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箱の外を見よ




娘の学校に、もう去ってしまわれたが科学系博士がおられた。
学校には博士号をお持ちの先生が6割くらい。科学系では8割9割になる。懇談会の時に名前の短冊がずらっと張り出されているのを「まるで病院に迷いこんだみたーい」と、側の先生にボケられたことがある・笑。

長年、ある部門のダイレクターを努められ、生徒にもかなり人気があったそうだ。


彼の残したさまざまな知恵の中でもその粋は「ハコの外を見よ」という一言で、今も学校内では思考硬直を解除するマジックフレーズとして機能している。パラダイムや常識にとらわれず、既存のそのハコの外側を見よ、思考フレームの外を考えよ、という金言だ。


科学者である彼が「ハコの外を見よ」とおっしゃるのは、なるほどわたしにも説得力があった。

だから、人間は言語化できないものを思考することはできないのに(<ラッセル的に)、どのようにハコの外(言語の外、つまり「わたし」世界の外側)を観察することができるのだとか、自分はハコの中の囚人であると言う自覚だけがハコに切れ目を入れることができるのではないのか、という突っ込みは控えよう。

「ハコの外を見よ」、言わんとすることはわたしにも体感レベルから分かる。学術的なものの見方だけでなく、判断を迫られている時、悩める時、進路やあるいは生き方そのものを問う時にも使える、豆電球がぱっと灯るようなフレーズだ。
彼の墓石には間違いなくこの金言が刻まれるだろう。



自然、彼が去った後も他の学校関係者が優越感と感動に満ちた表情でこのマジックフレーズを口にするのをしばしば聞く。わたしは...それが可笑しくて家でギャグにして使っている。申し訳ない。

とうとう先日、PTAで正確な返答に窮したある方が事実関係の裏付けなく「”ハコの外を見”るべきだったのでは?」と発言した。わたしはこれをかなりかなーり不快なエクリチュール(各自が社会的に選択したポジションゆえに使う言葉)だと感じた。
ものの分かったような大人ってほんっとにイヤですよねーっ(笑)。

複雑な問題を「金言」という風呂敷で包んで簡単な問題にすり替えるのはズルくないか?それこそハコの外を見ていないのではないか?わたしはことわざや四字熟語が好きな方だが、他人を黙らせるために「印籠」として使う人は好きではない。
が、みなが慕うあの先生の金言を穢してはいけないと思ったので聞き流した。

上にも書いたように思考するということは、むしろ「自分が捕われているハコの形状を知る」ということであると思う。それが人間の能力の限界であり、始まりであると思う。
こういうマジックフレーズや金言を偉い先生から拝借して来て、それで物事に説明をつけたと思える人は、自分がどんなハコの中の囚人かを知った方がいい。


まあ。かく言うわたしも「エクリチュール」とか使うし、人のことはとても言えないのだけれど、自分のことを棚に上げるのは得意!
「賢明な言い回しは何も証明しない」(by ヴォルテール)とかどうでしょう(笑)?
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