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カルロ・クリヴェッリ






Carlo Crivelli, Madonnna and Child with Saints(San Domenico Tryptic) 1482 部分、ブレラ絵画館、ミラノ
(写真が悲劇的に下手クソで申し訳ありません...)



今年に入ってからも、けっこう旅行をしている。

ヴェネツイアを含むヴェネト州、ウィーン、ボルドー地方、パリ、ミラノ...
この間、ブルージュにたしか2回帰省、ロンドンに宿泊(家から1時間だけど)3回。

それらの地でモエが何をしているかというと、美食と音楽と、何より美術館! 

このところ、以前にも増してルネサンスの前段階から黎明期に強い関心を抱いていて、見たい、知りたいと思うことが次々と出てくる。
芋づる式に今までほとんど引かれなかったゴシック(特に国際ゴシック)にも俄然興味がでてきた。

ディレッタント以下のわたしが自分のテーマにしてずっと追っているのは

世界各地で「人間は世界をどのように解釈するか」「人間は何を美しいと思うか」「人間はどのようにして人間になったか」

特に世界の東側と常に接点の多かったヴェネツィア周辺と、芸術のパラダイムシフトの時代には、「人間は,,,」を理解する重要なキーのひとつがあるように思えるのだ。

...このような与太話を大いに語れるのが「喫茶モエ」のよいところ。有り難い。


さて、訪れた各地で大好きなジョヴァンニ・ベリーニとジョルジョーネを追うなか、猛烈に気になり始めた芸術家がある。

写真のCarlo Crivelli (1430年頃? - 1495年)。
最初の出会いは、もう10年以上前のロンドンのナショナル・ギャラリーのレクチャーにおいてThe Annunciation, with Saint Emidius 1486《受胎告知と聖エミディウス》の奇妙な絵を見た時だった(下写真)。





最初は「魔夜峰央か!」と思ったのだったが。
魔夜峰央、初期の妖し系の作品や、初期の「パタリロ!」など嫌いじゃない。むしろ好きかも。


わたしが敬愛するスーザン・ソンタグは「キャンプ」という様式について、『キャンプについてのノート』の中で、「キャンプとはカルロ・クリヴェッリの絵画である」と記している。
キャンプ様式とは「その悪趣味あるいは皮肉な価値のために、その中で何かが魅力を持っている美学のこと」(ウィキペディアより)だ。

ソンタグはバレエもキャンプ様式に分類しているので、わたしはそもそもキャンプ的な美が好きなのだろう。
そういえば魔夜峰央もキャンプ的なのかもしれない。

閑話休題。




Carlo Crivelli Coronation of the Virgin with the Holy Trinity and Saints1943 部分、ブレラ絵画館、ミラノ





Carlo Crivelli The Madonna of the Swallow 1470以降 部分、ナショナル・ギャラリー、ロンドン



クリヴェッリは1430年ごろのヴェネツィア生まれ。
1430年生まれなら、ジョヴァンニ・ベリーニと同じ年だ。

まだ6歳かそこらでヤコベロ・デル・フィオーレの元で修行を始め、続いてヴィヴァリーニ一族の、ついでフランチェスコ・スクァルチォーネの門下に入ったと考えられている。フランチェスコ・スクァルチォーネの門下には他にマンテーニャなどもいる。

ちなみにヴァザーリの『芸術家列伝』にはクリヴェッリの名前はない。このことから一流芸術家群に迎え入れられることなく、長らく忘れられたアーティストだった。

彼の作品は国際ゴシックに分類される。
すなわち、布地のドレープや刺繍などを再現するための細部への異常なこだわり、動植物への関心とそれらのアレゴリー的表現、時代の不安を反映した死との融和性、宮廷的洗練。

彼は当時主流になりつつあった油彩は使用せず、テンペラで描き続け、金箔を施したパネルにくっきりした線と鮮やかな色彩を特徴とし、時には鍵や甲冑や首飾りなどを別建てに作って画面に立体的に貼り付ける手法をも用いた。
ビザンティン美術風の豪奢さにあふれた作風は「古典主義的だが気品のあるフォルムは精緻を極め、聖人画ではあるが高貴なエロティシズムが画面に満ちている」(ウィキペディアより)。

クリヴェッリの作品はロンドンのナショナル・ギャラリーにも数点ある。




Carlo Crivelli The Dead Christ supported by Two Angels1470-5 ナショナル・ギャラリー、ロンドン



特にこの「キリスト昇天」のプットの愛らしい存在感といったら! 本当に見たんじゃないの? と思うほどだ。何時間でも眺めていられる。


最近ではヴェネツイアでも、パリにもミラノでも多くの作品を見た。世界中に分散してしまっているのは、祭壇画を多く描いたためだ。祭壇画は複数のパネルを組み合わせて一つの作品を構成させるので、分散しやすい。


彼の作品からは、西欧の美術というものの母体、出自がよくわかると思うのである。
すなわち、宗教の物語の反復、極端な美化、死後の自分の魂の救済にかかわる不安とそれをかき消すかのような豊かな願望。


アメリカの地方都市の美術館や、イタリアの田舎町の教会にも多くの分散したパネルがあるようなので(遠い都、東京の国立西洋美術館にもひとつある)、死ぬまでに全部見て回りたいなあ...と思っている。

"Some people look for a beautiful place, others make a place beautiful”
「美しい場所を探す人もいれば、美しい場所をそこに作る人もいる」

この文のストレートな意味合いとはちょっと違うが、芸術家とは後者で、わたしのような凡人は前者だと思った。
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