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無垢の博物館




新興の西洋の価値観が、栄華を誇った東洋の価値観に取って代わろうとする、よせてはかえす、海岸の潮のような運動...

その、気がつかない間にそこにあった感、執拗さ、当たりまえ感、取り返しのつかなさ、侵略性、うら悲しさとある種の喜びや期待...

まるで今この時期、美しい夏が去りつつあり、秋がひたひたと忍びよるのをただただ眺めているだけのような。


そんな話を書くトルコの作家が、作品と連動してつくった『無垢の博物館』(@イスタンブール新市街ベイオール地区)には、今回ぜひ行ってみたかった。


最初の展示物は圧巻の、ヒロインが捨てた吸い殻、小説の舞台となった1970年代から80年代までの
彼女がどんなムードでその一本一本を吸ったかが記されてある。





2006年にノーベル文学賞を受賞したトルコの作家オルハン・パムクの作品は、1998年に発表された『私の名は紅(あか)』しか読んだことがなかった。

スンスンと読め「これからは本だけ読んで生きていきたい...」(>彼自身もそう発言している)と、本を閉じられなくなる作品だったが、それ以降はすっかり彼のことは忘れていた。


展示物「1」はヒロインのイヤリングと部屋で揺れていたカーテン
展示にふられている番号とタイトルは、小説の章に連動している
こちらは第一章「わたしの人生における至福の思い出」



今回、イスタンブールだけで一週間時間があったので、イスタンブールを舞台にした作品が多くある彼の作品を再訪してみようと思ったのだ。

結局、この夏だけで『無垢の博物館』『私の名は紅(あか)』『ペストの夜』『雪』、『僕の違和感』を読み、これから『赤い髪の女』に取り掛かろうかと思っている(宮下遼さんの翻訳。美文がたまりません以下の引用「」内も全て宮下さんの訳)。


ヒロインが触ったもはなんでも集める主人公
彼女から盗んだもの、当時を思い出させるとして後から買い集めたもの...



小説『無垢の博物館』と、実際に作られた建物と展示物を備えた「無垢の博物館」。

70年代、まだ因襲の残るイスタンブールで、富裕層の男性が、そうでない家庭のヒロイン女性に恋をする。
しかしそれは彼の自己中にすぎない障害の多い恋であり、彼は彼女にまつわる「もの」をフェティッシュに収集することによって(「まるで物神を近くできる呪術師になったかのようで、それらの中に息づく物語たちが身内でかすかにみじろぎする気配を感じた」)、感情を転移させ、その結晶として、「愛の記念の」博物館を作った...のである。恥ずかしさも込みで。

恥ずかしながらといえば、わたくし自身、20代の頃には叶わぬ恋愛をし、なんでも彼に関連づけ、彼に関連するものならば何でも調べ、収集し、どの恋愛対象も転移にすぎなかった...経験がある。それを展示しようとは一度も思わなかったけれど!




彼がものにこだわり、ものを収集し続けた理由をこう説明している。

「アリストテレスは『自然学』の中で、”現在”という一瞬一瞬と”時間”の間に区別を設けている。”現在”という瞬間は、あたかも彼のいうアトムのように、それ以上分割しえないものである。そして”時間”は、この分割不可能な瞬間が集合した線として言及されている。わたしたちーよほどの愚か者か、記憶力が欠如した者でない限りーは瞬間の集合体としての”時間”を完全に忘却することはできない。」

「アリストテレスの言うような線としての”時間』ではなく、膨大な瞬間一つひとつを介して人生を想う術を、学んだとすれば、愛する人の食卓で八年もの間ひたすら待ち続けたことを、一笑にすべき奇矯な振る舞い、馬鹿げた行いとはみなせまい。」

「”瞬間”だけは覚えている。まるで一枚の写真のようにくっきりと記憶に刻み込まれたそれは、決して色褪せることがない。」

「アリストテレスいう言うところの”瞬間”と等価のものであると言う事実を、はっきりと知らしめてくれる存在」

「月光が切り取った影の中に、まるで宙に浮かんでいるかのように並ぶ品々が、アリストテレスのアトムのように、それ以上は不可分の一瞬の存在を暗示していた。かの哲学者によれば、瞬間の集合体が時間であるように、品々のより集まった一本の線もまた、一つの物語なのだ。」(以上オルハン・パムク著 宮下遼訳『無垢の博物館』から引用)


芸術や覚醒レベルは月とスッポンなれど、わたしがこの拙いブログを書き続ける理由のひとつは、上に引用したのと同じなのかも...いや、同じだ。


彼女の実家の洗面所
ここからもあれこれ失敬した主人公。



博物館の開館時間と同時に赴くと、チケット売り場の小窓が開き、70年代風の薄いピンクの口紅を塗り、髪をふくらませ、爪に綺麗な色を塗った、顔立ちの整った非常に若い女性が顔を出した。
わたしは「フュスン(<ヒロインの名)!」と度肝を抜かれたのだったが、Z世代の娘は、「容姿で受付を選ぶなんてどんな時代錯誤、ありえない」と言った。

パムクならばやりそうなギミックでは? と思った...
パムク自身も作品中にカメオ出演するのが好きだし...




この博物館の建物さえも、ヒロインの実家だった建物、という設定なのである。
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