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素朴な民話、チェーホフの開悟、バランシンの洗練



ロシアの素朴な民話、(わたし大っ好きな)チェーホフの開悟、バランシンの洗練。

ロイヤル・バレエ、今シーズン最後の出し物が始まった。

3本立て。


The FireBird by Mikhail Fokine
A month in the Country by Frederic Ashton
Symphony in C by George Balanchine


「火の鳥」、45分間ほどにあれもこれも詰め込み過ぎ! で、もったいないような感じもするが、あのカオスが素朴でいいのかもしれない。
ロシアの民話というものは、なぜにこのように神秘的で懐かしいんでしょうね! 
衣装意匠がまたすばらしく、この思いを増幅させる。
(右写真は『火の鳥』でROHから拝借)

民話というくくりではないが、ある意味民話か、チェーホフ。
日本語では『田園の出来事』と訳されており、うむ、『田園の一ヶ月』の方がいいなあ。
囲われた空間とか壊れた時間が際立つからだ。

前にも何度か書いたことがあるが、このお話の登場人物は、チェーホフの大抵の登場人物がそうであるように、全員が退屈している。ただ一人忙しそうな夫・イスラエフ氏も結局退屈を恐れて農場経営に精を出しているようにしか見えない。
囲われた空間の囲われた時間の中で繰り広げられる7角、8画関係。

人は、帝政ロシアの貴族であったわけでも、ロシアの田舎で優雅な夏を過ごした経験があるわけでもないのに、まるで自分がいつか経験したことのあるような錯覚に陥る。ロシア文学が好きならなおさらだ。

主人公を演ずるのが憑依型ダンサーのNatalia Osipovaであればなおのこと、田舎の美しい緑の色、光の変化や空気の匂い、屋敷内の暗さや壁の飾り絵、ピアノの音、美しい横顔をありありと「思い出す」のだ。

これが「集合的無意識」というものなのだろうか。

その伝で、ロシアの民話が懐かしく愛おしいのもきっと「元型」でできているからなのだろう(そういえばバレエは「元型」の集合でできているかも...)。

こういうものがあるから、われわれは遠い昔人間になったのだろう。


バランシンは素材で勝負。トップダンサーが何人も出演してそのバレエ技術の粋、秘密を開示してくれるかのようでただただすばらしき「素材」が眼福である。

Marianela Nunezはアダージョの女王。

金子扶生さんは近々絶対にプリンシパルに昇進なさると思う。ダンサーとして全てを備えておられる。才能はもちろん、姿形だけを取り上げてもバレリーナの理想そのものですわ。
そうしたらロイヤル・バレエに同時に日本人プリンシパル3人割拠の時代到来ですよ!
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