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中国語学習熱@英国




12歳(中2/8年生)の娘は、学校で英語はもちろん、羅、仏、独、西を学習している。
それらの成績と、他にも日と蘭が話せることから、言語部門の先生から「彼女は耳が抜群にいい。課外で開講されている中国語(マンダリン)を受講をしてはどうか」と強く勧められた。
(わたしは先生が「マンドリンを」とおっしゃっているのだと思い、なぜマンドリンなのかと思いつつも「わたし自身も常々習ってみたいと思っていましたっ!」などと答えてしまったのである・笑。それでも会話が無理なく続いたから可笑しい)。

お稽古はすでに音楽系を週4回、バレエと演劇各週1回づつ受講している。プラス毎日部活もある。何かを新しく始めるのなら何かを辞めなくては余裕がない。
娘は漢字が難しいことを補習校に通った経験から知っているため、マンドリマンダリンへのお誘いは自分自身でさっさと断ってしまった(笑)。



中国語...

英国では中国語学習熱が盛り上がっている。昨今外国語学習と言えば中国語のことだ。
もちろん中国の国勢と同期してのことで、例えば今年2012年の世界大学ランキングで4位につけたUCL(ロンドン大学)には、中国人学生が1万人近く在籍(!)していて、そのUCLがサポートしている公立中高では、中国語学習が生徒だけでなく学校の管理作業員にまで義務づけられているとかいうから驚きである。
これからは中国語ができなければ取り残されるとばかり(この「取り残される」というのはまぎれもなく金銭的に、という意味である)。しばし冷静になって考えてみたら?というようなブームなのだ。


若い人はご存じないかもしれないが、日本が欧米から「ライジング・サン」と呼ばれ、NYやロンドンのビジネスマンがこぞって日本語学習をした時期が20年くらい前にあったのである。
そう、「24時間働けますか」のあの頃だ。

当時、すでに経済に陰りが見えていた欧米に比較して日本の経済成長は終わりがないように見えた。ドイツが「日本人が働きすぎるのが不公平だ」などと屁理屈を言ったり、フランスの首相が「日本人は黄色いアリ」と揶揄したり、まあ彼らをマジで脅かす破竹の勢いがあったのだ。
「探偵ナイトスクープ」だったか、その仏首相発言を受け、芸人さんが「アリ」の着ぐるみを着てパリの首相官邸前で「アリです。ども。クレソンさんに会いに参りました」とやったのはよかった。いい番組である。

調べたわけではないが、そのころ「日本語ができなければ取り残される」と日本語講座を開講した(多少おっちょこちょいの)欧米の中高や大学があったはずである。
それも今は昔。


外国語をこぞって学習するのがバカバカしいと言うつもりは全くない。語学を学習するということはその言語を話す人々の考え方を理解することだから、もっと重要視されるべきだとすら思う。
一方、経済的な成長というのは永遠には続かない。だから、経済的な競争に負けない為に外国語を学習する(社益や就職に有利だとかそういう考えで)という動機だけでいいのかと思うのだ。動機が何であれ、しないよりいいのかもしれないけれど。
わたしの周りでは中国はすでに「うり」であると言う人が多いが、じゃあ中国がダメになったら次はポルトガル語でもやるんですかね。

未だに羅や仏や独が学習されるのは、彼の国が経済大国だからではなく、かつて優れた古典やシステムを生み、今も最高学府で重要な研究がされたり、政府は細々ながらもリーダーシップを取ったり、時々「ええこと」を言ったり、それらが人類に有益な知恵だからである(と思いたい)。
中国にもすぐれた古典がある。と言うかそれしかないんちゃうか、という感じ。

あ、それで思い出した。
かつて「ブック・ロード」があった。中国は唐の時代のお話だ。
「アラブ・ヨーロッパの使節のお目当ては、初めから皇帝が下賜するシルクであるが、日本の遣唐使たちはそのシルクを中国国内で売りさばいて換金し、本を買った。
シルクはいくら持ち込んでもそれ以上増えることはなく消費されるのみであるが、例えば本は1冊輸入されれば、書写し復刻し印刷して限りなく増える。そればかりではなく知識として活用され応用され新たな文化を築くことさえできる。つまり本は交易品というより金の卵で、シルクより価値があると考えられていたのである。日本は本から文化を学ぶことができるという自信を深めていく。
遣隋使や遣唐使の派遣の目的は初めから「本」であったという。」(シルクロードとブックロード「一衣帯水」で喩えられる中国と日本/チャイナネットより)

...当時の日本朝廷の慧眼には畏敬の念を抱く。カネよりチエ。
一国を支えるのは英知なのだ。


中国が今後世界から尊敬されかつリーダーシップを取るためには、焼き畑農業みたいに常に莫大な何かを失いながら経済を回転させるだけではなく、古典を含めて世界が中国を手本としたいと思うような英知を示すべきで、学習者側はそれを求めることをこそ言語を学習する動機とすべきではないか。

よく使われる例だがマレーシアは大国ではない。しかし昔(やはりちょうど20年くらい前)マハティール首相の強いリーダーシップとカリスマ性が注目され、ぜひ意見を伺いたいたいというムードがあった。
今の中国に対して金銭的なお伺い以外にぜひ貴重な意見を伺いたいと思う人がいるだろうか、あまりいないのではないか。


中国の経済が天井知らずに伸びているから企業は今後も中国語話者が必要だ、中国語ができたら就職にも困らないだろう、という考えはちょっと短絡的だ。
中国が目先の利益だけをなりふりかわまず追い続け、また中国語学習者がそれに便乗したい「だけ」というのはどうかと思うのだ。


あと何年か後に中国バブルがはじけても、それでも中国語を続けたい、なぜならばその英知を汲み取りたいからという学習者がどのくらい残るのか、そういう長い射程で中国にはがんばってほしいなーと思う。

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