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アルハンブラは「赤い城壁」





「たーら らーららー...」

と、2013年の記事も、この鼻歌で書き始めている。

タレガ「アルハンブラの思い出」。誰もが知るあのギターの名曲。

(あるはずのない)懐かしい思い出に胸がいっぱいになるあの旋律。後世に残る名曲には、この「自分は個人的に経験していないのに、なぜかひどく懐かしい思いを掻き立てられる」という要素があるものが多いと思うのだがどうだろう。


シャトーの青い夜
エクサンプロヴァンスの青い朝
パリの赤い朝
アルハンブラの青い夜
アルハンブラの青い薔薇

と、しつこく続けて今日は

アルハンブラは「赤い城壁」という意味なんですって! 
アラビア語で「赤い城塞」を意味するアル=ハムラー。

ええ、たまたまです。




魔法を使ったので完全に無人、ライオンの中庭。

早朝の気温は21度。ひんやりした柔らかい大理石を足の裏に感じ、噴水の鈴のような音色と鳥の鳴き声だけが聞こえる。

ムカルナス(鍾乳石状の飾り)の森林に囲まれた明るい泉からせんせんと流れる小川。完全な調和。ロゴス。

4つに区切られ、水路が清らに流れるパラダイス(アラビア語の「庭」が語源)である。
四分庭園は「エデンの園」を模倣したものだ。4本の川で4つに分割された庭は「世界」の象徴でもある(聖書にもこの記述がある。起源はペルシャ)。




アルハンブラはグレナダの丘の上にある。

8世紀、イベリア半島にイスラム国家のウマイヤ朝が侵入、のちの後ウマイヤ朝時代に形成された砦が原型となっている。

11世紀になるとキリスト教徒の国土回復運動であるレコンキスタが起こる。

13世紀にはイスラム側に残されたのは、グラナダを中心とするアンダルシア地方のみとなっていた。
アルハンブラを拡大したのは、この時代のナスル朝(グラナダ首都)である。




16世紀直前、レコンキスタによってグラナダが陥落。
直後にカルロス5世がアルハンブラ内にカルロス5世宮殿を建設(未完)。こちらが前回の記事のコンサート会場として使用された建物だ。


アルハンブラは長く忘れ去られていたものの、19世紀に「再発見」される。

アメリカの作家ワシントン・アーヴィングが『アルハンブラ物語』という紀行文学を書いたことによって(『リップ・ヴァン・ウィンクル』の作者でもある)。
彼は数カ国語を操る外交官でもあり、カラフルな人生を送ったようだ。




アルバイシンから眺めたアルハンブラ。
向こうはシエラ・ネヴァダ山脈。

『赤い壁』と呼ばれている理由がはっきり分からないと書くガイドブックがあったが、ここから見るアルハンブラの夕暮れは、それはそれはロマンティックに赤い。
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