花鳥虫風月

α9とX100Vで、主に京都の花鳥写真で綴る重め写真ブログ。

軽鴨 7

2009年12月31日 22時22分03秒 | 
何というほどのものでもない普通のカルガモであるが、まずまずの写しようをすればまずまずの絵になる。
生半可が「普通」を避けたがるの図の愚かしさは例の奈良の2010年記念のキャラクターがよい教師になってくれた。
さて明日からその2010年である。

磯鷸 2

2009年12月30日 23時44分23秒 | 
今年もはや、大掃除のシーズンである。



自分の部屋のごみごみしいのは、まぁ仕方のない成り行きではあるが、川とかその辺にごみを捨てる誰やらのセンスはどうも理解できない。
エコとか美化とかそういう問題ではなく、自分の生活痕をあまり人目に触れさせたくないという気分は私のちょっと特殊なものなのでもあろうか。

散椿

2009年12月27日 21時56分08秒 | 秋冬の花
散り椿というともっとゴロゴロとたくさん落ちているものが連想されるがそれはそれ、この時は咲いていたものより落ちていたものに先に目が行ったので、それを撮ってみた一葉。
花のカタマリ感が、上にあるものよりよく出ていた。




こちらは、落ちるより先に傷みきっている花。
花びらに浮き出た脈と気泡が気味悪くも美しい。
縮小すると潰れてしまうが、ここだけ切り取っても馬鹿みたいな絵になるので大きめ画像でアップ。

蝋梅 7

2009年12月26日 23時28分21秒 | 秋冬の花
先週から咲いているロウバイ。
梅の花と葉は同時に付いていることがないが、早めのロウバイにはまだ葉が残っている。
そうして見ると、梅の花の小ささが目立つ。



よく撮る感じで、このような図であるとまずまずのボリューム感あるように見える。
どんなものでも、見方ひとつでどうにでもなるものだ。

尉鶲 12

2009年12月25日 23時35分29秒 | 
なかなか良い感じの枝に停まるジョウビタキ。

ジョウビタキのオス以外のなにものでもないが、顔の黒白の色分けが中途半端で、ジョウビタキは特に冬毛の生え替わりが、とか若鳥の色は、とかはないはずだが、個体差のものだろうか。
こいつには悪いが、やはりここは黒白きっぱりしている方がキレイだ。

浜鴫 4

2009年12月24日 22時42分54秒 | 
ハマシギの続き。
イカルチドリに率いられた群れ、ではなく、単独のイカルチドリが餌を探しているところに集団で押し入っていく図。
ハマシギの群れは「統率されている」というほどキッチリしたものではなく、各々が好きなように同じように動いている雰囲気の、ゆるさとなんともいえないプレッシャーがある。



こちらではケリのグループに押し入っていく図。



ケリも辟易しているようだが、流石のサイズの違いにシギも進路を変更した。
別に戦いを挑んでいたりするわけではなく好きなようにやっているだけなので、それでいいのだ。

浜鴫 3

2009年12月23日 23時10分34秒 | 
水抜きされた広沢池にやってくるハマシギ。
海のほうでは千や万の単位になる群れをつくるらしい鳥である。が、ここまではせいぜい20羽前後しか見ていない。
それでも望遠で見ると結構いい具合の迫力がある編隊飛行である。



400mm望遠ではいささか遠すぎたが、今回久々に2xテレコンを持ち出していたので、いちおう目が届いた。
見た目には地味なので実際の動きを目にしていないと良さが伝わらないかもしれない。

蝮草の実

2009年12月22日 23時01分48秒 | 秋冬の風景
強烈に毒々しいマムシグサの実。
さほどの毒であるとの話もわざわざ聞かないが、わざわざ人が食べるようなものでもない。
虫も鳥もその他の生き物も食さないまま朽ちていく。



これは別の所のだが、11月のマムシグサの実。
むしろ背景の緑色に目が行くのが今の季節性か。

百舌 11

2009年12月21日 22時58分40秒 | 
枝垂桜の櫓からシュッと飛ぶモズ。
ピントはちょっとずれて羽に合っている。
こういう、停まっているところから飛び立つ瞬間を狙うのは発ちモノというジャンルの写真になるらしい。どの方向に飛び立つかは鳥まかせなので、これくらい合っていれば当たりといえる範囲だ。




こちらは、その直前に枝の上からまわりを見回しているところ。
この寒さではモズの獲物になるようなものがそうそううろついているものかわからない。大変そうだとはわかる。
とりあえず見ていた範囲ではモズにとっての収穫はなかったようで、獲物にとっては、まぁ目出度かろう。

鴛鴦 17

2009年12月20日 21時56分44秒 | 
上手い具合の顔を撮ることができたが、尻尾の先が切れてしまうあたり、まだまだ甘い。
わっさり触りたい頭と、生っぽい口の中、適当な口元の毛など実に良い質感であるが、こういう切れ方は素人臭くてダメだ。自戒。



オシドリ夫婦の図。メスの目のつぶらさはこれまた良いものだが、こちらも尻尾が同じように切れている。残念だ。




そればかりでも何なので、すこし遠いめの写真。
パタパタ時のイチョウ羽の余っている感じが、なんだかリアル。



リラックス場面。
右上には昨日分のカワセミもいる。しかし枝がかぶりすぎてカワセミ写真にはならなかった。
その点はアレだが、基本的には背景がこれくらいあって、しかも見栄えのする写真が理想。
具体的には、オシドリオスは良い表情なので、メスにも何か動きがあってカワセミがよく写っているなどあれば実に理想的だった一葉。

翡翠と鴛鴦

2009年12月19日 22時20分48秒 | 
今日はひどい寒さで、予報されていた雪こそ降らなかったがそれにしても寒い。
これで寒がらないのは水まわりの鳥ばかりだ。

このカワセミの娘さんはまだ派手さが足りなく、オシドリのオスと張り合えるものではないのだが、せめてもう少しオシドリがピントに近くなって欲しかったところではある。
毎度毎度のことだが都合よくいってくれないものだ。

鬼瓦

2009年12月17日 22時46分17秒 | 秋冬の風景
用事もなくじっくりと見てみることのあるものではないが、たまに目が行くと、デザインがガンダム的で、文化のつながりというものを感じてしまう鬼瓦である。
これは斑鳩の法隆寺の東院伽藍入口のもの。
法隆寺が古いことは間違いないが、まさか飛鳥の頃からこのカタチを写して引き継いでいるわけでもあるまいが、なかなか良い鬼デザインだ。



西院から東院をつなぐ道のあたりの塔頭の瓦の飾りは良いものが並んでいて、充分観光ポイントになれるものだ。とは思うが、当座は仕事の種になるほどでもないようだ。

翡翠 12

2009年12月15日 22時15分54秒 | 
昨今、「渓流の宝石」から「公園の小鳥」にジョブチェンジしてすっかり馴染んだ感の強いカワセミ。

人から見た価値が変わってもモノ自体が変わるわけではない。
あら、こんなところにもいるのか、と思うような所でもやはりキレイだ。