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服にもテロワール




週末、快晴のロンドンで今年初めて着られたノースリーブ!

発売と同時にあちこちで争奪戦になったらしいプリーン (Preen by Thornton Bregazzi) のドレス、ふんわりふくらんだ長めのスカートが今季らしい。
サウス・ケンジントンのレストランに居合わせたお姐さんが大絶賛してくれた。


英国に住むようになってから、英国のデザイナー/ブランドの服が着々と増えている。

ビクトリア・ベッカム、アレクサンダー・マックイーン、ステラ・マッカートニー、オスマン、そしてこのプリーンあたりだ。

ついこの前まで断然フランス/イタリア贔屓だったのに...不思議。

この現象は、わたしが英国に住むようになったからなのか(もうすぐ丸3年!)。英国のデザインがフランスやイタリアと戦えるほどの競争力を持ってきているからなのか、単なる流行りだからなのか。
理由は分からないが、シェパーズ・パイを食べ、薄いトーストにオックスフォード・マーマレードを塗って食べ、紅茶がどんな飲み物より美味いと感じ、ミントソースにぎょっとしなくなってきたのと同じように、英国デザイナーにも親和してきた結果なのかもしれない...

違う。
もしそうならベルギーに住んだ13年間、例えばドリス・ヴァン・ノーテンなどを好んで着ていたことになるが、実際ほとんど手を通すことはなかった。あれらはベルギー北部に多い、170センチほどの比較的骨太の女性(例えば義理の母は長身で上半身が大きく、ヴァン・ノーテンがとてもよく似合う)に似合うものなのだ。

英国で、領地を持っているような家に嫁いで「ローデンコートが手放せなくなりました」とか、アラン島の漁師の家に嫁いで「アラン編みセーターを...」というのなら、英国に親和してきたからだと言えるのかもしれないけど。


何はともあれ、この先、インドに住むことがあったら絶対にサリーを着こなしたいし、ベトナムではアオザイを着て暮らしてみたい...



テロワール:
「土地」を意味するフランス語terreから派生した言葉である。もともとはワイン、コーヒー、茶などの品種における、生育地の地理、地勢、気候による特徴をさすフランス語である。 同じ地域の農地は土壌、気候、地形、農業技術が共通するため、作物にその土地特有の性格を与える。(中略)その作物における「生育環境」とでもいうことができる。(ウィキペディアより)
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初夏の夜の夢の中へ




ロイヤル・バレエの混合プログラム、"The Dream", "Connectome", "The Concert" へ。

"The Dream" はシェイクスピアの「真夏の夜の夢」のアレンジ、"Connectome" は、セバスチャン・サス博士の「コネクトーム」(神経回路地図)理論からインスピレーションを得たプレミア、"The Concert" は「劇場のスノッブな客たち」をカリカチュアした非常に洒落たコメディ。

バレエ好きの楽しみ今夜揃う、といった感じの、夏の夢のように愉快で、時に大腿に力が入るほど緊張し、ゲラゲラ笑うことが大歓迎される、心躍る3時間だった。


「コネクトーム」の理論については全然知らないのだが、「個性」や「私」というものは生まれつき人それぞれに備わっていて、何かのきっかけで発見したり開花させたりするものでは決してなく、社会の中でその時々に結ぶ関係性によって生成する無限の結び目である、と考える社会学的知識と似ていると感じた。
あ、もしかしたら社会学の方が神経科学からヒントを得たのかも。

神経回路地図を旅する情報たる女性ダンサー(わたしが見たのはナタリア・オシポヴァ)が、複数の神経細胞たる男性ダンサーと結ぶ脳の中の「関係性」はものすごく精密、複雑、集中的、徹底的で、なるほど、シナプスのシグナル伝達はこのようにスパークしているのか...と、見ているわたしの頭の中もあちこちでスパークしっぱなし。

背景が宇宙というのも、インド哲学の、宇宙の根本原理であるブラフマンと、自己の中心であるアートマンが等価である「梵我一如」のようでワクワクした(脳の話が正確である自信はゼロなのでご了承下さい)。


「コンサート」の成功はピアニスト、ロバート・クラーク(舞台上にソロピアノ)の貢献なくしてはありえない。
50年代の米ヴォーグのグラビアのような、それをコメディ仕立て(<しかも笑い過ぎ)にした、ものすごくいい作品だ。


学校でシェイクスピアをひたすらやり、将来の夢が脳外科医で、コメディ好き、ピアノ弾き、ショパン・ファン、そしてダンスが何よりも好きな娘にもどうしてもこの3つの作品を見せたいのだが、時間が...もうすこし長い期間催して欲しかった!


(写真はプログラムのもの。1964年の "The Dream"。オベロンはアンソニー・ドウェル)
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そうなんやなあ




娘が言った。
英語には日本語の「かっこいい」に該当する単語がない、と。

わたしが "cool" ではダメなのかと聞くも、うちの14歳は「やれやれ、ほんとうにママは何も分かってないのね!」という態度を前面に押し出しながら慇懃無礼に「クール」では日本語に含まれている「かっこいい」のニュアンスが十分表現できない、と言う。
「スマート」でもいけないらしい。

へえ、そうなんやなあ。

彼女が日本語の「かっこいい」をどのように理解しているのか知りたかったので、オランダ語の "knap" を当てたらどうなのか、と聞いてみたら "cool" よりはずっと「かっこいい」のニュアンスに近いと思うがそれでも十分ではない、と言った。
そのことから、娘が日本語の「かっこいい」を、英語の "cool" を含みつつ、さらに、端正、凛々しい、爽快、痛快などという意味で使っているのらしいと見当がついた。
ちなみに彼女は、英語の "cool" はイタリア語の "sprezzatura"(スプレッツアトーラ)、つまり「計算された無頓着さ」という意味合いで使っているようだ...
また「ママ、違う」と言われそうだが(以前スプレッツアトーラについて書いたこちら)。


わたしも日本語にあって英語にない単語やニュアンス、またその逆について時々考えたりする。
「お疲れさまでした」「よろしくお願いいたします」「お世話になります」「お邪魔いたします」「ご迷惑をおかけします」「義理がある」「(精神的な)余裕がある」「世間」、果ては「侘び寂び」とか...あは! まさに世間一般的な日本人の中年、という感じですな。

でも「かっこいい」について考えたことはついぞなかった。


言語によって世界の「分節」の仕方は違う。
日本語にも「雪」を表す言葉はたくさんあるが、イヌイットの言葉には日本語以上に多くの「雪」を表す単語があるというのは有名な話だ。イヌイットは「雪」を日本語よりさらに多く分節する。彼らに取ってそれが感心事、重要なことがらだからだ。逆に言うと、その単語があるということによってのみ、その物やことは存在する。

このように住環境や文化背景、言語によって、世界の分節の仕方が違うというのは分かっていたが、同じ家に住み、同じ物を食べ、わたしがよいと思う文化を重点的に経験して来、日本語ではわたしと全く同じ口調の娘と世界の分節の仕方が違うというのは、そうなんやなあ、と新鮮な感じだった。

わたしにとっては「かっこいい」も「クール」も「クナップ」も「スプレッツアトーラ」も全部同じだが、14歳の、複数の言語を自由に操る娘にとってそれらは全部微妙に違うものなのだ。


...


などと考えていたら、タンブラーでこんな記事が回ってきた。

10年前の記事だが、要約すると、1000人の言語学者やエキスパートに聞いたところ、訳を当てるのが最も難しい単語は、コンゴ民主共和国で話されている言葉にある、 "ilunga" だということが分かった。ちなみに "ilunga" とは、"a person who is ready to forgive any abuse for the first time, to tolerate it a second time, but never a third time" 「1度目、2度目は不当な扱いにも耐えるが、3度目はない人のこと」(「仏の顔も三度まで」やんか!)。
2番目に難しいとされたのがイディッシュ語の "shlimazl" で "a chronically unlucky person"「慢性的に不運な人」。(「ユダヤ人」...自分らのことやんか!)。
3番目が "naa" 。 ”to emphasise statements or agree with someone” ...「意見を強調したり、誰かに賛成するときに使う」。

うっそー、そうなんやなあ!


3番目、「日本の関西地域で使われる」「なあ」なんですってよ! 

記事は、どの単語ももちろん辞書で対訳を見つけることができる。しかしそれらの意味は(対訳の中にあるというよりも)、文化内での経験、文化内での単語の重要性の中にある、としている。

いや、もちろんそんなことは分かってるけど、「なあ」なんやなあ! (しつこい)
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japan








ご縁あって林源太氏の漆作品が手元にやってきた。

厚み(薄さ、と言うべきか)、色、艶、大きさ、歪んだ楕円形、すべてが超好みだ。

英国生活に合わせて、愛でながら使いこなしたい。

...


まずは娘が来月、学校でアフタヌーン・ティーのプレゼンテーションをするので、
スコーンの皿として使わせてみようと思っている。
クロテット・クリームに添えるナイフは富井貴志氏のやつで。
クリームは江戸切り子の蓋付き蕎麦猪口に入れてはどうか。

先生方が日本の文物に関し目を輝かせて質問してくる時、
鼻をふくらませながら、例えば「これは日本の漆 (Japan) ざます」
などと説明するときの小市民的気持ちよさといったら! (笑)

床の間主義者(トコノミアン)の骨頂である。
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