『国家の品格』という本が売れているということで、オレにとっては低いレベルの本(ハハハ)と思いながらも、少し内容に興味があったので昨日こっそり買って読んでみました。まあ、権威ある学者だからこそ書ける独断的な本、といえばそれまでなのですが、半分ほど読んでみて無視できない点が1点、現代では「ロジカル・シンキング」といったものが重視されていますが、この本によると論理は万能でなく、そもそも論理(「こうだからこう」という連鎖)の原点(公理といわれるようなもの)は、「かくあるべし」として決めるしかないとのこと。なるほど確かにそうですね。ここには論理の入り込む余地はないわね。道徳などはこれの一つにあたるものだと書かれています。
この話を読んで思い出したのが、ニーチェによる議論。ニーチェは、『悲劇の誕生』の中で「音楽をやるソクラテス」という例を挙げて、そんな人間は存在しないと言っています。ここで言われている「ソクラテス」というのは、論理に従ってものごとを進める人のことで、要するに音楽と論理は相容れるところがない、ということを言っているわけです。音楽における「こうだからこう」というのは、バークリーメソッドに代表されるものが幾つも存在するのでしょうが、ニーチェの当時(19世紀)にはそのようなものはなかったのでしょうし(楽理などはあったのでは?)、まあ本質的に音楽は「こうだからこう」といった理屈にはそぐわない、ということをニーチェは言いたかったのでしょう。そして、音楽については「よいものはよい!理屈なんぞない!」ということなのでしょう。
私達は普段はサラリーマン。私も仕事においてはロジカルに、というのを常に心がけていますし、論理学というのはアリストテレスに遡る古い学問、そしてロジカルに考えることは、非常に貴重でかつある種神聖な話であると考えています。しかしこのような話を聞くと、やはりその原点、音楽やら道徳といった言わば「真理」(?)に対する追求も大切なものなのだろうと改めて考えてしまいます。
日々是勉強。音楽活動も勉強。仏滅らんじぇりいずも是勉強。
(仏滅常務)