よろしくお願いします。
大和川には何本もの支流があり、水源地から流れてきた水は一手に集まって大阪湾へと注いでいきます。これまでここでお送りしたのは富雄川と佐保川、意外と少ない気もするのですが支流には更に支流、その先にもまた支流と枝分かれしていてまるで家系図を描いているかのよう。今回お送りするのは大和川から直接分かれている寺川、桜井市へと至って更に先に山の方まで伸びている川ですが、今回のシリーズでは途中までになりますが2回編成でのお伝えとなります。
まずは寺川の分岐点、安堵町の最南部辺りで別れた川は南西方向へと向きを変える。左手側には遠目に昭和工業団地の雑然とした建物、右手側は写真8枚目にもあるように環濠集落に古墳と対照的な風景を見ながら、川西町の中心部から少し離れた所を流れている。川を沿うように道はあるが、この先京奈和道をくぐる手前で道はカーブして川から離れて行ってしまう、寺川はそのまま真っ直ぐ進んで京奈和の高架と近鉄橿原線の下を過ぎていく。道の方は迷路ような住宅地へと入ってしまい、目的地の姿は完全に見失われてしまった、もうこの辺りでは三宅町へと入っている。
住宅地の中を進んでいると写真6枚目、7枚目にある池へとたどり着いた、ここは「屏風」と言う町名で以前に何度もここで取り上げたこと太子道が通っている町。池のある場所は公園になっていて、その一角にはなぜこの町が屏風と呼ばれるようになったかの由縁が書かれた案内板が立っている。ところでこの場所、自分(一人称)は初めて来る所だが何か見覚えがあるなあ・・・と思ったら、『鶴瓶の家族に乾杯』で加藤雅也がゲストの時に一番最初に訪れていた場所だった。住宅地を抜けるとよく走る道へと出る、この道なら京奈和道も近鉄線も越えて寺川へと行ける・・・と言うことで迷いに迷わされた挙句、久しぶりに寺川の姿を見つけることができた、さあ、気を取り直して川に沿ってある道を進んで行くこととしよう。
地図で見ると寺川の上に境界線があり、右側=東側が田原本町、左側=西側が三宅町となる。その西側に古い町並が見えたのでちょっと寄り道、そちらの方へと入って行く。町並の中は迷路のような道になっているがすぐに途切れて池が現れ、その向こうには田園風景、京奈和の高架橋と近鉄橿原線が見えている。地図で確認するとこの辺りは近鉄石見駅が近い所、この石見駅って一応は三宅町の中心駅になるはずなのだが、三宅町の中心部からは遠く離れていてイマイチ分かりにくい所にあるせいで、その座は田原本線の但馬駅に譲っている感じ、地域によっては隣の結崎駅を利用する人もいるとのことで、どうも不憫な印象を受けてしまう。駅はそんな感じだが町はどんな所だろう、今まで来たことがないところだからなあ、と言うことで走ってみるとこの池の周辺は遺跡があったとのことで、街角にはそのことを示す案内板や遺跡から出土した土器のレプリカも飾られている。さて、寺川へと戻り先へと進んで行くとそこはもう田原本町、見慣れた風景は下ツ道、しかし今回は川巡りなので旧街道には入らずそのまま川沿いを進んで行く。この先は田原本町の中心部から橿原市、桜井市方面へと行くわけですが、その記録についてはまた次回でのお送りとしておきましょう、今回もいただきましてどうもありがとうございました。・・・・・・・・・まちみち
大和川には何本もの支流があり、水源地から流れてきた水は一手に集まって大阪湾へと注いでいきます。これまでここでお送りしたのは富雄川と佐保川、意外と少ない気もするのですが支流には更に支流、その先にもまた支流と枝分かれしていてまるで家系図を描いているかのよう。今回お送りするのは大和川から直接分かれている寺川、桜井市へと至って更に先に山の方まで伸びている川ですが、今回のシリーズでは途中までになりますが2回編成でのお伝えとなります。
まずは寺川の分岐点、安堵町の最南部辺りで別れた川は南西方向へと向きを変える。左手側には遠目に昭和工業団地の雑然とした建物、右手側は写真8枚目にもあるように環濠集落に古墳と対照的な風景を見ながら、川西町の中心部から少し離れた所を流れている。川を沿うように道はあるが、この先京奈和道をくぐる手前で道はカーブして川から離れて行ってしまう、寺川はそのまま真っ直ぐ進んで京奈和の高架と近鉄橿原線の下を過ぎていく。道の方は迷路ような住宅地へと入ってしまい、目的地の姿は完全に見失われてしまった、もうこの辺りでは三宅町へと入っている。
住宅地の中を進んでいると写真6枚目、7枚目にある池へとたどり着いた、ここは「屏風」と言う町名で以前に何度もここで取り上げたこと太子道が通っている町。池のある場所は公園になっていて、その一角にはなぜこの町が屏風と呼ばれるようになったかの由縁が書かれた案内板が立っている。ところでこの場所、自分(一人称)は初めて来る所だが何か見覚えがあるなあ・・・と思ったら、『鶴瓶の家族に乾杯』で加藤雅也がゲストの時に一番最初に訪れていた場所だった。住宅地を抜けるとよく走る道へと出る、この道なら京奈和道も近鉄線も越えて寺川へと行ける・・・と言うことで迷いに迷わされた挙句、久しぶりに寺川の姿を見つけることができた、さあ、気を取り直して川に沿ってある道を進んで行くこととしよう。
地図で見ると寺川の上に境界線があり、右側=東側が田原本町、左側=西側が三宅町となる。その西側に古い町並が見えたのでちょっと寄り道、そちらの方へと入って行く。町並の中は迷路のような道になっているがすぐに途切れて池が現れ、その向こうには田園風景、京奈和の高架橋と近鉄橿原線が見えている。地図で確認するとこの辺りは近鉄石見駅が近い所、この石見駅って一応は三宅町の中心駅になるはずなのだが、三宅町の中心部からは遠く離れていてイマイチ分かりにくい所にあるせいで、その座は田原本線の但馬駅に譲っている感じ、地域によっては隣の結崎駅を利用する人もいるとのことで、どうも不憫な印象を受けてしまう。駅はそんな感じだが町はどんな所だろう、今まで来たことがないところだからなあ、と言うことで走ってみるとこの池の周辺は遺跡があったとのことで、街角にはそのことを示す案内板や遺跡から出土した土器のレプリカも飾られている。さて、寺川へと戻り先へと進んで行くとそこはもう田原本町、見慣れた風景は下ツ道、しかし今回は川巡りなので旧街道には入らずそのまま川沿いを進んで行く。この先は田原本町の中心部から橿原市、桜井市方面へと行くわけですが、その記録についてはまた次回でのお送りとしておきましょう、今回もいただきましてどうもありがとうございました。・・・・・・・・・まちみち