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舞踊家ができるまで




ロイヤル・バレエの男性プリンシパル、エドワード・ワトソン(Edward Watson)が、Insight(ロイヤル・オペラとバレエが企画する多様な形の勉強会のようなもの)をやるというので馳せ参じて来た。

The Makimg of a Dancer, in conversation with Edward Watson and Rick Guest

娘は小さい頃からエドワード・ワトソンの大ファンなのだ。


うむ、ワトソン氏、普通の洋服が似合わない(笑)。
彼には断然、フロックコートが似合う(「冬物語」や「オンディーヌ」を参照)。

イメージしていたよりも声が高く、ものすごくシャイで、娘が一緒に撮っていただいた写真の笑顔のなんと自然で柔和で優しそうなことか。

いかにもバレエの王子様である。

完璧なエレガントで強靭な身体。
舞台上で踊る映像を参考資料として少し見せられたのだが、均衡をとる上半身、ひとつひとつの動き、踊りの総体の和の美しさに胸を打たれた。


「インサイト」の内容としては、この度、ダンサーとしての「40歳の今」を残すため、超耽美的な写真集が製作され(欲しい。でも大判の箱に30枚の写真がルースで収められている式で、とても高そう...)、その完成発表をかねての3名対談(写真家とバレエ批評家)。

写真家のRick Guestは話の内容から頭の良さが伝わってくる。

キーワードは写真アーティストの舞踏アーティストに対する「ラヴ・コール」か。

事実、ゲスト氏は、舞台の上で踊るダンサーももちろん美しいが、真っ白のスタジオ内で自分の手が届く範囲で動くダンサー見るのは「恋に落ちる」経験のようなものだと言った(前々回の記事で、ホテルのサロンで、コート姿のままショパンのバラードを弾き始めた青年を見て、恋に落ちるというのはこういうことではなかったか、とわたしが感じたのと同じだと思った。卑近な例で失礼)。

目の前の完璧な身体、役柄を演じる表現力と精神性、同時にそこでは脆弱性がむき出しになっている、と。


インタビューを聞いて分かったのは、例えばエドワード・ワトソンは精神の不均衡や苦悩する役がとても似合う。彼は苦悩する精神を頭で考えてそのように演じるというよりも、全力投球で身体を使ったその結果、苦悩がおのずと表出する、という感じの役者なのかなと。

何を演るのか最初から分かってその感情を演じるというよりも、舞踏家の手段として全力で身体を使ったら自然と役柄が身体から流れ出してくる、と言えばいいか。

役柄の「必要は発明の母」ではなく、役柄の「発明は必要の母」状態とでも言えばいいのか。余計にわかりにくいかな...

あるいは、アーティストというのはどこからか流れてくる美の熱電子を伝える電球のフィラメントなのである、と。そのために身体を鍛え、精神を研ぎ澄まし、別次元から流れてくる神的な力の媒体となる、ような。

彼がいちばんの気に入りの役柄、演目は「冬物語」、「モノクローム」、「メタモロフォゼ」だそうだ。なるほど。



ロイヤル・バレエ全体のエピソードとしては、「冬物語」の練習中、シェイクスピア俳優がやって来て原作を朗読したら、ダンサー人の踊りも一気に変わったというエピソードがとても気に入った。



よくあることだと思うのだが、実際に会ってファンになってしまった。

何かにつけて「ゴージャスなエドワード・ワトソン」と繰り返すので、家の中では夫に苦笑いされている。


(写真は許可を得て撮影、掲載)
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