋、軒下の提灯には熊野古道と書かれている。やがてたどり着いたのが有間皇子の墓のある所、さっきの藤白神社でもこの名前を見かけたわけだが、写真にある説明の看板にもある通り有間皇子とは飛鳥時代の皇族、大化の改新直後の政権争いに巻き込まれ、クーデターの首謀者として処刑されてしまった。その場所がこの地だったことから、ここが有間皇子所縁の地とされているわけだが、皇子は基より争いには巻き込まれたくなかったために、病気の治療と偽ってこの地の先のある温泉地にに訪れるところだったとのこと。この時、有間皇子は19歳、まだ少年と言ってもいいくらいの皇子を問い詰めたのが中大兄皇子、大化の改新の首謀者が暗躍を経て政権を確実なものにしていったわけだ。若くして政権争いの犠牲となってしまった有間皇子、今は海が見える小高い岡の上でひっそりとお休みになっていることだろう。さて、自分(一人称)の走りの方はここでお休みになるわけにはいかない、下り坂を下りて行ってJR紀勢本線、阪和自動車道、国道42号線の下をくぐり抜けて再び海南市の中心部へと戻ることに。











海南市の中心部を通り抜けて、国道42号線を進んで和歌山市へと戻ることに、時間はもう正午を過ぎているがこの先巡りたい所はまだいっぱいある、特に一番の目的である万葉歌碑はこの先にもいっぱいあるので、できるだけ今回のうちにつかまえておきたい。地図サイトで予習しておいたところでは、和歌山でのいつもの走りのコースの定番である和歌浦と加太にはにいくつかの歌碑があるとのことで、やっぱり今回も外すことはできない。久しぶりの和歌山の旅なので他にもいろいろと行きたい所はあるが、時間的には先の2ヶ所が精一杯だろう・・・と言うことで次に訪れたのは和歌浦、これまでにもう何度も来ているが今回の目的は万葉歌碑、あらかじめ地図サイトで調べていた場所は順調に探し当てることができた。それでもやっぱり海を見るとテンションが上がってしまうのは奈良県民のあるある案件、この風景に、「はい、それまでよ~」でお別れするのはあまりにも早すぎます。そんなわけで次回も和歌浦の風景を織り交ぜてのお送りにさせてもらおうと思っています、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。              まちみち