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romeo and juliet, natalia osipova天才か!




昨夜のロイヤル・バレエの『ロメオとジュリエット』はほんとうにすごかったです!
(右写真は6月11日のライヴ・イン・シネマの広告用でROHから拝借しました)


配役はジュリエットNatalia Osipova、ロメオは元ボリショイ(かつABT)David Hallberg。

David Hallbergは、前回もナタリアのパートナーに召喚されていたにもかかわらず(『ドン・キホーテ』でしたっけ?)負傷し、今回ひさしぶりに舞台上で見た。

足首の回復に時間がかかり、数年前にボリショイは去ったらしいが、アメリカ人初のボリショイ・プリンシパルとして長く記憶されるだろう。あいかわらず美しい。
(元々ボリショイに移籍したのも、昨夜のパートナーNatalia Osipovaと踊るためだったかなんとかどこかで読んだことがある)


今季の『ロメオとジュリエット』はジュリエット役Marianela Nunezとロメオ役Jacopo Tissiのを2回見、昨夜で3回目。とても勉強になった。

Jacopo Tissiはこちらもボリショイの、ものすごく若く美貌のダンサーで...うむ、やはりあの不慣れさ、大根役者風はマリアネラが気の毒であった。
もちろん若手ダンサーは、うまいパートナーとペアリングして技能を磨き、インスパイアされるのが経験上不可欠ではあるけれども。


芸術の表現に年齢は全く関係ないと思っていると断った上で、David Hallbergはさすがに経験値が高いことがありありと分かった。

パートナーのサポートがうまいのは当然、周辺との関係の仕方もうまい。まず、踊っていないときの手持ち無沙汰感がない。

ひとつひとつが丁寧で、例えばロメオの親友、マキューシオが、不倶戴天の敵キャピュレット家のティボルトに刺されて死ぬ場面は、あれが事故であったのだという大切な筋が鮮やかに表現されていた。

また、バルコニーの場面での誠実でゴージャスな踊りは、それ以前のロメオとそれ以後のロメオの心理の違いさえも表現していて、人生の喜びに輝いているかのようだった。
この場面を見るだけでも昨夜は彼に関しては十分だと感じたほど。


そして何はおいてもやはりNatalia Osipovaである。
天才とはこういうものであるか。

彼女は憑依型、巫女型のアーティストかなと思う。
とにかく「ジュリエット本人ですか?」というのにつきる。「あの時代に生きてたの? 知ってるの? 見て来たの? 演技してないよね? 乗り移ってるの?」という。

わざとらしさの微塵もなく、感情のわずかな起伏を踊りだけで微細に表現し、観客に「人間にはこんなにも多くの感情があるのか?!」と思わせる。

すごいものをまた見てしまった。


前回公演前に見たレクチャー「インサイト」で、リハーサル・ダイレクターかつジュリエットの父親役のChristopher Saundersが言っていた。
今回の公演では10人のジュリエットがおり、彼はそのうち4人と舞台に立ち、それぞれジュリエット役へのアプローチや表現方法がとても違い、それが父親役の自分との関係性をも変えることなどを。

それが芸術であると思う。
完璧な美というのはこの世には存在しない。古今東西無数の芸術家がそれぞれのルートで目指すその先にそれはある。

そう考えると、Jacopo Tissiの未熟さも、「ロメオというのは若くて未経験で、計算もない、手持ち無沙汰な感じの、実際こういう人物なのかもしれない」で、役柄に合っているのかも。
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