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ゴッホ最後の日々





アムステルダムのヴァン・ゴッホ美術館は、いつも混雑している。
入口付近は、同じ美術館エリアにある古典傑作揃いのRijks Museumアムステルダム国立美術館よりも混んでいるのでは? という感じさえする。


今回は、彼が37歳で自死するまでの数週間(2ヶ月)を過ごしたオーヴェル=シュル=オワーズでの活動についてフォーカスした特別展『ゴッホ最後の数ヶ月展』Van Gogh in Auvers. His Final Monthsを中心に見学した。

常設展は通常通りの混み具合だったが、特別展はかなりひっそりとしていた。

カラスの扉を開けて入ると、ギャラリーの喧騒が聞こえなくなり、誰かの死に向かって一緒に歩いているのだ、という厳粛な気持ちになった。


1890年5月、ゴッホはパリから北西へ30kmほどのオーヴェル=シュル=オワーズの農村に到着。
アートコレクターで医師であるポール・ガシェを理解者に、最後の活動を始めた。




この時期の彼の多作には驚かされる。

芸術への情熱?
セラピー的でさえある爆発的な自己表現?
絵画上達の訓練?
成功しないことへの葛藤?
人間関係がうまく築けないという孤独?
よくならない病気?
発作と発作の間にまとめて制作したから?
貧しさ...?




凡人にはとてもとても思いつかない。
悲しみが滲みてくるだけだ。彼自身が描いた、働けど働けど生活が向上しないじゃがいもを食べる農夫一家の悲しみのような。


最後の作品群には、嵐で折れた花や、植物の根、再生する下葉など、踏まれても倒されてもなお生きる自然モチーフが多いような気がする。そんな気がするのは、彼の最後をわれわれがすでに知っているからだろうか。

それがふっつりと切れてしまうのはなぜだったのだろう。



『カラスのいる麦畑』1890年。ゴッホの当時の精神状態が赤裸々に現れているという。




絶筆と見る研究もある『木の根と幹』1890年7月



ゴッホは生前にはほとんど全く評価されなかったにもかかわらず、現代ではたいへん人気がある理由は何だろう。

彼の情熱とエネルギー、唯一無二さは、色彩や筆触に現れ、視覚的インパクトがとても強い。表現主義の先駆といわれるゆえんである。
あるいは、「失敗」続きの人生、苦悩、生前には全く評価されなかった芸術、悲劇的な死、献身的な弟(まるで天使)...

それとも一人の人間を社会が見捨てた、という一種公共的な悔恨? 
わたしは現にそう感じている。
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