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夢のあとさき




セール中のウィンドウに商品の欠けが目立つようになり、やっとクリスマス/正月気分が抜けたようだ。

わが家も、クリスマスイブから続いたベルギーから日本からの来客が去り、検疫期間を終えた飼い犬をやっと迎え、日常生活をルーティーンに戻すスタート地点によろよろと立った。

あと少しすれば「もう3月!」と驚いてみせ、もう少ししたら「今年も半年過ぎた!」とか「年月が束になって飛んで行く」とか言うのだろう。


...



年末年始。英国人がクリスマスにかける熱情には驚いた。
これはもうベルギーや日本とは次元が違う。

ラジオから古今のクリスマスソングが常に文字通り常に流れ、人々はいかに準備を進めているか熱く語る。街に出ると買い物にいそしむ人の群れは殺気だっており、クリスマス用に販売される商品の数も質もクレイジーだ。
何事も「クリスマス」のためにされ、「クリスマス」のためにされない。

25日を過ぎたら過ぎたで、どんなクリスマスだったか、という話題。そして次のクリスマスへの抱負。そのうち新年が来る。次第に人々は魂が抜けたみたいになる。いくらなんでももう立ち直っているだろうが(笑)。

...このように書いてもその熱狂の度合いは伝わらないだろう。
日常の秩序や常識を超えた行為が許されるのが祭りなわけではあるが、あまりに暴露的で初心なわたしにはショックが強すぎた。英国サッカーファンの大騒ぎもひょっとしたらこんな感じなのだろうか。今年のロンドンオリンピックもそうなるのだろうか。


この、過剰で嫌な感じは、

ー英国が民主政治とやテクノロジーと資本主義の恩恵に預かった「大衆」社会であり、
ーそこに住む大衆は「他人と自分が同一であると感じて、かえっていい気持ちになる」人々で(自分は他人とは違っている、と全員が思っているところもそっくりだ)、
ー「ただ欲求のみを持っており、自分には権利だけあると考え、義務を持っているなどとは考えも」せず、
ー「凡庸な精神が、自己の凡庸であることを承知のうえで、大胆にも凡庸なるものの権利を確認し、これをあらゆる場所に押しつけようとする」

のが露見してしまうのがクリスマスシーズンだからなのかもしれない(「」内はオルデガ「大衆の反逆」からの引用)。


知性も教養も品格もない人間が、民主政治と資本主義のおかげで小金と権利を手にし、文化や歴史に敬意を払うこともなく、また未来に対して責任感も使命感も持たず、自分の低俗な趣味や欲望を検討もせず開陳しあらゆるところにのさばり、あらゆるところに押し付けてくる...(もちろんわたしも自分をそんな「大衆」の1人であると喜んで認めよう)



こんな社会は英国だけではない。たまたま民主化、テクノロジー、資本主義が世界中でも特に進んでいる国のひとつである。が、かすかに無常観漂うベルギー(だってベルギーは建国わずか170年だし、国は分裂、通貨は崩壊の危機にあるし)から来たわたしには、オルテガが80年前に述べたことがここではっきり見えたような気がしたのである。


わたしの人生も折り返し地点を過ぎた。
今後の人生は自分自分の生き方ではなく、共同体の成熟した一員として生きたいと思う。

毎年言ってるけど今年は頑張ります(笑)。
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