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「白鳥の湖」花嫁選びの舞踏会




近頃、バレエのストーリーの謎解き遊びを見に来てくださる方が多いので、以前書き始めて放置していた記事を完成させてアップしよう。


バレエ「白鳥の湖」の3幕は、成人した王子が花嫁を選ぶ舞踏会の場面で始まる。

ここでストーリーの辻褄が合わないと感じる観客は少なくないだろう。

なんせ前夜、運命の女オデットに出会ったばかり、永遠の愛を誓ったばかりの王子が、「オデットに似ている」オディールに簡単に骨抜きにされる。
しかもオディールがオデットだと勘違いしたのかしなかったのか、オディールに永遠の愛を誓ってしまうのだから。


この件に関してはこういう考察「続・謎解き「白鳥の湖」 王子はなぜ心変わりするのか」をしたことがある。
王子はおそらくこの場面で成人の通過儀礼を受けているのだ。彼が前夜オデットに誓った「永遠の愛は本物か」という通過儀礼の試験。ちなみに失敗した、というのがわたしの意見。


ロットバルトが異形であり、オデットが黒鳥の姿(オディール)であるのにもかかわらず、王子その他が簡単に騙されてしまう...
その合理的な説明としては、

無礼講の仮面舞踏会である(<ロイヤル・バレエ)
王子だけが他の人には見えない幻覚を見ている」(<ボリショイ・バレエ)
人心、特に女の心を思いのままに操ることができる人物ロットバルトに一挙に場を支配されてしまう(<アメリカン・バレエシアター)

などいろいろあり、この場面だけでも解釈の多様さや、オチのつけ方に文化背景を楽しむことができる。


ストーリー的に不動なのは、王子のために複数の花嫁候補たる姫が集い、その中から一番美しい結婚相手を選べと強いられる筋だ。
このビューティー・コンテストのような場面については、時代的な倫理観の違いがあるにしてもフェミニスト的には悪趣味。プロット的には必要不可欠だし、華やかだし、仕方がないかなあと思っていた。

ところが。

中野京子さんの「残酷な王と悲しみの王妃」(もしかしたら「怖い絵」だったかも)を読書中、イワン雷帝(16世紀ロシア・ツァーリ国の初代ツァーリ)の章で初めて知った。
実際イワン雷帝は自分の妃も息子の妃もそうやって選んだ。ビューティーコンテストを主催して!

そういえばシンデレラの王子様も舞踏会を開いて国中の妙齢の女性を招いたりしますな。

ああいうのはお伽話の中だけのハナシだと思っていた。だって、王子様は権謀術数でお妃を選ぶものじゃないのか。

かえって選べなくなるのではないか...というのは男心や支配者の心理が分かっていないのかしら。

また、「とにかく女性は見た目が麗しいものが最高!」というのは、やはり「美しさ」というのは(「美しさ」の基準は時代や文化によって変化するが)人間に「生き延びそう」と予感させる何か力があるのだろうか。


世の中には「お話の中だけでしょう」みたいなことがほんとうに起こった(起こっている)のだなあ。
自分の知らないことがありすぎて、老後も決して退屈することはないだろう。

とにかく多様な解釈を許す物語や絵画、音楽を愛しながら馬齢を重ねたいと思う。




(写真はSvetlana Zakharovaの写真集から)
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