今日渋谷のヤマハに行くと、ドラムマガジンが平積みになっており、何と表紙を飾っているのが東原力哉師匠(※あくまで敬意を表しての呼び方で、直接ご指導頂いたことはありません)!氏(師)が表紙を飾るのは10年以上ぶりでは?
渡辺香津美さんのResonance Voxやら野獣王国の頃からもう10年位経って、まあ随分見てくれも変ったなぁ、と。
ロングインタビューでは下ネタ満載、そして闘病の話も載ってて、笑いと涙に溢れる、ナカナカの人情ものです。
(例:3行目にいきなりカマしてくれます。
インタビュアー「(ナニワの)メンバーのみなさんが凄くいい関係なのがわかりました。」
力哉氏「みんなホモやからな(笑)」)
さて久々に書きます「思い出のライブ」、これは96年の春頃でしょう(ここから先、私が勤め人になってからのお話になります)、大阪出張の時に関西版「ぴあ」を見ると、力哉さんが難波のセント・ジェームスという、田中武久さん(pf、力哉さんの師匠)の店に出ると。ピアノ田中さん、ベースは神田芳郎さん(上手い!)、それに仕事のついでで遊びに来られていたのでしょう、ベースにもう一人、金澤英明さん。
力哉さんはこの田中さんというピアニストに若い頃相当シゴかれたらしく、そのためか演奏は東京ではまず見られない程、非常にセーブというか、コントロールされたものでした。すごくswingしていたのを記憶しています。お客さんは10人も居なかったんじゃないかな。
さてこの日の思い出は、演奏よりも初めて力哉さんとお話をさせて頂いたこと。向かい合って、エライちっちゃい人(推定160ちょい位?)であることに気付いてビックリ。以下会話の概要。
(東京から来たんです、とかいう挨拶の後)
私「あのライド何ですか?」
力哉さん「SabianのFlat Topや。あとスティックがこれ、メイプルでエエ音すんねん(注:力哉モデルのスティックは当時(今も?)ヒッコリーしか売られていなかった)。」
力哉さん「これ(スティック)やるわ」
私「(感激して)あ、ありがとうございます!」
力哉さん「コー○ンに入れたりしたらアカンで!」
私「・・・」
(後略)
今回のドラムマガジンのインタビューを読んで、この会話を思い出してしまいました。
色々と誤解を受けることが多い方のようですが、私の中での力哉さんは、まあ非常に分かりやすい、サービス精神旺盛な、気さくな方だという印象です。
この時に頂いたスティックはその後一切使わず、家宝の一つとして大切に保管させて頂いております。
(Butzmetz常務)
渡辺香津美さんのResonance Voxやら野獣王国の頃からもう10年位経って、まあ随分見てくれも変ったなぁ、と。
ロングインタビューでは下ネタ満載、そして闘病の話も載ってて、笑いと涙に溢れる、ナカナカの人情ものです。
(例:3行目にいきなりカマしてくれます。
インタビュアー「(ナニワの)メンバーのみなさんが凄くいい関係なのがわかりました。」
力哉氏「みんなホモやからな(笑)」)
さて久々に書きます「思い出のライブ」、これは96年の春頃でしょう(ここから先、私が勤め人になってからのお話になります)、大阪出張の時に関西版「ぴあ」を見ると、力哉さんが難波のセント・ジェームスという、田中武久さん(pf、力哉さんの師匠)の店に出ると。ピアノ田中さん、ベースは神田芳郎さん(上手い!)、それに仕事のついでで遊びに来られていたのでしょう、ベースにもう一人、金澤英明さん。
力哉さんはこの田中さんというピアニストに若い頃相当シゴかれたらしく、そのためか演奏は東京ではまず見られない程、非常にセーブというか、コントロールされたものでした。すごくswingしていたのを記憶しています。お客さんは10人も居なかったんじゃないかな。
さてこの日の思い出は、演奏よりも初めて力哉さんとお話をさせて頂いたこと。向かい合って、エライちっちゃい人(推定160ちょい位?)であることに気付いてビックリ。以下会話の概要。
(東京から来たんです、とかいう挨拶の後)
私「あのライド何ですか?」
力哉さん「SabianのFlat Topや。あとスティックがこれ、メイプルでエエ音すんねん(注:力哉モデルのスティックは当時(今も?)ヒッコリーしか売られていなかった)。」
力哉さん「これ(スティック)やるわ」
私「(感激して)あ、ありがとうございます!」
力哉さん「コー○ンに入れたりしたらアカンで!」
私「・・・」
(後略)
今回のドラムマガジンのインタビューを読んで、この会話を思い出してしまいました。
色々と誤解を受けることが多い方のようですが、私の中での力哉さんは、まあ非常に分かりやすい、サービス精神旺盛な、気さくな方だという印象です。
この時に頂いたスティックはその後一切使わず、家宝の一つとして大切に保管させて頂いております。
(Butzmetz常務)