花鳥虫風月

α9とX100Vで、主に京都の花鳥写真で綴る重め写真ブログ。

α900の10週年のこと

2018年11月30日 00時19分54秒 | Weblog
2008年にα900が出て、今年で10年目になる。
ちょっと勘違いしていて、それが11月末だと思っていたが、先月10月末で10周年だった。
このところ忙しく、ブログ更新に手が回らなかったので、わかっていてもムリなものはムリだったが。

去年、α700の10周年に際して、2008年に謳われた「フルサイズ元年」のキャッチコピーから、この2018年がフルサイズ暦10年みたいに言っていたが
「元年」は1年なので去年2017年がフルサイズ暦10年で今年は11年であったり、いろいろ適当にボケている。
しかしフルサイズ暦10年にデジカメ進化のマイルストーン的存在であるα9が出て、新しい10年のはじめである11年に
αの評判が飛躍した7IIIから、NIKON-ZとEOS-Rが出て「フルサイズミラーレス元年」とか謳われているのはなかなか良く出来ている。


で、α900である。
去年にα9を導入するまで、途中α55とかα7Rにも手を出したが、実に長い間遊びにも仕事にも、メインで使っていた。
今はさすがに、9が万事において優れているが、900も使うと手に馴染んで心地よい。
特に爆発的なシャッターフィーリングが、今風ではないが、クラシカルな佇まいによく似合う。

もともとカタログスペックに優れたカメラではなかった。
かつての長所は2400万画素とファインダーの良さ、内蔵手ぶれ補正で、短所は高感度画質の悪さ、AF性能の頼りなさ、ライブビュー・動画などオマケ機能のなさ。
10年も経って見ると、時代なりにいろいろ足りないものの、シビアな状況を要求しない範囲に限っては、わりと実用十分な性能があることが逆に明らかだ。
ファインダーの良さだけは未だに比肩するものがない点で、今になってむしろ独自の立ち位置をガッチリ確保している。
「α9はいいぞ。α9は最高だ」というポジションは現在揺るがない私であるが、
もし今、私が死んだら一緒に棺に入れて焼いてほしいカメラはα900に135STFレンズだというくらいに思い入れも強い。



電池ひとつと充電器の寿命が尽きたのと、2度修理に出した電子ダイヤルの挙動が良くない点などに不安が残るが、
動く限りはまだまだ何年でも使っていきたい。