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mantegna and bellini exhibition





ロンドンのナショナル・ギャラリーで開催されているMANTEGNA AND BELLINI EXHIBITION「マンテーニャとベリーニ展」へは今週中にどうしても行きたかった。

来週ヴェネツィアへ旅行予定だからである。


先月29日、暴風雨の影響でヴェネツィアの水位が異例の156センチにまで上昇(毎年水害は報告されているものの、水位が150センチを超えた例は観測史上5回しかないそう)、サンマルコ広場は立ち入り禁止。

災害があった観光地は何はともあれ観光客に戻ってきてほしいと願うそうだから、今のところはためらいなく行くつもりではいる。

主な目的は11月で終了のヴェネツィア・ビエンナーレ、建築展だ。

が、もちろん豪華なヴェネツィアの歴史と絢爛なヴェネツィア派を素通りするつもりは全くなく、2年前の訪問前に読んだ、宮下規久朗著「ヴェネツィア 美の都の一千年」を再読し始めた。

この本、ヴェネツィア美術についてひととおり書かれていて、教会のカタカナ名や似たような絵画作品名がたくさん出てくるので記憶が全然追いつかない。紙にペンを片手にメモりながら読んでいるのである。

左はヴェネツィア派を多く収めるサンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂


ヴェネツィアはそれこそ80年代から何度も訪れているが、意外に冬は初めて。
凍えて煙るサンマルコ広場に鳥が「海のあをにも染まずただよふ」と飛んでいるのを見たいと思っている。


閑話休題。

15世紀、世界に冠たるヴェネツィアの有名な芸術一家に生まれたジョバンニ・ベリーニは不自由なく育ち、一方のパドヴァ生まれのマンテーニャは独立独歩で名を挙げた。
のちにマンテーニャがベリーニの姉と結婚したこともあり、お互いに影響しあうようになったという。

今まで考えてみたたこともなかったが、わたしが好きだと思っていたベリーニ作品は晩年の作品ばかりだった。

若い頃の作品がこれほどマンテーニャ作品と見分けがつきにくく、またマンテーニャに比較するとデッサンに稚拙さが目立つとは知らなかった。


一方、「解剖学と古代ギリシャ・ローマ芸術」を骨頂とするマンテーニャは最初から彼独自のスタイルがあり(油彩技術の普及にも関わらず生涯テンペラにこだわったことや、短縮法の見事さよ)最後までこれを発展させていく。

左は2年前、ニューヨークのメトロポリタンで撮影したベリーニのMadonna Adoring the Sleeping Child この絵も展覧会に出ている。

「風景」の描き方で抜きん出たベリーニは、次第に当時主流であった線を用いた描き方ではなく、光と陰で描く、独自のスタイルを形成して唯一無二の存在になり、ジョルジョーネ(大好き)ティツィアーノ(好き)にひきついでいくのだ。
線より色を重視して権威から反感を買ったのは19世紀のドラクロワだが、ここにすでに伏線が置かれていたのだ。


展示作品は一点一点は見たことのあるものもとても多いのに、こうやって二者の作品を並列させてみるとさまざまな発見があり、知らなかった世界への扉がぱあっと開いたような気がした。

わたしはよほどでなければ図録を買わないが、この展覧会は図録で後からもものすごく楽しめるだろう。

ヴェネツィア旅行から帰ってきたらもう一度訪れて見たい展覧会だ。

左は先日ウィーン美術史美術館で撮影したベリーニのNaked Young Woman in Front of the Mirror 1515年。彼は85歳だった。右上の絵が1460年代はじめに描かれたそうだから、変化がよくわかる。



このマンテーニャの赤ん坊イエスのお口とお手手が...Madonna with Sleeping Child
ナショナル・ギャラリー蔵の修復から上がってきたほやほやのベリーニ作品The Assassination of Saint Peter Martyrも展示されているのでぜひぜひ。
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