藤棚の藤の花。今年は少し早かったのか、撮った日にはもう終わりかけていた。
そういうときには大部分をぼやかすのが定石。
使用レンズは先日の70-210F4。
これも近い距離のボケは輪郭強調がキツくてうるさいが、光のツブ的な演出と見れば、これも良い感じ。
そういうときには大部分をぼやかすのが定石。
使用レンズは先日の70-210F4。
これも近い距離のボケは輪郭強調がキツくてうるさいが、光のツブ的な演出と見れば、これも良い感じ。
春らしい花、草むらの中のスミレ。
これは普通のスミレと見分けがつきにくいが、少し花期が早いというノジスミレ。だと思う。多分。
何気ないもので何気なく更新をつなげる。
「面倒くさい」7割に「せっかくだから」3割くらいの気持ちで再開しているが、
1日の締めにちょうどいいくらいのささやかな達成感になっている。
日々のことはこの程度の何気なさでつなげていくものなのだろう。
これは普通のスミレと見分けがつきにくいが、少し花期が早いというノジスミレ。だと思う。多分。
何気ないもので何気なく更新をつなげる。
「面倒くさい」7割に「せっかくだから」3割くらいの気持ちで再開しているが、
1日の締めにちょうどいいくらいのささやかな達成感になっている。
日々のことはこの程度の何気なさでつなげていくものなのだろう。
梅雨入り前にまとまって雨が降って、入ってからは大した雨が降っていないがアジサイはいつもどおりに咲く。
何度も行っている藤森神社の紫陽花苑にて。
いつも通りだが、まぁ紫陽花といえばこんなもので、良い所だ。
ここでの舞楽は何度かアップしたが、最近は舞殿が必要以上に広いためか、客席を舞台の中に作って舞っていて、写真には都合が悪くなっている。見栄えも悪いと思うのだが、向こう様がそれでやるなら仕方ない。
客席前列は舞台にとても近いが、みんな携帯で写真撮るのに夢中でろくに目で見ていなくて、遠慮して後ろから見ているととても見苦しい。薄暗い屋根の下で何が撮れているんだと添削してやりたくもなるが、姿の見苦しさには自戒を込める必要がある。
それはそれとして、広さを活かした大太鼓の舞台は見応えがあった。
なんでも藤森太鼓保存会様の活動が十周年だとのことで、秋にも舞台を作って催しをやらはるらしい。
写真は、それほど気がなくて良いポジションを確保しなかったのだが良いタイミングのが撮れたので。
和太鼓は生で空気の振動を浴びてこそのもので、動画や音源とかでは仕方ないものだが、それがまた良いものだ。
何度も行っている藤森神社の紫陽花苑にて。
いつも通りだが、まぁ紫陽花といえばこんなもので、良い所だ。
ここでの舞楽は何度かアップしたが、最近は舞殿が必要以上に広いためか、客席を舞台の中に作って舞っていて、写真には都合が悪くなっている。見栄えも悪いと思うのだが、向こう様がそれでやるなら仕方ない。
客席前列は舞台にとても近いが、みんな携帯で写真撮るのに夢中でろくに目で見ていなくて、遠慮して後ろから見ているととても見苦しい。薄暗い屋根の下で何が撮れているんだと添削してやりたくもなるが、姿の見苦しさには自戒を込める必要がある。
それはそれとして、広さを活かした大太鼓の舞台は見応えがあった。
なんでも藤森太鼓保存会様の活動が十周年だとのことで、秋にも舞台を作って催しをやらはるらしい。
写真は、それほど気がなくて良いポジションを確保しなかったのだが良いタイミングのが撮れたので。
和太鼓は生で空気の振動を浴びてこそのもので、動画や音源とかでは仕方ないものだが、それがまた良いものだ。