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バビロンの空中庭園





銀色の空が広がる日曜日の朝、コーヒーを飲みながらニュースを読んでいたら、わたしの大好物な種類のヘッドラインが...


「世界の七不思議「バビロンの空中庭園」の謎を追う
幻の庭園は実在したのか? 実は別の場所にあったのかもしれない」

愛読しているナショナル・ジオグラフィックの記事である。


記事はこう始める。

「紀元前225年頃、ギリシャの数学者であったフィロンという人物が、七つの「見るべきもの」のリストを作成した。今日、世界の七不思議として知られるものだ。ギザのピラミッド、オリンピアのゼウス像、エフェソスのアルテミス神殿、ハリカルナッソスのマウソロス霊廟、ロドス島の巨像、アレキサンドリアの大灯台、そして最も謎に満ちたバビロンの空中庭園だ。」


このうち、現存しているといえるのはギザのピラミッドのみであり、他は完全に失われていたり、廃墟として残っているだけである。

わたしが現物(あるいはあったとされる場所)を見たことがないのはこの「バビロニアの空中庭園」のみ。





詳しくは記事をご覧いただく方がいいのだが、要約すると、


バビロン空中庭園を除いた他の「七不思議」の建築物は、ヘレニズム文化が浸透していた東地中海の内側ないし近辺にあり、バビロニアだけが微妙に遠い (<遠さは誤報の元)

ネブカドネザル王が造園したとされる空中庭園に関しては、バビロニアに文書も遺跡も残っていない

バビロンの空中庭園について最初に書かれたのはアレクサンドロス大王の治世かその直後のギリシャ

バビロニアの庭園が空中にある、あるいは階段状になっていると記された書物は早くて紀元前4世紀のもの

しかしネブカドネザル2世の時代からわずか100年後、紀元前5世紀ギリシャの歴史家ヘロドトスは、著書『歴史』のバビロニアの項に、例外的な庭園があったとすら書き残していない

ネブカドネザル2世の治世時の文書にも、高い場所に庭園があったという記録は一切見つかっていない

記録が残っているのはアッシリアの王センナケリブによってニネヴェに造園されたもの

王自身の言葉「私は、目にした全ての人が驚嘆するよう、王宮の周囲の高さを上げた……。アマヌスの山々を模し、その横にあらゆるかぐわしい植物を植えた高い庭だ」

センナケリブ王の治世時に残された記録には、優れた灌漑システムについての記述が多く、アルキメデスの螺旋は彼が発明したのではないかと考える研究者もいる

ジャーワン渓谷からニネヴェの街まで水を運ぶ、200万個の石からなる水道橋がセンナケリブの時代に造られたことも発掘調査で判明

この水道橋は、紀元前331年にアレクサンドロス大王がペルシャ人とのガウガメラの戦いに向かった時の道沿いにある

アレクサンドロスがニネヴェを通り過ぎる際、それを見た可能性が高いと考える研究者もいる
ニネヴェの洗練された水道システムと美しい庭への言及が空中庭園についての話を生み、どこかで誤ってバビロンの話とされたのではないか





大英博物館のアッシリア美術の展示は圧巻である。

何よりも目を引くのは、戦闘シーンやライオン狩りのシーンと並んで、豊かな緑と水の描写である。
戦闘やライオン狩りが王のシンボルであることは簡単に分かるが、メソポタミア地方において王は「神からあずかった庭を耕すもの」、つまり国土を潤し、民の生活を豊かに安定させるという役割もあった。


ニネヴェもバビロンも、いつか訪れてみたい。





以上写真はちょうど一年前に訪れたイタリアのマッジョーレ湖のイゾラ・ベッラに立つパラッツオ・ボッロメオ邸の庭園。空中庭園とはこういうものだったのかも...
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