まちみちふうけい

四角い枠に切り取られた風景は一瞬のもの、そんな一瞬を追い求めてこれからも相棒と走り続ける・・・

No.1354 寺川(1)・・・川西町~三宅町

2020-06-18 23:46:55 | ふうけい
よろしくお願いします。




















大和川には何本もの支流があり、水源地から流れてきた水は一手に集まって大阪湾へと注いでいきます。これまでここでお送りしたのは富雄川と佐保川、意外と少ない気もするのですが支流には更に支流、その先にもまた支流と枝分かれしていてまるで家系図を描いているかのよう。今回お送りするのは大和川から直接分かれている寺川、桜井市へと至って更に先に山の方まで伸びている川ですが、今回のシリーズでは途中までになりますが2回編成でのお伝えとなります。
まずは寺川の分岐点、安堵町の最南部辺りで別れた川は南西方向へと向きを変える。左手側には遠目に昭和工業団地の雑然とした建物、右手側は写真8枚目にもあるように環濠集落に古墳と対照的な風景を見ながら、川西町の中心部から少し離れた所を流れている。川を沿うように道はあるが、この先京奈和道をくぐる手前で道はカーブして川から離れて行ってしまう、寺川はそのまま真っ直ぐ進んで京奈和の高架と近鉄橿原線の下を過ぎていく。道の方は迷路ような住宅地へと入ってしまい、目的地の姿は完全に見失われてしまった、もうこの辺りでは三宅町へと入っている。













住宅地の中を進んでいると写真6枚目、7枚目にある池へとたどり着いた、ここは「屏風」と言う町名で以前に何度もここで取り上げたこと太子道が通っている町。池のある場所は公園になっていて、その一角にはなぜこの町が屏風と呼ばれるようになったかの由縁が書かれた案内板が立っている。ところでこの場所、自分(一人称)は初めて来る所だが何か見覚えがあるなあ・・・と思ったら、『鶴瓶の家族に乾杯』で加藤雅也がゲストの時に一番最初に訪れていた場所だった。住宅地を抜けるとよく走る道へと出る、この道なら京奈和道も近鉄線も越えて寺川へと行ける・・・と言うことで迷いに迷わされた挙句、久しぶりに寺川の姿を見つけることができた、さあ、気を取り直して川に沿ってある道を進んで行くこととしよう。



















地図で見ると寺川の上に境界線があり、右側=東側が田原本町、左側=西側が三宅町となる。その西側に古い町並が見えたのでちょっと寄り道、そちらの方へと入って行く。町並の中は迷路のような道になっているがすぐに途切れて池が現れ、その向こうには田園風景、京奈和の高架橋と近鉄橿原線が見えている。地図で確認するとこの辺りは近鉄石見駅が近い所、この石見駅って一応は三宅町の中心駅になるはずなのだが、三宅町の中心部からは遠く離れていてイマイチ分かりにくい所にあるせいで、その座は田原本線の但馬駅に譲っている感じ、地域によっては隣の結崎駅を利用する人もいるとのことで、どうも不憫な印象を受けてしまう。駅はそんな感じだが町はどんな所だろう、今まで来たことがないところだからなあ、と言うことで走ってみるとこの池の周辺は遺跡があったとのことで、街角にはそのことを示す案内板や遺跡から出土した土器のレプリカも飾られている。さて、寺川へと戻り先へと進んで行くとそこはもう田原本町、見慣れた風景は下ツ道、しかし今回は川巡りなので旧街道には入らずそのまま川沿いを進んで行く。この先は田原本町の中心部から橿原市、桜井市方面へと行くわけですが、その記録についてはまた次回でのお送りとしておきましょう、今回もいただきましてどうもありがとうございました。・・・・・・・・・まちみち




No.1353 奈良の古墳巡り(12)・・・明日香村、橿原市編

2020-06-18 00:26:16 | 文化財
よろしくお願いします。





さて、今夜私がお送りするのは奈良の古墳巡り、明日香村~橿原市編です、古墳とは決してお役人に住まわせておけとか言う所でも坂本さんの何とかでもありません↓↓↓












奈良の古墳巡り、久しぶりですね~、もういつ以来やったかな~?最近は近場の川巡りが主流になってしまってちょっと横に置かれてしまったこと、写真がまとめきれなかったこともあって、やっと今回でお送りできることになりました。
まずこのゾーンで巡ったのが4つの古墳、写真1枚目~3枚目にあるキトラ古墳、6枚目、7枚目にある高松塚古墳はもうあまりにも有名過ぎる古墳。しかしどちらの古墳も観光を前面に押し出している感じ、道がすっきりと整備されきれいさっぱりな形に揃えられた墳丘にはちょっと興醒めしてしまう。壁画や副葬品が出土して話題となり人もたくさん押し寄せるようになって、当の古墳もありのままの姿ではダメだと思われたのだろうか。そう言えば黒塚古墳もそうだったな、雑草が生え放題で墳丘の形も崩れているような場所には観光客は呼べない、だからきれいな形に整備する・・・まあ人が来てくれるんだったらそれも仕方ないか。写真4枚目、5枚目にあるのはその2つの古墳に挟まれた位置にある文武天皇陵、こちらは自然にありのままの姿で佇んでいる、天皇陵だから手を加えることはできないのだろう。















明日香村の観光エリアに入ってまずは近鉄飛鳥駅の北側にある欽明天皇陵、付近の緑と混ざり合ってまるで山のように見える大きな古墳、その手前には吉備姫王墓の森がある。古墳の前に相棒君を止めて森の横の狭い道を徒歩で回り込んで行くと小さな石の鳥居がある、しかし森の中へは柵が覆われていて入ることができない。薄暗い内部を覗き込むと写真4枚目、5枚目にある何とも奇妙な石像が4体並んでいる、人間か動物か、はたまた宇宙人か?何とも得体の知れない石像は飛鳥のミステリーとしてよく紹介されている。同じくミステリーめいたものとしてあるのがその次の写真にある石造物、欽明天皇陵前から始まる遊歩道を進んですぐの所にある鬼の俎、鬼の雪隠もよく知られている、何の目的で造られたものかはいまだ不明だ。その遊歩道を更に進んで行くと右手側に大きな古墳、天武持統天皇陵が現れる、天武天皇、持統天皇は夫婦で、この二人についてはここでも何度か取り上げたことがありました。両天皇の大きな事業と言えば藤原京造営、志し半ばで倒れた天武天皇の遺志を受け継いで持統天皇が藤原京造営を成し遂げた話は、もうここでもご存知のとおりでしょう。その二人の御陵が明日香の地にあるのもまたロマンですねえ、まあ現在には汚職や賄賂まみれの夫婦もいるわけですが、同じ政治に身を捧げた者なのになぜもこう違ってしまったんでしょうかねえ。




















このゾーンまず1枚目、2枚目にあるのは菖蒲池古墳、写真では車が停まっているのが見えるが、この道は明日香村と橿原市の境界線上にある、地図では古墳は橿原市に属しているように記されている。その橿原市に入るとさっきまでの歴史的な風景とは打って変わってのニュータウンの住宅街と変わってしまう。その中の道を進んで行くと左手側に現われるのが植山古墳、整備された公園のてっぺんに古墳があるように見えている。写真6枚目~9枚目にあるのは丸山古墳、国道169号線を橿原方面に進んでいると右手側に見える大きな古墳は奈良県では一番、全国でも6番目の大きさだとか。実際の被葬者は明らかではないが、宮内庁より畝傍陵墓参考地とされている、その候補は天武、持統天皇と言うことらしい。
国道169号線を北へと進み近鉄橿原神宮前駅の踏切を渡ると橿原神宮の前を通り過ぎる、ここから北へと伸びる道は日本の道100選に指定されている所。並木が涼しそうな雰囲気の道を進んで行くと右手側に神武天皇陵への入口が現れる、写真にある小さな石橋を渡って参道を行くと御陵があると言うことだが、自分(一人称)はまだ行ったことがない、ここに相棒君を置きっぱなしにするのはあまりにも無防備過ぎる、ってかここ駐輪禁止でしょ。この古墳を覆う森の北側にあるのが綏靖天皇陵、日本の初代と2代目の天皇の陵墓が隣り合わせになっている、さすがに日本の起源を自称している市と言ったところでしょうか。そんなわけで橿原市にはまだまだ古墳が多くありそうなのですが、その巡りの記録については・・・すみません、写真がまとめきれてないのでまだまだ先になりそうです、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち