薬師寺から唐招提寺に向かう道すがら。
山茶花のピンクの花とピラカンサか何かの金赤の実の鮮やかさが目を引く鄙びた風景。
真っ直ぐな道のミラーは何の注意を促すものだかわからないが、雰囲気作りには良いものだろう。
狭い道を通るバスは危なっかしくも何となく頼もしい姿。
本数はさほど少なくなく、観光地である以外にベッドタウンであったりもするのか。
この辺の面白さは、そこいら中に、杜という言葉以外が相応しくないこんもりとした神社の杜が散在していることだ。
この異様な存在感を、見慣れた、あるべき風景として身の周りに受け入れることや、ここから離れてこれを郷愁として思い起こすことの趣深さはなかなか他人の想像つかないことであろう。
山茶花のピンクの花とピラカンサか何かの金赤の実の鮮やかさが目を引く鄙びた風景。
真っ直ぐな道のミラーは何の注意を促すものだかわからないが、雰囲気作りには良いものだろう。
狭い道を通るバスは危なっかしくも何となく頼もしい姿。
本数はさほど少なくなく、観光地である以外にベッドタウンであったりもするのか。
この辺の面白さは、そこいら中に、杜という言葉以外が相応しくないこんもりとした神社の杜が散在していることだ。
この異様な存在感を、見慣れた、あるべき風景として身の周りに受け入れることや、ここから離れてこれを郷愁として思い起こすことの趣深さはなかなか他人の想像つかないことであろう。
朝露の玉が輝く、ホトケノザ。
いま見ると、水玉にもっと迫って撮るべきだった感じであるが、新鮮な花が密集しているところを撮ってみたのがこの一葉。
似たような蓮華草や紫華鬘は春にしか咲かないが、この花はあまり季節を選ばないのが偉い。
いま見ると、水玉にもっと迫って撮るべきだった感じであるが、新鮮な花が密集しているところを撮ってみたのがこの一葉。
似たような蓮華草や紫華鬘は春にしか咲かないが、この花はあまり季節を選ばないのが偉い。
池の葦原のバンを狙ったら、ちょうどその奥でカワセミが飛び込んだ瞬間。
ちょっと、いや、かなりもったいなかった一葉。
カワセミを狙っても無理だっただろうけれど。
それにしても、バンの泳ぐ波にカワセミの青色が写っているところに、カワセミの鮮やかさが強調されて見える。
その少し前、バンの横顔と、その奥にカワセミ。
両方にピントが合っていれば、それはそれで動きがなくても非常に良い写真になったものだが。
そのカワセミの、別のタイミングで、水面上でホバリングして水面下を伺っているところ。
ままあることであるそうだが、見たのは初めてかもしれない。
いまいち満足な写りでもないが、カワセミの良い姿が見たければちょっと探したらいくらでも見つかるので、自分で撮ろうとはさほど熱心にもなれない。
ちょっと、いや、かなりもったいなかった一葉。
カワセミを狙っても無理だっただろうけれど。
それにしても、バンの泳ぐ波にカワセミの青色が写っているところに、カワセミの鮮やかさが強調されて見える。
その少し前、バンの横顔と、その奥にカワセミ。
両方にピントが合っていれば、それはそれで動きがなくても非常に良い写真になったものだが。
そのカワセミの、別のタイミングで、水面上でホバリングして水面下を伺っているところ。
ままあることであるそうだが、見たのは初めてかもしれない。
いまいち満足な写りでもないが、カワセミの良い姿が見たければちょっと探したらいくらでも見つかるので、自分で撮ろうとはさほど熱心にもなれない。
枯れ藪の中にアオジ。
冬の小鳥も降りてきつつある昨今である。
今日は久しぶりの好天の週末で暖かな日であったが、それなりに紅葉も色づき始め、秋の深まりを感じさせた。
アオジは相変わらずの地味さで、しかしこういう背景には本領発揮の色使い。
ちょっといい感じに調和している。
冬の小鳥も降りてきつつある昨今である。
今日は久しぶりの好天の週末で暖かな日であったが、それなりに紅葉も色づき始め、秋の深まりを感じさせた。
アオジは相変わらずの地味さで、しかしこういう背景には本領発揮の色使い。
ちょっといい感じに調和している。