江戸には「枯野見物」と言って広々と枯れて広がった野原を花見や紅葉狩りのように愛でる風習があったらしい。
昔の日本人の豊かな精神性だとか何とか言って、そのための枯野原の名所というのもあったらしいが、少なくとも上方にはそんなものは無かったようだ。
まぁ、こちらの方は何かと手狭なことが主な原因であろうが、それでも足元が濃い緑から明るい朽葉色になると多少は広くなった気がして悪くない。
写真は淀川の河川敷。春先にはヒバリとかが出てくるところだがこの時は普通のセキレイくらいしか居なかった。
昔の日本人の豊かな精神性だとか何とか言って、そのための枯野原の名所というのもあったらしいが、少なくとも上方にはそんなものは無かったようだ。
まぁ、こちらの方は何かと手狭なことが主な原因であろうが、それでも足元が濃い緑から明るい朽葉色になると多少は広くなった気がして悪くない。
写真は淀川の河川敷。春先にはヒバリとかが出てくるところだがこの時は普通のセキレイくらいしか居なかった。
そういう風に思って見るとなぜかよく見えてきました。